第九章
沐浴を終えたスズリカが、執務室に入ってきた。
彼女から聞かなくとも、大祭司が報告をよこす。
「水蜘蛛の件ですが、イールスハンフの名士たちによる同盟というのが正確のようです。そして現在ですが、イールスハンフの名士たちが暴れているように見えますが、どうやらまとまった主流派から排除された連中が行動を起こしているようです。特に、オーフィフルが次々と名士を追放してゆくので、シー・ゴースト・サイス援助の活動を始めています」
「バードビーのクソは何をしている?」
彼女のひどい単語を無視して、大祭司は答える。
「表だった行動は、一貫して現イールスハンフへの反対行動です」
用意されていたグラスのワインを一口で飲み、もういっぱい注ぐ。
「あの馬鹿に任せてはおけないが余計な口を出してこれ以上の混乱を招く訳にはいかない。その水蜘蛛の主流派がバードビーというのはあいつの駄法螺だろ?」
大祭司は軽く頭を下げた。
「アレにはアレ相当のものを返してやらなければならないからな。自分で地獄に落ちたいのはあいつのほうだろうが。水蜘蛛の主流派を呼べ」
二杯目をきれいに飲み干す。
スズリカに一礼して大祭司は部屋をでた。
「イールスハンフの残りかすの癖して、ツラがでかいんだよ、あいつは」
誰もいない部屋で、彼女はむしろ親し気な笑みでつぶやいた。
次の日に現れたのは、痩せたイールスハンフの官服を来た男だった。
フォヴスリーだ。
接見室でスズリカは、据わった目で口だけ笑っている。
「水蜘蛛首領を呼んだんだが?」
「代理として参りました。猊下」
「随分と早いと思えば。代理を呼んだ覚えはない。帰れ」
「名士たちの水蜘蛛は、内々で私自身がまとめております故」
そういうことか、とスズリカは口元を歪めた。
サイタイオルの懐刀の刃は両刃になっているらしい。
「ついでに申し上げれば、我々はイールスハンフの動乱を望んではいません」
「それはそうだろう。生活がかかっているものな」
スズリカは納得した。
「・・・・・・わかった。時を見て、私が仲介に出よう。それまで水蜘蛛を把握しておけ」
フォヴスリーはお約束しましょう、と言った。
もう関心事がなくなったかのようにスズリカは出て行った。
噂通りの鼻持ちならなさだ、とフォヴスリーは苦笑した。
買収して自らの城とも貸した監獄でイールスハンフの動向を探っていたリンローは、池庭亭にいた。
ア・リサムルクが寝そべり、ルービニーが清酒をちびちびとやっている。
中央では、インバネスコートを着て眼帯をした少年と、民族衣装を短く切ったイーリリブが半ば本気で新聞紙を丸めたものを使い、チャンバラをしていた。
「・・・・・・平和だろ? どっかの家の中みたいだ」
ア・リサムルクが姿勢をそのままで、リンローに言った。
「アレはどっちが勝ってるんです?」
「今のところ、四対五でイーリリブが優勢」
それでもリンローは思わず、ほう、と声をだしていた。
バードビーはイーリリブと、ほぼ互角の勝負をしているのだ。
「まだまだだねぇ、パトルカ。これでとどめだよ?」
構えたイーリリブに、バードビーは無言で、その脇に拳銃をの銃弾を放った。
固まるイーリリブ。
その頭が新聞紙で叩かれる。
「これで、対だね」
呆然としていたイーリリブは、途端に顔を赤くするほど激怒する。
「おまえ! 当たったらどうすんだよ! よりによって撃つか!? 信じられない!?」
「だって負けそうなんだもん」
「ふざけ・・・・・・」
二人の間に、静かにリンローが入った。
「スズリカのと頃に水蜘蛛の首領が呼ばれました。答えて向かったのは、フォヴスリーでした」
「・・・・・・なるほど。サイタイオルがいまいちキレがないのはそのせいか」
バードビーはスズリカの神殿に行ったとき、大司祭を買収していた。
「イーリリブ、フュライカルのほうは?」
リンローは彼女に顔を向ける。
後宮に潜入している彼女は、イールスハンフ宮廷にスパイ網を作っていた。
彼女は複雑な顔をした。
「楽しそうだよ。イールスハンフの混乱を本当に楽しんでるようだ。ただなんか、愛想悪いね」
「マーツリート本国の話は?」
「ああ、なにか、使者が来たね。小一時間ほど、二人で部屋にこもって話していたらしい」
リンローはふむ、と鼻を鳴らした。
「マーツリートがフュライカルの行動を黙っている訳がない、でしょ?」
バードビーが言うと、リンローは頷いた。
「・・・・・・ちょっと、イールスハンフで騒ぎでも起こして良いですか?」
「いいよ。いくらでもやっちゃって」
言うパトルカにはイールスハンフへの想いというものが感じられなかった。
リンローはその態度をチラリと見ただけでイーリリブに向き直る。
「手を借りたいのですが」
「あら、喜んで」
淑女のように気取って頷くイーリリブ。
「ルービニーもいることだし、今回もどうにかなるでしょう」
リンローは、一人、本物の貴族然とした彼女を見た。
「・・・・・・あたしは壁だもの。イールスハンフから出入りを自由にさせたんだから、責任は取るわ」
ルービニーは本物のイールスハンフ海賊だった。
今、堕天燈があるのも彼女のおかげだ。堕天燈は元々実質ルービニーの艦隊だったのだ。
「さて・・・・・・」
こんどイーリリブが持ち出してきたのは、輪ゴムだった。
「パトルカ、勝負だ」
「・・・・・・射撃で僕に勝てるわけ?」
バードビーは嗤った。
「・・・・・・また始まったよ」
ア・リサムルクがぼそりとつぶやいた。
オフィタの艦隊は数日前から捕捉されていた。
十八隻からなる大小様々な艦が、造船所で対空砲を大量に積んで、イールスハンフ首都南西にゆっくりと進んでいた。
その先には、元タンビラフのコライカムがあった。
海は相変わらず底は真っ暗だが、表面の層には光が届いている。凪はいつものことだ。空は厚い雲が覆っていた。潮の流れは左からだ。
敵艦発見の報を聞いたオフィタは不機嫌だった。 イライラしながら船尾の縁をずっと手のひらで叩いている。彼には、イールスハンフ海賊浪派としての矜持があった。
部下につけられた者たちは、名士やそこで世話になっていた者たちばかりである。
だというのに、作戦も全てフュライカルが決めていた。
三列の単縦陣で列の移動は自由だが、単縦陣は絶対に維持すること。
これでは、イールスハンフ海賊の実力が出せないのだ。
叔父のハンビラフのように達観していない彼は、ここで勝てば、現イールスハンフ帝国から手を切るつもりだった。
「各員戦闘用意。容赦するな! 殺せるやつは確実に殺せ! 皆殺しにしろ!」
怒りをぶつけるように命令する。
対散雲弾が一斉に辺りの空に打ち上げられる。
その一部が途中で爆発する。ルービニーの造った壁の断片だ。
散雲弾に続き、対空砲火が敷かれる。
「敵艦、後方! 平行します!」
オフィタの左翼が最も巨大だった。
相手は並んで二列がある。
堕天燈の十六隻は、合間を開けた単縦陣で、二列の艦複が見えるように並んでいた。シー・ゴースト・サイスと水蜘蛛総長の旗を掲げていた
重いオフィタの船はだんだんと追いつかれてゆく。
一方、空には、船らしきものの影が一つもなかった。
ルービニーが空に壁を散らして、陽動していたのだ。
オフィタは慌てて人員を対空戦から艦砲戦に移行させる。
潮の流れと、軽さから、堕天燈は左翼単縦陣に追いついた。
「右舷、一斉集中射撃!」
パトルカは冷然と命令した。
高速で平行すうると、堕天燈は大量に装備した速射砲を容赦なく叩き込んだ。
速射砲の集中砲火で装甲の薄いところから次々と爆破してゆき、オフィタの左翼は爆煙に包まれた。
一方、ようやく砲撃が始まったが、堕天燈は水柱を使った巧みな操船を見せる。
煙にさらに、堕燈天の左翼が雲弾を撃ち込み、オフィタ艦隊の視力を奪う。
最も軽いオフィタの最右翼が堕天燈の先頭を押さえるように移動していた時には、煙に向かい、まっすぐ西を向いて単縦陣を形成していた相手がいた。
容赦ない速射砲が再び一点集中で開始されて、次々と最ももろい艦は各部で爆発をおこしていった。
堕天燈は二列横隊で煙と雲の中に突入していった。
同時に散雲弾を撃ち込む。
空気が澄みだした海面には、西に方向を変えた単縦陣二列が見えた。
堕天燈は容赦なく、最左翼だった最も巨大で堅い戦列を、二列では挟み、速射砲の連打を繰り返した。
彼らが二十発撃つ間に撃てたオフィタの砲は一発でしかなかった。
艦が炎に包まれ、オフィタは眼前の机に拳を叩いた。
と、同時に放たれた銃弾が彼の側頭部を貫き、ゆっくりと倒れる。
堕天燈の旗艦でインバネスコートにスカーフを首に巻いた眼帯姿のパトルカが、拳銃を持った腕を降ろした。
両艦隊はそれほど接近していた。
堕天燈は相手機関と燃料庫を破壊すると、爆発に飲まれないように距離を開けた。
大音響とともに、艦が次々と海に沈んでいった。
残った一列は算を乱して逃亡を図った。
パトルカが追撃を命じようとするところを、リンローが止めた。
「・・・・・・十分です」
自ら速射砲の主力集中を提案したとはいえ、リンローはここまで堕天燈が獰猛な攻撃で相手を叩き潰すとは思っていなかった。
それに、全滅させるより、邪魔者をイールスハンフに送ったほうが有利である。
「いやぁ、出番がなかったねぇ」
刀を肩に担いだイーリリブが艦を寄せて陽気に言った。
「・・・・・・こいつらは雑魚どもだよ」
表情もなく、パトルカが答えた。
リンローは顔をどこかにやり、ぼうっと海を眺めていた。
今回は『旗』も立てずに勝てた。飛びもしないで。リンローのお陰である。
パトルカは形通り、リンローに感謝の言葉を言った。
「・・・・・・まだ終わってないでしょう? 大体、体制崩したいならまず右に入ることです、オーフィフルのように。左に行ってただの殺し合いになるだけです」
どこか不機嫌なリンローは返した。
無言だったパトルカ=バードビーにとっては、敵とはリガーゼイムやマーツリートにビジー王国のことを言うのだった。彼にとっては右も左もない。
事態はオーフィフルにとって満足のいく形となっていた。
シュイハと結婚を許可した直後にフュライカルを戴冠し新首都に鎮座した彼は、事実上のイールスハンフの支配者として盤石なものとなった。
シュイハは、ビジー国王の庶子とはいえ娘である。そして、シリシア艦隊というイールスハンフ海支配のための艦隊の指揮官だ。さらには、フュライカルはマーツリート王国で最盛力をもつ「帝王」である。
彼は敢えてここで、リガーゼイム海軍にイールスハンフ海賊の討伐を命じた。
目的は二つである。
リガーゼイム海軍への命令を認めさせることだ。
もう一つは、王国がイールスハンフ「帝国」に手を出さないと言わせるためだった。
これが成功すれば、オーフィフルは完全にイールスハンフの皇帝をも支配する真の実力者となろう。
リガーゼイムの貴族たちは、混乱した。
だが、二人、冷静な人物がいた。
リガーゼイム参謀本部長のハンビュローと、海軍元帥になっていたビージルドだった。
二人とも、貴族派ではなく軍閥派である。
ビージルドは無言で。だがハンビュローは国王にはっきりと言った。
「自ら死にたいとおっしゃるなら、介錯差し上げるのが武人。彼も己の厚顔無恥さに耐えきれず、今更ながら赤面しているのでしょう」
「しかし、相手はフュライカル。しかもシュイハ皇女を人質にとられているのだぞ!?」
貴族の一人は声を上げた。
「庶子です」
ハンビュローは短く返答しただけだった。
群臣たちは動揺するかのように静まった。
国王のウイルタメはしばらく目考するようにしていたが、やがて言った。
「オーフィフルをイールスハンフにやったのは、海に静けさを取り戻すためである。ところが、まるで荒波にでも鳴ったかのような事態だ。国庫も湯水のように減らされてゆく。ここらが限界だな」
ウイルタメのところには、グーリーヒリーから大量の金が送られていた。
彼の発言が全てであった。
ビージルドを司令官に、ハンビュローを参謀長にして、対オーフィフルのイールスハンフ最征伐決まったのである。
ビージルドとハンビュローには、事前にリュクオルジンが接触していた。
二人の会食は、三十分も経つというのに、お互い無言だった。
「・・・・・・フュライカル対策を練っていたようだな?」
ようやく、艦尾の提督室でビージルドが口を開く。
「ウチの艦隊でじゃないことぐらいわかりますよね。でも提督はやるんでしょう? なにしろおっかない豪腕のおじさん呼ばわりされてるんですから」
しらっと滑らかにハンビュローが言う。
「・・・・・・海の上じゃ、殴り合いはできないんだよなぁ。何しろ足元が水深何百メートルの底なんだから」
「・・・・・・何がおっしゃりたいので?」
「オフィタの件、貴官がやりたかったのは、単縦陣で巨艦の真似事だろう? 何に似せたかというと、フュライカル艦隊だ。シー・ゴースト・サイスが相手できるものか試したのだろう?」
ハンビュローは不機嫌になった。
考えていたことが全てビージルドには筒抜けだったのだ。
「どうせなら、結果も見たいもんだが」
意外なことをビージルドが言いい、ハンビュローは思わず顔を上げた。
皇帝である「帝王」は飽いていた。フュライカルだ。
淀んだ水は腐るを実感していたのだ。毎日の夜のような社交界も、彼をうんざりさせた。
フュライカルのような実践経験だけの人間には、地位が高い家に生まれたというだけの藁人形のような人々が鼻を高くしながら楽し気に騒がしくしているのが鬱陶しくてたまらなかった。
イールスハンフの海賊であろうが、リガ―ゼイムの討伐艦隊だろうが、海に出られるならどちらでも良い。
それを待っていたかのようにほくそ笑んでいたのはオーフィフルだった。
「リュクオルジンを呼べ」
思いだしたかのような声だった。
三十分後きっかりに、汚れた格好も気にしないでいる青年が現れた。不敵な顔で豪華絢爛な執務室に立った。
「気になることがある。クラウド・ストリートという、気流の道があるというのに、シー・ゴースト・サイスはそれを無視しての素早い出現のしかたをしている。卿はどう思う?」
オーフィフルは左遷同然の扱いをしていた男に対して、わざわざ「卿」という親し気な表現を使った。
「背後に何かあるんでしょうね。今考えられるとしたら、海上鉄道の水面に沈んでいる基礎部分とかですか」
さらりとリュクオルジンは言ってのけた。
オーフィフルが気を使った部分を意識した様子は一片もなかった。




