失うのはいつも一瞬
(私は)
以前なら逃げたいと答えただろう。でも、逃げてはいけないとわかった。
ならばほしいのは、自分が今持っているものを手放さないと言える、その強さだ。
「あれ?」
ロゼが声をあげた。そろってシルヴィアとマリアンヌに見られ、おずおずと闇夜と一体化している森をさす。
「な、何か見えた気がして……ちらっと……」
「やめてくださいな、私おばけとか苦手ですのよ!」
「ロ、ロゼもおばけは無理です!」
ロゼが震え上がる横で、シルヴィアは身を乗り出し、目を凝らす。
確かに、ちらりと何か見えた。明かり――たいまつだ。聖眼を起動して叫んだ。
「敵襲です! 頭を抱えて伏せて!」
「なっ……!」
説明ももどかしく、シルヴィアはマリアンヌとロゼを引きよせて床に伏せる。
頭上がいきなり真昼のように白くなった。白銀のそれは、あたりを真昼に変える輝きで屋敷に直撃する、神聖魔法だ。
屋敷の門あたりで爆発音と煙があがる。だが、一撃では終わらない。
「まさか、街からもう……!?」
「そんな。ロ、ロゼには何も……」
つまり、人間に危険はない。ならば狙われているのは。
「早く屋敷の中に入りなさい」
空から降った声に、シルヴィアは立ちあがった。
「お父様!」
「先手を取られたな。気にすることはない」
ちらと視線を投げたルルカに、マリアンヌが青ざめる。
「ま、まさか私が、つけられ……」
「攻めるにせよ攻められるにせよ、戦うことには変わらない。まあ、なんとでも――」
いつもと同じ無表情で応対しようとしたルルカが突然、左胸を押さえた。
「お父様?」
もう一撃がきた。今度は屋敷の門を通り抜け、中庭にまでくる。それを手のひらを前に突き出して跳ね返したルルカだが、そのまま片膝をついた。急いでシルヴィアは駆けよる。
「お、お父様、どうし」
「心臓ですか」
塔の下から飛び上がってきたスレヴィが、ルルカを見て目を細めた。
ルルカは答えない。だが、全員に意味は伝わった。妖魔皇の心臓だ。
「このままでは急所を握られたまま戦うようなものですね。ルルカ様、どのように?」
あきらかに無理をしているとわかる顔で立ちあがったルルカが、低く言った。
「屋敷ごとどこかへ転送させる。俺は残る」
「お父様!?」
仰天したシルヴィアのうしろから、塔を駆け上がってきたアークが息を切らして叫ぶ。
「ルルカ様、俺も残ります!」
「だめだ。お前はスレヴィと一緒に皆を守りなさい」
「でも!」
「なんの細工かはわからないが、俺の心臓を使っている。俺が逃げても意味はない」
ルルカはまっすぐ、敵がいるであろう闇の向こうを見つめて、ゆるがない。
「ここで決着をつけるしかない」
「何がしかけられてるのかわからないのに、危険ですお父様!」
叫んだシルヴィアに、ルルカは振り向かなかった。
「それでも、仕事だ。……スレヴィ、アーク」
「承知しました。ええ、遠慮なく私は逃げますよ」
「……っロゼ、こっちだ。マリアンヌ様も!」
アークが戸惑うロゼとマリアンヌの手を引いて、塔の中に入る。
シルヴィアは動けなかった。動くつもりもなかった。なのに、ふわっと体が浮く。誰の仕業かわかって、叫んだ。
「お父様!」
「いいか。もし俺が戻らなかったら、お前はこの一件から手を引きなさい。ちゃんと自分の人生を歩むんだ。お前が望む人生を」
両眼を見開いたシルヴィアが手を伸ばしても、空を切るだけだ。それどころか勝手に螺旋階段の中に吸い込まれてしまう。
「大丈夫だ。少し時間はたらなかったが、お前はもうひとりで生きていける。そうなれるように育てた」
ほんの少し、ルルカが振り向いた気がする。なのにその顔が見られないまま、螺旋階段の鉄扉が閉ざされた。
「おとう……っ」
ぐにゃりと視界がゆがんだのは、転移のせいか、涙のせいかわからない。
息を吐き出すように目をあけたそのときには、目の前に鉄扉があった。ほんのついさっきと変わらないはずだ。そう信じて、開く。
だが、いつだって人生が変わるのは一瞬だ。
たとえば、あの聖誕の夜、聖眼を授かったように。駆け出した先で、ひとりの妖魔に出会ったときのように。
――見たこともない夜の海辺が今、目の前に広がっているように。




