他の聖女
ぐるりと声のしたほうを見ると、小柄な女の子がこちらを見ていた。シルヴィアと目が合った瞬間あとずさったようだが、もう一度一歩踏み出して、遠くから叫ぶ。
「そ、そこからっ離れてください! 危ない……っ妖魔が、きます!」
つい、シルヴィアはルルカを見る。確かに妖魔はここにいる。ただし瘴気がまとわりついた精神体ではなく、肉の器――人間の体を持っているが。
「正体がばれてませんか」
「それだと、妖魔がいます、では?」
それもそうだ。少し考えたシルヴィアは聖眼を使う。場所はここ、視たい未来はできるだけ先。それでも数秒後が精一杯の未来。
だが、それを視た瞬間、声をかけた女の子に向かって、まっすぐ駆け出した。
溶岩にも土石流にも負けないお父様は放置して、声を張り上げる。
「――この広場から離れてください、彼女は聖女です!」
危険を警告した少女の緑の目には聖痕がある。注目は当然、少女に向かった。
だが、別に信じてもらわなくてかまわない。すべてを救うことなどシルヴィアにはできないのだ。現に、妖魔ひとりからも逃げられない。
でも、理由もなく見捨ていいとは思わない。
「広場は危険です! ――下からです、お父様!」
シルヴィアをずっと目で追っていたルルカが、視線をさげた瞬間だった。
ぼこっと地面が音を立ててへこんだ。
そのまま襲いくる黒い触手――瘴気の塊を、ルルカが飛びあがってよける。
半信半疑でまばらにその場を立ち去ろうとしていた人々から、一斉に悲鳴があがる。広場が見えるぎりぎりの位置で距離をとったシルヴィアは、もう一度聖眼を使った。わかるのは数十秒先だけだ、こうして連続して使うしか有用性がない。
視えたのは、妖魔をあっさり沈めてしまったルルカと、そして――。
「逃げます」
「ふぁっ!?」
青ざめていた女の子が、変な声をあげて答えた。信用させるために、シルヴィアは外套を落として、聖痕を隠す薄い魔力の膜を剥がす。あ、と女の子が小さく声をあげた。
「せ、聖痕……ならあなたも、聖女……」
「あなたの皇帝候補は、中年の男ですか? ひょっとして追われてますか」
「ど、どうして、それ」
少女は途中で口をつぐんだ。シルヴィアが視たのだと気づいたのだろう。ひょっとしたら今もなお、シルヴィアが視続けていることにも。
そして思い切ったように、首を横に振る。
「ち、違うの。そのひとは、多分、この街の領主。皇帝候補じゃない」
「なら、あなたの皇帝候補はどこに?」
「よ、妖魔に取り憑かれて……!」
見返したシルヴィアの両腕を少女がつかむ。
前髪に隠れて片方の目が見えないが、綺麗な緑色の目は必死だった。その中には、はっきり十字架の聖痕が見える。隠しもしない――いや、少し前のシルヴィアと同じで、隠す術を知らないのだろう。
「お願い、助けて! ろ、ロゼひとりじゃ、なんにもできない……!」
なんだかややこしそうだ。泣き出しそうな少女の手を握り返し、引っ張った。
「こっちに。あなた、追われてますよね」
「で、でも、あなたのお父さんは」
「平気です。負けるわけがないので」
木の根を引き抜くように地面から襲来する触手をルルカが引き抜き、折り曲げた。音を立てて黒い靄をあげながらそれが消えていく。
それを背に、シルヴィアは駆け出した。迷ったようだが、少女もついてくる。ここにいては自分が危険だとわかっているのだろう。
「あなたの名前は、ロゼで間違いないですか?」
「う、うん。あ、あなたは?」
「シルヴィアです。自己紹介はあと、急いで」
妖魔らしきものを片づけたルルカに、駆けつけてくる影がいくつかある。シルヴィアが視たとおりの光景だ。その中でいちばん遅くやってきた、ルルカに話しかけているあの男は、このロゼを見つけるなり殴り飛ばして連れて行こうとする。
だがもう、路地裏の角を回ったシルヴィアたちを追いかけることはできないだろう。




