第23話 君が選ばなかった日
ノートを、閉じる。
破らない。燃やさない。誰の字なのかも、もう確かめない。ハルが書いたのか、僕が書いたのか、ハルの日記と、ミナの言葉と、刑事の質問と、僕の記憶が、長い雨のあいだにひとつに溶けたものなのか。
たぶん、ぜんぶ少しずつ、ほんとうなんだと思う。
人は、自分に都合の悪い記憶を、物語にして隠す。ノートが誰の字で始まって、誰の字で終わっていたとしても、選択肢をひとつずつ選んで、ここまで歩いてきたのは僕だ。選ばされたページも、あったかもしれない。それでも、めくったのは僕の指だ。だから、これは僕の物語だ。誰が書いたのだとしても。
ひとつだけ、選ばずに残しておけないことがある。それだけは、字にも頼らず、自分の声で言わないといけない。
あの日、僕は駅へ行った。
来ないで、を読んで、行った。ハルの決めたことを、聞きたくなかったからだ。そして最後の瞬間、伸ばした手を、僕は止めた。怖かったのか、資格がないと思ったのか、それとも心のどこかで――そこから先は、何度思い出しても、雨の音になる。
僕は、ハルを殺していない。
でも、助けなかった。引き止めなかった。話を聞かなかった。別れを受け取らなかった。あの日僕がしたのは、選ぶことじゃない。選ばないことだった。そしてノートの題字は、最初からそう言っていた。
ミナには、時間をかけて話すつもりだ。聞き終わったミナが僕を許さなくても、それはミナの選ぶことだ。ハルの母には、ノートを見せようと思う。あの子が最後に何を選んだのか――答えは、たぶんこうだ。ハルは最後まで、ちゃんと言うことを選んでいた。選ばなかったのは、僕のほうだ。
君が選ばなかった日のこと。
選ばなかった日々のことを、僕はこれから、ずっと持って歩く。軽くはならないと思う。軽くしてはいけないとも、思う。
黒川には、近いうちに会いに行く。思い出したことを、なかったことにはしない。約束したのは向こうだけれど、守るのは、僕の番だ。それで何かが変わるとしても、変わらないとしても。
次の晴れた日に、僕は駅の反対側へ行く。
跨線橋の上は、まぶしい。線路が南へまっすぐ光っている。反対側の街は、パンの焼ける匂いがして、ハルはいない。いないことが、今日はちゃんと、悲しい。悲しめることが、少しだけ、うれしい。
アーケードの出口で、空を見る。
「――雨の日の君じゃなくて、晴れた日の君を、思い出すよ」
返事は、ない。風がアーケードの旗を鳴らして、どこかの店のラジオが、明日も晴れると言っている。
泣けたかどうかは、書かない。それは、僕とハルのあいだのことだ。
鞄の中のノートは、閉じたままだ。
最後のページは、白いままだ。
END6 君が選ばなかった日
雨の日から、もう一度読むなら、第1話へ。




