皇太子ご立腹①
「エルフリート様、なんで……」
エレーユが呟いたので、エルフリートは少しだけ後ろを振り向いた。
大勢の人前で大胆な行動に出てしまい少し気恥ずかしさはあったものの、エルフリートはなんとか「大丈夫か」とエレーユに聞いた。
しかしエレーユは何も返事はしなかった。
……俺の声が小さかったから聞こえなかったのだろうか。いや、きっと、大丈夫ではなかったから返事ができなかったんだ。
実際は、エルフリートが変わらず鉄面皮なので、「どうせ嫌々来たのでしょう」と、複雑な心境だったエレーユが返事に困っただけだったのだが、エルフリートは何も気づかずゼファルに向き直った。
エルフリートは、エレーユにはもう指一本触れさせないぞと言う意志を込めて、ゼファルを睨みつけた。
「次から次へと小賢しい。で、誰なんだお前は」
「俺は」
「ああ、さっきどこぞの姫と仲良くしていた優男か。まあいい。退け、さもなくば切る」
苛立った様子のゼファルは、エルフリートの鼻先に剣先を突きつけた。
*
幕間の昼休憩。
昼食会の会場で、エルフリートは大勢に話しかけられて忙しそうなエレーユが落ち着くのを待っていた。
彼女は王国筆頭公爵家ワイトドール家の長女だし、あの美貌であの朗らかさだから、誰もが話したがる。
そして彼女も彼女で、社交は仕事の一部のようなものだから、ニコニコと自分の責務を全うしている。
努力家で責任感が強く、誠実で優しくて、マイナスな感情なんてものは絶対に表に出さない明るい彼女は、誰と話していてもとても素敵だ。
……彼女がみんなに挨拶を済ませて来てくれたら、まず、お疲れ様と言おう。
エルフリートがお疲れ様と言えば、きっとエレーユは笑顔で「エルフリート様こそお疲れ様です」なんて言ってくれるに違いない。
そして、エルフリートがトーナメントで勝ち上がっているので、きっと「頑張れ」と言葉をかけてくれるはず。そうしたら、緊張していてもとりあえず、「優勝するつもりだから心配しないでほしい」とだけは伝えよう、とエルフリートは心の中で復習をしていた。
どこかの国の姫と名乗る来賓の女性や、その他何人もの令嬢に話しかけられたが、脳内でエレーユと話すリハーサルを繰り返し行なっていたので、エルフリートは彼女たちと何を話したかは全く覚えていない。
「……もう、時間なの?」
騎士団の裏方に呼ばれたので背を向けると、来賓の姫が小さくエルフリートのマントの裾を引っ張った。
背の低い王女は、なぜか首を傾げて目をうるうると潤ませている。
……涙目のようだが、目が痛いのだろうか。
この姫のように大きな瞳を持つと、目が乾きやすそうで大変だ。それはそうと、マントを引っ張られると移動が出来ないので離してほしい。
姫が再び「行っちゃうの?もう少し、一緒にいられない?」と聞いてきたので、エルフリートが「いいえ」と首を振ると、姫はゆっくりと手を離した。
そんなことがありつつ、エルフリートは騎士団の裏方の野暮用のためにしばらく席を外したのだった。
そして諸々を終わらせたエルフリートは会場に戻ってから、もうそろそろエレーユも落ち着いた頃だろうと思い会場を見渡した。
しかし、エレーユが見当たらないどころか、会場全体に何やら違和感を感じる。雰囲気がおかしい。
人が集まっている会場の中央に向かっていくと、エルフリートは王国の第三王女であるメリエーヌとパッと目が合った。
メリエーヌは姉の第二王女に両腕を固定され、身動きが取れないような状況のようだった。
まるで、イタズラのお仕置きをされているようなメリエーヌに、エルフリートは首を傾げた。
……どういう状況なのだろう。
王女が王女に羽交締めにされているなんて、何が起こっているのかよくわからないが、エルフリートがとりあえず会釈をしようとすると、メリエーヌが声を上げた。
「エデンバーグ次男!エレーユが危ない!帝国の皇太子に無理難題を押し付けられている!」
「え?」
「私は見ての通り、兄が対処するから出ていくなと姉に行手を阻まれている最中だ。だがお前は行ってくれ、会場の中央だ!」
メリエーヌの言葉を最後まで聞き届けることもなく、エルフリートは閃光の如く飛び出していた。
考えるまでもない。エレーユが危ないと言われて、ほとんど反射で動いていた。
そしてエルフリートが飛び込んだ会場の中央で見たものは、いかにも女性に人気がありそうな男らしい顔立ちの屈強な男と、それに対峙する、ドレスを裂かれたエレーユだった。
なんでドレスが裂けているんだ、とエルフリートは一瞬人生で一番焦ったが、人類最速の速さで自らのマントをエレーユに被せ、屈強な男の前に立ち塞がった。
状況はまだ飲み込めないが、屈強な男は剣を持っている。
この男が何かをしでかして、その剣でエレーユのドレスは裂かれたのだろうことは想像がつく。
そして、この男からはまだ会場を支配するような圧が発せられており、それがエレーユを再び害する可能性だってある。
エルフリートは昔から表情に乏しく、睨むという仕草すら分かりにくいと言われるので、普段以上に顔に力を込めた。これ以上の狼藉は許さないという気持ちを込めて、男をじっと見つめる。
すると、男が低い声で唸った。
「殺気すら持たない羽虫が何の用だ。退け。お前もここで切り捨てるぞ」
……羽虫……?
エルフリートの視線は一瞬虫を探して宙を彷徨ったが、「あ、文脈的に自分のことか」と思い直して姿勢を正した。
「退くことは、できません。剣を納めてください」
「この俺を苛立たせておいて、今度は剣を納めてほしいと?馬鹿な話もあったものだ。さあ早く退け。俺は貴様の後ろの女に用がある」
「退きません」
エルフリートが首を振る。
そしてエルフリートを援護するように、ローデンワイズ王国第一王子が、わざと設えたような柔和な顔で現れた。
ようやくの到着だ。
「皇太子殿下、お戯が過ぎるようです。ここは私の顔を立て、どうか剣をお納めください」
第一王子はあくまで来賓へ接する丁寧な姿勢を崩さないが、皇太子と呼ばれた男ーーゼファルはそれを嘲笑うかのような目で見つめている。
「貴様の顔を立てて?貴様の顔が立っても立たなくても、俺にはどうだっていい」
ゼファルはこの場を収めようと頭まで下げた第一王子を完全に無視し、エルフリートに向き直った。
「貴様、退け」
「いいえ」
「この俺の前に立つことがどれほどの罪か分かっているのか?」
「いいえ」
「貴様、いいえ以外に何か言えないのか?まさか、この俺を馬鹿にしているのか?」
「いいえ」
「貴様はこの俺が一番嫌いなタイプ、真っ先に斬り殺してやりたいタイプだ。……いいだろう。貴様はここで罪を償え」
ヒュウと空気が真っ二つに割れる音がして、ゼファルの剣先がエルフリートに向かってきた。
エルフリートの後ろで、エレーユがぐっと息を呑んだ音が聞こえた。
彼女にこれ以上心配させるわけにはいかないし、彼女にはこれ以上指一本触れさせるつもりはない。
キン、と静かな音が会場に響いた。
エルフリートはゼファルが大きく振るった剣の先を、会場にあった飾りの盾で受け止めていた。
「羽虫の分際で、受け止めたか?」
「……」
羽虫と呼ばれるのは初めてだ。返事をした方が失礼がないのかもしれないが、まだ少し慣れない。
ゼファルが煮えたぎる瞳でギラギラ隙を伺ってくるので目を逸らすことはできなかったが、やっぱり思わず空中の羽虫を探してしまいそうになる。
ゼファルが再び、剣を振りかぶる。次は、エルフリートを仕留めるつもりのようだ。
しかしゼファルの剣は、エルフリートの体に触れる前に、行手をことごとく阻まれる。
キンキンキンと金属がかち合う音が響く。ゼファルの剣を、エルフリートは全て受け止めていた。
ゼファルはイラ立だしげに眉を動かした。
「羽虫の分際で小賢しい」
ゼファルがそう漏らした瞬間、競技場の方角で大きなラッパが鳴る音がした。
昼の休憩が終わって、トーナメント再開の合図だ。
これで、流石のゼファルも引き下がるだろうと思ったが、ゼファルはあろうことか、ぐいっとエルフリートの胸ぐらを掴んだ。
「この俺に歯向かった者をそのまま野放しにして帝国に帰ることはできん。丁度いい。競技場へ出ろ。帝国の戦いがどのようなものなのか、軟弱な貴様らに教えてやる」
勿論、ゼファルはエルフリートに準備の時間を与えてくれるようなことはしなかった。
エルフリートの胸ぐらを掴んだまま、ゼファルは容赦無く会場のバルコニーから競技場へ飛び降りた。




