035 ニセ嫁、大ピンチございますわよぉ!
高速エレベーターを降りた先は、フロアの絨毯が一際重厚なものに変わった。恐らくVIP顧客しか泊まらないような、ロイヤルスウィートの部屋がある階なのだろう。私は生まれてこの方、こんな場所に立ち入った事は無い。空気が違う。土足で歩くのが勿体ないくらい、高級な絨毯なのだろう。
杏香さんはカードキーを取り出し、今日宿泊するであろう部屋の扉を開けた。入るように促されたので、失礼します、と伝えて中に入った。
中は入り口から広く、贅を尽くした極上ルームだった。かなりの広さを誇るデラックススイート。お金持ちしか宿泊できないそこは、上品な調度品が施されていた。入口から奥に見えるベッドは白く、さぞかし心地よく眠れるのだろう。一矢の本家みたいな部屋だと思った。全面ガラス張りで夜景は独り占め。空調も快適で言う事無しだ。一度でいいから家族全員でこんな部屋に泊まってみたい。みんな喜びそうだ。まあ、絶対にできないと思うけど。家族多いから。
お金持ちは、こういう贅沢空間が当たり前なのだろう。庶民が迂闊に泊まれるような部屋ではない。相当な記念日でさえ、こんな部屋に軽々しくは泊まったりできない。一人当たりの宿泊費用は、グリーンバンブーの基本八百円の定食が何回食べれるのだろうとか、貧乏ったらしい考えではすぐに算出できなかった。百食・・・・いや、二百食以上はゆうに食べれるだろう。所詮その程度しか概算できない。
「一矢をどうやってたらしこんだの?」
「はい?」
鍵をかけた途端、杏香さんは豹変した。口調も柔らかいものから、すごくキツイものに変わった。
「だから、一矢をどうやってその貧相な身体でたらしこんだの、って聞いているのよ」
貧相・・・・。中松だけでなく、三成家の人間は私を心のある人間として扱ってはくれないのだろうか。
「たらしこむもなにも、一矢とは関係を持っておりません。純粋に、彼も私を好いて下さっています。私も彼が――」
そこまで言った途端、杏香さんは高笑いを始めた。「あーっはっは、おかしいわぁー」
何がおかしいのよ。失礼しちゃうわ!
「まさか男女関係もまだなんて・・・・。という事は伊織さん、貴女、処女?」
「・・・・いけませんか」
思わず正直に答えてしまったら、更に笑われた。「いけなくないわよぉー。寧ろオーケー!」
腹立つわあ。
「だったら尚更、プレゼントは大切ね。さあ、奥へ進んで」
「あ、いえ、やはりプレゼントなんて、結構です」
杏香さんの雰囲気が怖くなってきたので、逃げようと思った。密室で襲われたりしたら、洒落にならない。やっぱり中松に声を掛けるべきだった。あれほど気を付けろと言われていたのに。
「そういう訳にはいかないわよぉ。貴女は、大事な義弟のお嫁さんになる女性なのよ?」
ジリジリと杏香さんに迫られる。どうしよう――後ずさりをしたところで、ぐいっと誰かに引っ張られ、身体の自由を奪われた。見ると、身なりは上品そうな三十代前半くらいの男が二人、私を羽交い絞めにしていた。二人ともオールバックで、秘書か弁護士でもやっていそうな、聡明そうな男性だが、雰囲気が怖かった。男の雰囲気がぷんぷんしている。
「な・・・・何をっ・・・・」
「あのねえ、伊織さん。三成家には無血統の女の血なんて、まーったく不要なの。格下げもいい所。ご自分の立場、弁えて下さらない? 婚約パーティー中に他の男と乱交パーティーなんて、処女の貴女にすればちょっと抵抗あるかもしれないけれど、すぐに良くしてあげるから、大丈夫よ。この様子はきちんと撮影して、後から一矢との婚約パーティー中に放映してあげるわ」
血の気が引いた。あまりに恐ろしい事を笑いながら言ってのける目の前のこの人が、悪魔に見えた。
震えが止まらない。涙が滲んだ。
考えろ、伊織。この状況を打破する為の策を。
こんな女に、一矢のパーティーを台無しにさせる訳にはいかない!
「その女、処女みたいだから面倒なようだったら、最初からクスリ盛ってもいいから」
「かしこまりました、杏香様」
処女が面倒? クスリ? 盛ってもいい?
恐ろしい単語を並べているこの人を見て、これが現実の事なのかどうなのか、理解に苦しんだ。当然頭はパニックで、この状況を変えられるような作戦なんか、なにひとつ思い浮かばなかった。
「こっ・・・・こんな事して・・・・犯、罪よ・・・・っ! う、うっ・・・・訴えるから!」
「訴える?」ハッ、と馬鹿にしたように鼻で笑われた。「何の権力も無い小娘が強姦で訴えた所で、こちらにもみ消されるだーけ。余計に辛い思いをするだけよ? 一矢もいい気味。嫁になる女にパーティーの席でこんな不祥事起こされちゃあ、あの男もおしまいね。三成家を追放してやるから」
本気の悪魔がそこにいた。
――いいですか、伊織様。本物のGPSやボイスレコーダーに気が付かれては、元も子もありません。フェイクの存在を伝えるのです。俺に繋がっているとでも言って、時間を稼いでください。貴女に何かあった時、俺は全力で貴女を守りに行きます。たとえこの命がどうなろうとも、絶対に伊織様を守ります。
中松の言葉を思い出して、震えながらようやくカムフラージュのボイスレコーダーの場所を伝える為に、必死で声を上げた。私がいなくなった事を、中松が知ってくれたらきっとこの場所を突き止めてくれる。だから、イヤリングに監視カメラやGPSが仕込まれている事を、気が付れちゃいけない。
「こ、この、様子、ず、ずっと録音しているんだから! う、嘘だと思うなら、私の、ド、ド、ドレスのリボンの所、調べてみなさいよ! アンタの悪事、全部、中松に通じてっ――・・・・!」
緊張で声が震え、必死になっている私の頬を杏香さんにぐっと掴まれて、それ以上喋れなくなった。本気で冷徹な瞳が、私を見下ろしている。「ウルサイ女ね。中松は私が手配した重役の接客で今、忙しいの。ここに来るわけないでしょ」
私を後ろから押さえつけている男にドレスのリボンごと引きちぎられ、無残にも床に放り投げられた。それを杏香さんがハイヒールで踏みつける。中の機械が壊れる音を確認した杏香さんは、真っ赤なルージュを塗った唇の口角を、にいっと上げた。
「時間が無いわ。始めて頂戴」
ニセ嫁、大ピンチでございますわよぉ――――!!
数ある作品の中から、この作品を見つけ、お読み下さりありがとうございます。
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