55.リアン王女の訪問
何をすることは許されるのだろう。
笑うことは許されるのか
食事をすることは許されるのか、
眠ることは、
生きることは?
あの後、混乱したままのグラントを今晩は私が連れて帰りますと先生がハートランドに連れて帰った。目の前に飛散した血があの日を連想させ、いつまでも震えていた私を落ち着かせる為でもあったのだと思う。過敏になった神経を落ち着かせるのとぐっすり眠れるようにと先生が調合してくれた苦い薬を飲み干した。
「大丈夫か?」
「うん、大丈夫。」
「レイは帰らなくても大丈夫なのか?」
「あぁ、今日は仕事が終わってから来たから休みは明日なんだ。いつも仕事が終わるとここに来て、森で眠ってまた翌朝に来ている。」
「今日も森で寝る?」
「そのつもりだけど。」
どうしたの?という眼差しでレイが私を見る。一緒にいたいと言ったら迷惑になるだろうか。あの日から毎日連絡をくれ、今日はこっちにきてからずっと側にいてくれた。レイだって疲れているだろう。夜くらいひとりでゆっくり過ごしたいのではないだろうか。そんな思いから、何でもない、と口にしようと唇を「な」の形に開いた。
「一緒に来る?」
望んでいた言葉がレイの口から発せられ驚いた。その言葉に甘えてしまってもいいのだろうかとレイの表情を伺い見ると優しく微笑まれる。
「・・・うん。」
最近はいつも師匠の部屋で眠っていたので、師匠に今日はレイと一緒にいると伝えに行くと、そうかと微笑まれた。
「森の中で眠るのもいいかもな。森の呼吸はいつも優しいぞ。私はちょっとマリアの元へ行ってくるから、何かあったら呼びなさい。」
師匠の言葉に背中を押され、森の中を二人で歩く。不安を少しでも和らげるかのようにレイが私の手を掴んでくれた。以前レイと一緒に来た水の魔木のある場所に着いた。水の魔木は時季を終え、ひっそりとそこに立っていた。沈黙しているその姿はやがて訪れる時季の為にエネルギーを溜め込んでいるかのようだ。前の時は浮き足立つように水の魔木の美しさを見た。あの時のようにまた気持ちが浮き足立つことなどあるのだろうか。
「この辺でいいかな。あの大きな葉っぱを取ってくるからちょっと待っていて。一人でいられる?」
レイの言葉に頷いた。一人でいられる?なんて聞かれてしまうとはまるで小さな子供みたいだなと思う。それだけ今の私は頼りないということだろう。確かにあの日から体の守る皮膚がなくなって中身がむき出しになったかのように、ひとつひとつの出来事にビクついている自分がいる。このままでいたくない、早く以前の自分に戻りたいと思う反面、戻ることでみんなの死を軽んじているのではないかと、悲しんでいないことになるのではないかという感情が心を支配していた。
レイが大きな葉っぱを抱えて戻ってきた。その葉っぱを半分受け取って一緒に敷いた。
「ウニョウを採りに行った時もこうして森で眠ったよね。遠い昔のことみたいだ。」
レイがそう言いながら私に手を差し伸べる。その手を掴むと、ここに座ってと膝の間に座らされた。レイが腰につけた巾着から出した布に一緒にくるまる。レイと布にくるまれて安心したのか、体から力が抜けてゆくのが分かった。
「レイ、あのさ・・・この間はごめん。リトルマインで話した時に変なこと言った。ずっと謝ろうと思っていたんだ。」
思っていたよりずっと声が掠れてしまった。レイが背後にいるからレイの表情が分からない。でもそれは有り難いことのような気がした。何言ってるの?という表情をされていたら、このあとどう反応を返せばいいのかわからない。そんなことを思っていると、私と同じくらいに掠れた声が返ってきた。
「ライファは謝らなくていい。謝らなければいけないのは私の方だから。」
そう言って私の耳元に顔を寄せた。
「ライファが遠くに行ってしまいそうで・・・妬いた。それであんな酷いことを・・・。ほんと、子供っぽくて嫌になるよな。」
レイが私の肩に顔を伏せる。
ごめん、レイが発した声の振動が肩に伝わった。
「もういいよ。怒ってないし、ずっと仲直りをしたいと思っていた。」
「ありがとう。・・・ねぇ、ライファ。ちゃんと聞いて欲しいんだけど、ライファのスキルが欲しくて側にいて欲しいと思ったことは一度もないから。」
「・・・本当?」
「うん、何を賭けてもいい。」
そしてレイはやっと聴こえるような小さな声で、生きていてくれて良かったと言った。その声が私を守らなくなった皮膚を簡単に通過して胸の奥に静かに下りてくる。その言葉で十分だった。
生きているということ、
側にいるということ、
こうして触れていること、
それがどんなに尊いことなのか。
最も経験したくない出来事によって私はそれを知った。
翌朝の午後は驚くべき人の来訪で魔女の家の雰囲気が一気に変わった。
スージィに導かれて入ってきたのはリアン王女だ。迎えに出てきた師匠が跪いたのを見て、私も慌てて跪いた。
「どうか顔を上げてお立ちになってください。この度は私の我儘を聞いてくださりありがとうございます。どうしてもライファとリベルダ様にお会いしたく、ここまで参りました。」
「私に?」
「えぇ、アレン王子の婚約者としてターザニアの最後を聞きたかったのです。」
愛する人がどんな状況の中で最後を向かえたか知りたいと思うのは当然のことだ。私は覚悟を決めて、はいと答えた。
「このまま立ち話というわけにもいかないだろう。中へ。」
師匠の言葉にリアン王女を始め、その護衛としてきたヴァンスとユーリが続き、そしてもう一人、見覚えのあるキノコ頭が続いた。
「グショウ隊長!!」
私はそのまま駆け出して飛びついた。私の背後にいたベルも嬉しそうにグショウ隊長にすり寄っていった。クオン王子に話を聞いていたとはいえ自分の目で見ると、あぁ生きていたのだという安堵感が広がる。
「隊長!!リュンは?ダンさんは?」
グショウ隊長はその私の質問には答えず、随分甘えん坊になりましたね、と私の涙を拭った。それから師匠に向かって「ターザニア騎士団の隊長をしておりますグショウと申します。私もターザニアの最後をお聞きしたく参りました。」
と言って頭を下げた。
「聞いている。ターザニアではライファが世話になったな。礼を言う。」
師匠はそう答えると皆を案内するためにリビングへと向かった。
「ライファちゃん、無事で良かった。」
ヴァンスが立ち止まって声をかけてくれる。ありがとうございます、とだけ答えた。
「あまりにも辛ければ記憶を消してあげようか?」
ユーリが優しい口調で声をかける。記憶を消して誰も君を責めたりしないよ、と続けたその言葉にナターシャの最後の言葉が重なった。
―私たちのこと忘れてもいいのよー
あんな死の間際まで私のことを考えてくれたのか。その優しさに愕然とした。
ナターシャの笑顔が胸の中に広がって両手で顔を覆ってその場に崩れ落ちる。
「ライファちゃん!」
慌てたようなユーリの声と「ユーリさん、何を!」と咎めるようなレイの声に、違うの、違うの、と声を出す。
「ユーリさんは悪くないの。」
声と泣き声が混じって上手く言葉にならない。小さくパニックを起こしている私の目の前に、ふっと綺麗な顔が現れた。
「リアン王女・・・。」
「リベルダ様、お話の前に少しだけライファと二人で話をさせていただいてもよろしいでしょうか?」
「あぁ、どうぞ。」
私はリアン王女に連れられて庭の隅っこに置かれてあるベンチに座った。
「ほらほら、そんなに泣かないの。」
リアン王女が仕方ないわねというように微笑んで涙を拭ってくれる。その笑顔はユーリスアの王宮パーティーで見たあの笑顔と同じものだ。リアン王女はアレン王子を愛していたはずだ。あのパーティーで見た二人の姿はお互いを想い合っているということが仕草にも言葉にも現れていた。そんなアレン王子を失ってもなお、リアン王女の笑顔はあの頃と何の変わりもないように思えた。
「リアン王女はなんでそんな風に笑うことが出来るのですか?」
「そうねぇ、いくつも理由はあるけど一番はアレンが好きになってくれた私を失いたくないから、かしら。」
リアン王女はそう言ってふふふ、と笑った。
「アレンったら、私が怒るとすごく慌てるのよ。ワタワタしながら僕は君の笑顔が一番好きだなって言うんだから。」
リアン王女はそのあと寂しそうな顔をした。
「そんなんだから、アレンと喧嘩しても怒りが長続きしなくって。結局私が先に謝っちゃう。本当に、あの言葉には弱っちゃうわよね・・・。」
テンがふっと現れてお茶を持ってきた。師匠が淹れてくれたのだろう。上品な花の香りがするそのお茶をありがとう、と受け取る。リアン王女に微笑まれて、テンは恥ずかしそうに顔を赤らめるとまた消えていった。
「私とアレンはね、本当は政略結婚なのよ。」
その言葉に驚いてリアン王女の顔を見た。
「意外だった?でも、お互いに好きになったのは本当よ。ターザニアはね、年々、王族の魔力が低下していたの。ターザニアの国王が7、第一王子もアレンも7だったわ。だから、魔力の高い女性を欲したのよ。本当は私、第一王子の元へ嫁ぐはずだったのだけど、アレンがいいって駄々捏ねちゃった。」
当時を思い出したのか、うふふ、とリアン王女が笑った。
「私、これでも魔力が9あるの。だから、私を逃したくないと思ったターザニアの国王がアレンでもいいと認めて下さったの。ターザニアの国王にとって魔力は最も優先する事柄だったのね。・・・私はこの魔力で、ターザニアを、アレンを守るはずだったのよ。」
そう言って視線を落としたリアン王女の姿は、グラントのような激しさはなくとも体の大半を失ってしまったかのような悲しみに満ちたものだった。
「リアン王女・・・。」
「ねぇ、ライファ、私たち生きているのよ。食事をとって、ぐっすり眠って、笑ってもいいの。だって私やライファを好きになってくれた人たちが、泣いて笑わない日々を送る私たちを喜んでくれると思う?」
私は静かに首を振った。真っ直ぐなキヨも、愛情深いガロンも、忘れてもいいと言ってくれたナターシャも、みんなみんなそんなことは望まないだろう。
リアン王女は真っ直ぐに前を向いた。
「アレンと過ごした日々が今の私を作る大きな要素になっているの。だから私は生きていく。私の中のアレンまで死なせやしない。」
リアン王女はそう言ってまた笑った。
次回は【魔女という者】です。




