初めての外泊
結局、シルヴィアとロゼは街から出られなかった。門に引き返したときは、既に検問が再開していたからだ。少女ふたりが保護者もなく街から出たら、怪しい者ですと喧伝するようなものだ。うまく逃げたとしても顔を覚えられたら、今度は街に入りにくくなる。
妖魔馬は放置でも問題ないだろうが、連絡がとれないのはまずい。
さらに、宿をどうすべきかという問題も立ちはだかった。
「は? うちに泊めろってなんの遊びだい。親は? ……あまり見ない顔だね」
そうじろりとにらまれては、「悪戯ですごめんなさい」とごまかして逃げるしかない。
ロゼいわく、この街には大小含め宿が三つあるそうだが、どこも同じ対応になるのは目に見えていた。
「私は野宿でも平気ですが……ロゼは?」
「だ、大丈夫です! ロゼ、山村育ちなのでよく地面でお昼寝してましたから……! あ、でも確か街の端に、もう使ってない礼拝堂があったはずです」
雨風がしのげる屋根と壁は、あったほうがいいに決まっている。シルヴィアは苦い顔でつぶやく。
「屋敷にあるのに、石と枝……」
「石と枝……?」
「野宿の準備に」
大体こっちという大雑把な案内をしていたロゼが、立ち止まって振り向く。
「そうだ! 野宿の準備も、夕飯もここで買っていきましょう。洋灯とか!」
ロゼが指をさした先は大通りから続く路地だ。ちょうど、夕食に向けての売りどきなのだろう。長い路地に所狭しと色んな露店が並んでいた。立ち止まったシルヴィアは、目をぱちぱちさせて尋ねる。
「……ここ、全部お店ですか?」
「はい。ロゼもここでお買い物するのは、初めてです」
「買い物?」
つい固まったシルヴィアに、ロゼが無邪気に振り向いた。
「そうですよ。一緒にお買い物しましょう! 贅沢はできないけど……おねえさま?」
はしゃいでいたロゼに不思議そうに首を傾げられ、シルヴィアはおずおずと切り出す。
「……私、買い物、したことがなくて」
きょとんとしたロゼに、慌てて胸元から首にさげていた革袋を引っ張り出す。
「お金はあります。お父様にもらったから……」
何かあったときのために、持って行きなさい。そう言ってルルカは銀貨以外にも色々、シルヴィアの服の裏側にも換金しやすい宝石を仕込むよう、スレヴィに命じていた。
「け、計算もできます。ただ、買ったことがないので……」
使用人が仕入れ先から買っている場面なら、屋敷の裏側からこっそり見ていた。店が売り物にならなかった商品を捨てるのを見逃さないために。
(でも、買い物をする、なんて)
いきなり自覚して、立ち尽くしてしまう。野宿する、雨風をしのぐ、それだけで食事を買うなんて発想がさっぱりなかった――きちんと、お金は持たされているのに。
「じゃあまず、ロゼが買いますね。なんにしましょうか!」
「あ、なら、お金……」
「ロゼももらってます! ルルカ様から、何かあったらおねえさまを助けるようにって言われてますから」
「そ、そう……」
なんとなく気恥ずかしくて顔をうつむけると、ロゼに手を取られた。
「ロゼもあんまり買い物したことないですけど、アークにぼったくりのお店の見分け方は教えてもらったので!」
「ぼったくり……へ、変な買い物はしないように、ですね」
「ロ、ロゼ、絶対引っかかりそうです……」
いきなりロゼが自信をなくしたので、力が抜ける。でも、それで勇気は出た。
初めての買い物へと踏み出す。人混みにまぎれて離れてしまわないよう手をつないで、話し合った。
「鞄に入りきらなかった場合は?」
「大きめの軽い布が一枚あると便利ですよ。包んで持てるし、敷いたり、掛け布にもできます。たためば荷物にもなりません。ロゼの村ではそうしてました」
「じゃあそれと……火打ち石? この気温と空気なら焚き火ができます」
「すごい。おねえさま、石で火がおこせるんですか?」
「……今度から出かけるときはちゃんと準備しておきます」
言いながら、反省した。やたらと物を拾うわりに、何も持たずにいることが癖になりすぎている。
(普通に生活するって、何かを持つことなのに)
大袈裟に決意したわりに、買ったものは大したものではなかった。夕食と朝食用の白パンと干し葡萄、少し小さめの瓶に入った小分けの山羊のミルクに、軽くて持ち運びやすいカップをふたつずつ。贅沢だとしたら、炙ったソーセージとお菓子兼非常食でクッキーを買ったくらいだろうか。元々シルヴィアが背負っていた鞄とロゼが肩からさげた鞄におさまる買い物だったが、ロゼの助言にしたがって大きめの布もそれぞれ買った。きっと掛け布代わりになるだろう。
治安も悪くないらしく、変な店にあたることもなかった。火打ち石があるか聞いて、どこの田舎者だと笑われてしまったくらいだ。マッチが売られていると教えられて、恥ずかしい思いをした。結局ランプもひとつ、小さい物を買った。
それでもルルカからもらったお金の半分も使っていない。残ったお金を数えて、シルヴィアは呆れる。
「お父様、持たせすぎです……」
「ですね。ロゼのはまるまる残ってますし……」
宿代も入っていたのかもしれない。買い物を終わらせたところで気が大きくなっていたのか、大通りに戻ってパイ売りからパイをひとつずつ買う。それをかじりながら、本来の目的地である礼拝堂へと向かった。
綺麗に舗装されていた石畳の道に雑草が見え始め、建物の影より木陰のほうが多くなってきた頃に、その礼拝堂は現れた。
石畳の細い道は続いているが、ほとんど雑草に埋もれている。礼拝堂の周囲には申し訳程度に低い木の柵があるが、それも朽ちていた。
建物自体、大きく壊れている様子はない。だが壁の塗装ははがれているし、蔦が伸びて巻き付いている。背後には大きな木があるようで、屋根には木の枝がからまっていた。てっぺんにある鐘は取り外されていて、なんだか背徳感がある。
正面口に立ち両開きの扉に手を立てると、意外とあっさり開いた。
中は真っ暗だが、覚悟していたほどほこり臭くもない。
「意外と綺麗です」
「近所の子どもがよく遊んでるって聞きました」
中に入ると、礼拝堂らしく真ん中に通路、横長の椅子がたまに欠けたり斜めになりつつも並んでいた。祭壇の斜め横に三角形になるよう長椅子が置いてあるのは、子どもの遊びの跡かも知れない。ちょうどいいと、そこを使うことにする。
運のいいことに、裏手には井戸もあった。水をくみ上げ、飲めるのを確認して、戸棚で見つけた干からびた雑巾を使って寝る場所だけ拭く。窓をあけて換気もしておいた。それが終わった頃にはもう日が沈み始めていた。
窓は全部閉めて、カーテンが引けそうなところは引いておく。正面の扉の取っ手には外で拾った柵の木を閂代わりに入れ、裏口に鍵をかけておいた。危険はないとロゼは言うが、ロゼがわかる危険はいわゆる暴力だ。暴力じゃなくても危険なことはたくさんある。せっかくのお金を盗まれるとか。
外から中にいるとはわからないようランプを床に置いて、食事をすませる。温かくはないがおいしかった。ソーセージがつけばご馳走だ。
「おねえさま、大丈夫ですか? ベッドも何もない場所で寝るの……」
「慣れてます」
シルヴィアのあっさりした返答に、ロゼがまばたく。ロゼはルルカに拾われてからのシルヴィアしか知らない。買い物をしたことがないというのも、きっと世間知らずだからだと思われているのだろう。
「私、お父様に拾われるまでゴミを漁って生活してたので」
「……やっぱり、おねえさまとルルカ様は血がつながってないんですね」
「私は正真正銘の人間です」
かじりかけの白パンを見つめながら、シルヴィアは息を吐き、言い直した。
「私の名前は、シルヴィア・ベルニアです」
ランプの向こうにいるロゼの大きな目がこぼれんばかりに見開かれた。
「ベルニアって……あの、聖爵の、ですか。じゃあおねえさまは……」
「ベルニア聖爵家の姉妹。妹は天才聖女で、姉は聖女失格。聞いたことは?」
少し迷ったあとで、ロゼは小さく頷いた。
「噂、だけなら……」
「姉が私です。ベルニア聖爵家に居た頃と比べればここは天国です」
ロゼが黙って、飲み干してしまったカップに山羊のミルクを付け足してくれる。
「朝食にとっておくのでは?」
「最近あったかくなってきたので、だめになるかもしれませんから」
気を遣ってくれたのだろう。ありがたくシルヴィアは受け取りながら、続ける。
「気にしないでください。あなたも色々あったでしょう」
「ロゼは……でも、なんだかんだ、運がいいですから。確かに悲しいこともあったけど、アークにもおねえさまにも会えたし」
「妖魔と関わることになっても?」
「すごいことですよ。だって妖魔に襲われるんじゃなく、お世話になれるなんて」
そういう考え方もあるか。
「でも、普通の人間の生活とは全然違います」
「普通……でも、ルルカ様なら、おねえさまの応援をしてくれますよ」
「なら、聖女をやめたいです。あなたもでは?」
「……ロゼは……皇帝選は放っておいても必ず終わるけど……」
びっくりしてシルヴィアは膝の間に埋めていた顔をあげた。確かに、皇帝選は必ず終わる。どんな結果であれ、終わるのだ。
「おねえさまは皇帝選、終わったらどうするんですか? 何かなりたいものとか」
正面からの問いに、詰まってしまった。それで気づく――普通になりたい、そう思っていたけれど、ちゃんと考えたことがなかった。
持ったままではいられずに、捨ててしまったからだ。
なりたいものとか、夢とか、そういうもの。自分の未来への選択肢。
「……ロゼは、ありますか?」
「ロゼは、いつか素敵なひとのお嫁さんになって、のんびり故郷で家族ですごせればって思ってたんですけど……」
たとえ故郷に戻れたとしても、同じ夢は抱けない。笑って誤魔化したロゼは、きちんと自分の淡い夢が砕けたことを知っている。
「でも、今は……アークのこともあるし、色々勉強もしたいなって思ってます。だからまずは目の前のことを一生懸命、頑張ろうって」
「目の前のこと……」
「その間に見つかるだろうなって。あ、アークはとっても頭がいいから、いっそ妖魔や瘴気の研究者を目指そうとしてるみたいです」
賢い選択だ。そうすれば多少妖魔との交流があることも見逃されるだろうし、ルルカの支援をちゃんと受けられるかもしれない。
「すごいな、ロゼも置いていかれないようにしなきゃって、焦ります」
ロゼの感想はそのままシルヴィアの感想だった。
(妖魔に取り憑かれたくなかったはず。そういう意味では、私と同じ……)
だがアークは現状を受け入れて、考えて、今の最善を選んだ。
シルヴィアは、同じことができているだろうか。
明日はベルニアからくる聖女の確認と、街から出る方法をさがすことになる。早朝から動くのもいいだろうと、早めに就寝することにした。
疲れているのか、あっという間にロゼは寝入ってしまった。
変に考えこんで寝付けずに、シルヴィアは暗闇の礼拝堂でひとり、起き上がる。
外套を取り、無言で窓辺に立った。広い星空が見たくなったのだ。大きな窓のひとつに立ち、ぼろぼろのカーテンの隙間をそっと広げてみる。
すると上からいきなりびろんと人影が落ちてきた。
逆さまのルルカだった。




