都市狂想曲2
「妻に捕縛させ、妻に説教し、今度は妻に金を稼がせる。……こんなだらしない夫を持った私には、一体どんな罪があるというのよ」
「……ぐうの音も出ません。面目ありません……」
すこぶる機嫌の悪い彼女から、雨あられのように浴びせられるチクチクとした嫌味に小さくなりながら、僕は冒険者ギルドの巨大な依頼掲示板の前に立っていた。
さっきの少年に見栄を張って手持ちの財布をそのまま渡してしまったせいで、僕たちの路銀は見事なまでに底をついた。だからこそ、手っ取り早くお金を工面するためにギルドの依頼板へと足を運んだわけだ。
当然、僕としては「最強の妻」である彼女の力に頼れば一発で解決できるという下心があった。
だが、そんな僕の浅はかな目論見など、聡明な彼女には最初から完全に見透かされていたらしい。その鋭い目つきにはトゲのような殺気が宿っており、隣に立っているだけで胃が痛くなるほど居心地が悪かった。
「それにしても、さすがは都市のギルドだ。依頼の規模も内容も凄いよ。貴族の護衛に、希少鉱石の発掘、憲兵団の志願者募集……へぇ、『妻の不貞行為の密行調査』なんてものまである。なんとまあ、人間味に溢れた面白い依頼が多いことか」
「……人間たちのくだらない生態なんてどうでもいいわ。手っ取り早く、一番高く稼げるものはないの?」
「高額な依頼はどれも長期間の遠征や調査が必要だから、今すぐ現金ってわけにはいかないかなぁ。まぁ、貼り紙の右下にある数字が一番大きいやつが高額報酬、と覚えてもらえればいいよ」
掲示板には膨大な数の依頼用紙がひしめき合い、腕利きの冒険者たちが次々と目ぼしい依頼を引ったくるようにかっさらっていく。うかうかと呑気に眺めている余裕などなかった。
存在はじーっと掲示板の端から端まで冷ややかに見渡していたが、不意にすっと細い手を伸ばし、一枚の貼り紙を無造作に剥ぎ取った。
「これが、一番数字が大きいわね。これにしなさい」
「えっ……嘘でしょ、これって……本気かい!?」
彼女が提示してきた依頼内容の凄まじさに、僕は思わず声がひっくり返ってどもってしまった。
「どうぞ、お召し上がりくださいませ……僕の誇り高き勇者様……」
それから時間が経ち、現在。僕は都市でも一番とされる高級料理店の一角で、存在の前にうやうやしく料理の皿を並べていた。
テーブルの上に所狭しと並べられたのは、僕もこれまでの人生で一度もお目にかかったことがないような、まるで磨き抜かれた宝石そのものにしか見えない極上のお菓子の数々だった。
僕は目の前に座る存在に対し、文字通り恭しく崇めるように、小さくなってかしこまっていた。
――どうして、僕がこんな情けない羽目になっているかって?
実につまらなく、だけどあまりにも圧倒的で開いた口が塞がらなかった出来事を、ここで話さなければならない。ぜひ聞いていただけると嬉しい。
結論から言えば、依頼は一瞬で終わった。本当に、昼過ぎのわずかな時間でだ。
彼女が選んだのは、ギルドでも扱いに困っていた超最高難度の特級依頼『東の森の暗黒討伐』だった。
東の森に突如として現れた正体不明の魔物。それは足を踏み入れた人間を暗闇の奥へと引きずり込み、骨の一本すら残さず跡形もなく消し去ってしまうという恐ろしい難題だった。
都市が誇る精鋭の騎士団も、名を馳せた腕利きの冒険者たちも、その全員が帰還できぬまま数ヶ月間も放置されていたという。
移動の際、僕は彼女の魔力の糸で引っ張られるようにして宙に浮遊させられ、魔物が巣食うとされる東の森へとあっという間に連れて行かれた。
なにせ空を飛ぶなんて生まれて初めての経験だったから、森に着くまでの飛行は本当に楽しかったのだが。
本来なら最難関と称され、特級のさらに上に位置するような危険度の案件だ。ギルドの受付嬢も「たった二人で向かうなんて自殺行為です!」と必死になって引き留めたほどだ。
それでも、一刻も早くに資金を欲していた存在の威圧感と苛立ちは凄まじく、気圧された受付嬢は震える手でしぶしぶと手続きを受理したのだった。
僕は僕で、この依頼を前向きに捉えようとしていた。最難関だからこそ、二人で力を合わせて苦難を乗り越える。それは夫婦としての絆を深める絶好の機会になるかもしれない、と。
だが、そんな僕の甘い期待をあっさりと粉砕するように、森に着くや否や、存在は一瞬で魔物の居場所を特定した。
噂通り、そこには夜の闇そのものが凝縮したような、禍々しく不気味な正体不明の巨体がぬっと立ち塞がっていた。地響きのような、怒号のうなり声がけたたましく森に轟く。
「……うるさい。薄汚い。臭い。醜い。不愉快。……救いようがない。――消えなさい」
……あの、それって魔法の詠唱か何かですか?
単に機嫌が悪いだけだったのだろうが、存在は恐ろしいほど語感のいい冷徹な言葉とともに、指先を一閃させた。
巨大な魔物どころか、周囲の闇そのものを丸ごと包み込むような絶大な魔法陣が天空に展開され、まるで聖なる治癒魔法のような眩い光が解き放たれた。
その刹那、立ち込めていた黒い闇は一瞬で綺麗な煙となって浄化され、魔物は哀れな悲鳴を上げる暇すら与えられず、影も形もなく消滅してしまったのだ。
ギルドに戻ったとき、当然ながら疑われた。なにせ、出て行ってから戻ってくるまでほんの数刻しか経っていないのだから。
だが、証拠として、かつて挑んで無念にも帰らなくなった討伐隊たちの遺品を回収していた。その中には、失踪した騎士団長のものと思われる金のペンダントもしっかりと含まれていたのだ。
受付は絶句し、後日の現地調査と事実確認を挟んだ上で、前払い分として十分すぎるほどの巨額の報酬が僕たちの手に渡された。
そうして、その翌日の夕食時が「今」というわけだ。
どうだい? まったくもって男心が踊るような、夢が溢れる冒険譚とは程遠いだろう?
「どうしたの? そんな、味のなさそうな素朴な野菜スープだけで」
「いやぁ……ちょっとここ最近の激動で胃が痛むからさ、僕はこれくらいで丁度いいんだよ」
正直に言えば、ここまではまだよかったのだ。命の危険はなかったし、都市の平和は保たれたし、財布はパンパンになったのだから良いこと尽くめで万々歳のはずだった。
だが、ギルドが現地調査を終えて討伐を正式に確認した途端、都市全体が蜂の巣をつついたような大騒ぎへと変貌してしまったのだ。
その分かりやすい結果が、これだ。今僕たちがいるこの高級料理店には、噂を聞きつけた腕利きの冒険者や騎士たちが大勢集まり、大酒を交わしながら盛り上がっていた。
「ついに! あの東の森の悪魔を退治した『伝説の勇者様』が、この都市に降臨されたそうだぞぉぉおおお! 聞くところによると、報酬のほとんどを受け取りもせずに、協会と孤児院へ極秘で全額寄付されたらしいじゃねえかぁぁああ! さすが本物の勇者様は、お心まで神のように立派だぜぇええ!」
……違います。ただ存在が「そんな面倒な手続きで拘束されるくらいならどうでもいい」と突っぱねて萎縮しただけです。僕が恥ずかしさのあまり、ギルドに戻ることなく密かに都市を離れようと提案しただけです。
筋肉モリモリの豪傑な男戦士が、テーブルを叩いて熱弁を振るう。
「何を言うのよ! 東の森のあの高密度の闇をひと拭いに浄化してみせたのよ!? 絶対に西の聖域からお見えになった賢者様、『理外の賢姫』様に決まっているわぁぁああ! あのお方以外に、あんな神業が使えるはずないじゃないの!」
……賢者ですか? 彼女の存在は、人間の知恵や叡智の枠組みなんてとっくに超越していますよ。
聖職者の女性が、うっとりと手を組んで恍惚の表情を浮かべている。
「甘いな、皆さんは何も分かっておられない! 東の森ですよ!? ならば、東の最深部に隠れ住む伝説の老錬金術師、『万象の錬成者』様の仕業に決まっているでしょうがぁぁああ!」
……彼女の引き起こす現象が、万物の科学や理屈で説明できるわけがないでしょう。異次元の怪異ですよ、僕から言わせれば。
エルフの男が、自身の知識を誇るように熱く語り散らしていた。
気づけば店内の一角から都市の至るところで、人々が思い思いに「まだ見ぬ大功労者」の人物像を語り合っていた。
しかし、その顔は誰もが子どもの頃に夢見た物語を語るように、とても晴れやかで、誇らしげで、活気に満ち溢れていた。
それを見ているうちに、僕の胃の痛みも少しずつ和らぎ、思わずクスリと笑みが零れた。
「……『勇者』という称号は、人間たちの古い本の中では、男にのみ与えられる勲章のようなものではなかったかしら?」
「まぁね。大抵の英雄譚ではそう書かれていることが多いかな。でも、現実にこの都市を救った『本物の英雄様』は、こんなにお美しい女の子だったってことさ」
「……ふうん。勝手な想像でくだらない噂を流して喜ぶなんて、本当にどこまでも愚かで能天気な生き物ね」
「でもさ、みんなすごく楽しそうだろう? 僕はね、こういう賑やかな空気も悪くないものだと思っているよ。もしかしたら、いつか僕達の物語が、色んな形や姿に変わり語り継がれるかもしれないしね」
「そんな、来るかも分からない未来よりも、今この目の前にあるお菓子を味わうことのほうが、よほど重要だわ」
実にどこまでも合理的で、ぶれない彼女らしい考え方だった。
すると、彼女は何を思ったのか、キラキラと輝く最高級の焼き菓子が載った小皿を、すっと僕のほうへと差し出してきた。
「……ふたりで稼いだ報酬でしょう? その貧相なスープだけじゃ、栄養が足りないわ。……分けてあげるから、感謝して受け取りなさい、『ちっぽけな勇者』」
あざ笑うような、意地悪で薄い口元の笑み。
だけど、その瞳にも、流れる声にも、もはや昨日のような刺々しいトゲは完全に消え去っていた。どうやら、美味しい甘味のおかげでご機嫌はすっかり直ったらしい。
僕は差し出された小皿を受け取り、心の中でそっと微笑んだ。
どうやら僕は、ギルドから支払われた金貨なんかよりも遥かに価値のある、最高の後払い報酬を受け取ることができたみたいだ。




