【404】次の狩人
イースト区、監視拠点。
地下の狭小な部屋は、電子機器が放つ排熱とモニターの光に満たされていた。
壁を埋め尽くす画面には監視カメラの映像、データベースのログ、暗号化された通信記録が滝のように流れ落ちる。
情報の濁流が、部屋の空気を重く澱ませていた。
中央のデスクで、リサは瞬きもせずに光の奔流を見つめていた。
後ろで束ねた黒髪と神経質そうな鋭い眼光。
情報分析官として十年、膨大なデータから人間の「痕跡」を拾い集めてきた女だ。
今、彼女の網膜には404号室に関する断片が無数に映り込んでいる。
目撃情報、闇市の購入記録、路地裏のカメラ映像。
一見無秩序なノイズの山。
だがリサの脳内では、それらが一本の糸で繋がり始めていた。
「マーク」
彼女は視線を画面から外さずに、隣の席へ声を投げた。
パーカーのフードを目深に被った痩身の男、マークが椅子を回す。企業に雇われた元ハッカーだ。
「釣れそうですか?」
「404号室の行動履歴、過去二週間分を重ねたわ」
リサがキーを叩くと、サウス区の地図上に赤い光点が散らばり、やがて無機質な線となって浮かび上がった。
「3日から5日の周期で同エリアに出現している。目的は物資の調達」
「食料、薬品、日用雑貨……ふうん。伝説の始末屋も人間ってことですか」
「ええ。でも、それだけじゃない」
リサは別のウィンドウを弾き出した。匿名化された決済データと店舗の商品リスト。
「彼女は特定の工具を買い集めている。ロープ、ワイヤー、絶縁テープ。おそらく、始末に使う備品ね」
マークの表情が引き締まる。
リサはデータを絞り込み、最終的な予測地点を地図上に固定した。
赤く点滅するアイコンは、サウス区の一角にある巨大なホームセンターを示している。
「ホームセンター『ジャンクヤード』。サウス区で最も品揃えが良く、最も監視が緩い店」
「……そこに彼女が現れる確率は?」
「8割強。日時は明日の夕方、午後六時前後」
マークは口笛を吹こうとして、リサの冷徹な視線に気づき飲み込んだ。
「在庫データと照合したわ。彼女が必要とするアイテムの在庫が入荷している。合理的に考えれば、必ずここに来る」
リサは通信パネルを開く。
実行部隊である『ペアA』、ヴァンとカイルへの回線だ。
「二人に座標を送る。配置につかせて」
「ええ、了解です」
送信完了の文字を確認し、リサは椅子の背に深く体を預けた。
張り詰めていた糸が、わずかに緩む。
「明日で終わらせるわ」
「……しかし、グリフィンは一流でした。ヴァンとカイルもそうですが、本当に捕まえられますか?」
不安げなマークの問いに、リサは淡々と返す。
「グリフィンは慢心して、単独で挑んで死んだ。今回は二人。それに、完全な包囲網を敷く」
画面に『ジャンクヤード』の立体図面が表示される。三階建ての広大な売り場。
「出入り口は正面と搬入用の裏口のみ。二人がそれぞれを押さえ、袋小路に追い込む」
「物理的な包囲は完璧ですね。ただ……一つ懸念が」
マークは自分のコンソールを操作し、あるハッカーの痕跡を表示させた。
断片的だが、確かにそこに存在する――『ショウ』という名のハッカーの影。
「404号室には協力者がいます。例のハッカー……『ショウ』です」
「あなたがかなり追っていた相手ね」
「腹が立ちますが、腕は確かです。明日も必ず介入して、彼女を逃がそうとするはずだ」
マークは自らの義手を眺めた。
青色の義眼が、演算処理に合わせて明滅する。
「対策は?」
「僕がカウンターを仕掛けます。奴の介入を逆探知し、黙らせる」
マークの指が激しくキーボードを叩き、複雑なコードを記述していく。
「10分間、ショウの介入を妨げます。それだけあれば、ヴァンたちが仕事を済ませるでしょう」
「いいわ。電子戦はあなたに任せる」
再び、タイプ音だけが部屋を支配した。
青白い光に照らされた二人の顔には、獲物を追い詰める狩人の色が浮かんでいた。
明日、罠は作動する。
■
サウス区、廃ビル屋上。
翌日の午後五時。
標的であるホームセンター『ジャンクヤード』から300メートル離れた高所。
風に運ばれてくる鉄錆とガスの匂い。
ヴァンは手すりに体重を預け、紫煙をくゆらせていた。
32歳、全身に刻まれた無数の古傷。
四肢を置換した黒いチタン合金の義肢が、重厚な存在感を放っている。
その瞳は常に血に飢え、苛立ちを孕んでいた。
煙を吐き出し、ヴァンは舌打ちをする。
「待つのは嫌いだ。性に合わねえ」
「…………」
隣に立ちそれを聞くカイルは、石像のように動かなかった。
38歳、中肉中背、特徴のない顔。
群衆に紛れれば誰も記憶に留めない、「透明な男」。
元傭兵として、その匿名性を武器に多くの命を奪ってきた。
「あと1時間だ。消耗するなよ」
ヴァンは吸い殻を弾き飛ばし、軍用ブーツで踏み潰した。
「消耗じゃねえよ。ウズウズしてんだ。早く壊してえんだよ!」
両腕を伸ばし、関節を鳴らす。
サイバネティック義肢特有の、油圧とサーボモーターが唸る音が響く。
「グリフィンの間抜けが死んだって聞いた時は笑ったぜ。遠距離専門の臆病者が、無理に近づくからそうなる」
「だから俺たちは二人で動く。単独では分が悪い相手だ」
「買い被りすぎだろ。俺一人で足りる!」
カイルは冷ややかな視線を横に向けた。
「……過信するな。404号室は、お前の想像を超えている」
「超えてようが関係ねえよ。所詮はガキだ。女子供なんざ、力でねじ伏せればそれで終わる。だろ?」
ヴァンの口元が歪み、下卑た笑みが張り付く。
「ただ、今回は『生け捕り』だろ。殺しちゃいけねえのが面倒だ」
「死体なら報酬は半額だ。クライアントは生きたサンプルを欲しがっている」
「ああ、わかってる。殺しはしない。……だが」
義手の指が、空を掴むように動く。金属の摩擦音が神経を逆撫でする。
「捕まえる過程で、手足の二、三本が砕けるくらいは『事故』だよな?」
「……」
「それに、ガキとはいえ女だ。納品する前に、少しばかり『遊んで』やってもいいんじゃねえか?」
カイルの声が温度を失った。
「……よせ。ヴァイスに報告するぞ」
「堅いこと言うなよ。バレなきゃいいじゃねえか。お前も見なかったことにしてくれるだろ?」
カイルは小さく息を吐いた。
ヴァンの悪癖は知っている。標的を捕獲した後の暴行、破壊衝動。
企業の掃除屋として、成果さえ上げれば黙認されてきた暗部だ。
もっとも、カイルとて人のことは言えない。
倫理などどうでもいい。興味があるのは報酬額だけだ。
「好きにしろ。ただし、仕事が終わってからだ。手負いの獣ほど噛みつくものだからな」
「了解だ、相棒」
ヴァンは満足げに鼻を鳴らし、新しい煙草に火をつけた。
「市長様が血眼になって探してるガキか。どんな悲鳴を上げるのか、楽しみだぜ」
カイルは無視して端末を取り出し、リサからの信号を確認する。
「来店確率は変わらず80%。5時45分に定位置へ移動する」
「俺が正面、お前が裏口を封鎖だったな?」
「そうだ。標的が店内に入った瞬間、通信を入れる。同時に突入し、逃げ場を塞ぐ」
ヴァンは紫煙の向こう、巨大なホームセンターを睨みつけた。
「聞けば聞くほど、単純なプランだ」
「油断するな」
「へっ、わかってるよ」
ヴァンは拳を握りしめた。
この鋼鉄の腕で、これまで何人の骨を砕いてきたか。
今日、そのリストにもう一行が加わる。
殺しはしない。だが、原型を留めておく必要もない。
獣のような愉悦がヴァンの瞳の奥で燃え上がった。
カイルが時計を見る。
「時間だ。行くぞ」
二つの影が屋上を離れ、階段の闇へと消えていく。
鉄靴の音が、廃ビルの空洞に冷たく反響していた。
■
サウス区、巨大ホームセンター『ジャンクヤード』。
午後5時50分。
カーバンクルは自動ドアを抜け、淀んだ空気の中へと足を踏み入れた。
鼻腔を刺すのは酸化した油と安っぽいポリマー、そして埃の臭い。
寿命の尽きかけた蛍光灯が不規則に瞬き、広大な売り場に影を落としている。
高く積み上げられた商品棚は迷路のように視界を遮り、この空間を巨大な倉庫に変えていた。
人の気配は希薄だった。
汚れた作業着の労働者が数名、死んだ魚のような目で棚を眺めているだけだ。
店員もいない。
あるのは無機質な光を放つ自動精算機と、巡回する清掃ドローンのみ。
カーバンクルは白いパーカーのフードを深く被り、視線を伏せて歩き出した。
左耳のインカムから、ショウの声が微かに響く。
『入ったか。今日の買い物リストは?』
彼女は唇を動かさずに囁く。
「食べ物と靴」
『靴? 珍しいな。お洒落に目覚めたか?』
カーバンクルは足元へ視線を落とした。
使い古したコンバットブーツは爪先が擦り切れ、ソールが薄くなっている。
「限界が来た。グリップが効かない」
ショウが呆れたように笑う。
『そりゃそうだ。お前の動きに耐えられる靴なんて、軍用品くらいだろ。激しく動いたり蹴ったりしすぎなんだよ』
カーバンクルは案内板を一瞥した。
一階は資材と工具、二階は生活用品、三階は薬品類。
「二階かな……」
停止したままのエスカレーターを無視し、階段を上る。
薄暗い踊り場を抜け、二階のフロアへ。
そこにはサウス区の住人に相応しい、粗悪だが安価な品々が山積みにされていた。
『食べ物ってのは? またあの不味そうなバーか?』
「アレは栄養効率がいいから」
『たまには味覚を刺激しないと、脳が腐るぞ』
「……口うるさい……」
靴売り場の棚には、合成皮革のブーツやスニーカーが無造作に並べられている。
彼女はその中から、耐久性重視の黒いブーツを手に取った。
値札は350クレジット。予算の範囲内だ。
「これにする」
『即決だな』
ブーツを脇に抱え、彼女は食料品エリアへ向かった。
棚の最下段、埃をかぶった場所に並ぶ高カロリー栄養バー。
そしてピンクや青色の、ドギツイ色の合成着色料の入ったエナジードリンク。
バーを五本、ドリンクを三本。
味などどうでもいい。必要なのは栄養素とカロリーだけだ。
「よし、確保した」
『おいおい、本当にそれだけで――ザザッ』
唐突に、鼓膜を劈くようなノイズが走った。
「――?」
カーバンクルは顔をしかめ、反射的に耳を押さえた。
金属同士を擦り合わせたような金切り音。
それは数秒間脳髄を揺さぶり、プツリと途絶えた。
――静寂。
それから売り場の環境音だけが残された。
「ショウ?」
応答はない。ホワイトノイズさえ聞こえない完全な沈黙だ。
「ショウ、状況は」
返事はない。通信が物理的に遮断されているようだ。
カーバンクルは足を止めた。
周囲の客は変わらず商品を物色している。
ドローンの駆動音もいつも通りだ。表向きは何も変わっていない。
だが、彼女の皮膚感覚が警鐘を鳴らしていた。
空気が変質している。ねっとりとした殺意が、この空間に充満し始めていた。
――罠だ。
彼女は商品を抱えたまま、音もなく後退した。
最短の脱出ルートを検索する。
裏口まで50メートル。階段を駆け下りて一階を抜ければ、路地裏に出られる。
気配を殺し、階段へと向かう。
踊り場へ差し掛かろうとした、その時。
前方の闇から、ひとつの巨大な影が滲み出た。
階段の入り口を塞ぐように男が立っている。
膨れ上がった筋肉と、鈍く光る黒いチタン合金の義手。
その顔には獲物を見つけた獣の、獰猛で下卑た笑みが張り付いている。
それはチームA、ヴァンだった。
男はカーバンクルを見据えると、大げさに両手を広げてみせる。
「よう、404号室。待ちくたびれたぜ」
ピンチか……!? ホントに?




