40:ただいま、人竜国
翌日、フロルたちは人竜国の王城へとやって来た。
船だと諸々の危険を回避し安全に航行して数日掛る距離を、宝石竜と氷竜ネーヴェが魔法を駆使して全力で飛んだ結果、丸一日かからずに到着してしまったのだから驚きである。
「ふふ……死ぬ……」
「二度とやらない……」
しかし、十時間ほど休みなく全速で飛び続けた彼らは疲れ切り、据わった目でそう呟いていた。王城のサロンへ案内されると、二人はすぐに部屋の隅へ向かってぐったりと横になる。
「床がひんやりしていて気持ちいい……」
「普段絶対にやらないけど分かる……」
二人は頬をぺたりと床につけて、その冷たさに幸せそうな顔をしている。
「宝石竜様、ネーヴェ様、お休み出来るお部屋を用意しますよ?」
「ありがとう、フロル。でも、話し合いが終わるまではここにいたいから、気持ちだけもらっておくね」
「そうそう。ここまで付き合ったんだから、あたしも最後まで見ておきたいわ」
フロルが提案すると、二人からはそんな返事があった。
その声にもあまり元気がなかったので心配ではあったが、本人たちがそう言うのだから、これ以上勧めるのは良くないだろう。
そんなやり取りをしつつ待っていると、サロンのドアが開いて人竜国の国王ジェスと、フロルの母親のネルケがやって来た。
「お父様、お母様」
フロルが立ち上がって二人に近付くと、ジェスはくしゃりと顔を歪めて、ネルケはパッと笑顔になって、
「フロル~~~~! お帰り~~~~!」
「フロル! お帰りなさい!」
ぎゅうぎゅうと力いっぱい抱きしめられた。
思わずフロルの口から「ぐえ」と、普段なかなか出ないような音程のうめき声が零れる。なかなかの苦しさにフロルは目を白黒させた。
しかし二人が自分を想ってくれる気持ちも嬉しかったので、フロルは少しの時間我慢した後で、
「ただいま戻りました、お父様、お母様。窒息するのでそろそろ緩めてほしいです」
フロルがそう言うと二人は「あっ、ごめんね!」と慌てて手を離してくれた。呼吸を整え、アイルたちの方へ向き直ると、それを見てジェスとネルケがハッとした顔になる。
「魔王国の王。ご迷惑をお掛けして、大変申し訳ありませんでした」
「いえ、気にしないでください、人竜国の王。こちらもフロルが来てくれたおかげで、とても感謝しているのです」
謝罪をするジェスに、アイルは穏やかな笑みを浮かべて首を横に振って、
「……それでは、詳しいお話をさせていただいても?」
と言ったのだった。
♪
「うちの子、そんなことをしていたの……?」
魔王国で起こった事件と、レイたちから聞いた話をすると、ジェスは頭を抱えてしまった。それはそうだろう。一歩間違えば外交問題を通り越して、争いになっていたかもしれない出来事なのだ。
「申し訳ありません、陛下」
「本当にね! いい加減にしてね⁉ お前は止める側にならないとだよ⁉」
深々と頭を下げるレイに、ジェスは胃の辺りを押えてそう返した。
それからジェスはため息を吐いた後で、
「……実際に、私の目が届いていない部分があるのは理解しています」
フロルの方へ心苦しそうな目を向けた。
「奥さんと子供が多すぎるせいですよ、お父様」
「うっ! そ、それは……ハイ……でも皆好きなんだもん……」
当の本人から言われてしまい、ジェスはしゅんと肩を落とす。彼の隣に座ったネルケも「その通りですよ」と追い打ちを掛けていた。
どんどん小さくなって行く人竜国の王に、アイルは苦笑いを浮かべる。
「こちらとしては、同じことを繰り返さないとお約束していただければ、大事にするつもりはありません。何よりも、今回の件で一番の被害者であるフロルが、今まで通り良い関係を築いていたいと願ったので、こうしてお話をしにお邪魔したのです」
「フロルが?」
ジェスとネルケが目を丸くして、フロルの方へ顔を向ける。
フロルは二人へにこっと笑ってみせると、
「人竜国も魔王国も、仲良しなのが一番ですから。それを壊すなんてとんでもないです」
「……ということです」
なんて言うと、とたんにジェスとネルケが涙ぐんだ。
「フロルが、そんなことを……っ」
「フロル、少し見ない内に大きくなって……っ」
ジェスとネルケは口に手を当てて、ふるふると感動に打ち震えている。
何だかだいぶ大袈裟に喜ばれているようで、フロルは逆にぎょっとしながら、アイルたちの方へ顔を向けた。
「最近、何か言うたびに皆を泣かせている気がするのですが、どうしたらいいですか?」
「まぁ、鮮度があるうちだけだと思うよ」
「なるほど、私はまだ新鮮! つまりはお刺身のフロルということですね! ちなみに生臭さはありますか?」
「ないよ」
「フロルさん……」
アイルとトーから何とも言えない視線を向けられてしまった。
するとジェスとネルケがくすくすと笑いだした。
「……ああ、フロルがそんなに明るくしているのを見るのは、久しぶりだなぁ」
「ええ、そうですね。……本当に」
二人は人差し指で目尻の涙を拭いながら柔らかに微笑む。
フロルに大好きだよと言ってくれる時の優しい、フロルの大好きな両親の表情だ。
そんな二人に今回の件が落ち着いてから、すると決めていた話がある。
こうして目の前にすると、ちょっとだけ――やっぱりやめようかなとも思ってしまう優柔不断さが、自分の胸に生まれた。
それを振り払ってフロルは口を開く。
「お父様、お母様。フロルはこのお話が終わったら、また魔王国へ帰ります」
「えっ?」
「私は自分の足で、自分の人生を生きてみたいのです」
「…………」
二人は目を見開いた。特に、ジェスの驚きは大きかった。彼はそのままフロルを見つめた後「そうか」と一言。そして時間を空けて「……そうかぁ」と、寂しそうに呟く。
ジェスはフロルの言葉を噛みしめるように強く目を閉じて、妻の方へ顔を向ける。ネルケがゆっくりと頷くと、今度は二人揃ってアイルの方へ向き直り、
「魔王国の王。娘を、どうかよろしくお願いいたします」
そう言って深く頭を下げた。
アイルは背筋を伸ばし、表情を引き締めて、
「ご安心を。ちゃんと守ります」
はっきりと、そう告げた。
声はとても頼もしい。顔を上げたジェスとネルケは寂しそうな雰囲気ではあったが、アイルの言葉に信用出来ると安心したようだ。
「まるでお嫁さんに行くみたいねぇ」
「えっ、やめてやめてネルケ! フーちゃんにはまだ早いよ!」
「あ、私、名目上はアイルのお嫁さんですよ。諸事情がありまして」
「はっ?」
フロルが満面の笑みでそう言うと、ジェスの体がぴしりと固まり、小刻みに震え出した。
「フロル、フロル。ちゃんと順序立てて話をしないと……」
何となくまずいと思ったのか、アイルがそう言いかけた瞬間、ジェスがバッと立ち上がりアイルの方へ詰め寄る。
「ま、ま、魔王国の王! 嫁という話にも色々と言いたいことはありますが、それよりも名目上とはどういうことですか⁉ まさか、うちの娘を弄んでいるんですか⁉」
「待って待って待って、違います、話を聞いてください! これには事情がありまして!」
「事情⁉ 娘が数日の間に嫁にされることに、一体どういう事情が⁉」
「言葉のチョイスが悪すぎる……!」
血走った目で捲し立てるジェス。アイルは手を前に出して制止しようとするが、ジェスはぐいぐいやって来る。
見たことのない父の様子に、フロルはポカンと口を開けた。
混沌。フロルの頭にその二文字が浮かぶ。
そしてこれはまずいと理解して、ちゃんと説明しようとフロルが慌てて口を開いた、その時。
「話は聞かせてもらったわ!」
そんな声と共に、サロンのドアが豪快に吹き飛んだ。




