39:長生きしてね
レイたちの尋問が終わり、念のため彼らを地下の牢屋に入れた後、アイルは魔王城の廊下を一人歩いていた。
静けさを取り戻した城内に軽い靴音が響く。
夜が明けたら仕事もあるので、そろそろ眠った方が良いのだが、色々あったせいで目が冴えてしまっていた。
夜風にでも当たれば少しは気も静まるだろうと思って、見回りがてらに歩いていると、中庭に差しかかったところで、ある人物を発見した。
フロルだ。彼女は噴水の縁に座って、ぼんやりと月を眺めている。緩やかな風に吹かれて、絹糸のような白い髪がさらりと揺れていた。
突然声を掛けて驚かせないように、アイルはまずカツン、と小さく靴音を鳴らした。すると音に気付いたフロルがこちらを振り向いた。
アイルは彼女と目が合うと笑いかける。
「こんばんは、フロル。眠れないの?」
「こんばんは、アイル。んふふ、実はそうなんです。興奮冷めやらぬと言いますか、今なら魔王城横断マラソンで良い成績を残せそうな勢いですよ!」
「初めて聞いたな~」
「やります?」
「やらないなぁ」
「やらないか~」
話をしながらアイルはゆったりした足取りで彼女に近付く。
「隣、いい?」
「どうぞどうぞ」
許可を得たアイルはフロルの隣に腰を下ろした。
噴水のサラサラした音を背中に聞きながら、アイルはフロルがしていたのと同じように月を見上げる。夜空には、満月一歩手前の、ほんの少しだけ凹んだ月が浮かんでいた。
「明日は丸くなりそうだなぁ」
「それはまた縁起が良いですねぇ」
「そりゃいい」
何よりだとアイルは小さく笑う。
明日、アイルたちは宝石竜と氷竜ネーヴェの協力の元、人竜国へ向かうこととなっている。
今回の事態を終息させるためだ。レイたちから話を聞いた様子だと、様子見の時間を設けるのは、ただただ状況が悪化するだけだと判断したのである。
人竜国へ向かうのはアイルとトーとフロル、宝石竜とネーヴェ、それからレイだ。レイの仲間たちについては、さすがに全員は宝石竜たちの背に乗り切れないので、いったん魔王国に留め置く。
その話をしたところ「レイと一緒にいなくていいんですか⁉」とか「ありがとうございます」とか、妙に感謝されてしまったのは複雑なところだが。
(普段どんな対応をしているんだ、あいつ)
レイのことはまだよく分からないが、極端な考え方であるのは、あの短い時間でも理解出来た。彼の主人もそんな感じらしいので、似た者主従なのだろう。
「ところでアイル。明日、本当に一緒に来てもらって大丈夫なのですか?」
そんなことを思い出していると、フロルからそう尋ねられた。
最初、彼女は自分にも原因があるし、何より人竜国のことなのだから、自分たちだけで行くと言っていたのだ。さすがに心配だったので、アイルとトーはそれを止めて、同行することをフロルに納得させたのである。
(フロルって、意外とこういうところがあるんだよな)
なかなか突拍子もないことをする彼女だが、自分で何とか出来そうだと判断したことに関しては、自分の力だけでどうにかしようとするところがある。
それはもちろん良いことではあるのだが、妙に危うさも感じられて、アイルには気がかりだった。恐らく彼女が長年置かれていた環境のせいだろう。
「もちろん。うちの問題でもあるし、俺も行くよ。それに嫁さんを一人で戻らせるわけには行かないからな」
「んふふ。仮では?」
「まだバラしていないからな~。実家に帰られたって言われちまうよ」
「それは大変!」
お道化た調子で言えば、フロルはくすくすと微笑んだ。
そんなフロルに対して、
「なぁフロル。一つ、約束してほしいことがあるんだ。それを守ってくれるなら、俺はフロルが魔王国へ帰れるように、全力でサポートする」
「何でしょう?」
「無茶をしない」
「――――」
アイルがそう言うとフロルは目を見開いた。彼女のルチルクォーツ色の瞳がほんの僅かに揺らいだのを、アイルは見逃さなかった。
――自覚があるようだな。
アイルは心の中で小さく息を吐くと、真面目な表情になる。
「フロルは自分を、自分が思っているよりも大事にしていない」
「そうでもないですよ?」
「宝石鱗をホイホイ渡すのもそれだよ。あれは自傷行為のように俺には見える」
最初に見た時から、アイルは少し違和感を覚えていた。
フロルは宝石鱗を剥がして他人にあげたがる癖がある。トーから聞いた話では、彼女は「自分にはそれしか財産が無いから」と言っていたらしい。
確かに宝石鱗は価値があるし、アイルたちにとってもらえるのはありがたい。しかし、その頻度があまりにも多いのが気になったのだ。
「そう……なんです? でも、宝石鱗を納品するのは、うちの王族の義務ですし」
「たぶんそれ、一日一枚くらいなんじゃない? むしろたまたま剥がれた鱗でもいいよ~って言われていない?」
「それは………………はい」
たっぷりと時間をかけてフロルは頷いた。少々バツの悪そうな顔もしている。やっぱりなぁとアイルは思った。
人竜国の王は子煩悩だ。例え義務であっても、自分の子供たちに、宝石鱗を剥がせるだけ剥がして納品しろなんて言うはずがない。
もしもそういう形になっていたとしても、彼が王位に就いた時点で改正しているだろうなということは、宝石竜やフロルから聞く話で何となく想像が出来る。
(なのに、それをしていたのは……たぶん、たくさん渡した時に喜ばれたからだろうな)
そんなことを考えながらアイルは言葉を継ぐ。
「俺は君のことが好きだし、健やかに幸せになってほしいと思う。人間の一生は俺たちからすれば短くて、瞬きの間だ。だからな、フロル」
アイルは立ち上がってフロルの目の前に移動した。そして片膝をついて、少し下から彼女の瞳を見上げる。
「自分を大事にして、長生きしてほしい」
祈りのようにそう告げると、フロルはポカンとした顔になった。
そのまま彼女はしばらく固まって、ややあって目をぱちぱちと瞬いた後、頬を少し赤く染めた。
「アイルはたらしですね! ちょっとドキッとしました」
「そうだろう? 俺はそれなりにモテるからな~」
「んっふふふ。言いますねぇ~」
フロルは照れながらそう言うと、すう、と息を吸った。
そして真っ直ぐにアイルの目を見つめ返して、
「……分かりました。いえ、違いますね。正直なところ分かっていない部分もあります。でも、約束を守れるように無茶じゃない範囲で頑張ります」
そう言った。正直に答えられるのが、フロルの良いところである。アイルは微笑んで「うん。それでいいよ」と頷いた。
「……さて、俺からのお話はこれで終わり。どう、そろそろ眠れそう? 甘い物でも飲む?」
「あっ、飲みたいです! 甘い物!」
「オーケー、それじゃ、行こうか」
「行きましょう!」
二人は立ち上がると、小さな声で和やかに話をしながら、中庭を後にしたのだった。




