増し増しなのは不可抗力
「え? 領地が……ない?」
「ねえ、クレイン様は何を言っているの?」
「あ、貴方……領地がないって何? どういうことなの!?」
「ま、まさか! まさか!?」
ケイルが、ジュリアが、叔母が、困惑した表情で叔父に詰め寄る。
すると何かに思い当たったのか、血走った瞳でセフィーユへ顔を向けた叔父へ、彼女は無邪気に微笑んでみせた。
「私が叔父様に譲渡したのは爵位とあのお屋敷だけですわ。だって叔父様が父に無断で領地を担保に借金をしたものですから、その返済に領地を売却するしかなかったんですもの。借金が返せず闇金業者へ領地が渡ってしまえば困るのは領民です。購入してくださったサクシード侯爵家は領民もそのまま受け入れてくださったのでとても感謝しましたわ。まさか自分がその侯爵家の人間になるとは、子爵家を譲渡した時に身一つで出て行けと着ている服まで脱がされそうになったあの日には思いもしませんでしたけれど、人生ってどうなるかわかりませんね」
にこやかに話すセフィーユだったが、周囲の貴族は叔父一家のした侯爵夫人への仕打ちに非難の眼差しを向ける。
しかし当の叔父達はそれどころではなかった。
何せ自分達が手に入れたのが子爵の称号と屋敷と邸内にある数点の美術品だけで、あとは莫大な借金だったということが判明したからだ。
しかも、実はその子爵家の屋敷に飾ってある絵画もセフィーユが適当に描き殴ったもので、彫刻は執事が作成したハリボテだ。
子爵家に伝わる名画や彫刻の類は、疾うの昔にあらかた叔父に持ち逃げされて残っていなかった。僅かに残った品々も売却し使用人への退職金に充てたので、どうせ芸術の良し悪しなどわからないだろうと体裁だけ整えてみたのである。
そしてそんなセフィーユの思惑通り、叔父一家は子爵家の変貌に全く気付かなかった。
しかしまさか今の今まで領地がないことに気づかなかったとは思いもしなかった。
一体この一月、何をしていたのだろう? こんな無能な人達に大切な領民を任せなくて本当に良かったとセフィーユは心から呆れ果て隣に立つクレインを見上げると、彼は怒髪天を衝く表情で叔父達を睨んでいた。
「着ている服を脱がされそうになっただと? ……殺ス……」
囁かれた物騒な発言にセフィーユが驚いてクレインの上着の裾をそっと引く。
新妻を見たクレインは表情こそいつもの微笑に戻ったものの、憤怒を灯した新緑の瞳は変わらないまま叔父へ告げた。
「だから先程言いましたよね? 貴殿の嫡男は我が領内で犯罪を犯したので捕縛すると」
クレインの言葉に、ケイルを取り囲んで様子を窺っていた衛兵が一斉に彼を縛り上げる。
悲鳴を上げるケイルの視線がセフィーユを捉えその腕が伸ばされて、セフィーユは身構えた。その時、自分の腰を抱くクレインの手に力が入るのを感じ、セフィーユはケイルを正面から見据える。
「私はケダモノを助ける義理はありませんわ。恥知らずの従兄など、子爵位を譲渡した際に縁を切りました」
冷たく言い切ったセフィーユは、自分でも意地が悪いなと思う笑みを浮かべた。
もう身体は震えていなかった。
セフィーユからの反撃にケイルは自分の母親の方へ手を伸ばそうとした。けれど掴みかからんばかりの勢いで叔父に詰め寄っている叔母は、捕縛されそうな息子へ一瞥もくれていない。
「どうするの!? このドレスも宝石も領地を担保に作ったのに! あの領地がうちのものじゃないって判ったら闇金業者が黙っていないわよ!」
「そうよ! 子爵家の屋敷の絵画は結構いい値がついたけど、もう他に売る物なんてないのよ!? せっかく貴族になったのに、こんな仕打ちあんまりだわ!」
ジュリアの言葉に「あら? 一応売れたのね? 私って絵心ある?」とセフィーユが思っていると隣のクレインがニコニコと微笑んでいる。
機嫌が直って良かったと思いつつも何故か嫌な予感がして眉を寄せると、グッと腰を引き寄せられ額に口づけをされた。
「街娘の格好をした君も愛らしかったが、ドレスを着た君はやはり私の隣に相応しい。それに無能な輩に鉄槌を下すセフィーユも勇ましくて惚れ惚れする。愛しているよ、私のセフィーユ」
きゃあっと若い令嬢から歓声が上がり、嬉しさと恥ずかしさで居た堪れなくなったセフィーユの手を引いたクレインが、黒い笑顔を覗かせる。
「セフィーユのことは何でも知っておきたい。後で虻の話を聞かせてね」
「うっ……自分の性格の悪さを暴露するのは嫌なんですけど」
「大丈夫。どんなセフィーユでも愛してるから」
「私も……どんなクレイン様でも愛しています」
セフィーユの告白に、少しだけ目を見開いたクレインが蕩けるような笑顔を見せる。
その笑顔に再び令嬢達から歓声が上がる中、クレインにエスコートされたセフィーユがホールの中央へ辿り着くと管弦楽の演奏が流れ始める。
踊り出すセフィーユの視界の端では叔父一家が罵り合いを始めていて、優雅にステップを踏むクレインを済まなそうに見上げるとそっと耳元で囁かれた。
「大丈夫。彼らは早々に退場させるように指示してあるから。
ロズベルト子爵はこれから一生返済地獄が待っている。離婚した場合でも負債は折半させるから夫人も逃げられないし、親が返せない場合は当然息子と娘に相続される。尤も息子の方はこれから暫く牢獄生活が待っているけどね。あぁ、うっかり殺してしまわないように気をつけさせないとな……楽に死ぬより生かして罪を償わさせないといけないからね。
私のセフィーユに手を出そうとしたんだ。これくらいは当然だし、今後一切君が彼らと係わることはないから安心して」
ターンを決めながらセフィーユが、そっと視線を動かせば、遠目に叔父一家が衛兵によって連れ出される姿が見える。
子爵家の借金は、爵位と屋敷を売り払って派手な衣装を質に入れ、家族全員で数十年まともに働けば返せる金額だったが、侯爵家に見限られた子爵家など、もうどんな貴族も商人も相手にしてはくれないだろうから、当然きちんとした就職先が見つかるとは考えにくいし、爵位と屋敷の買い手もつかないと思われた。
それに今までは貴族だからと返済を後回しにできた借金も、容赦なく取り立てられるだろう。そうなればクレインの言う通り、叔父一家の迎える未来は地獄でしかない。
セフィーユはここまで手酷く仕返しをするつもりはなかったが、セフィーユの腰を抱いて踊るクレインが大変嬉しそうなので「まあ、いっか」と思うことにし、そう考える自分の性格はやっぱり意地が悪いなと苦笑した。
こうして爵位譲渡から始まったセフィーユの仕返しは幕を閉じる。
夜会の翌日、クレインの書斎に飾られた見覚えのある絵画を発見したセフィーユが卒倒しそうになったことを除けば、当初の計画よりも増し増しで成功したのであった。
子爵家の執事は随分前からクレインと繋がっています。
セフィーユの父がダメ父なので心配したクレインに相談しているうちにツーカーの間柄になってしまいました。セフィーユが秘密にしていた夜這いの話をしたのはうっかりだったので反省していますが、クレインが物凄く怒って叔父一家を断罪したので結果オーライと思っています。子爵家を退職した使用人達もサクシード侯爵家で再雇用されており、それを知ったセフィーユに大変感謝されたクレインの顔は緩み切っていたそうです。
サクッと読める短編のつもりで書いたら思いのほか長くなってしまいましたので連載にしました。最後までご高覧くださり、ありがとうございました。