八話 後悔
◆◆◆からソウ視点です。
ジリリリリ、となっている目覚ましを叩くように止め、手を床に伸ばす。
服、服。確か昨日この辺に置いたはず……あった。せっかく畳んでおいたのに持ち上げたせいでぐちゃぐちゃになってしまう。
「起きなきゃ……」
眠い。朝は苦手だ。陽の光が眩しい。
太陽が苦手だったら悪魔じゃなくて吸血鬼じゃない、と思いつつ体を起こす。
夜早く寝ても遅く寝ても朝は眠い。生きていた時からそれは変わらない。
のろのろ着替えてから軽く髪を梳かして部屋のドアを開ける。
「あ、おはよ」
「おはよう、ございます」
ちょうど同じタイミングでリョウも出てきて驚いた。階段を彼の後ろから降りる。
ここに来た時と変わらず黒いスーツ。似合っていないのももう見慣れた。
こないだせっかく買い物に行って来たんだから買って来た服着ればいいのに。
私が口を出すことでもないな、と思ったが一応言ってみる。もしかしたら洗濯してて足りないとかかもしれないし。だとしたら買い足さないと。
振り返りながらリョウは答えた。
「んーと……別に買ってきた服、でもいい……んですけど、なんか、これが落ち着く、っていう感じ……です」
「そうなんだ」
「あ、買ってもらったのは、部屋着として、着て……ますよ」
いやまあ、無理に着なくてもいいんだけどね。
外がいい天気なのでカーテンを開ける。眩しい。
「それスーツ?高校生で着慣れてるって珍しい」
「ああ、まあ、……そうですね。死んだときは……この服じゃなかったんですけど、なぜか気づいたらこれ着て、ました」
「へえ。私は……死んだ時なに着てたかな。覚えてないや」
朝ご飯食べる?と聞いたが返事がない。
「白い、ワンピース」
「ん?」
「レイさんが着てたのは、白いワンピースです」
白いワンピース、と特に意味もなく復唱する。
言われてみればそんな気もするし、違うような気もする。
今日はリョウを悪魔にすると言ったからその準備を私は進める。朝ご飯は食べなくていいだろう。
準備といっても、棚の一角に置いてあった赤い石を持ってくるだけだ。一応箱にしまってあったが、しばらく使っていなかったから拭いて綺麗にしたほうがいいかもしれない。
拭くための布を探している私は背中越しに訊く。
「どうしてリョウがそれを知ってるの?」
「僕は、レイさんの家の、近所に住んでいて……そこそこ、仲良かった、ので」
「あーそういえば前もそんなこと言ってたね」
だが私は覚えていない。
────いや、思い出そうとすれば思い出せるのかもしれない。
それをしないことは罪だろうか。
布切れを見つけたのでそれで拭くことに決める。綺麗な楕円形の石だから拭くのは簡単だ。小さいが厚みがあるため重量感のあるそれを拭いてから黒い箱の中に戻す。
「さ、今日は仕事の前に、悪魔になろう」
「……あ、はい」
私はリョウのことを思い出すべきなのだろうか。思い出せるかどうかはわからないけれど、思い出そうとした方がいいのだろうか。
私は意図的にそれらを思い出さないようにしているから。
時間が経つにつれて自然と風化した記憶もあるけれど、それ以外のものでもあまりいい思い出がないし、私は他の悪魔のように消えることができないから、いつまでも記憶を抱えていても仕方がないと思い忘れたのだ。
『おじいさん』に言われた。「記憶に無関心になれば、簡単に忘れることができる」と。
「悪魔になるのは、割と簡単。ていうかリョウはもう半分悪魔みたいなもんだしね」
「半分……?」
「そ。リョウはもうすでに、客が来た時この小屋のドアを開けられるでしょ? それが一つと、あとその人が天国と地獄、どちらに行くのかも自然にわかるでしょ」
「え、それは紙に……文字が現れるからで」
だがその文字も人間は、というか死者は見えない。悪魔志望、天使志望になって初めて見えるものだ。
それをリョウに告げると「そうなんですか」と納得のいった顔をした。
「ドアも、前に、リョウはお客さんを受け入れていないって言ったでしょう。受け入れたら、開いた。それも普通はできない」
「……それで、悪魔になると何ができる……ように、なるんですか?」
「いえ、特に何も変わらない」
じゃあどうして悪魔になるんですか、というつぶやきは予想通りだ。きっと訊かれるだろうなと思っていた。
彼の指が何かのリズムを刻むように動く。前にもこんな風に動かしていたことがあった。あれは昨日だったか。
唐突に頭がズキっと痛んだ。
「強いていうなら、悪魔になると翼が生えるってことくらいね、変わるのは」
その痛みを無視して言う。
「そうですか。……あの、大丈夫、ですか?」
一瞬反射的に顔を顰めてしまったのに気づいたらしい。
まだ痛みは取れず、特に頭の左側が軽く痛む。
「ええ、大丈夫。──さ、話の続きよ。翼が生えたから別にどうなるってわけでもないんだけど、人間って天使と悪魔には翼が生えてるイメージ持ってる人が多いじゃない? 私もそうだったし。だから生えるらしいわ」
「空が、飛べるように、なりますね」
「そうね。ソウは大体いつもここに飛んでくるし」
言った矢先、ドアが軽快にノックされた。入って来たのはソウだ。いつの間に来たのだろうか。
というか、たまたま今ここにお客さんがいないだけで今仕事中だけど。
「お呼び?」
「いや、お呼びしてない」
「なに、相変わらず冷たいなあ」
ねえリョウ君、と言いながらソウはリョウの隣に座る。リョウはしどろもどろだ。
そんなリョウをそのままに、ソウはテーブルの上の石を見て私に目を向ける。
「ねえ、これからリョウ君は悪魔になるの?」
「ええ、そうよ」
「俺は今、苗を二つ持っててさ」
「何の話?」
俺の話、とソウは答える。
唐突すぎて何の話かわからないわよ。この話はどこに繋がるのかも。
「一つは、ある人から託されたもの。もう一つは、俺が自分で種をまいたもの。俺はそれを持ってる以上、きちんと育てなきゃいけないと思ってる」
「えっと……自分で蒔いた種だから、自分で片を、つけようっていう意味の、『種』……ですか?」
そういうことか。下手な例えだが、ソウらしいと言えばソウらしい。
だがソウはそれには答えずに続ける。
「だからまず、人から託された方の『種』にけりをつける。けりをつけるっていうと変かな。
レイも知ってると思うけど、俺は『おじいさん』にレイを一応託されたんだ。彼女もいろいろ大変だろうけど支えになってやってくれって。でも、もう、いらないよな」
そうだったのか。『おじいさん』がいなくなる前からソウとは知り合いで、彼がいなくなっても変わらず接し続けてくれていたのが不思議といえば不思議だが、そんなことを言われていたなんて知らなかった。
「んーと……そんなこと言われてたなんて、知らなかったけど。でも確かにいらないわね」
頼んで支えになってもらうほど私は今困っていない。
それを聞いたソウは少し傷ついた顔をして「そうだよな」と呟き目をそらす。
「自分で、まいた……種、っていうのは、なんですか?」
「うん。それはね、リョウだよ」
「え……僕」
戸惑うリョウを横目にソウは淡々という。
「リョウをここに連れてきたのは俺だから。リョウに悪魔の存在を教えずに天使にしてもよかったし、リイのところに連れて行ってもよかった。だけど悪魔になるという選択肢を与えて、レイのところに連れてきたのは俺だ」
「だから?」
「お互いに、後悔してないか。レイは、残酷な仕事に就くやつを増やさなきゃいけない。リョウは、レイに覚えられていなかった」
「いやでも、私たちが後悔してたところで別にどうにもならないでしょ?」
私は特に後悔はしていない。言われた通り、できればこんな仕事をしてほしくない。でも正直、それは私の知るところじゃない。この仕事を残酷だと思うのも、私だけかもしれない。
だったら別にいいだろう。リョウは自分で悪魔を志望したそうだし。
リョウを覚えていないのは申し訳ないけど。
「そう、だな。……じゃあ、俺帰るわ」
言いながら席を立つ。
「待って待って。結局ソウは何しに来たの」
「あー……まあ、自己満足するために来た、って感じになるのかな。ただ、これだけは言っておく」
ソウの目が一瞬私を見たが、すぐにその強い視線は外れた。ソウはじっとリョウを見据えて言った。
「俺は、『おじいさん』に言われたからレイの側にいたわけじゃない」
じゃあな、と言ってソウは去っていく。
「ええと……ソウは、何を言いに来たのかしら」
「……それを、ぼくから……言うのは、多分、ダメだと思います。強いて言う、なら……苗の回収、です」
◆◆◆
小屋を出てどこを目指すでもなく飛び、適当に人のいなさそうな草原に降りたつ。
「……あれは堪えるなあ」
あんなにばっさりレイに「いらない」と言われるとは思っていなかった。
おじいさんに言われたから一緒にいたわけじゃない。でもきっと俺は、何一つレイの支えになれていなかったのだろう。
リョウ君なら、なにか違うのかな。
そう呟いて俺は抱えた膝の間に顔をうずめた。




