妖魔皇の娘
脇に抱えられて馬より速く疾走したり、ひょいひょい宙を飛んでいくことに慣れを通りこして無心になり始めたところで、ようやくルルカが足を止めた。
「ここでいいだろう」
静かな風の吹く丘陵だった。落日の強い光がそのまま差し込んでまぶしい。
やっと地面におろしてもらえたシルヴィアは、そのままぐたりと突っ伏した。地面を恋しいと思う日がくるとは思わなかった。生い茂った草が体を受け止めてくれる。
(あったかい……)
外套をまとっているおかげだ。ふと起き上がって、まじまじと外套を見る。
可愛い柄が入った外套だった。サイズは少し大きいが、その分長く使えるだろう。肩に背負った鞄も使いやすそうだ。中をあけてみた。猫が刺繍されたハンカチや小さな財布が出てくる。全部新品だ。
(私の)
じんわりにじんだ感情を、どう表現すればいいかわからない。財布を振ってみると、かすかに音がした。開けてみて、びっくりする。
銀貨だ。シルヴィアが渡した偽物とは違う。
「これが、本物の銀貨……」
――拾った責任はとる。
真実味を帯びた言葉に、銀貨をぎゅっとにぎる。まだ戸惑いはある。結論が先で、説明は詐欺と変わりない。何より妖魔だ。
でも、今まで出会った中で、誰よりもシルヴィアをまっとうに扱ってくれる。
ルルカは少し離れた場所で何やら森の中を見回っているようだった。安全を確かめているらしい。何か自分もできることはないだろうか。そわっとしたシルヴィアは、小指に当たった小石に、ひらめく。
「ひとけもないし、広さもある。ここで――……何をしている?」
作業に夢中になっていたシルヴィアは、戻ってきたルルカに気づいて顔をあげた。
「大きな石と枝と、枯れ葉を集めてます。あと草も」
「……。なぜ」
「火をおこせるように。枯れ葉や草は敷き詰めると寝床になります」
立ちあがると、鞄に詰め込んだ石が、弾みでひらと落ちた。あ、と声をあげたシルヴィアの視線を追って、ルルカが石を拾う。その眉間は苦悶するようによっていた。
「なるほど……それで鞄に、石と枝と草と枯れ葉を詰め込んでいるのか」
「はい。とても丈夫な鞄です。大事にします」
言ってから、ルルカがしかめっ面なのを見て、首をかしげた。
「何か問題が?」
「……いや、好きに使えばいいぞ。お前の鞄だ。ただ、今日は野宿じゃない」
「え? でも……」
どこを見回しても、ひとっこひとりいない。何もない草原だ。
「娘に野宿なんて危険な真似はさせられない。俺の別荘を召喚する」
ぱちりとまばたくシルヴィアに背を向け、しゃがんだルルカが地面に両手をつく。目の前に広がる草原の上に黄金の光が奔った。
広大な円陣だ。幾何学模様で描かれた魔法陣から、地響きを立てて円錐が出てくる。鐘のついた尖塔だ。
ぽかんとするシルヴィアの前で、尖塔に続き屋根、壁、窓、柵と次々に地面から出てくる。最後にはまるで最初からそこにあったような形で、どんと立派な城館が丘陵に鎮座していた。
「しばらくはここを根城にする。きなさい、今日からお前の家だ」
びっくりしたシルヴィアはルルカの横顔を見あげる。
ルルカの前で、鉄柵の門が音を立てて勝手に開いた。歩き出したルルカに置いて行かれないよう、石や枝でいっぱいの鞄を抱えて、見あげるほど大きな両開きの玄関をくぐる。
まず目の前に現れたのは大広間だ。白と黒のタイルが交互に敷き詰められており、階段まで赤い天鵞絨の絨毯が敷かれている。天井に吊されたいくつかのシャンデリアに火が灯されていて、昼間のように明るい。安全確認もあって、ついきょろきょろ見回してしまう。
(……ここが、私の家……ベルニア聖爵邸より、広い)
これが別荘ならば、本邸はどうなるのだろう。
そもそも妖魔に身分差とかあるのだろうか。ありえない話ではない。下級妖魔という言い方をルルカはしていたし、妖魔皇という支配者もいる。
それを次の第一声でシルヴィアは確信することになった。
「おかえりなさいませ」
大広間の奥で交差している階段の前に、人影があった。ルルカの背後からこっそり顔だけ出して、シルヴィアは男性を盗み見る。
執事服を着た若い男性だ。神経質そうな視線が素早くシルヴィアを検分したが、すぐにそらされた。少々顔色が悪く見えるのは、光源のせいだろうか。だがぴしっと背筋を伸ばした姿勢はとても綺麗だった。
「それとものこのこ顔を出しやがってこのクソジジイ、と言うべきですかね?」
眉間に入ったしわからルルカより年上だと思っていたので、ジジイよばわりにシルヴィアがびっくりしてしまった。だがルルカは気にした様子はない。
「お前がいてくれるのならば楽でいい、色々」
「いたくていたんじゃないですよ。別荘の掃除をしてたら一緒に召喚されただけです」
「そうか。スレヴィ、これは俺の娘だ」
ぐい、と背中を押して前に立たされた。スレヴィと呼ばれた執事が片眉をはねあげる。
「はあ? 娘? その石ころを詰めた鞄を持った小娘が?」
言われてから、鞄の中身を見た。確かに、こんな立派なお屋敷に持ちこむには不似合いだ。どうしようか迷っていると、ルルカが声をかけた。
「あとで片づければいい。持っていなさい」
「……ですが」
「お父様がいいと言ってるんだからいい」
はっとスレヴィが鼻で笑った。
「お父様? あんた未婚でしょう。寝言も大概にしやがれですよ。しかも人間の娘じゃないですか。今度はなんの気まぐれを起こしてそうなったんです?」
「俺の聖女でもある」
そのひとことにスレヴィが視線を鋭くしたあと、嘆息した。
「――本当に皇帝選に出るおつもりで」
「心臓を取り戻すには、それが一番手っ取り早い」
「世も末だ。ま、芋作りよりはましですが」
じっと身を固くして様子をうかがっているシルヴィアに、ルルカが少し身をかがめる。
「この男は大丈夫、俺の味方だ。面倒をみてもらいなさい」
「……妖魔に面倒をみてもらえるんですか」
「上級妖魔だが俺と従魔の契約をしているから、危険はない」
「スレヴィさんが瘴気みたいにもやもやっとしてないのは、なぜですか?」
妖魔というのは妖魔皇以外、肉体を持たない瘴気のような存在ではないのか。シルヴィアの疑問に、他ならぬスレヴィ本人が答えた。
「契約したんですよ、この人間と。何百年前だったか忘れましたがね。願いと引き換えに体をもらう契約ですので、批難される謂われはありません。自分の体だと思って大事にしてますよ」
シルヴィアはそろっとスレヴィを見あげる。スレヴィは嘆息を返した。
「で、これがあんたの娘――つまり姫様ということで?」
「そうだな」
「姫?」
眉根をよせたシルヴィアを無視して、ふたりは勝手に話を進める。
「ろくに食べていないようだ。今は多少魔力で補強して体調を維持させているが、まずは体力をつけさせてやってくれ」
「わかりました」
「あとは教育も。人間の中で生きていく術を身につけさせろ」
「おおせのままに、我らが宵闇の君。姫様の部屋は日当たりのいい場所ですかねやはり」
「私は屋根と壁があればどこでも……」
「まずは体調をととのえなさい。本当はろくに動けないはずだ」
そうなのだろうか。自覚がない。首をかしげるシルヴィアに、ルルカが言い聞かせる。
「ここなら危険はない。ゆっくり養生できる」
「ですが……食べられたり、しませんか」
申し訳ないがスレヴィを横目で見つつ尋ねると、ルルカが小さく笑った。
「俺の姫と知って手を出す妖魔など、そういない」
なぜだかぞっとしてシルヴィアは固まる。
満足したようにそれを見つめて、ルルカは踵を返した。
「念のため周囲を確認してくる。スレヴィ、俺の姫を頼んだ」
「わかりました」
玄関口に戻っていくルルカの背に手をのばそうとして、その手を閉じた。
(妖魔にも慣れないといけない)
上級妖魔、つまりとても強い妖魔だ。本当に強い者こそ、無闇に弱い者をいたぶったりしない、と思いたい。それに、主人はルルカだ。要はシルヴィアはご令嬢で、スレヴィは使用人――そう振る舞えなくて、どうする。昔、できていたのに。
石を詰め込んだ鞄を抱いたまま、苦い過去を吸い込んで吐き出す。そして振り向いた。
「案内をお願いします」
シルヴィアを見おろしたスレヴィは、にっこりと笑い返した。
「もちろんです、姫様。――大変よろしい。ここで泣き出すアホなら、食い殺してやるところでした。小汚い、石ころを大事に抱えている子どもなど」
「備えは大事です」
毅然と言い返したシルヴィアに、スレヴィが笑う。
「それは備えですか、なるほど。……なかなかいいですね。みすぼらしい少女を立派な淑女に育てる。大変美しい設定です。腕が鳴りますよ」
そういえば妖魔は美しいものを好むと聞いたことがある。実際、スレヴィの身のこなしは優雅だ。内心はどうであれ、恭しくシルヴィアに頭をさげてくれる。
「こちらへ、姫様。お部屋にご案内します」
「ありがとうございます」
「あとで身支度も調えましょう。まずは形から入るべきです。石を集めようが何をしようがかまいませんが、妖魔皇の姫君がそのようにみすぼらしいのはいただけない」
驚いたシルヴィアは、階段の一段目で足を止めてしまった。スレヴィがまばたく。
「何か?」
「……えっ。妖魔皇って……あの?」
あのが何をさすのか自分でもわからなかったが、スレヴィは頷き返した。
「そうです。あの妖魔皇です。――ご存じなかった?」
「妖魔を統べる王様……お父様が?」
「そうです。最上級妖魔。上級妖魔の頂点ですよ、芋作りジジイですが」
「……冗談ですよね?」
すがるようなシルヴィアの確認に、スレヴィはにたりと笑い返す。
「聞いていれば断りましたか? なら、うまくはぐらかされたんでしょう」
そんな馬鹿な。
(な、なら今の私は……妖魔皇の娘ということに……)
目立つとか普通とかいう次元の話ではない。呆然とするシルヴィアに、スレヴィが宣告する。
「いいように使われますね。お気の毒です」
ぐらりとよろめいたシルヴィアの鞄から、小石が音を立てて転げ落ちた。




