六話 生損狂想 1-3
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浮かぶ雲は青と白に彩られ、佇む校舎に薄い影が張り付く。絨毯のように広がる雲は、その眼下に何者の存在も許さず、鳥の姿さえ消した上空には、清々しさを滲ませる青空を遮る世界が覆っていた。風を感じさせない、動きのない空を背景に、世界は無音とは程遠い、静寂に近い、騒音とも違う、囁きを持って流れていた。
曇り空と言うには明るく、まだ昼間だというのに嫌な雰囲気を感じさせる、妙な肌寒さが周囲を漂っている。
私達、岬に喫茶店で出会った杭田は学校に戻って来ていた。
「おや、荘厳な眺めだね」
快活に笑いながら薄ら寒ささえ覚える空を見上げ感想を漏らす杭田を尻目に、私達は校舎へと進む。岬はわりとイケメンな杭田に人懐っこい、悪く言えば媚びた態度で楽しそうに話していた。私はというと、どうにも嘘くさい爽やかな笑顔が苦手だった。来栖よりは愛想があるが、愛想があるだけで、本心を隠しているように見える。信用ならない、と言えばいいのか。
ちらりと視線を向けると、アイドルみたいな笑顔を向けてきたので慌てて前を向く。普通なら照れるか嬉しいかする状況だったが、私の心に芽生えたのは胡散臭さだけだった。もはや私の思考は人間不信レベルかもしれない。何となく来栖が言っていたことを思い出す。
誰かの記憶に残りたいのなら、残れるだけの努力をしろというやつだ。最初から信用していない人間が、信用されるわけがない。少しは私も変わった方がいいんだろうと思いながらも、どうにも割り切れずにいた。
喫茶店で怪しさ満点に話しかけてきた杭田は、興味津々といった様子で私達の会話に乱入してきた。何が気になったのか解らないけれど、どうやら今回の事故死について、警察から話を聞いていたらしい。警察と連携……であっているのかは解らないけれど、協力しているの本当らしかった。
「今の話だけど、彼女がいたって本当なの?」
「聞いた、話ですけど……」
断言することは出来なかった。私の方も自信があるわけじゃない。岬の話を聞いて、もしかしたら勘違いだったと思い始めているのだ。船波さんの勘違いの線がまだ残っている現状では、不審な探偵と言えど、警察とパイプを持つ相手に簡単に断言はできなかった。
「そうか、ふむ……」
左腕を腹部に、右肘を左手に乗せ、右手で額を叩く杭田。視線は鋭く、その様子はドラマの探偵や刑事が事件を推理している姿に見えた。岬なんかは瞳をきらきらさせてかっこいいなんて呟いている。意外とミーハーな子なのだ、岬は。
考えがまとまったのか、杭田は「よし」と頷くと、女子を魅了する笑顔を浮かべた。
「良かったら、現場まで案内してもらえないかな?」
「なんで私達がそんな……」
「はいー! 任せて下さいー!」
岬が照れた顔をして了承した。
とまあそんな感じに、私の意見は無視され学校に戻ってきたわけだった。
学校の敷地に部外者が侵入しているのだが、一階の玄関、事務所に行き事情を話すと簡単に通される。警察関係者を強調していたが、実体はただの胡散臭い探偵だ。それをちゃんと確かめもせずに入れるのは警備上問題があると言わざるを得ないのだけど、杭田のアイドルスマイルに事務のおば様方はノックダウンしてしまったのだった。世の中、顔が良いだけで何かと便利なんだなと思った。これが来栖だったら、恐らくちゃんとした事情を説明してもなかなか通してもらえなかっただろう。
来客用のスリッパを履いた杭田が、パタパタと気の抜ける音を鳴らしながらついてくる。私達は人がほとんどいない、生徒は帰宅を命じられたので幾人かの教師しかいない、静かな校舎をさながら観光案内でもしているかのように、杭田を引き連れている。私と岬は上履きを履いているが、普段よりも靴音が響くせいで、より一層寂しさが増していた。
岬が「今までー、色々事件を解決してきたんですかー?」と猫撫で声で尋ねると、杭田は「そうだねー色々あるよー」と和気藹々とした空気を醸し出しながら会話している。完全に私の存在を忘れている気がする。岬は岬でターゲットを定めたスナイパーの如く、ボディタッチといったスキンシップをして会話をするので、私が入る隙間がないのだ。こういう時、女の友情とは時と場合に寄るものなのかもしれないなと思い知らされるのだ。まぁ、私がそういった事にあまり興味を示さないので、岬も敵対的な行動を取ることはないのだけど。
彼が死んだ場所は一階であり、階段を上れば職員室で降りれば体育館へと繋がる外通路近くの場所。下駄箱からちょうど反対側の位置にあり、教室も家庭科室と家庭科準備室など特別教室があるくらいだ。
「ここ……ですけど」
今は血の跡もきれいさっぱり消えた廊下を指差し、杭田に告げる。杭田は懐から刑事さんがするように白手袋を取り出し嵌めると、膝を突き何か警察の見落としがないか探し出した。
それを見て、少々呆れてしまう。よく小説なんかだと探偵が些細なモノを発見しそれが事件解決へと繋がるものだが、現実は違う。警察の鑑識はそれほどバカじゃない。丹念に調べ、入念に調査する。そうそう警察が見落とすなんてことはない。現に、現場にはゴミ一つ落ちておらず綺麗なものだった。
杭田がコンタクトレンズを落とした人のような恰好で質問してきた。
「確か、死んだのは昨日だっけ?」
「ええ、そうですね」
「ふーん……血が流れてたって言ってたけど、すぐに拭いたの?」
「病院に運んだ後、先生達が拭いたみたいですよ」
ナイフでもあれば別だが、パッと見したところ階段から落ちた様子だったのだ。殺人事件なんかだと現場を保存する目的で余計なことをしないように考えるかもしれないが、階段を踏み外したと考えた先生達は翌日も学校があるので拭いたのだろう。ハンカチで拭きとれるくらいの出血だったので、生徒に余計な心配をさせないための処置だ。
何も知らない岬は、「へーそうなんだー」となんとか会話に入りたそうにうずうずしていた。まぁ昨日事故があってすぐに半休校状態になったのだ。噂など流れる暇もないので、岬的には杭田に協力できずやきもきする気持ちなのだろう。
倒れていたところの調査は終わったのか、杭田は立ち上がると、今度は階段の方を調べ始めた。一段一段指でなぞりながら階段を調べ始めた杭田は、同時に私に質問を続ける。
「それで、君が第一発見者なんだよね」
「え?」
「それくらい解るよ」
にっこりと、不気味で爽やかな笑顔を向けてくる。杭田の発言を聞き、岬が驚いた顔を私に向けた。
「そうなのみゃーちゃん?」
「え、ええ……」
「おお、第一発見者が怪しいって言うよねー。ま、まさかみゃーちゃん!?」
「あほか」
岬の頭にチョップすると、えへへと笑った。ふざけて言ったのは解るが、少々不謹慎だ。
それにしても、どうして杭田は解ったのだろう。私が第一発見者だと。誰にも言っていないのに。ああ、そうか警察内部からこの話を聞いているから、私が第一発見者だと教えられているのかもしれない。いや、そうだろうか。私は別に、警察から事情聴取なんてものをされていない。先生に倒れているのを伝えたので、確か先生が警察の人に話したはずだけど……。
不思議そうな表情をしていたのか、杭田は私の顔を見て解説、推理を始めた。
「さっきの喫茶店で、君は『仰向けに倒れ、頭から血を流し眠ったように横たわっていた』と話していたね。まるで見てきたような言い方じゃないか。それに、血はすぐに拭きとられたんだろう? わざわざ教師が、血が流れていたから拭いた、なんてことを生徒に説明するとは考えづらい。じゃあ何故、君は血が流れていたのを知っていたのか。答えは一つだ。君は目撃者、あるいは発見者か当時その場にいたから解ったと推測できる」
表情を変えず、杭田は世間話のついでに推理を披露する。岬は「すごーい。これ、推理ってやつだよねー?」とバカみたいな感想を漏らしていた。
「それに、これは昨日起きたことだ。そちらの岬さんが事件について何も知らないのに対し、君は知り過ぎている。噂が流れていれば、君達はあそこの喫茶店でその点について話し合っていただろう。しかし昨日起きた事件で、すぐに噂が流れるのは考えづらい。翌朝登校してきた生徒も、一人死んだから今日は休校だ、という説明しかされていないのだろう?」
筋が通っていると言えば通っている。真実がどうあれ、そういう論理的な考えから導き出された結論ならば、証拠がなくとも根拠には成りえるかもしれない。まぁ、事実なんだけど。
「……なかなかの、推理力ですね」
「なに、これくらい普通だよ」
得意気にすることもなく、何でもない風に言う杭田。こういうのを見透かされたと言うんだろう。来栖とは違う、また別の視線だ。
階段を丁寧に調べた後、何も見つけられなかったのか今度は壁に視線を向けた。すると、階段の踊り場、学校の階段というのは上ったあと一度折り返して上る構造になっている、の低い位置に目を向けた。
「ん? なんだこれ?」
「何かあったんですかー?」
岬がスキップをするように階段を上っていく。しょうがなく、私もついていった。
「ここ、前からあった?」
「えー、んーどうだろー?」
杭田が指をさした場所は、足首よりも少し上の位置になり、そこには何かで削られたような跡が残っていた。二センチくらいの大きさで、それほど深く溝があるわけでもない。物をぶつけたにしては低すぎるような気もする。
「さぁ、あまりここは使わないので」
岬にアイコンタクトで何か知らないか、と聞かれたので答えた。
「この階段ってあんまり使わないんだ?」
「ええ、この上が職員室だし、下駄箱から遠いし、体育館に行くにしても教室から向かうと、どの学年も微妙に使わないんじゃないですか?」
「ふーん……」
絶対とは言い切れないが、使う頻度なら少ない方だろう。二階以上に教室を持つ生徒は、二階から直通で行けるのでわざわざ一階に降りたりはしない。少し複雑というか、特殊な構造なのだ、うちの体育館は。
それから杭田は辺りをまた調べるが、他に目新しいものは見つからなかった。今日の調査はこれで終了らしく、今度また話を聞くかもしれないからと、半ば強制的にアドレスを交換させられた。
「もし思い出したこととかあったら、いつでも連絡してね」
そう言った杭田の視線は私に向けられており、岬がやや不満そうに「あたしも! 何かわかったら連絡しますー!」と元気に言っていた。
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