聖眼の能力
幸いだったのは、小一時間もかからず舗装された道に出たことだろう。そこから街に辿り着くのにも、大した時間もかからなかった。
魔界からお越し頂いたお馬さんは街をぐるりと囲む壁の前で停まり、シルヴィアたちを下ろして勝手に走っていった。
「勝手に走らせて大丈夫ですか?」
「俺が呼ばない限り、時間がたてば魔界に戻る。行くぞ」
早速歩き出すルルカの背中に、シルヴィアは急いで続く。
きちんと外壁に囲まれた、大きな街だった。大きな山の鉱石と豊かな森林から採れる木材の輸出と建築業で栄えたニカノル地方の、中心街である。人の出入りが多いため、門では検問がしかれていた。
「そこのふたり、通行証は」
「ああ」
門番に呼び止められたルルカが目を向けた瞬間、門番が「どうぞお通りください」と焦点の合わない瞳で言った。
何をしたのか、たぶん、色々考えてはいけない。
外套のフードを深くかぶり、堂々と歩くルルカのうしろからこっそり、シルヴィアは街の門をくぐった。
外壁がある時点でわかっていたが、大きな街だった。曲がりくねった大通りは馬車が通る道と両脇の歩道で整備されている。細い路地がいくつかそこから伸びているが、その道もきちんと石畳の舗装されたものだ。
建物は総じて高い。細い道の上では、窓から窓に吊された縄に洗濯物が干されている。斜めにあがった道の先には、城館の尖塔が見えた。ところどころ階段や坂道があるあたり、斜面にできた街なのだろう。
行き交う人々も多い。商売にいそしむ男性や談笑している女性たち。その間を子どもたちが我先にと駆け抜けていく。
ついきょろきょろしてしまったシルヴィアは、突き飛ばされてよろけた。
そこへ、ルルカが手を差し出す。
「はぐれるな」
無表情で言われると恥ずかしがるほうが間違っている気がして、手をつないだ。
「私は何をすれば?」
黙ると気まずいので問いかけると、ルルカは前を向いたまま言った。
「妖魔の気配はわかるか? 魔界からお越し頂いた熊さんと同じような気配だ」
「今のところ、近くには何も。お父様は?」
「ないな。下級妖魔だから魔力が低すぎて感知できないのか、既に人間に取り憑いて隠れているか……ここにはいない可能性もある。聖眼で何かわかったりしないか?」
「……それなんですが」
はっと顔をあげた。ちょうどいい機会だ。
皇帝選が始まるまであと数日。新しい聖女さがしのきっかけ作りには、最適だろう。
「私の聖眼は、せいぜい数秒先までしか視えません」
緊張でつい手を強くにぎったせいか、ルルカがシルヴィアを見返した。
大切な話だと思ったのだろう。人の波をよけ、公園にシルヴィアの手を引いて向かう。そして木陰にあるベンチの前で、座るよう目でうながされた。
「数秒先しか、というのは?」
お行儀良く膝をそろえて座ったシルヴィアは、改めて説明する。
「言葉のとおりです。私の聖眼で視える未来は数秒先までが限度。聖眼は能力に個人差があるのはご存じですよね? 未来はひとつではないので」
聖眼は『未来を視る』という点で一致しているが、その能力は限定されていない。たとえば聖女ベルニアは『可能性』を視たそうだが、その時点で未来がひとつではないことを示している。未来がひとつと決まっているなら、『破滅の未来を回避する』こと自体が不可能だ。
「可能性の大小があるように、未来を視る能力は多岐にわたります。『自分がいる場所の未来が視える』聖眼の持ち主もいましたし、他にも『物の未来が視える』とか『人の死が視える』とか……対象もどの程度先を見られるかも含めて、様々です」
ゆえに皇帝選の第一歩は、自分が授かった聖眼の能力の見極めから始まる。だから妖魔熊に追いかけ回されながら、シルヴィアも色々試行錯誤した。その結果だ。
「私は人も場所も無制限に対象にできます。ただ、視える時間は数秒先のみ。せいぜい数十秒先の、数秒間だけです。正直、聖眼の能力としては下の下です」
未来を風景画のように切り取って視るのと変わらない。しかも何週間も先が見えるならともかく、数秒先ではどうにもできない。対策をとる時間もないからだ。
大事なのはここから先だ。思い切ってシルヴィアは自分から進言する。
「皇帝選では役に立ちません。どうですか、腹案として他の聖女もさがしてみては」
「……お前はすごいな」
「は?」
目を丸くしたルルカが、シルヴィアを見て感心したように言った。
「あの妖魔熊に追いかけ回されながら、自分の聖眼について分析する余裕があるとは」
「え」
「しかも数秒先しか見えない聖眼で妖魔熊から逃げ回ったのか。素晴らしい」
「……」
「さすが俺の姫。それでこそ妖魔皇の娘にふさわしい」
満足そうに目を細めたルルカは、顎に手を当てて思案した。
「もっと魔界から色々お越し頂くことにしよう。馬も加わってもいいかもしれない」
「ま、待ってください! 聖眼が使えないも同然では、皇帝選を勝ち抜くことはできな」
「そもそも聖眼など俺はあてにしていない。拳がくるとわかっていても、よけられなければ意味がない。たとえばお前の聖眼が丸一日を追えるものだったとしよう。そして、俺から逃げ出したとしよう」
ぎくりとしたシルヴィアに、ルルカは穏やかに続ける。
「お前は俺がどの道を通るか、何をするのか、一日分の行動を読める。俺の隙をついて逃げ出すことは可能かもしれない。だが、追いかけられて逃げ切れると思うか?」
「いいえ……」
「そういうことだ」
「で、でも! お父様にふりかかる危険も察知できません。火山が噴火するとか……」
「俺を心配してくれるのか。大丈夫だ、お前の父は溶岩にも土石流にも負けない」
失敗を悟って、シルヴィアは口をつぐんだ。
聖眼が使えない程度では手放してもらえない。ルルカは皇帝選を勝ち抜くことに重点を置いていないから望みは薄かったが――思った以上に気に入られていないか、自分。
(ほ、他の優秀な聖女を見れば、気が変わるかも……)
希望は捨てないでおこう。でなければ妖魔熊と妖魔馬に追い回されて、どんどん平凡から遠ざかってしまう気がする。
「なら、いいです。……いらないと言われるかと、思っただけで」
逃亡計画を勘付かれないよう、そう言っておく。ルルカは心外そうな顔をした。
「そんなこと言うはずがないだろう。さっきは失言をしたが、俺もスレヴィもお前を育てるのを楽しんでいる。どこまでいけるかと」
できれば普通でお願いしたい。とは言えずに、シルヴィアはベンチから立ちあがった。こうなったらやけくそだ。
「お時間をとらせました。妖魔の捜索を再開しましょう。まずは目撃情報を――」
「あぶない!」
突然遠くからかけられた声に、シルヴィアもルルカもまばたいた。




