【断罪】モンスター・パニック!
「撃て!」
ヴァルトハイムの声がホールに響き渡った、その刹那――
――カーバンクルが、指を鳴らした。
パチン。
ごく小さな音。
だがその音に呼応するかのように、施設全体の照明が一斉に落ちた。
「なっ……!?」
視界を奪う完全な暗闇に、私兵たちの間に動揺が走る。
一斉射撃は放たれることはなかった。引き金を引くその寸前で照明が消え、兵士たちの判断力を奪ったのだ。
「撃つな! 目標消失! サーマルスコープに切り替えろ!」
「どこへ消えた!?」
私兵たちが叫ぶ。
バックアップ電源が起動するまでのわずか数秒。その数秒の暗闇は、彼らにとって致命傷となる。
闇の中、鋭く空気を切り裂く音が響く。
次の瞬間――最後列にいたバルコニーの兵士が、首の骨が折れる鈍い音と共に手すりを乗り越えて落下した。
「ぐあっ!」
床に叩きつけられる重い音。
「後方! バルコニー三階、左翼! 誰かがダメージを……」
別の男が叫び、その方向に向けて牽制射撃を行う。
だが、カーバンクルは既にそこにいない。
再び、風を切る音。
今度は反対側のバルコニーで、兵士が呻き声を上げて崩れ落ちた。
「くそっ……見えない! どこから来る!?」
統制を失った私兵たちは、恐慌に駆られて闇雲に発砲し始める。
銃弾が壁や床に跳弾し、ホールは死の跳弾で満たされた。
「撃つな! 撃つなと言っているだろう、味方に当たる!」
その時、バックアップ電源が起動。
薄暗い赤色の非常灯が、地獄のような光景を照らし出した。
わずか数秒の間に、五人の兵士が床に倒れている。全員急所を的確に打たれ、あるいは味方の弾丸によって戦闘不能に陥っていた。
「……化け物が」
一人が慄然と呟いた。
その時――カーバンクルの姿が、二階バルコニーの手すりの上に音もなく現れた。
赤い瞳が幾何学模様に変化し、残った兵士たちの位置と装備を瞬時にスキャンしている。
「そこだ! 撃ち殺せ!」
近くにいた三人の兵士が一斉に銃口を向ける。
だが、カーバンクルは既に動いていた。
手すりを蹴り、空中で身を翻して別のバルコニーに着地する。その動きは、重力を無視したかのように滑らかだった。
着地と同時に、最も近くにいた兵士の懐に電光石火で潜り込む。
「なっ!」
兵士が銃を向けようとするが――遅い。
カーバンクルの掌底が、男のボディアーマーの隙間、鳩尾を正確に打ち抜く。
(浸透勁。防具の上から衝撃を浸透させる拳法)
「がふっ……」
男は内臓を損傷し、吐血。その場に崩れ落ちた。
「貴様ああああ!」
もう一人の兵士が、銃を捨ててコンバットナイフを抜きカーバンクルの首筋を狙う。
だが、カーバンクルはその動きを完全に予測していた。
最小限の動きで刃を躱し、カウンターで男の腕を掴むと、その関節をありえない方向へ捻じ曲げた。
メキリ、と骨が砕ける音。
「ぐあああっ!」
男が悲鳴を上げる間もなく、カーバンクルの膝がその顎を蹴り上げた。
男は白目を剥いて意識を失う。……これで七人目だ。
「なんだ、あの動きは……!」
別のバルコニーから、リーダー格の男が叫んだ。
「軍隊格闘術か!? いや、違う……アレはデータにない動きだ……!」
リーダーの予測は空振る。それも当然だった。
カーバンクルの戦闘スタイルは、特定の流派に属しているわけではない。
軍隊式の効率的な制圧術、古武術の静かな体捌き、ストリートファイトの予測不能な動き。
膨大な戦闘データを元に、その場の状況に応じて最適化された戦闘術。
一秒ごとに異なる分野の達人が顔を見せるその動きに、解析も対処も不可能だった。
「撃て! 動きを止めるな!」
残った兵士たちは必死に弾幕を張るが、カーバンクルは常に動き続けていた。
柱の影、壁、手すり。あらゆるものを利用し、弾道を予測してミリ単位で回避していく。
そして反撃の隙を見つけては、着実に兵士たちを無力化していく。
一瞬の交錯で、さらに三人が沈黙した。
兵士たちの間に、生物としての本能的な恐怖が伝染し始める。
「こんなもの、相手にできるか……!」
「人間じゃねえ……!」
その時、カーバンクルはホールの天井から吊り下げられた、巨大な旧式のシャンデリアに飛び移った。
鎖が軋み、シャンデリアが大きく揺れる。
彼女はそこから、三つの階層に散らばる残りの兵士たちを見下ろした。
赤い瞳が、残りの敵をカウントする。
(――二十人。まだ、三分の二が残ってるね)
しかし、彼女の表情に疲労の色は微塵もなかった。
むしろその口元には、かすかな笑みさえ浮かんでいるように見えた。
(……おもしろい)
「総員、散開するな! フォーメーションを再構築しろ!」
リーダー格の男が必死に叫ぶ。
「アルファ、ブラボー、チャーリーの三部隊に分かれ、立体的なクロスファイアで対象を完全に包囲する!」
「……! はっ!」
訓練された兵士たちは、恐怖を理性で抑え込み迅速に隊列を組み直した。
三つのグループが、それぞれ異なる角度からカーバンクルを射線に捉える。
「撃て!」
一斉射撃。
弾丸の嵐がシャンデリアに降り注ぎ、ガラスの破片を撒き散らす。
だがカーバンクルは発砲と同時に鎖から手を離し、落下していた。
空中で身を捻り、猫のようにしなやかに一階の床に着地する。
そして――彼女は走り出した。
壁を垂直に駆け上がり、最も近いブラボー隊の側面へと跳躍する。
「来るぞ!」
兵士たちが銃口を向けるが、カーバンクルは真正面からは突っ込まない。
壁際を走り、重力を無視した動きで部隊の死角に回り込む。
「右側面ッ!」
一人が振り向きざまに発砲するが、やはり、遅い。
カーバンクルの回し蹴りがその兵士のヘルメットを砕き、意識を刈り取った。
(今のはなんだっけ……ムエタイとカポエイラの複合技だったかな……?)
隣の男が至近距離から銃を向ける。
回避不能な距離。
だがカーバンクルは男の腕を掴み、その銃口を強引に別の方向へ向けさせた。
「なっ!? は、離……っ」
発砲。
「がっ! ぐあああああっ……!」
銃弾は、狙いを定めていた味方の兵士の肩を撃ち抜いた。
カーバンクルは銃を持つ男の手首を砕き、その銃で男の顎を打ち抜いて沈黙させる。
「ぐふっ……! ご……」
その勢いのまま、奪ったライフルをブーメランのように回転させて投げつけた。
それは別のバルコニーにいた兵士の顔面に正確に命中し、鈍い音を立てて意識を奪った。
「げやぁっ!!」
わずか数秒でブラボー隊は半壊。
カーバンクルは再び動いた。バルコニーからバルコニーへ、アクロバティックに跳躍しながら敵を確実に制圧していく。
その動きは予測不能で、兵士たちは混乱し、同士討ち寸前にまで陥っていた。
「落ち着け! 落ち着けええっ!」
リーダーの声が、恐怖に震えている。
次の瞬間、カーバンクルはアルファ隊の三人の兵士の目の前に着地した。
「う、あ……うおおおおおおおっ!!」
三人は完璧な連携で同時に襲いかかる。正面から拳、左右からナイフ。
だがカーバンクルの赤い瞳には、その全ての攻撃軌道が見えていた。
正面の男の拳を掴み、それを左からのナイフに対する盾にする。
左の男は咄嗟に攻撃を止められない。ナイフは味方の腕に突き刺さった。
「ぎゃあああああっ!!」
「うわっ! す、すまん!」
二人が怯んだ一瞬の隙に、カーバンクルは右の男の懐に潜り込み、そのナイフを持つ腕を掴んで投げ飛ばす。
「おうッ……ああああああああ!!」
男は手すりを越え、一階の床に叩きつけられた。
残る二人が体勢を立て直す前に、カーバンクルは一人の足を払い、もう一人の喉に的確な肘を叩き込む。
(さて……これで、19人)
ホールに静寂が訪れる。
カーバンクルの周囲には、倒れた兵士たちの体が転がっていた。
残った11人の兵士たちは、完全に戦意を喪失していた。
銃を構えてはいるが、その手は恐怖に震え、引き金を引くことさえできない。
目の前にいるのは、子供の姿をした理解不能な「死」そのものだった。
「ひ、退け! 撤退だ! 防衛ラインまで後退しろ!」
リーダーが叫ぶ。
兵士たちはその命令に、蜘蛛の子を散らすように逃げ出していく。
ヴァルトハイムもまた、不満げにリーダーに連れられて奥へと引っ込んでいく。
カーバンクルは彼らを追わなかった。
ただその場に立ち、兵士たちが逃げていくのを静かに見つめている。
やがて、ホールには倒れた兵士たちの呻き声だけが響くようになった。
床に転がる19人の兵士たち。命に別状はないが、戦闘能力は完全に奪われていた。
カーバンクルは、ゆっくりと深呼吸をした。
幾何学模様に変化していた赤い瞳が、元の穏やかな光に戻る。
「悪くない運動だった」
彼女は呟いた。
そして、ヴァルトハイムが逃げたであろう方角を見つめる。
本当の恐怖はここからだ。
■
施設の奥、三階の廊下。
ヴァルトハイムは残った兵士たちに囲まれながら後退していた。
その顔の余裕の笑みは完全に消え去っている。
「おい! 何をやっているんだ、貴様らは〜!」
彼の甲高い声が、怒りと恐怖に震えている。
「三十人の強化兵がいて、たった一人の子供に蹂躙されるとは〜……!」
「も、申し訳ございません……!」
リーダー格の男が、血の気の引いた顔で頭を下げる。
「ですがあれは……我々の知る『人間』ではありません」
「言い訳は聞きたくない!」
ヴァルトハイムは男の顔を、ヒステリックに平手で打った。乾いた音が廊下に響く。
「貴様らは私のクレジットを受け取っているだろうが〜! 勝つ以外の依頼などしていない〜!」
「……っ」
「役立たずめ! 全員スクラップにしてやろうか……!」
ヴァルトハイムは忌々しげに舌打ちをした。
ホールでの戦闘で19人が戦闘不能となり、残りは11人。
彼らはヴァルトハイムを守りながら、この第三階層まで撤退してきた。
「とにかく、私を地下のセーフルームまで護衛しろ。一秒でも早くだ〜!」
「はっ!」
残った11人の兵士たちは、ヴァルトハイムを中央に据えた密集隊形を組み直し廊下へと進んだ。
薄暗い非常灯だけが、彼らの道を照らしている。
静寂の中、ブーツの音だけが不気味に響いていた。
その時――彼らが通り過ぎた区画の照明がふっと消えた。
「……何だ?」
兵士の一人が呟く。
「バックアップ電源の不調か……?」
「いや……違う」
リーダーが周囲を警戒し、ハンドサインで全隊員に警告する。
「来るぞ……気を引き締めろ……!」
その言葉が終わるか終わらないかのうち。
隊列の最後尾を歩いていた兵士の足元から影のような手が伸び、その体を音もなく床下のメンテナンスハッチへと引きずり込んだ。
「ッ!!!」
異変に気づいた兵士たちが振り返る。
だがそこには誰もいなかった。仲間が一人、忽然と消えただけだ。
「どこだ!? ジェイクはどこへ消えた!」
床には、わずかに引きずられた血の痕跡が、暗いハッチの奥へと続いている。
「くそっ……!」
一人が強力なフラッシュライトを取り出し、暗闇を照らした。
廊下の奥。そこに、先ほど消えた兵士が倒れていた。
意識はないが、まだ息はあるようだ。
だが、カーバンクルの姿はどこにもない。
「早く行くぞ! 立ち止まるな〜!」
ヴァルトハイムが金切り声を上げる。
兵士たちは再び前進を開始した。今度は、背中合わせになるほどの密集隊形で。
角を曲がる。
そこには、地下へと続く螺旋階段があった。
「エレベーターが動かないとは……だがあそこを降りれば……!」
リーダーが呟いた、その瞬間。
天井の通気口のカバーが外れ、そこからカーバンクルが降ってきた。
「! 接敵!!」
彼女は先頭を歩いていた兵士の肩を踏み台にし、その勢いのまま後ろの兵士の首に腕を回して絞め落とす。
「ぐっ……がっ!」
二人の兵士が、抵抗する間もなく意識を失った。
「撃て!」
他の兵士たちが銃を向ける。
だがカーバンクルは倒した兵士を盾にしながら、既に階段の影へと消えていた。
「どこだ! どこにいる!」
フラッシュライトの光が、闇を狂ったように照らし出す。
だがカーバンクルの姿は見えない。
暗闇の中で頼るサーマルスコープも、密集隊形が仇となって辺り一面が赤い。機能していなかった。
そのとき突然、右側の扉がわずかに開き、そこからワイヤーが射出された。
一人の兵士の足に絡みつき、彼を部屋の中に引きずり込む。
「うわっ! うわああああああっ!?」
短い悲鳴。そして、肉を打つ鈍い音。……それきりだった。
「くそっ! 援護に……!」
「待て、罠だ! 分断されるぞ!」
「ですが……!」
「もう手遅れだ! 前進しろ! 階段まであと少しだ!」
リーダーは歯噛みした。
彼らは階段に向かって駆け出した。
だが階段の手前で、さらに二人がトラップにかかり消えていく。
足元の床板が抜ける即席のトラップだ。下の階へと落下した男たちの悲鳴と、骨が折れる鈍い音が響き渡る。
「ぐあああああぁ……!!」
「化け物め……!」
残った兵士たちは恐怖に顔を引きつらせながら、階段を駆け下りていく。
ヴァルトハイムも、スーツが汚れるのも構わずに必死に続いた。
「早く! 早くセーフルームへ……!」
地下一階。
狭く、湿ったメンテナンス通路。
配管が剥き出しになり、水滴が不気味に滴り落ちている。
その時。
天井の太いパイプの固定具が外れ、一人の頭上に落下した。
「ぐあっ!」
男はヘルメットごと頭を砕かれ、その場に倒れる。
「くそっ、罠だらけじゃないか〜……!」
「いえ。あの固定具は奴が今、この場で外したんだ……この近くにいるはずです……!」
全員が背中を合わせ、周囲を見回す。
……だが、カーバンクルの気配はない。
まるで影のように、壁に、天井に、闇に溶け込んでいるかのようだ。
「こいつは〜〜……私たちを弄んでいるのか!? 小癪なガキめ……!」
ヴァルトハイムが叫んだ。
「ふざけるな〜! 私を誰だと思っている〜……!」
その声に反応したかのように――
通路の奥から、小さな金属片が転がってきた。
兵士たちは一斉にそちらを向き、銃を構える。
だがそれは陽動だった。
背後の闇から、カーバンクルが音もなく現れた。
「!?」
「ぐッ」
最後尾の二人を、同時に無力化する。
一人の首に手刀を、もう一人の膝裏に関節蹴りを。二人は声も上げられずに崩れ落ちた。
「後ろだ!」
残ったリーダーと二人の兵士が振り向く。
だが、カーバンクルの姿は再び闇に消えていた。
捉えられない捕食者。何故か施設構造まで熟知したトラップの数々。
彼らは完全にパニックに陥っていた。
「どうする……どうすればいいんだ……!」
「落ち着け! まだ3人いる、連携すれば……!」
リーダーの言葉は途切れた。
彼の足元に、黒い球体が転がってきたからだ。
閃光手榴弾。
「なっ」
「伏せろ!」
叫びと同時に――強烈な光と、鼓膜を破るほどの衝撃音が炸裂した。
――――。
兵士たちは視覚と聴覚を完全に奪われ、その場に崩れ落ちる。
暗闇と静寂が戻った後、カーバンクルがゆっくりと姿を現した。
倒れた三人の急所を正確に打ち、完全に意識を奪う。
これで全員だ。
残ったのは、ヴァルトハイムただ一人。
彼は壁に背を押し付け、腰を抜かしたように震えながら周囲を見回していた。
「ど、どこだ……どこにいる……!」
静寂。
ヴァルトハイムの荒い呼吸だけが、通路に響いている。
その時――目の前の闇が揺らぎ、カーバンクルがすっと姿を現した。
まるで最初からそこに立っていたかのように。
赤い瞳が、ヴァルトハイムを静かに見下ろす。
「っ……!」
ヴァルトハイムは短い悲鳴を上げ、後ずさろうとした。
だが、背中は既に冷たいコンクリートの壁。
逃げ場は、どこにもなかった。
「ま、待て……話せば、話せばわかる」
彼の声は完全に恐怖に上ずっていた。
あの傲岸不遜な態度は、もうどこにもなかった。
「……なぁんてね〜」
「!?」
「この程度のこと、想定しなかったと思うかい? エデンを丸ごと潰した相手を呼び寄せるんだ。策ならまだまだあるさ〜……!」
「……まったく、しぶといな。今度は何をするつもり?」
カーバンクルは呆れたように武器を取り出した。
兵士から奪ったハンドガン。それを向けられながらも、ヴァルトハイムは笑っていた……。
カーバンクルさん鬼つえぇ! このまま逆らうやつ全員ぶっ殺していこうぜ!!




