新米お父様の寝かしつけ
妖魔皇だなんて聞いてない、詐欺だ。万が一にも皇帝選で妖魔皇の娘だと知られたら、勝ち残る残らない以前に人間としての人生が終わる。そう直訴したシルヴィアに、ルルカはいつもの無表情で首をかしげて言った。
「言ってなかったか?」
怒りに慣れていないシルヴィアの体力はそこが限界だったらしく、そのまま仰向けにぶっ倒れた、というのはスレヴィにあとから聞いた話である。
そのままシルヴィアは三日三晩、寝込んだ。
かいがいしく世話をしてくれたのは、スレヴィだ。
タオルも洗面器も、しょっちゅう水を取りかえ、冷やしてくれた。目をさますといつだって冷たい水差しがあって、果物や粥や口にしやすいものを運んできてくれた。
「仕事ですからね。放り投げるのは美しくない」
熱でぼんやりした頭で納得した。確かに、自分の役割を放り出すのは美しくない。意外と妖魔というのは役割や義務に忠実なのかもしれない。
昼間、眠りすぎたせいだろう。真夜中に目をさましたシルヴィアは、少し離れた場所に灯りを見つけて眉をひそめた。
(またいる)
長い脚をソファに投げ出し、ルルカが本を読んでいる。
看病の中心はスレヴィだが、ルルカはいつもシルヴィアの部屋にいる。日当たりのいい、広めの綺麗な部屋だ。柔らかいクリーム色の壁紙、天蓋つきの柔らかい寝台、庭が見渡せるバルコニー、続きに衣装部屋と簡単な水回りも用意されている。書斎机に本棚、応接ソファと立派な調度品もそろえられていた。ベルニア聖爵令嬢として扱われていたときも、ここまで広く立派な部屋を持っていたことはない。
だからといって、ルルカにとって居心地がいいわけでもないだろう。なのにいる。まさかシルヴィアが倒れた責任でも感じているのだろうか。
(……今までの傾向からしてそれはない。なら、何かの罠?)
息を殺してじっと観察する。本のページをめくったルルカが、おもむろに口を開いた。
「明日には起き上がってもいいとスレヴィが言っていた。まだ寝ていなさい」
気づかれているのなら、寝たふりをしていてもしかたない。起き上がると、ルルカが本から目をあげた。
「寝ていなさいと言っただろう」
「目が覚めました。お父様は、私の見張りですか」
ちょっと眉をひそめて、ルルカが立ちあがった。
「ずいぶんつんけんしているな」
「だまし討ちばかりされているので」
「結果論だろう」
真顔で言えるのだから、この妖魔は信用ならない。
だが、シルヴィアは嘆息ですませる。
熱に魘されながら考えていた。ルルカもスレヴィも、シルヴィアを利用しようとしても傷つけたりはしない。なら、ここは知恵や力をつけるほうに振り切るべきだ。少なくとも皇帝選が始まるまで世話になるのが最善である。
問題はそのあとだ。
皇帝選に勝つ気はないとルルカは言っているが、確実にこの顔は目立つ。つまり、成績がどうであれ結局目立つ。そうなったらベルニア聖爵家に見つかるのも時間の問題だ。そもそも皇帝選に、シルヴィアという名前で登録されてしまっているのである。
だが、この状況を円満解決する方法を、シルヴィアは考えついた。
(目立つ前に、他の聖女をあてがう)
皇帝選は途中、誓約の破棄をして離脱することも、再誓約も可能だ。聖女も皇帝候補も互いに失格になっていない者同士なら、相手を取りかえられるのである。
皇帝選が始まり、ベルニア聖爵家に見つかる前に、どこかの聖女にルルカを押しつけて、シルヴィアは誓約を破棄、姿をくらませる――完璧な作戦だ。
だが、シルヴィアが逃げようとしていることを知れば、ルルカも何かしらの手を打ってくるかもしれない。だから、あやしまれないよう親子ごっこを続ける。
つまり今必要なのは、娘っぽい振る舞いだ。
よし、頑張ってみよう。
「次、だましたら家出します」
言ってから、自分で顔をしかめた。今、家出をしたら路頭に迷って困るのは、確実にシルヴィアのほうだ。脅しにならない。
(難易度が高い……)
出て行けるものなら出て行けと言われるのがオチだ――両親がそう笑ったように。
「……それは困るな」
意味が一瞬わからず、遅れて顔をあげた。ルルカは何やら考えこんでいる。
「お前が家出をしたら、さがさないといけない。妖魔はある程度牽制できるが、人間がお前に何をするかわからないからな。心配だ」
本当は呆然とする自分のほうがおかしいのだろう。こんなときは、ほとんど表情が動かない自分の顔はありがたい。おかげでいつも通り、頷ける――頷けていると思う。
「そうです。……お父様は、困る……はず、です」
「しかたない。先に説明するよう、心がけよう」
本当に説明するのか。本当に――いなくなったら、心配してさがしてくれるのか。
困惑するシルヴィアの前に、ルルカが持っていた本を差し出した。
「眠れないのであれば、読むか?」
表紙には知らない単語が並んでいる。つい眉がよった。
「……難しくない本なら」
「読めないのか」
端的な確認に、シルヴィアは両肩を落として頷く。
「小さい頃、少し習っただけ、なので……」
「文字は書けるか? 計算は?」
答えずにいると、ルルカが嘆息した。読み書きもできないのかとシルヴィアを嘲笑した領民たちよりは優しいだけで、当然の反応だ。
聖爵家の令嬢が読み書きも計算もあやふやなんて、普通、ありえない。
「では、俺が読んでやろう」
「……え?」
顔をあげると、ルルカが本棚の前に立って何やら考えこんでいた。
「どんなものにしようか。子ども向け……だが、十四歳だったな」
「……はい」
「あまり夢見がちなものも興ざめするか。難しいな……」
指先で本の背を撫でていきながら、ルルカが尋ねる。
「何か、好みはあるか?」
「い、いえ。……その、なんでも、いいです」
「そうか。では、これにしよう」
一冊の本を取り出し、ルルカが椅子を持って寝台脇にやってくる。寝台のすぐ近くにあるランプの火を大きくして、手元を照らした。
「横になりなさい」
椅子に腰かけたルルカに言われて、急いでシルヴィアは寝台の中に潜り直す。
(本を、読んでもらえる……)
自分には無縁だと思っていた。まだ聖爵令嬢としてすごしていた頃でも、母親はお転婆なプリメラにかかりきりだったことが多く、そういう記憶がない。
「眠くなったらそのまま眠りなさい」
胸がどきどきしてきた。顔を半分隠すように、シーツを引っ張り上げて尋ねた。
「……長いお話ですか?」
「一冊で終わるが、朗読するには長い」
「続きが気になって、眠れないかもしれません」
「それは困るな。……最初に概要だけでも話そうか」
ぽん、とルルカが布団の上を軽く叩いた。
おとなしく聞いていなさいと言われた気がして、シルヴィアは急いで目を閉じる。
「この話はある若い夫婦の物語だ。妻のほうが主人公」
ここ数日だけでシルヴィアの血管を何度も切れさせそうになったルルカだが、声はいつだってとても優しい。ゆらゆら水面をたゆたうような心地になる。
「あるとき、空き部屋だった隣の部屋に同世代の夫婦がこしてくる。夫の職が同じ金細工師なこともあり、妻同士もとても仲良くなっていくのだが、ある日隣の夫婦の夫の作品が貴族に気に入られ、お抱えになるんだ」
「……」
「最初はお祝いするのだが、少しずつすれ違っていく。たとえば新しくなった壁紙。ふたりで月に一回近所のケーキを楽しんでいたのに、有名なカフェでおごられるようになる。それは夫の給与の違いだと気づいた妻は少しずつ、親友とも思った女性を憎むようになっていく」
「……」
「そんなときふたりに子どもができる。互いに初めての子ども、一時的にふたりの仲は良好なあの頃に戻る。だが実は隣の妻の子どもが、自分の夫の子どもだと知った主人公は」
「お父様」
目を開いたシルヴィアに、ルルカが本から顔をあげた。
「その本は、子どもを寝かしつけるには不適切ではないでしょうか」
「……そうか。そんな気がしていた」
もっと早く気づいてほしい。だが「別のを持ってこよう」と立ちあがるルルカの姿が新米の父親のようで、とてもくすぐったく思えて――はっと我に返った。
(……やっぱり、父娘なんて難易度が高い……)
でもルルカの声はやはり心地よくて、シルヴィアは知らず眠りに落ちていた。




