03
ネットの更新が止まってから5日目の朝、僕はあてもなく外出した。
街で人を見かけないといっても家の中には誰かいるかもしれない。何かが起きたのなら避難場所に集まっているのかもしれない。
とりあえず僕は安アパートの他の部屋のチャイムを押してみた。鳴り響くチャイムの音の大きさに驚き、それほど周囲が静かである事を再認識した。結局どの部屋からも返事は無く、誰も出てはこなかった。
僕は近くのコンビニに向かい、その途中にある一軒家の玄関のドアチャイムを押し続けた。やはりどの家も返事は無く、人の気配も無かった。
コンビニに入ると店内BGMが流れていなかった。とても静かな店内には誰もおらず、僕の足音が店内に響いた。
僕は一応レジに向かって「すいません」と声をかけたが反応は無かった。監視カメラは動作しているようだったが、埒が明かないので僕はバックヤードを覗き込んだ。やはり誰もいない。奥の控え室に入ってみようかと思ったが、この状況でも何か僕が勘違いしているのかもしれないという思いが払拭できず、そのままコンビニを後にした。
コンビニを出て空を見上げ、映画「トゥルーマン・ショー」のように撮影カメラが落ちてこないか眺めた。当然そんな物は落ちてこなかった。
近くの公園のベンチに座って、煙草に火をつけようとしてやめた。
煙草は残り少なく、僕は節約して生きている。
呆けて空を眺めながら、幾つかの可能性を考えてみた。
まず、何か集団疎開のような事が行われたのではないかという可能性。自然災害や放射能やウィルスなど物騒な事は珍しくなくなった時代だから、何かの理由で一斉に避難したという可能性は有り得ない事とは言い切れない。もしそうであれば僕の部屋にも誰かが避難を促しに来たのかもしれないが、鬱屈した日々で惰眠を貪っていた僕は気付かなかったのかもしれない。
次に、大規模な事件の発生によって多くの人類が絶滅したのではないかという可能性。ハリウッド映画のように荒唐無稽な考えだが、やはり放射能やウィルスが珍しいものではなくなったいまの時代では全く有り得ない事とも言い切れない。やはり怠惰な僕だけがその事件に気付かなかったという事はありえるが、僕だけ生き残る理由が無い。
更に荒唐無稽な事を考えれば、僕ひとりが誰もいない世界に迷い込んでしまったという可能性。まるで漫画かアニメのようなファンタジーが現実に起こるとは到底思えないが、幾分この状況に符合するようにも思えた。僕以外の人類が絶滅したと考えるより、僕だけが誰もいない世界に迷い込んだと考えるほうが妥当に思えた。とはいえそのような事に到る理由がないし、現実的でもない。
一番現実的な可能性は、僕が醒めない長い夢を見ているだけというものだ。
僕は普段から惰眠を貪っていたし、夢を見ている間は現実と区別が出来ない。いまこの瞬間が夢の中ではないという保証はどこにもない。夢も現実も自分の脳が認識し投影しているものに過ぎないからだ。色是すなわち空、空是すなわち色と言うが、それを認識し実感する事は難しい。
(よもや壮大なサプライズじゃぁないだろうな)
そんな冗談を思いつき一人でにやけたが、ネタ明かしの無いドッキリ企画はただの迷惑行為だ。誰とも関わりを持たない僕がそういった目に遭う理由も無い。
再び僕は街を歩き続けた。
少し離れた街の中心部に行ってみたが、やはり誰もいない。信号機の前には誰も乗っていない車が止まり、T字路では物損事故のように歩道に乗り上げている車も遭ったが運転席は空だった。
駅前も人影は無く、もう昼前だというのに駅の入り口のシャッターは閉まっていた。もちろん電車も動いていない。普段は人で賑わう駅前も、いまは風でたなびく木々の音が聞こえるだけだ。
この奇異な状況にも慣れてきて、僕はあちこちを眺めながらふらふらと歩き回った。ファミリーレストランの窓に顔を近付けて中を覗き込んだり、交差点の真ん中に座り込んで煙草を吸ったりもした。
しかし誰もいないという事は何をしても誰の反応も返ってこないという事で、ただ僕が一人でみっともない格好をしているだけに過ぎなかった。それに誰もいないという非日常は、僕が非日常的な事をする理由とは言い切れない。
(もしこれが夢だとしたら、これは楽しい夢なのだろうか? それとも悪夢?)
夢というものは奇妙な事を平然と受け入れてしまう事がしばしばある。知り合いでは無い人と旧知の仲のように会話したり、行った事の無い場所なのにどこに何があるのかを知っていたり、現実と同じようで全く異なっている部分があったり。
(夢か現実かを確認する方法は、電気のスイッチを入れる事だったっけ?)
ふと映画「ウェイキング・ライフ」を思い出した。夢が醒めない主人公を描いた作品だったが、電気のスイッチが反応しなければ夢の中だと言われるシーンがあったように思う。
結局僕は何をどうする事も無く岐路に着き、安アパートに戻ってインスタントラーメンを食べた。
久しぶりに歩き回ったので身体の疲れが心地よく、満腹になると睡魔に襲われそのまま眠った。目覚めると日も沈む頃で、暗くなった街を歩く気分にもならず、再びPCでネットを見る事にした。
最終更新の日付はいずれも5日前のままで、表示されないホームページは昨日よりも増えているように感じた。特に海外サーバーのウェブサイトは何も読み込まず接続中断するものが多く、レイアウトが崩れて表示されるページも多かった。
夜も深まり僕は再び眠ろうとしたが、昼寝の後ではなかなか寝付けなかった。
眠れないと、もともと将来のない落ちぶれた中年でしかない荒んでいる僕の心は一層混迷し、人を見かけなくなった現状と、そもそも人と関わりを持たない僕自身の答の出せない問題が頭の中で混濁した。
(そもそも、僕は誰もいなくなる前から誰とも会っていなかったじゃないか)
そうなった原因の全てを90年代の不景気のせいにするのは無理があると思っている。僕の他にも大勢の同世代がこの苦労を経験している筈で、僕のように落ちぶれた生活を送っている人も大勢いるであろうからだ。僕と似たような人達も僕と同じように引き篭もったまま歳を取り、かつて平凡な幸せと言われていたようなレベルの生活は得られない事を被害妄想ではない現実として感じている筈だ。
しかし街に僕しかいない理由がわからなかった。もしかしたら人類が滅亡したのではないか?とさえ思えた。安アパートの隣室のドアを開けたら腐乱死体が転がっているのかもしれない。未知のウィルスとか宇宙人の侵略とかゾンビとか宇宙放射線とか人類滅亡の危機に瀕する映画は山ほどある。しかし僕だけ生き残る理由がわからないし、何の騒ぎも無く人類が滅亡しているというのも妙な話だ。
すると僕自身に問題があって街に誰もいないように認識しているという可能性も強くなる。脳に障害が発生して人がいるのに見えなくなっているとか、夢を現実と認識したまま目覚められないとかという可能性だ。しかし僕は煙草を買いにコンビニに行ってから現在まで何度も眠って目覚めている。僕が40数年間繰り返してきた睡眠と目覚めとの違いは無いし、頭痛などの脳の違和感も感じていない。むしろ妙な事が起きている事で少々頭が冴えている気さえする。
地震や災害があっての集団避難であれば、僕だけ逃げ遅れた事になるが、そういった事があったとも思えない。警察や自衛隊が住人の安否確認を見落とすとも思えないし、街には自然災害などの異変の痕跡は無かった。
そもそも何か起きての事であったとしても、貯金残高も底をつきそうな落伍者の僕にはどうする事も出来ない。
街の誰もが何処かに行ったのだとしても、その何処かから戻ってくるのを待つ他に無いし、戻ってきても僕の生活には大差がない。僕は世間と関わりが無かったし、世間も僕に興味など無かった。街に誰もいなくなっても40代半ば過ぎの無職の引き篭もり中年にとっては関係なかった。……買い物さえ出来ないのは大きな問題だが。
結論の出ない混濁した思考を何度も反芻していると、どこかで「ブツン」という無機質な低い音が響いた。
大きな音ではなかったが、静寂の中でははっきりと聞こえた。
(……誰か、いるのか?)
僕は突然の物音に震え上がった。40半ばの大人が物音に怯えるは恥ずかしいが、聞き慣れない音だったし、真っ暗な夜中の異変だ。誰もいないと思ったが、もし街に誰もいないのなら他の場所から火事場泥棒がやってきても不思議ではない。僕は体力にも自信などないので、もし窃盗団のような凶悪な相手だったら逃げ出すしかない。
僕はしばらく耳を澄ませて物音に集中した。しかし何も聞こえなかった。先程の物音は気のせいだったのではと思えるほどの時間が経ち、そして「泥棒や窃盗団なら街から人がいなくなった理由を知っているかもしれない」と考えた。何もわからないままでいるよりは、泥棒に尋ねるほうがましに思えた。
布団から出て部屋の電気をつけようとした。
しかし電気は点かなかった。
(まさかウェイキング・ライフのように、僕は醒めない夢の中にいるのか?)
一瞬本気でそのように思ったが、他の電気……台所やトイレの照明のスイッチを入れても点かず、スマートフォンのライトは使えたので、停電が起きたのだと理解できた。ガス警報機や家電の通電ランプも消えている。夜の停電ほど嫌なものはないが、復旧するまでどうしようもない事だ。
僕はどうすればいいのか考え、やはりどうしようもなく何をする事も出来ないという結論に至り、1日5本と決めている煙草に火をつけた。ライターの炎が頼もしく思えた。
煙草を吸いながら何気なく窓の外を眺めると、やけに星空が明るく見えた。
しばらくして街の外灯の光が消えている事に気付いた。
安アパートの一室からは外灯も星空も僅かしか見えないが、半月ほどの僅かな月の光が建物や電柱の影を落としているのが見えるほど、人口的な光が無くなっていた。
どうやらただの停電ではなく、発電所からの電力供給がブラックアウトしたようだっだ。
僕は呆然としながら、2本目の煙草に火をつけた。




