9. 虐待のシンデレラ (3)
することもなく周りを見渡すと、道を挟んだ向かいにはコンクリート造りのビルや二階建ての店、コインパーキングなどがある。高さがあるので斜めに伸びた影がこの歩道にまで到達していた。
T字路の角にある「眼鏡屋スズモト」と書かれた木製看板が目立つ建物は、シャッターが閉じサビが際立っている。店が閉まってから相当な時間が経過しているのだろう、商店街の名残りが感じられる。
一本道が終わり、左折して緩やかな坂道を上がる。ここは旧商店街の主要道路で国道沿い程ではないにせよ、活気付いていて街らしい。この坂道が終われば柳木の店は目前だ。
横断歩道を渡ってからこれまで、柳木は話を中断していた。まだ話し足りていないのが背中から伝わってきていたので、千花は『シンデレラ』についての些細な疑問をまとめて聞いてしまおうと考えた。これぞwin-winの雑談だ。
今後バカにされないように知識をつけておこう。それに、あの夢を見て以来、シンデレラという人物が気になって脳裏から消えないのだ。柳木の隣に並びなおして、千花はすかさず思うところを話してみた。
「夢の中で私はシンデレラでした。寒さや暗闇もつらかったですけど母親や姉の言葉、悪意の塊を受け続けることに耐えられませんでした。いじめはああいうものなんだって。座学では絶対に分かりませんね。シンデレラはそんな生活でも健気に生きていたんだなって思うと尊敬するというか……大好きって感じです」
柳木は犬歯に舌を挟んで遠くを見つめている。童話の話とはいえ、気分はあまりよさそうになかった。
「お前はどうしてガラスの靴でシンデレラを特定出来たと思う」
「えっ?」
突拍子のない問いに千花は間抜けな声を上げた。一瞬話をスルーされたかと焦ったが柳木に限ってそれはない。もたつきながらも目をつむり絵本の記憶をたどると、それらしい情報を一つ思い出した。原作だけの描写でないことに千花は胸をなでおろした。
「確かシンデレラの足が小さかったんですよね。ガラスの靴を履かせても誰の足にも合わなくて、でもシンデレラにはピッタリだった」
「そうだな。だが人間の足なんてサイズの幅は限られる。シンデレラと背丈の等しい娘さんくらいいただろうが、その誰とも靴のサイズが合わない……変だと思わねえか?」
「言われてみれば……。でもそれは物語の都合じゃ」
「いや、これには説明がつく」
質量のある否定に千花はうろたえてしまう。
フィクションなのだから多少の都合の良さは仕方ないのでは?という見解だったけれど、そういった細やかな謎にも真実があるらしい。
こちらを見ないまま、柳木は淡々と解説を始めた。少し億劫そうに見えたのは気のせいだろうか。
「かつて下級労働者や農民は安価な木靴を愛用していたんだ。木靴には足の甲まで覆う『木沓』と下駄みてえに鼻緒に指を差し込む『木履』があるが、前者のタイプをシンデレラは履いていたと推測できる」
「もともとシンデレラは一般庶民の女の子ですもんね」
「母親や姉たちにいじめられていたシンデレラは服もボロボロだっただろ?靴が小さくなったからって新しく買い与えるとは到底思えねえ」
そう言われて、夢の中で身にまとっていた継ぎはぎの布が頭に浮かんだ。姿は俗性を現すという通り、一目で劣悪な家庭環境だとわかる。感情に任せて、千花は首を縦に振って同意した。
「今の中国が唐代末期の頃、纏足という文化が流行していた。小さい足の女性は美しいとされていたから、幼少期から足に布を巻いて変形させていたらしい。十七世紀、バレエが流行していた西洋でも同じく小さな足が好まれた。足を冷水につけて小さな靴を履くことで無理やり小さくしていたって話だ」
足を無理やり変形させる……女を磨くって度合いが振り切れ過ぎていると思う。視線を落とし、歪にゆがんだ自分の両足を想像するとおぞましくて体が震えた。全然美しくないでしょ!
「だからつまり、小さな木靴を履き続けると足も変形してくんだ。だからシンデレラの足は異様に小さかったんだ」
「……知らないほうが幸せなことってあるんですね」
「俺も乗り気じゃなかったが、読み取れるいじめの断片は共有しとくべきかと思ってな。好きな人の話は聞きたいだろう」
ならせめて「この先ショッキングな内容が含まれますがそれでも良いですか」くらい確認を取ってほしい。「いいですよ」と答えるにしても心の準備ができたのに。
知れば知るほど、シンデレラの痛みが顕在化していく。無名の人が何かのきっかけで大成功することをシンデレラストーリーなんて言うけれど、それってその人の努力とか苦しみを冒涜しているような気がする。まるでシンデレラたちが楽して成功した幸運な人みたいじゃないか。
誰に向けてなのか分からない鬱憤に頬を膨らませていると、想像力がはじけて千花は噴き出してしまった。
好きな人の話は聞きたいだろう……。シンデレラのことなのに、私が道中柳木さんに質問攻めしていたせいで風評被害を受けているような……。
突然横で噴き出した千花を張れ者扱いするように、柳木が冷めた視線を向けてくる。痛い……正気を疑われているような目が痛い。
あらぬ想像を咳き込んで消滅させ、なにか変わる話題はないかと辺りを見渡す。幸運にも坂が終わり、左手に柳木の店が見えたところだった。
書店『CLOVER』は、コンクリート打ちっぱなしで正面の大部分がガラス張りのウィンドウ。外壁はタイル張りのように彫られていて、側面にあるダークブラウンの扉にはユーカリのスワッグが掛けられている。現代的な外観だが、中は洋風にリノベーションされている。
現在はCLOSEのスタンド看板が扉の横に立ててある。もう三十分もすれば、千花がひっくり返しに来るものだ。
「やっと店に戻ってこれましたね。お腹すいたのでさっさと昼食食べてしまいましょう!」
「あ?行きがけに肉まん買ってやっただろうが!」
後ろから怒声が飛んでくる。柳木から逃げるように千花は入口を目指して駆けだした。