七話 質問
コンコン、とドアがノックされる。今日の客一人目だ。
「はい。どうぞ」
リョウももう手慣れたもんだ。まだ仕事二日目だけど。
ドアを開けて紙をテーブルの上に置く。
「レイさん、ペン取って、くれますか?」
棚の上のペン立てから一本取って渡してやる。
リョウは話す時のたどたどしさが少し減った気がするなあ、などと考えていると「あ……」とリョウが声を漏らした。
視線の先にいるのはドアの向こうから姿を表した死者だ。
「なに、どうしたの」
「せん、せい……」
入ってきた客に向かってそう言った。リョウは彼の教え子だったのだろうか。
だが客は微動だにしない。
「どうぞ、座ってください」
代わりに私が声をかけて彼を座らせた。リョウはその動きをじっと目で追う。
座った先生は何も言わない。
「リョウ」
何があったのか、リョウとこの客がどういう関係なのかは知らないけれど、仕事はしっかりやってもらわないと。
我にかえったリョウはさっき用意した紙とペンを渡す。
「これに、記入してください」
黙って軽く頭をさげたその人はペンを手にとって記入し始める。
名前。性別。国籍。それらの欄を黙々と埋めていく。リョウの方には見向きもしない。
職業、という欄に「教師」と書かれたとき、リョウが再び口を開いた。
「先生……やっぱり先生なんですよね? 先生、僕のこと覚えていますか。五年前に教わった──」
「……いいえ。覚えてないですね。名前はなんですか?それを聞けば思い出すかもしれない」
「リョウです。リョウです、先生」
リョウは縋るような目で訴える、しかし先生はあっさりと首を横に振った。
「申し訳ありません。あなたは教え子ではなかったかと」
「そんな……あ、名字、名字を聞けば思い出すかもしれない。僕の名字は──。あれ? 名字、は……」
「リョウ」
見かねて間に入る。リョウがいくら名字を思い出そうとしたって、無駄なのだ。名字なんて、ここにはないのだから。
先生、と呼ばれる彼は私の方を見て軽く頷くと残りの記入に移る。
「リョウ。落ち着いて」
説明は後でするから、とこっそり囁く。もっとも、私が説明できることなんて対してないのだけれど。
ゆっくりと頷いたリョウは客の手が止まっているのを見て口を添える。
「そこに書くのは、言葉でも文でも、絵でもいいですよ」
彼の手が止まっていたのは地獄を書く項目だ。しかし彼は何度か迷ったように手を動かすのだが書かない。
少しして諦めたように「すみません。これでもいいですか」と出された紙はやはりその欄は空白だった。
リョウはこういう人にはまだあたったことがないな、と思いとりあえずどうするか見ててもらうことにする。別に大したことをするわけではないけれど、一応席を代わってもらう。
「やっぱり書けませんか」
「はい。すみません」
「いえ、大丈夫です。えーと、ではこちらの紙にも記入をお願いします」
ついでにリョウにも一枚渡す。記入の必要はないが、内容を知ってもらうために。
早速彼の手が止まっているので「一番近いものでいいですよ」と声をかけた。少しずつ彼は欄を埋めていく。
Q1 貴方はなぜ地獄が書けないのですか。
1 地獄に行きたくないから(どういうところか考えたくない)
2 地獄は存在しないと思うから(想像力が働かない)
3 考えてもどういうところかわからないから
4 その他
こういう感じで質問が十問ほど続いている。
「嫌な記憶と、地獄は≒で結べますか」
「それを聞くのは反則ですよ」
彼が口にしたのは質問事項の一つだ。
Q5 嫌な記憶、苦い思い出と地獄は≒で結べると思いますか。
それを私に聞くのは反則だ。私が答えを持っているわけでもないし、彼が私の答えを知ってどうにかなるわけでもないけれど。それに、私はそれに対する答えを持ち合わせていない。強いていうなら、「どちらとも言えない」だ。だが選択肢ははいかいいえの二択だ。
「自分は、これは時と場合によるというか、一概にはいともいいえとも言えないと思うのですが、その場合はどうすればいいでしょうか」
「ああ、じゃあ書かなくていいですよ。注釈を書いてもいいです」
その辺は適当だ。
地獄行きか天国行きかは、ふっと浮かび上がってわかる。紙の一番上、「〇〇行き」というところが変わるのだ。唐突に。
もし変わらなくてどちらか判断できなかったら、その時はその時で考えよう。
リョウはもう紙を置いて、彼の動きをじっと見ている。
リョウは彼の教え子のようだけど、彼は覚えていないらしい。
見たところ彼は八十歳くらいだから、忘れてしまっただけかもしれない。当然何人もの教え子がいただろうし、年齢も年齢だ。
彼は最後に「楽しさ、嬉しさ、幸せは天国と≒で結べますか」という問いに注釈付きで答えてから紙をこちら向きに差し出す。
受け取って並べると、あくまでイメージだが、すうっと何かが浮かび上がる。その何かは頭の中で左向きの矢印をかたどった。左ということは、天国行きのドア。念のため紙を見ると、そこにもさっきはなかった「天国行き」という文字が記されていた。
「左のドアへどうぞ」
「ありがとうございました」
彼は丁寧に頭を下げて席を立つ。
なんだか安心した。彼が「天国行き」で。──これだから、悪魔の仕事って嫌いなのよ。
ドアまで歩いて言った彼はその前で立ち止まる。
「リョウ君、と言いましたね」
「はい」
「一つ、質問です。地獄とは、天国とはなんですか?」
ああ、これでは二つですね、と言ってドアの向こうへ消えていった。質問の答えをもらわずに。
しばらくしてからリョウは「……わかりません」とぽつりと言う。
「レイ……さん、地獄って、天国ってなんですか……?」
それも私に聞くのは反則じゃない。彼はわざわざリョウに言ったんだから。それに、私はその答えを持ち合わせていないんだってば。
「さあ。私も知らない」
「地獄……天国……そうだ、レイさん、ここに聖書とか……あり、ませんか? 神話とか……」
「んー、わからないけど本なら大量にあるわよ。二階の廊下の、突き当たりの部屋。でも、神話はともかく聖書にそういうのってかいてあるの?」
「わかりません……僕も読んだことないので……。でも、見てみます」
言い残して二階に行ってしまう。
書類を片付けながら、先生も厄介な課題遺してくれたもんだわ、と思う。
地獄とは何か、天国とは何かなんて。
そういうことを考えるのは哲学者の仕事じゃない。それとも、そういうのを研究する専門家がいるのかしら。まあとりあえず、私たちは悪魔だけど哲学者じゃないもの。
悪魔の仕事は、やってきた死者が天国行きか地獄行きかを決めること。それだけで十分だ。
悲しい仕事だ。
片付け終えて再び椅子に座ったところで、けほけほとリョウが咳をしながら降りてくる。
「あら、早いじゃない。あった?」
「いえ……ていうか、全然本なかった、ですよ。十冊くらい」
「そうだっけ。いつか掃除した時捨てたのかなあ。ごめんね、変に期待させちゃって」
いや別に、とリョウはごにょごにょ言ってから顔を上げて訊く。
「地獄どうこうは置いといて、聞きたいことが……あって」
「うん」
「さっきの、僕が苗字思い出せなかった、あれは……なんですか? あとで説明する……って、言って、ましたけど」
そういえばそんなことも言った。大して重要なことではないけれど、気になっているようだから一応説明しておく。
「ここでは、苗字がないのよ。多分必要がないからだと思うけど。
例えば、学校だと人が多いから苗字だけ、名前だけだと被っちゃったりして紛らわしいけど、天使と悪魔はそんなに人口いないし。同じ名前の人がいても覚えられるしねっていう、それだけ。必要がないから、苗字が存在しない──んじゃないかと思う。詳しいことは知らないわ」
とりあえずリョウが苗字を思い出せなかったのは、もうリョウの苗字をリョウが失っているから、とまとめる。
「なるほど」
「大した話じゃなかったでしょ」
「え、……まあ」
リョウは軽く苦笑する。
私は少し迷ったあと、ついさっき決断したことを話した。
「リョウ、明日、悪魔になるのはどう?」
「え……明日?」
「そう。もう仕事も大体覚えてるし、悪魔とか天使のこともわかってきてるみたいだし」
「そう……ですね」
そう言ったリョウは、予想に反して、浮かない顔だった。
二週間投稿しないとか言いつつ普通に投稿してます。
来週は本当に投稿しません。(もし書いても書き溜めとく)




