覚悟のエレーユ
「お姉様、本当に大丈夫なのっ?!」
「ええ、大丈夫よ」
「確かに私、イケメンの義兄が欲しいとは言ったわ。うん、ネグラディア帝国の皇太子はイケメンだけど、流石に30人目の妻なんて駄目っ、お姉様の無駄遣いなんだから!」
「仕方ないわ」
「仕方がないなんて嫌……っ!お姉様だって嫌でしょう?そもそもあの皇太子は性格が終わってるわ!ううっ」
「泣かないで、私は大丈夫よ」
「大丈夫じゃ無いわ、お姉様はそれでいいのっ?」
「ええ、国の為に行くのだもの」
「だけど……」
「大丈夫よ。私は公爵家の長女だし、覚悟はあるわ」
「公爵家の長女だから、ってお姉様はいつもそう。でもそんなのあんまりよ……うわーんっ」
エレーユは人目も憚らず大泣きしている妹、メーデルの背中を優しく撫でた。
メーデルは、普段は騎士団の騎士団重装部隊の財務部に勤務していて、エレーユのように屋敷にはいない。
メーデルは姉が帝国にいく事を聞きつけて、エレーユが捲し立てられるように嫁入りの準備を進めていたところへ帰ってきたのだ。
「お姉様、エルフリート様はなんて言っていたの?」
「エルフリート様?エルフリート様には言ってないわ。婚約破棄の書類は送ったけど」
「え?エルフリート様に何も言ってないのっ?婚約者でしょ?」
メーデルは驚いた顔をした。
普通の婚約者同士に無会話の婚約破棄が成立すれば確かに驚く事だろうけど、エレーユとエルフリートは例外だ。
別に、思われているわけではないのだから、事務的な対応で事足りる。
「急に決まった話だから、しっかり言う暇が無かったわ。でも国の為だもの。誰かが説明してくれていると思うし、大丈夫よ」
「それ本当に大丈夫なの?」
「ええ」
「ねぇお姉様、やっぱり今からでもエルフリート様に相談してみたら?エルフリート様に相談したら何とかなったんじゃないのっ?」
「何とかなるわけないでしょ。陛下のご決定だもの」
「陛下の決定って、違うでしょ。陛下はそういう話が出ていると言っただけで、お姉様が行くと決めたと聞いたわよっ!」
「国がこんな状態なのに拒否権は無いわ。ましてや公爵家の人間に」
「でも、そんなの酷いわっ。うう……」
再びメーデルが泣き出し、エレーユはハンカチを差し出した。
姉のために泣いてくれる可愛い妹には申し訳ないが、エレーユなど、どのみちエルフリートに好かれることはない女なのだから、せめて国の為になれば良い。
これで別れもすっきりと踏ん切りが付いたし、もう無駄な期待をする事をしなくても良くなる。
結局、エレーユはロマンス小説のヒロインのように、格好いい男性に好かれる事もなく、公爵令嬢としての使命を全うする。
あれよあれよと言うまに決まってしまった思いもがけない運命だけど、不思議と、それがエレーユには合っているように思えた。
エレーユがよく読んでいるロマンス小説の主人公なんて、やっぱりエレーユには夢のまた夢の、遠い存在だったのだ。
「姉上!」
涙が収まらないメーデルの背中を撫でていると、バタンと音がして、扉が大きく開けられた。
声を聞いただけで、姿を見なくとも誰だかわかる。
「アレクサ。おかえり」
「おかえりじゃないですよ、姉上!何で帝国なんかに行くんです?!」
帝国へ行くと決めた時、妹のメーデルよりアレクサの方が早く乗り込んで来ると予想を立てていたが、結果はこうして僅差で外れたのだった。
「姉上、あの無表情男は何も言って来ないんですか」
「無表情男?エルフリート様のこと?つい先日婚約破棄の書類を送ったばかりだから、まで見ていないのではないかしら」
「騎士団ではこの件の話で持ち切りです。姉上が帝国へ行く事も既に皆が知っているんですよ。なのにあの男は何も言ってこないんですか!」
「お忙しいのでしょう。それに私も、最後は手紙だけで済ませてしまったから、これで構わないわ」
エレーユはにっこりと余裕を見せて笑ったが、内心では、騎士団員はもう既に知っていることだったのかと心臓を鳴らしていた。
……エルフリート様、最後も何も言ってはくれなかったのね。
エルフリートがまだ何も言ってこないのは婚約破棄の書類を受け取っていないからで、受け取ったら流石に連絡くらいくれるだろうと淡い期待を抱いていた。
しかし、もうエルフリートはエレーユが帝国へ行く事を知っているらしい。
それでも何も言ってこないのだから、それはそういうことだ。
エルフリートは、エレーユに露ほどの興味もない。婚約破棄をしようが帝国へ行こうが、勝手にしてくれという事なのだろう。
……つくづく、嫌われているのね。
弟と妹の前で泣くなんて事は、長女として死んでもする事はないが、最後の最後にもしっかり念押しされた気分だ。
こっそりと帝国行きの荷物の中に忍ばせた髪飾りも、遊覧船のチケットも、帝国へ行く前にきっちりと処分しよう。
燃やすなり砕くなり、跡形もないように、一生エルフリートを思い出すことすら無いようにしなくては。
「あの無表情男、姉上に挨拶にも来ないとは頭がイカれているとしか思えません。……この際無表情男のことはもういいです。しかし帝国へ行くことだけは考え直してください、姉上!」
「その必要はないわ」
「姉上は責任感が強い方だから……。ではやはり陛下にもう一度掛け合います!」
「大丈夫よ……って、もう一度って言った?アレクサ貴方、もう既に一度掛け合ったってこと?陛下に?」
「はい。しかしあの爺、姉上と公爵の了承を得たからの一点張りで」
いくら公爵家の出身とはいえ、一介の騎士が国王陛下にホイホイ文句が言えるような国では無いはずなのに、とエレーユは苦笑いした。
この破天荒な弟と、イケメンに目がない妹を残して王国をさるのは少し不安だが、仕方がない。
エレーユの仕事はもう公爵家を守ることではない。
帝国へ行き、できるだけ皇太子の機嫌を損ねないようにすることだ。
エレーユが帝国へ出発する日はおよそ二週間後。
取引の兼ね合いであまりに急だが、色々なものに名残惜しさを感じている暇はない。
もう覚悟は決めた。と言うか、諦めた。
こうしてエレーユは荷造りに追われながら、集った家族と共に最後の時間を屋敷で過ごしていた。
こうして帝国への出発日が影のように刻々と迫る中、エレーユは思いがけない来客を迎えていた。
扉を開けた客間には、メリエーヌの隣でよく見るクライスが一人と、部屋の隅に数人の騎士。
クライスは、メリエーヌとの組み合わせがデフォルトだったので、単体で見るのは新鮮だ。
しかしエレーユは顔には穏やかな微笑みだけを貼り付けてソファに腰掛けた。
「ご足労ありがとうございます、クライス様。今日はどのようなご用件ですか?」
「エレーユちゃんの、婚姻についてだ」
「そうでしたか」
「陛下からの言伝を預かる任務を賜ってきた」
「ありがとうございます」
彼は友人のクライスとしてではなく騎士団の代表として、そして陛下の遣いとして、帝国との婚姻の話をする為に来たらしい。
エレーユは公爵家の人間として、王宮からの遣いをもてなす体勢に入った。
エレーユは微笑みを崩さず、クライスに静かにお茶を勧めたが、クライスは礼儀的に唇をお茶につけただけで、すぐに本題に入った。
「エレーユちゃんが帝国へ行く話だが」
「はい」




