助け舟
「皇太子殿下、姉上から手を離してください」
「なんだ?」
どうしようとエレーユが顔を青くしていたところで、ゼファルの動きがはたと止まった。
見ると、エレーユの胴に巻きついているゼファルの腕が、アレクサにガシッと掴まれていた。
「姉上から手を離せと言っているんです」
「お前、誰にその口を聞いている?」
「貴方ですよ、皇太子殿下」
「はあ?」
……ひいっ。アレクサ!やめて、貴方が出て来ると絶対問題になるわ!
助けに入ってくれたはいいが、いつも通り恐怖心と危機感欠如のサイコパスメンタルでゼファルに向かっていったアレクサは、エレーユの心配通り、速攻でゼファルの怒りを買った。
先ほど片手で小突かれただけで済んだのは本当に幸運だっただけのようだ。
「この汚い手を退けろ。さもなくば死ね」
子供なら一睨みで殺してしまえそうな眼光でアレクサを睨んだゼファルは、もう鞘から剣を抜いていた。
……この皇太子が剣なんて抜いたら、いくらアレクサでも死んじゃう!
「待って!やめて!」
エレーユは何も考えず、脊髄反射で飛び出していた。
アレクサとゼファルの剣の間に、無我夢中で入り込む。姉の性なのか、昔から弟と妹だけは守らねばと思ってきたのが、もう体に染み付いているのだ。
曲がりなりにも実力のある騎士であるアレクサなら皇太子の剣を上手くいなしていたかもしれないが、そんなことも冷静に考えられなかった。
「ああ、弟、だったか。兄弟が邪魔なものではなく守るべきものだとは理解に苦しむが……」
アレクサの前に立ったエレーユの鼻先で、ゼファルの剣はくるりと踵を返した。
何とか助かった、のか?
「ならば今ここで、お前が俺の相手をするがいい。上手に誘ってみろ。そうすればお前の弟の非礼は忘れてやる」
いや、全然助かっていなかった。
どう対処すればいいか分からない暴君を前にして、エレーユは青くなった。
「相手って」
「俺をいい気分にさせてみろ。そうすれば許してもらえるかもしれないだろう?」
「そ、それは……」
「出来ないのなら、手伝ってやろうか?」
ビリビリ!
改めて振り上げられたゼファルの剣が、酷い音を立ててエレーユの目の前を通過する。
逃げる間も、悲鳴を上げる間もなく、エレーユのドレスのスカートが真っ二つに裂かれた。
会場から嘆くようなどよめきが上がる。
見れば、エレーユのスカートには、足が全部丸見えになるほどの大きなスリットが入ってしまっていた。
……ぎゃあああ!!何これ、皆がいる前なのに!ドレス、お気に入りだったのに!!
体が真っ二つになっていないことは幸運だった。
しかし、物理的に生きていても社会的には死んだ。
公の場でこんなはしたない格好になってしまったとあれば、公爵令嬢として死んだも同然なのだ。
……評判は、これからする婚約破棄で地に落ちる予定だったから構わないけれど。
伝統と規律を重んじる王国の公式の場で足なんて晒そうものなら、公爵令嬢としては勿論、結婚前の女性としての評判も地に落ちる。要するに、公の場で大勢に下半身を見られた女を、誰が嫁に欲しいと思うのか、という話だ。
……エルフリート様には一発で婚約破棄されるやつだわ、これは。
きっと、明日にでも婚約破棄の書類がワイトドール家に届くだろう。
まあエレーユとしても、それは手間が省けるので良かったと言えば良……なんて、エレーユがその脳内で将来のシミュレーションを完了させようとした時。何かがバサッとエレーユの足に落ちてきた。
エレーユのズタボロのドレスをすっぽりと覆い隠した大きなそれは、純白の生地と真紅の裏地に、王国騎士団の紋章の入ったマントだった。
それをよく見ると、選ばれた者しかつけることのできない飛竜騎士の金章もついていた。
「……?」
エレーユが不思議に思って顔を上げると、目の前にゼファルはいなかった。
代わりに、騎士の隊服を身につけた大きな背中が見える。
「エルフリート様……?」




