かつてみた夢
「――~~~~ッ!?」
咄嗟に両手で口を塞いで悲鳴を殺した自分を、えらいと思う。当の本人は相変わらず無表情で、人差し指で窓の鍵をさした。あけろ、と言いたいらしい。
だがすぐ近くでロゼが眠っている。シルヴィアは急いでカーテンを閉めて、深呼吸してから裏口をあけた。そうして外に出て、先ほどの窓のほうへ回る。
どこに足を引っかけていたのか、綺麗な宙返りをして地面に着地したルルカと、ちょうど目が合った。
「心配で見にきてしまった」
その第一声に「何しにきた」とか「登場の仕方がおかしい」とか、そういう文句が吹っ飛んでしまった。
「無事には見えるが。怪我や、困ったことは?」
「……何も」
「そうか。俺はやはり心配性なようだ」
ルルカの前に立って、シルヴィアはうつむき加減に口を開く。
「……子どもが連絡もなく戻ってこなかったら……心配する親もいると、聞いたことがあります」
「聞いたことも何も、ここにいる」
「……心配かけて、ごめんなさい。有り難うございます」
連絡がなくて、不信に思ったのでも迷惑に感じたのでもなく、心配してくれた。
――それくらいは、わかるようになっている。
ぱちりとルルカがまばたいた。
「どうした。いきなり素直だな」
「……でもきてくれと頼んでません」
一応つけたしたシルヴィアに、ルルカが口元をほころばせる。
「そうだな。俺が勝手に、心配できたんだ。アークも心配していた、ロゼを」
「ロゼは中で寝ています。危険はありません」
「そうか。スレヴィには放っておけと言われたのだがな……多少世間知らずでも、切り抜ける程度の知恵はつけさせていると」
そんなふうに、育てようとしてくれているのか。ひねくれずに、すとんと胸に落ちた。
「確かに、俺も人間のひとりやふたり、いや下級妖魔の集団くらい軽く叩きのめせるようお前を鍛えた自信がある。中級妖魔でも問題ないはずだ」
「その話は不要です。……検問の目を欺いて出るのが難しかっただけです。それに明日、ベルニア聖爵側から聖女がくるそうで、なら帰宅は確認後でいいかと」
「それでも、連絡がないと心配する。今度から、そういうときはこちらに連絡できるよう考えなさい」
視線をどこに定めたらいいかわからないまま、シルヴィアはぎこちなく頷き返した。
「お父様はどうやってここに? 検問は」
「壁を飛び越えてきた。今度、お前もやってみなさい」
絶対にやらないし、できるとも思いたくない。
「それで、問題は検問だけか?」
気を取り直したシルヴィアは、街中に瘴気が発生したことを告げる。それがルルカが襲われていた場所であったことも付け加えておいた。
「領主が聖女の結界を壊すか。妖魔が出るほどの瘴気は想定外だっただろうが、まあ聖女の不信を煽るにはいい作戦だ。瘴気は人間の不信や悪意も増長させるしな。が、瘴気だらけになれば俺とお前は有利に動ける」
「一緒にしないでください。私は普通の人間で――」
ルルカが不思議そうに首をかしげる。いつもならくる文句がこないからだろう。
「どうした」
「私、本当は何になりたかったのかと。……いえ、普通の人間でいたいですが」
それだけは念押しをしつつ、先ほどの違和感を口にする。
「本当は、あったはずなんです。なりたいもの」
「たとえば?」
「……子どもの頃は、聖女になって周囲を見返してやりたいとは思ってました」
「今、お前は聖女だ。叶えられるのでは?」
「今更です。いかにその夢がくだらないか知りすぎました」
聖女にまつわる物事に失望したあとで、さあ聖女ですと言われても感情はさめるばかりだ。少しも、よかったとは思えない。
「なら、どんな聖女が理想だったんだ?」
「……え?」
「周囲を見返してやりたいと言ったが、お前は賢い。それだけではなかったはずだ」
買いかぶりすぎだ。親馬鹿っぽいと思ったが、ルルカの目は真剣だった。
「自分なりの聖女像があっただろう。それは、どんなものだったんだ。どんな聖女になって、周囲を見返してやるつもりだったんだ?」
「……最強の聖女です」
「すべての未来でも視たかったのか」
どうせ子どもの頃の、夢物語だ。シルヴィアは捨てたものを思い出す。
「魔力だ聖眼だ血統だ、そういうことを全部覆せるような……不可能を可能に変える、そんな未来をくれる聖女です」
そういう聖女がいてくれたら、希望を失わずに頑張れる。
だが所詮、自分が救われたいだけの願望だ。自嘲が浮かぶ。
「未来を変えるだけではなく、自分のほしい未来を選べる聖女か。――なるといい」
ルルカの肯定があっさりしすぎて、意味を呑みこむのに時間がかかった。それから、妙に焦る。
「む、無理です!」
「無理じゃない。やってみなさい」
「子どもの頃の不相応な夢です。今の私は、ただ、普通に生きていければそれで」
「お前は普通でいいのだと言うとき、いつも諦めている」
断言されて、息を呑んだ。ルルカが静かにシルヴィアに告げる。
「よくない癖だ、直しなさい。俺がいる意味がなくなる」
「お、お父様がいる意味、なんて……」
いつものように皮肉ろうとしたが、口調に力がない。対するルルカは堂々としている。
「お前が失敗したときは助けてやれるし、成功したときは祝える」
答えてから、ルルカは難しい顔になった。
「……意外とやれることが少ないな?」
「い、いえ!」
大声で否定はしたものの、シルヴィアはうつむいた。うまく言葉が続かない。
自分が失敗したときに助けてくれて、成功したときは祝ってくれる。そんな存在がどんなに贅沢なものかくらい、わかる。失敗したときは責められるか喜ばれる。成功しても嘲笑されるか貶められる。それが常だったから。
「う、嬉しい……んだと、思います」
それはいつか失った『期待』だ。
「ならいいが」
「……お父様は……私がものすごく、強い聖女になったら、嬉しいですか」
「それは、もちろん」
――だったらなってもいい、かもしれない。そう思うのは、普通なのか。
誰かを喜ばせたい。このひとが喜んだら、自分も嬉しい。そんな感情を持つのは普通なのかわからないまま、問いかける。
「わ、私、なれますか……」
「思う。俺の娘は賢いし能力も高い」
「でも、大した聖眼では……どうすれば、なれると」
「それは自分で考えなさい」
「……。肝心なところは丸投げですか」
信じられない暴挙に一気に気分が下降した。ルルカが真顔で返す。
「頑張るのはお前だろう」
「煽っておいて無責任では……」
「もちろん、ありとあらゆる困難に立ち向かえるよう鍛えてやるが」
「いりません」
「ほら、お前はいつもそう言う。受け止めようとしない」
自分が悪いとでも言うのか。むっとするシルヴィアをなだめるように、ルルカは優しい笑みを浮かべた。
「だいぶ、感情が顔に出るようになってきたな」
そうなのだろうか。自分で自分の顔をさわってみるが、わからない。
すっとルルカの指がシルヴィアの横髪をつまんだ。
「伸びてきたな。本当に、少し目を離しただけで成長する」
「一日もたってませんが」
笑ったルルカの指先がそのまま離れてしまう。それをさみしく思ったことが恥ずかしくて、シルヴィアは外套をかぶり直した。
(頭をなでて、今日は頑張ったとほめてください、なんて)
言ったことがない。だから、言えない。
「そろそろ中に入るか。冷えるだろう」
「……まさかお父様もここに残るつもりですか?」
「でないとお前、検問をロゼと一緒に出られないだろう。それに、お前に読み聞かせをしないといけない」
笑ってルルカが礼拝堂の裏口へと向かう。嘆息して、シルヴィアはそのあとに続いた。
「本がありません」
本当はもうひとりで本を読めるのに、出てきたのはそんな言葉だった。
「物語には口伝もある」
「……ロゼが寝ています」
「起こさないよう気をつけよう」
なんとしてでも聞かせる気らしい。
読み聞かせが最初にやった『親らしいこと』だったからか、ルルカはこの慣習を頑なに守ろうとする。
しかたないと、シルヴィアは甘んじて受け入れることにした。――しかたないなんて、親子らしい感情だと思いながら。




