夫婦の在り方
静かな午後だった。彼女と妹が飾り付けの買い物に出かけた後、家には男と両親だけが残っていた。居間にはやわらかな陽が差し込み、湯気の立つお茶の香りがふわりと広がる。
父は雑誌をたたみ、ソファに深く腰掛ける。母はテーブルに小さな茶菓子を並べながら、ふと男のほうに視線を向けた。
「あの二人仲良くなったわね。傍からすると友達、姉妹に見えるのかしらね……ねぇ、あの子と、どういうつもりでいるの?」
突然の問いに、男は少し驚いた顔をしたが、すぐに真剣な表情に戻った。
「一緒に生きていきたいと思ってる」
父が目を細め、静かに問い返す。
「それは“夫になる”ということを、どう捉えてる? お前が誰と生きていくか、そこに口を挟む気はない。
ただ……夫になるってのは、自分の意思だけじゃなくて、相手を受け止め続ける覚悟がいる。簡単じゃないぞ」
男は少し黙った。言葉を探しているようだった。やがて、ゆっくりと答える。
「まだ、正直なところ……よくわからない部分もある。彼女は、いろんなことを自分で抱え込むし、過去も、未来も、あまり語らない。
でも、だからこそ放っておけないんだ。わからないことが多いから、知りたいって思う。……知り続けたいって思う」
父は頷いた。だが、それでも問いは止まない。
「わからないまま、共に生きていけると思うか?」
男は答えに詰まった。目の前の湯飲みを見つめる。
「……正直、不安だよ。でも、わかりきった人間といるより、わからない人と歩くほうが、きっと意味があるって、最近は思うんだ」
「意味?」
「……彼女と一緒にいることで、自分の見方や感じ方が少しずつ変わっていくのがわかる。最初はただ、気になる存在だった。
でも、今は……彼女と居たいなって思うようになった。どこか欠けてるように見える彼女の隣で、自分が足りないものになれたら、いいなって…」
母は男の言葉を静かに聞いていた。そして、ゆっくりと口を開いた。
「あの子、彼女のことだけどね。あなたが理解しづらいの、無理もないと思うわ。あの子、自分自身の感情にすら不器用なのね。
母さんとお喋りしててもね、どこか手探りで浸ってるのよ。全てが"はじめて"って感覚を味わってるような」
「……うん、そうかもしれない」
「けどね、不器用だからこそ、一度向けた想いをとても大事にする。たとえば……笑顔ひとつ、言葉ひとつ、それだけで心が動いてしまうほどに、繊細なところがあるのよ。
あなたに見せてない表情、たくさんあると思う。あの子、自分をちゃんと持ってる。だけど、見せ方を知らないだけなの」
男は少し目を見開いた。
「たしかに。彼女、よく黙ってる。でも、時々、ふとした瞬間に……綺麗なものを見るような目をする」
「そう。その目に気づいたなら、大丈夫。ちゃんと見ようとしてるってことだから」
母はにっこり笑った。
「女ってね、“ずっとわかってもらえなくても、それでも見ようとしてくれる人”に、心を委ねられるのよ」
男は首をかしげた。
「……それ、母さんが言うとなんか説得力あるような、ないような」
母が眉を上げてにらむ。
「どういう意味よ、それ」
「いやいや、普段の説教が強すぎて“委ねる”って感じがあんまりしないなーって」
父が笑いながらうなずいた。
「母さんの“委ねる”は、まあ……時限爆弾タイプだな」
母が二人を睨みながら、茶菓子の皿をどんと置いた。
「はいはい、お茶うけ追加。言いたい放題にはサービスしないわよ」
「そうか。そっか……」
父は湯飲みを手に取り、ふうと息を吐いた。
「俺たちも、そんなふうだったよ」
男が父を見る。
「どうして一緒になったの?」
「うん……母さんと初めて出会ったとき、わけがわからなかった。感性も、考え方も違いすぎた。でも……この人といたら、自分の狭い世界が壊れるって、どこかで感じたんだ。
怖さもあったけど、それ以上に惹かれた。……不思議だよな」
母が少し照れたように笑い、頷いた。
「あなたが、わからないまま愛したから、わたしも安心して寄りかかれたのよ。家族って、ずっと手探りなのよ。私たちだって、今でも喧嘩するもの。でも……一緒にいるって、そういうことよ」
男は二人のやりとりを聞きながら、胸の奥に何か温かなものが流れるのを感じていた。
「……ありがとう。なんか、少し見えた気がするよ。自分なりに、ちゃんと彼女の隣に立てるようになりたい」
母は頷き、そっと男の肩に手を置いた。
「大丈夫。あなたなら、きっと伝えられる。焦らず、ちゃんと見つめていってあげて」
そのとき、玄関の扉が開き、妹の元気な声が聞こえた。
「ただいまーっ!!」
男は立ち上がり、居間を出ていく。ふと振り返り、両親に微笑んだ。
「ありがとう。彼女をちゃんと見るよ」
扉の向こう、夕陽の光の中で彼女の笑顔が見えた気がした。




