十二話
俺はタカノリの荷物を纏めに行った。あいつは恐らく帰って来ない、しかし荷物をこのままにはしておけなかった。
まるで形見分けをしているようで嫌な気持ちになる。だが、万が一にでもあいつが帰ってきたときにこれを渡すのは俺の役目なのだろう。
タカノリは必ず帰ってきてくれる。そう、以前のように控えめで気が弱いが優しいあいつに…たとえ気休めでも俺はそう信じたかった。
「これは…」
タカノリが蒔いていた塩の山を見た。昨日おかれたばかりの塩の盛りは天辺が僅かに黒ずんでいたからだ。
かなり痛んでいたとしても、塩がこんな早くに腐るものなのだろうか?
海辺だと痛みやすいのかどうかはしらないが、更にあるものが目に入った。
「なんで、濡れているんだ…?」
寝床の近くに水溜りがあった。それもバケツ一杯ぶちまけた量の水が、
こんな場所で水をこぼした記憶は無い。だったら何で濡れているのかそれも分からない。
昨日のあれが関係しているのだろうか? 今思うとそうとしか思えない。
一度気になりだすとどうしても不安が掻き立てられて、悪い想像が掻き立てられてしまう。
あの気持ちの悪い化け物がまたやってくるyかもしれない…そう思うと窓なんて見ていられなかった。
俺はそれ以上自体が悪くなる状態を想像したくなかった。だから水溜りは早く掃除してきれいにした。
叔父さんが暗い顔をして戻ってきたのは夕方の日が暮れる頃だった。
「…駄目だった。今日は帰ることができないかもしれない」
「信秀さん、どうしたんですか?」
不安に思ったユースケが信秀叔父さんに聞く。それに答える声は落胆に染まっていた。
「どういうわけか車のエンジンが掛からないんだ。ここに来る前に一度見ていたはずなんだが…」
「故障ですか? 俺も手伝いますが」
叔父さんはゆっくり首を振った。この人もどうしてそうなったか分からないらしく戸惑っているようだった。
「いや、一応工具も持ってきている事はあるんだがどこまで出来るかはわからない
しかし一度簡単な点検はしたんだが、見た感じ異常は見られない。昨日は何も無かったのに
それにここで一夜を過ごす事になれば、ある程度覚悟が必要になってくる」
「歩いて帰るっていうのは? そんなに不味いんですか、タカノリが居なくなったのって…」
「いや、今から帰ったとしても【あれ】から逃れられるかどうか…夜は【あれら】の力が強くなるらしい
そして、彼の無事を祈りたいが…伝承にあるとおりだと難しいかもしれない」
「伝承って…まさかタカノリが戻ってこないっていうんじゃ」
「……断言は出来ない。けれどこの辺りは昔、海難事故がかなり多かったんだ
普通の海岸なら年に一人二人居るくらいなんだが、この場所は年に十数人もの人間が戻らない事もあった
最近はそんなことは無かったはずなんだ、祠に水難事故で亡くなった人を供養する祭壇があった」
「祠って、ダイキ達といった場所ですよね? じゃあダイキも…」
ユースケも祠の空気の異質さは僅かだがわかっていた。じめじめとした湿気の中に混じる肌を差すような冷気…
今にして思えばダイキを煽ってタカノリが失踪する原因にもなった自分の行動を彼は恥じていた。
「ノブオの夢の中に出てきたのはタカノリ君だけだったと聞く、ダイキ君は分からないが今【海神】に目を付けられたのは
ノブオなんだ。だからあいつの目の前に子供の霊…あのバケモノの憑代が出てきたんだろう」
「【海神】っていうのが、今回の原因ですか?」
「私の曾御祖母が、それを封じる儀式を見たと日記に書いていたらしい
前の戦争での戦死者を供養する為の意味も込めて執り行っていたという。近くで戦艦が沈んで全員助からなかったという記録もある
それに神様って言うのは人間に益を齎すものばかりじゃない、好き好んで害を与えるようなものもいる
由来は分からないが、ここに住みついた【海神】はそう言う類の存在らしい」
彼はユースケに向かって栄養ドリンクとガムを渡した。
「今のうちに休んでおいた方がいい。ノブオの話を聞くに夢の中でも連れていかれる可能性がある
そうしたら祭壇に足を踏み入られた君が次に狙われる可能性がある
伝承でも海に魅入られたかのように消えていく人々が多かったようだ、それと…」
叔父さんはユースケに深々と頭を下げた。大の大人が頭を下げるという事の深刻さが不安をあおった。
「今回の件は済まなかった。私も本家に言われて監視の一環でここに着たんだ
ここ五十年、海での海難事故といえば一人二人出れば多い方だったんだが、こんな事になるなんて…
軽い気持ちで君達を連れてきた事は私の落ち度だ。ダイキ君が封印を説いた責任も私にある」
「そんな…俺のことよりも……」
「今のうちに支度をしなければならない。夜が来る前に…それとノブオ、一つ頼んでいいか?」
「えっ」
「俺が用意した札を窓に張ってくれ。効果のほどはわからんが、そうすれば少なくとも昨日のような事は無いらしい」
「…わかりました」
夜が来る。その事を叔父さんはひどく恐れているようだった。
人間達の昼が終わり、怨念に魅入られた魂持たぬまつろわぬ者達の異界と貸す夜の闇――――
昨日のあれ以上の恐ろしい事が起きるのだろうかと思うと、手の震えが暫く止まらなかった。




