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虚空の街  作者: 数ビット
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04

 大規模なブラックアウトが数年前に起きた事はニュースで知っている。地震の影響で安全装置が働いた発電所の送電システムが停止し、数日間もの長い間停電したのだ。当初は復旧に数週間かかると言われていたが不眠不休での復旧で数日間で回復したそうだ。邦画でもブラックアウトを題材にした映画があった気がするが、僕は観ていない。


 2本目の煙草を吸い終わった僕はスマートフォンを手に取り、なにか情報がないかとネットで調べようとした。

 しかしニュースサイトのトップページもなかなか表示されず、試行錯誤を繰り返しているうちに回線が途切れてしまった。サーバーが停電で堕ちたのかと思ったが、いつのまにか電波感度のアンテナマークが消えて「圏外」になっていた。どうやら中継アンテナのバッテリーが停電で尽きたのだろう。


 この状況になって僕に出来る事は、せいぜい寝る事しかなかった。

 何も出来る事は無かったし、すべき事も思いつかない。先程まで眠ろうとしていたのだから停電していても復旧しても関係は無い。

 とはいえ街から人がいなくなり、電力というインフラが失われ、スマートフォンもネットに繋がらなくなったのだから、安穏と眠る気分にはならなかった。経験した事の無い異変に少々興奮し眠気が吹き飛んでいた。


 僕は上着を羽織ってポケットに煙草とライターと携帯灰皿を入れ、安アパートの部屋を出た。


 部屋を出た瞬間に、僕は暗闇がこれほど恐ろしいものだったのかと思った。

 部屋の玄関を開けた通路のあたりは月明かりも差し込まないので完全な暗闇になっていた。目が夜闇に慣れるまでドアノブから手が離せなかった。いっそ部屋に戻りたいとさえ思ったが、戻っても眠る事さえ出来ない。


 アパートから出て道路に出ると、月の光の明るさに驚かされた。地面にはくっきりと月影が映り、薄雲が月にかかると建物が闇に溶け込んでいく。貯金で食い繋ぐだけの生活をしていた僕は夜中にコンビニに出かける事も多かったが、電気の光の無い夜の街の景色は別世界のように見えた。


 僕は周囲を見回した。薄暗く、普段とは違った状況に用心した。かすかに聞こえる風の音の他には何の気配も無かったが、エイリアンやプレデターが潜んでいないとは限らない。中年の僕がそんな馬鹿馬鹿しい事を真剣に考えるのも必然と思えるほど非日常的な状況だ。


 僕は安アパートの周囲を一周し、そしてコンビニに向かった。コンビニに何かの目的があるわけではないが、目的地も無く歩き回るわけにもいかない。

 信号機さえ消えている道を歩き数分の後コンビニに着いたが、やはり電気は点いていなかった。自動ドアも閉まったまま開かず、手でこじ開ければ開きそうだったが、店内は真っ暗闇だったので中に入りたい気分にはならなかった。僕は年齢で言えば十分に大人であったが、真っ暗なコンビニ店内が恐ろしく感じた。


 コンビニ前の歩道にしゃがみこんで煙草に火をつけた。日の出まではまだ随分と時間があったが東の空が僅かに明るくなり始めていた。明け方前の冷え込む時間だったので上着を着ていて良かったと思った。まだ梅雨は明けていないが停電時に月が雲に隠れていなくて良かったと思った。雨の止まない朝は無いというフレーズは映画「クロウ飛翔伝説」だっただろうか。この映画では煙草は身体に悪いとも言っていた気もするが、どうにもこの状況下では1日5本の本数を守れそうに無い。


(そういえば、長らく映画を観ていないな)


 僕は決して映画通では無いが、80年代のビデオが流行した時代が青春時代だった。レンタルビデオ店が街のあちこちに出来て、最初の頃は学生には厳しいほど高い料金だったが数年で値下げされていった。おかげでアンブリンやルーカスフィルムの映画を何度も観る事が出来た。


 しかし90年代以降、物心ついた頃から続いていた経済成長期は僕が社会人になった頃に突然幕を閉じた。就職先がなく転職すればキャリアダウンする時期が10年ほど続き、フリーアルバイターとか契約社員とかという新しく貧しい言葉が沢山作られて広まった。振り返って考えれば僕は深く考えずにそういった状況に流されるばかりで、歳を取るほど仕事と収入が減る人生を歩んでしまった。自分の見積もりの甘さを棚に上げて努力を怠り人生設計をせず、安く使われる労働に甘んじ続けて余裕のない生活を連綿と続けているうちに映画を観る余裕さえ失っていた。


 煙草を吸いながら呆けていると、次第に月の明かりは薄れ日の出前の明るさで街並みから闇が消えていった。日が昇るのはまだ先だったが散歩するには不都合の無い明るさだ。梅雨明け前の季節だが明け方は冷え込む。安アパートに戻ってコーヒーでも飲みたい気分だ。……しかし停電しているのでコーヒーメーカーが使えない。ヤカンで湯を沸かしハンドドリップで淹れる事は出来そうだがペーパーフィルターはあっただろうか?


 ふらふらと歩いて安アパートの一室に戻り、運動不足の身体を伸ばし、明け方の空を眺めながら布団に潜り込んだ。

 誰もいなくなった事も停電も僕にはどうする事も出来ないし理由もわからない。怠惰な眠りから目覚めた頃には理由も無く元に戻っているかもしれない。どうにも出来ない事で悩むだけ無駄だ。


 深い眠りの中、僕は幼少期の頃の夢を見た。酒飲みの父がまだ酒で身体を壊す前で、母のヒステリーも酷くなかった頃の夢だった。近くの海辺で一泊のキャンプをした時の夢で、実家では無い場所でテントを張り一晩を明かす事に僕は興奮していた。父が借りてきたテントは大きく立派なもので、組み立てるのに相当の時間がかかったが、幼い僕が父を手伝ってテントを立てた事が楽しく思えた。思えば酒で身体を壊した事が遠因で亡くなった父と一緒に何かをしたのはこの時が最初で最後だったかもしれない。


 そして夢は記憶の再現ではないので、過去に見た光景とは違うものも見た。波に輝く夏の日差しの眩しさは覚えているが、他にいた筈の海水浴客などの姿は殆ど思い出せなかった。なので広い海辺に酒飲みの父とヒステリーの母しかいない、ただただ広い海と砂浜の景色が夢の景色として広がっていた。


 夢から醒めた僕はしばらく感慨に耽り、そして未だ停電が続いている事を認識した。コーヒーメーカーのスイッチを入れてみたが電源ランプはつかなかった。


 運良くインスタントコーヒーが残っていたのでガスコンロで湯を沸かそうとしたが、火はつかなかった。どうやらプロパンガスのメーターの電源が失われた事でガス供給が止まったようだ。

 ようやく僕は「これは相当困った事になってきたぞ」と呟いた。街から人がいなくなっても人と関わりを持たなかった僕には理由もわからないし解決も出来ない事で、つまり関係のない事と思っていた。しかし電気もガスも使えなくなったのでは日々の生活に困る。他人事と無視する事が出来ない問題になったのだ。


 幸い水道は普通に使う事が出来た。水が止まる気配もなく、トイレも普通に使っても大丈夫のようだ。


 僕は再度コンビニに向かった。昼前の空は小雨が降りそうな曇り空で、明け方の肌寒さは無くなって梅雨時の蒸した湿気になっていた。

 コンビニに着くと自動ドアを手で開けた。鍵穴の突起を掴んで引っ張るとゆっくりとドアが動いた。照明の消えたコンビニの店内はさながら昭和の雑貨屋のようだった。店の奥ほど薄暗かったが見えない程ではなかった。


 一通り店内を物色した後、僕はカセットガスとコンロに手を伸ばした。ガス缶だけでなくコンロも取り扱っていたのは幸運だった。他にも欲しいものは沢山あるが、まずはガス缶とコンロを持ってレジに行き概ねの代金を置いた。一応「すみません」と声をかけたが、当然誰の返事もなかった。監視カメラの赤いLEDランプも消えている。代金を置いても無意味に思えたが、僕には泥棒をする勇気はなかった。いなくなった人達が突然戻ってきた時に犯罪者になりたくはなかった。


 ガスコンロを持ってコンビニを出て、自動ドアを手で閉じた。

(こういうのも略奪行為になるのだろうか?)

 容易くガスコンロを手にした僕は帰り道の間「ガスが無くても場をしのぐ方法があったのではないか」と考えていた。理由はどうあれ、金を置いてきたとはいえ、売る側の承諾無しに商品を持ち帰っているのだ。

 また略奪に似たような事をしている事にも不安を感じた。誰もいない街でこのような事をして「何も問題がなかったとしたら」僕の40年以上当たり前と思い守り続けてきた社会ルールが根底から覆ってしまう事になる。泥棒になる事も嫌だが、常識と思っていたものがなくなってしまうのも嫌な事だった。


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