皇太子ご立腹②
流石のエルフリートでも、いきなり会場のバルコニーから服を引っ張られた状態で落下するのは、気持ちが良いものではなかった。
いつも飛竜に乗って空中で無理な体勢をすることがあるとはいえ、飛び降りるなら一言くらいは事前に言ってほしかった。
まあ、なんとか怪我もなく競技場に着地することができたからよかったが。
「構えろ、羽虫。羽虫のくせに俺に歯向かい、俺を前にしても怯えの表情も見せない。俺の力量が測れぬほどの能無しか?」
「……」
「返事くらいしたらどうだ?ふん、貴様は何もかも気に食わん」
……表情が乏しいだけで、しっかり緊張はしているのだが、伝わらなかっただろうか……。
ゼファルの力量はきちんと理解している。飛竜がいれば五分かもしれないが、単騎であれば、確実にエルフリートよりも強い。
誤解をされているようで、エルフリートは少し悲しい気持ちになった。
そういえば子供の頃など特に、こうやって誤解されて友人たちから嫌われたこともあったっけ。
「それに、貴様はあの女をやけに庇っているようだったが、何なんだ、不愉快だ」
「え?」
「あの女は俺のものだ。弁えろ」
「いや、彼女は俺の……」
「弁えろと言ったのが聞こえなかったのか!もういい、剣を構えろ」
ゼファルが吠えた。
だけど弁えるも何も、エレーユは物ではないし、そんな言い方をするものでは無いと思うのだが。
そう言いたかったが、エルフリートは言葉選びが壊滅的に苦手なので、口で抗議することは諦めて手に持っていた盾を構えた。
話が通じない暴君と、話下手の二人には、会話での平和的な解決は不可能だった。
大切な来賓客に剣は向けられないが辛うじて盾なら許されるかもしれないし、この場を収めるのに他に方法は思いつかない。
エルフリートは盾を構え、静かにゼファルと向き合った。
飛竜の背ではなく地面で、しかも槍ではなく盾で相手と対峙するなんて何年ぶりだろう。
飛竜にはなるべく軽装備で乗る事が多いため盾術は得意ではないし、そもそもこれは飾り盾なので、強度もそんなにない。
だが、やはりこのまま退くという選択肢はエルフリートの中になかった。
「いくぞ、羽虫。精々楽しませろ」
ゼファルは言うが否や恐ろしい速さで、ギラついた剣とともにエルフリートの間合いへ飛び込んできた。
「死ね!」
「!」
エルフリートとゼファルが打ち合いを始めてから、数分と経たず。
会場から競技場までの長い螺旋階段と廊下を全力疾走したのか、肩で息をした第一王子が到着した。
第一王子はゼファルの暴走を止めるために、騎士団長やアレクサを含めた何人かの精鋭騎士、王宮の外交官を連れていた。
「二人を止めるんだ!」
「邪魔するようなら同盟は白紙だぞ、クソ王子!」
すかさず指示を出した第一王子も、目玉だけをぐるりと回したゼファルの唸り声に静止するしか無かった。
そして競技場に戻ってきていた観客たちも、いきなり始まった騎士と来賓との不穏な試合を、息を呑んで見守ることしかできないような状況だった。
一方のエレーユはすっかり酔いも覚めた頭で考えていた。
べザルヴァ帝国は大陸の東に位置する大国だ。
荒れ果てた荒野の続く国で古くは小さく貧しい国だった。しかし、何の特産物もない故に軍事力で領土を広げてのし上がり、大きくなった歴史を持っている。
帝国では、強さが全てだ。強い者が偉く、強い者しか生き残らない。そしてゼファルはそんな帝国の次期皇帝だ。
エルフリートがいくら王国の精鋭でも、強さ至上主義の国で英才教育を受けて育ったゼファルと競技場なんかで向き合ったら、絶対負ける。
「と、止めなきゃ……」
エレーユは昼食会会場のバルコニーから身を乗り出しながら、競技場を見て震える声で呟いた。
「絶対に、止めないと!」
居ても立ってもいられなくなり、エレーユはくるりと回れ右をして、会場を横切り長い螺旋階段を降りて競技場を目指す。
切られたドレスがビラビラと変に広がるので走りにくいが、構っていられない。
「エレーユ!」
螺旋階段を降りて一階の廊下を走っている時、後ろから声をかけられた。
「エレーユ、大丈夫かい!先ほどはすぐに駆けつけてあげられなくてすまなかったね」
「メリエーヌ!」
エレーユが振り返ると、そこには姉の拘束から解かれてパタパタと駆けてきたメリエーヌの姿があった。
「予期せぬ事態になってしまったね。早くこちらに。エレーユのことは王宮をあげて保護する」
「待って。私、競技場へ行かないと」
「え?何を言っているんだい」
「私が元凶なのに、私が現場にいないわけにはいかないわ!」
「ま、待つんだエレーユ!エレーユが行っても状況は良くはならない!」
「分かってる!でも私は行かないと」
「エレーユ!待つんだ!」
心から心配そうな顔の親友には申し訳ないと思いつつ、声を上げるメリエーヌを置き去りにして、エレーユは再び走り出した。
吐きそうなほどに不安な内心は表に出さずに押し込めて、スピードを上げる。
小柄で運動音痴なメリエーヌは、運動神経がいいエレーユには追いつけない。
勿論、エレーユが競技場へ行ったところで、事態が好転するなんて思っていない。
ハタから見るとエレーユを発端として戦いは始まっているが、実はエレーユなどただのきっかけにすぎない。
ゼファルはエルフリートが気に入らないという理由で、そしてエルフリートは巻き込まれた形で、二人の争いは起きている。
もしもこれが、愛する女性を取り合っての決闘なら「やめて」と言いつつ内心ドキドキしてしまう気持ちが無いとも言えないが、エレーユは別にどちらにも好かれてはいない。
というか、特にエルフリートにとっては良い迷惑で、「なんであんな嫌いな女のために、こんな面倒に巻き込まれているんだ」状態だろう。
エルフリートが内心そう思っていることがなんとなく伝わってきて、エレーユはもう逃げ出したいような思いだった。だけどそれ以上に、エレーユはエルフリートが心配だった。
婚約破棄してやると決めてはいるけど、怪我をして欲しくないし、したくない無理をして欲しいわけでもない。
だから、エレーユが何とかこの場を収めないと。




