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038 「私、ニセ嫁辞めないから!」

 

「もう、その七面倒で他人みたいな喋り方、止めれば? いいよもう、私の前では敬語なんか使わなくても」


「そうですか。それでは遠慮なく」


 中松の目つきが変わった。何時もみたいに目の奥が笑っていない仮面みたいな顔じゃなくて、ちょっと、なんというか、ほんの少しだけ砕けた素の雰囲気になった。

 

「聞きたかったのだけど、中松はどうしてそんなに一矢に忠誠を誓っているの?」


 一矢には、忠犬中松だもんね。作者の斜め上をいく面白凄腕読者様たちが、中松の面白いあだ名をどんどん考えてくれるから、こっちも楽しいわぁー。


「一矢様は、こんな社会のゴミみたいな俺を拾って下さったんだよ。衣食住も与えてくれて、仕事も与えてくれた。十分忠誠を誓うに値する。それに、お前も」


 わっ。中松が脱皮して羊じゃなくて、執事じゃなくなった。そうすればいいって言ったのは、私だけど。何か、変な感じ!



「伊織」


「は、はいっ」



 まさかの呼び捨て! いや、この状態で『伊織様』とか言われたら逆に気持ち悪いけど。


「お前に、ずっと礼を言いたかった。執事の中松道弘じゃなく、一個人の中松道弘として、礼を言う」


「お礼?」


 何かしたかしら?


 

「伊織が助けを呼んでくれた事だ。あの時は、俺を怖がらずに助けてくれてありがとう。伊織が助けを呼んでくれなきゃ、俺はあの時死んでいた。お前は、俺の命の恩人だ。だからお前が困ったら絶対に俺が助けよう、お前が辛い時や苦しい時は、絶対に俺が解決してやる――そう心に決めて生きてきた。さっき言った事は嘘じゃない。俺を助けてくれた二人の為なら、この中松道弘、命を捨てる覚悟で――」


「ちょ、ちょっと待ってちょっと待って!」中松の言葉を遮った。「時代劇じゃあるまいし、簡単に命を投げ捨てないでよ。勿体ないでしょ」


「勿体ない・・・・」


 私の返しが面白かったらしく、こんな時なのに笑ってすまない、と中松が笑いを堪えて言ってくれた。



 ちょっ。激レア―!

 鬼執事のちょい笑い、見ちゃったよー!!

 何故かテンションが上がった。



「中松って、冷たい男だと思っていたけれど、胸の内はかなりあつーい男だったのね!」


 冷血松じゃなくて熱血松だったのね。


「忠誠心が厚いと言ってくれ」



 笑っている。あの、鬼松が普通に笑っている――



「貴方もそんな風に笑えるのね」


 信じられない光景に、涙も引込んでしまった。


 

「普段は見せない。俺の素は、誰にも見せない。必要ないから」


「そうかしら。見せればいいと思う。私と一矢にだけは、見せればいいじゃない」


「調子に乗って俺の領域に踏み込むな」


「なんで? 素敵よ。素の中松。何時もの鬼みたいな顔よりずっといい」


「・・・・ありがとう」


 初めて見る彼の優しい笑顔。中松ってこんな男だったんだ。何時も鬼みたいに怖いと思っていたけれど、それって自分の感情を押し殺して、ただ一矢の為に忠誠を誓い、生きるしかできなかったから。


 この人も不器用なのね。一矢もそう。男ってみんな、不器用なんだ。

 

「それはさておき、伊織。これは提案だが、今ならまだ辞める事は可能だ」


「えっ?」


「シナリオは俺が描いてやる。混乱に乗じ、一矢様の義姉が様々仕立て、お前にした非道を暴き、パーティーだけでなく、婚約そのものの中止を一矢様に申し伝えることは出来る。こんな事があったとなれば、花嫁側としては当然の申し出だ。一矢様に非はないように配慮するし、俺がうまくやる。任せてくれないか」


 突然の提案に、上手く言葉が出てこない。


 

 

 それってつまり、一矢と、婚約・・・・破棄するって事。

 ニセ嫁を止めるって事、よね。

 そんな選択肢があるんだ――頭が真っ白になった。



「醜い世界に触れ、どれだけ一矢様の生きている世界が過酷で苦しいものだという事が伊織にも解っただろ。あの女の詰めが甘かったからまだこの程度で助かったものの、俺ならもっとうまくやる。敵の裏の裏までかく計画を練る。そうなれば、お前は今頃――・・・・まあ、不吉な『たられば』の話はもういい。伊織が受けた屈辱を【この程度】と表現して悪いが、この程度で済んで良かったのは本当の事だ。一矢様と婚約を発表すれば、今日以上にもっと酷い目に遭う可能性もある。大事な伊織を、これ以上危険な目に遭わせたくない」




 中松が真剣な顔で私を見てくれた。




「偽でも、一矢様の嫁になるのは、もう止めてくれないか。伊織。俺はお前を――・・・・・・・・」




 キスされそうな至近距離で中松に言われた。

 ふぁあああ――! 反則じゃない、そんなの!

 聞いてないし!


 


 お前を――の続きは、遠慮がちに私の中に踏み込もうとしている中松の行動を制するべく、彼が話を始める前に私が台詞を取り上げた。




「私、ニセ嫁辞めないから!」




 中松の話の続きは、聞いちゃいけない気がした。

 そんな事言われても、私は応える事ができない。聞いたら絶対動揺する。今、心を乱したりしたくない。

 一矢と何も決着が付いていない心のまま、前に進む事なんてできない。

 だって二十年だよ?

 彼を守りたいと思っていた気持ちは、幼い頃から変わっていない。好きなのは、一矢だけ。

 一時の感情で、流されるわけにはいかないの。



「私は、一矢が好きなの。こんな事になってしまったのは、覚悟が足りなかった私のミスよ。中松の言う通り、【この程度】の事で泣いていられない。強くならなきゃ、一矢を守れない。さっきのは・・・・その、初めての事だったから、ちょっと怖かっただけ。でも、もう大丈夫。だって、私に何かあったら、貴方が命に代えても守ってくれるんでしょっ。また、助けに来てくれるわよね?」



 真剣な眼差しで私を見つめ返し、中松が強く頷いてくれた。


 

「中松、私にも忠誠を誓って。【この程度】の事なんかに、私は負けない! 強くなるわ。どんな目に遭わされても、平気よ。貴方が付いているんですもの。きっと一矢も同じ気持ちだと思う」


 私は右手の甲を差し出した。私の気持ちを汲み取ってくれた中松は、うやうやしく跪き、手の甲にキスを落としてくれた。「この中松、一矢様と伊織様を生涯、命を懸けてお守りする事を誓います」


 これでいい。私と中松は主従関係よ。それ以上であってはいけない。


 

「こんな格好じゃ、パーティーに出られないわ。予備の着替え、あるわよね?」


「当然です」


 流石神執事。出来る男は用意もいい。


「美緒も呼んで、支度するわよ。貧民の私を、貴女の手で極上のシンデレラに変身させてちょうだい。シンデレラガールの底力、見せてやるんだから!」




 中松は、シンデレラ(私)に魔法をかけてくれる、魔法使いのおばあさん(中身は鬼執事だけど)。




 まだ震えの残る手を、自分の掌でぐっと包んで抑え込んだ。本当は怖いけど、負けるもんか!

 ここまで用意しておいて、今更破棄なんかできない。そんな事をしたら、一生後悔する。

 実らない初恋なら、せめて綺麗に終わらせたい。大好きな、一矢の為に。



「さあ、やりましょう!」



 強く、笑って見せた。

数ある作品の中から、この作品を見つけ、お読み下さりありがとうございます。


評価・ブックマーク等で応援頂けると幸いですm(__)m


次の更新は、6/25 18時です。

毎日0時・12時・18時更新を必ず行います! よろしくお願いいたします。

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