表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
39/134

【依頼人】平和は崩れるもの

 イースト区、中級居住ブロック。

 ドーム天井の人工太陽が夕暮れモードに移行し、調整されたオレンジ色の光が気密窓から差し込んでいた。


 ヨハンソン家のダイニングテーブルには、四人分の食事が並んでいる。


 3Dプリントされた培養肉のステーキ、閉鎖型プラントで栽培された野菜サラダ、合成タンパク質のスープ。

 イースト区の中級家庭としては、栄養バランスの取れた上等な食卓だった。


「いただきます!」


 五歳のオスカーが元気よく手を合わせた。

 向かいに座る八歳の姉リーナが、その無邪気な仕草に微笑む。


「オスカー、パパが席に着くまで待つのよ」


 母親のアンナ・ヨハンソンが優しく諭した。

 三十二歳の彼女は医療技師として、イースト区のクリニックに勤務している。衛生コートを脱いだ今は、ただの優しい母親だった。


「はーい」


 オスカーは素直に頷いた。

 父親のエリック・ヨハンソンが、仕事用の携帯端末をテーブルの端に置きながら席に着く。


 三十四歳のエンジニアである彼は、この区画の環境制御システムの保守を担っていた。


「今日も疲れた……」


 エリックが呟くと、アンナが心配そうに見つめる。


「大丈夫? 最近、過重労働が続いているわね」

「ああ、セクター7の生命維持ラインが老朽化していてね。旧世代の規格だからもう代替パーツもない……けど、君たちの顔を見れば疲れも吹き飛ぶさ」


 エリックは妻に微笑みかけた。

 そして、娘と息子の顔を見る。二人とも、この管理社会の中では奇跡なくらい健康で明るい。


「よし、みんな揃ったな。いただきます」

「「いただきます!」」


 四人の声が重なり、夕食が始まった。


 フォークとナイフがセラミックの皿に当たる音。子供たちの屈託のない笑い声。

 何気ない会話が、フィルターで濾過された空気で満たされた部屋を暖めていく。


「ねえパパ、今日ね、学校のダイブ学習で古い記録を見たの」


 リーナが興奮した様子で話し始めた。


「ほう、どんな記録だ?」

「アーカイブにある『旧世界』の環境データよ。ネオ・アルカディアができるずっと前の地球。……『海』っていう、どこまでも水が広がっている場所とか、『森』っていう緑の植物が空を覆う場所とか……すごく綺麗だった」

「そうか。リーナは将来、環境構築デザイナーにでもなるのか?」


 エリックが娘の頭を撫でる。


「うん! パパみたいに、この都市を守る仕事がしたいな」

「立派な志だな」


 エリックの胸に、温かいものが広がった。

 自分の仕事が、娘の希望に繋がっている。これ以上の幸福があるだろうか。


「ぼくもぼくも!」


 オスカーが勢いよく手を挙げた。


「オスカーは何になりたいの?」


 アンナが優しく尋ねる。


「えっとね……大きいロボットを作る人!」

「サイバネティクス技師か。パパと同じだな」

「うん! パパみたいにかっこよくなりたい!」


 オスカーの無垢な笑顔に、エリックは目を細めた。


「なら、しっかり基礎を勉強しないとな」

「はーい!」


 食事が進む中、アンナが夫の手に自分の手を重ねた。


「あなた、いつもありがとう」

「何がだ?」

「私たちの未来のために、頑張ってくれて」


 アンナの目には、深い愛情が宿っていた。


「君と子供たちがいるから、俺は頑張れるんだ」


 エリックは妻の手を強く握り返した。

 二人の子供は、両親の様子を見て顔を見合わせ、クスクスと笑っている。


 ネオ・アルカディアという閉鎖都市の中で、彼らはささやかな幸福を築いていた。


 決して裕福ではない。セントラル区の特権階級のような贅沢は望めない。

 それでも、家族がいて、笑顔があって、明日への希望がある。


(これ以上、何を望むというのだろう)


 食事が終わると、エリックはリーナの学習プログラムを手伝い始めた。


「パパ、この計算が解けない……」


 リーナが端末のスクリーンを指差す。

 そこには、複雑な制御用数式が表示されていた。


「ああ、これは軌道計算の応用だな。まず、この変数を再定義して……」


 エリックが丁寧に解説していく。

 リーナは真剣な表情で、父親の言葉に耳を傾けていた。


 その間、アンナはオスカーに電子絵本を読み聞かせていた。


「むかしむかし、このドームが天を覆う前、世界はどこまでも続いていました……」


 旧世界の物語を記録したデータ。

 まだ人類が汚染されていない大地の上で暮らしていた頃の話だ。


「ママ、『そと』って本当にあったの?」


 オスカーが不思議そうに尋ねる。


「ええ。とても広くて、空は本物の青で……『風』っていう、制御されていない空気が肌を撫でたんですって」

「かぜ……?」

「そう。空気が自然に動くの。ここの循環システムとは違うのよ」

「わあ……すごいね!」


 オスカーの目が輝いた。


「いつか、ぼくたちも『そと』に出られる?」

「……そうね。いつかきっと……。あなたたちの世代が、壁の向こうへ行くのかも」


 アンナは祈るように息子の頭を撫でた。

 それが叶わぬ夢だと知っていても、希望だけは与えてあげたかった。


 時間が、穏やかに流れていく。


 リーナが課題を終え、オスカーが眠そうに目をこすり始める頃、アンナが立ち上がった。


「さあ、寝る時間よ」

「え〜、もうちょっとだけ遊びたい〜」


 オスカーが不満を漏らすが、アンナは笑顔で首を横に振る。


「だめ。明日の勉強に影響するでしょ?」

「はーい……」


 子供たちは渋々ながらも、自室へと向かった。


 エリックとアンナは二人を寝かしつけ、それぞれの額にキスをする。


「おやすみ、リーナ、オスカー」

「おやすみ、パパ。ママ」


 子供たちの健やかな寝息が聞こえ始めると、二人は静かに部屋を出た。


 リビングに戻り、エリックはソファに深く体を沈めた。


「ふう……」

「本当にお疲れ様」


 アンナが隣に座り、夫の肩に頭を預ける。


「幸せだな、俺は」


 エリックが噛みしめるように呟いた。


「この日常が、一日でも長く続けばいい」


 アンナは静かに夫の手を握った。

 人工照明が、ナイトモードへと照度を落としていく。

 巨大なドーム都市が、ゆっくりと眠りについていく。


 二人はしばらく、無言で寄り添っていた。

 言葉はなくても、互いの温もりが全てを語っていた。


「……明日も、頑張るか」

「ええ。私たちの未来(こども)のために」


 それはありふれた夜だった。

 特別なことは何もない、ただの日常の反復。


 しかし――それが、彼らにとって最後の穏やかな夜になるとは、誰も知る由もなかった。



 深夜。午前二時三十七分。


 ヨハンソン家のユニットは静寂に包まれていた。

 リビングの照明は落ち、寝室からは規則正しい寝息が聞こえるだけ。


 その静寂を、金属が断裂する轟音が引き裂いた。


 ――バリバリバリッ!


 玄関の強化プラスチック製のドアが、蝶番ごと内側へ吹き飛んだ。

 紙くずのように砕け散り、壁に突き刺さる。


「!?」


 エリックが叩き起こされた。

 隣で寝ていたアンナも、恐怖に目を見開く。


「な、何なの……!?」

「わからない……! アンナ、子供たちのそばに!」


 エリックはベッドから転がり落ち、子供部屋へ駆け出そうとした。


 だが――その前に、黒い人影が寝室の入り口を塞いだ。


「…………」


 八人の男たち。

 全員が都市保安局の物とは違う、特殊繊維の黒いタクティカルスーツに身を包んでいる。

 顔に表情はなく、その目は赤外線スコープのように冷たく光っていた。


「何者だ!? 保安局か!? ここは居住ブロックだぞ!」


 エリックが叫ぶ。

 男たちは答えない。

 無機質で統制の取れた動きで、エリックを包囲する。


「包囲完了」

「く、来るな! それ以上近づいたら……!」


 エリックは近くにあった充電スタンドを掴み、武器として構えた。


 だが――男の一人が、音もなく間合いを詰め、エリックの腕を掴んだ。

 尋常ではない握力。まるで油圧アームに締め上げられたかのようだ。何らかの武装用インプラント。


「ぐっ……ぁっ!」


 次の瞬間、別の男の肘がエリックの鳩尾にめり込んだ。


「がはっ……!」

「あなた!?」


 エリックは床に崩れ落ちる。

 肺から空気がすべて絞り出され、視界が赤く染まった。


「やめて! やめてください! この人は何もしていません!」


 アンナが悲鳴を上げ、夫に駆け寄ろうと男たちに飛びかかった。


 しかし、彼女もまた赤子の手をひねるように取り押さえられる。

 男の一人が、アンナの腕を背後で捻り上げ、壁に押し付けた。


「痛っ……痛い! 離して!」

「ママ!?」

「パパ……!?」


 子供部屋から、リーナとオスカーの声が聞こえた。

 二人は恐怖で泣きながら、リビングに飛び出してくる。


「パパ……ママ……!? そ、その人たち、だれ……」


 リーナが震える声で呼びかけた。


「来るな! リーナ、オスカーを連れて窓から逃げろ! 早く!」


 エリックが床から必死に叫ぶ。

 だが、男たちは既に子供たちへと動き出していた。


「いやああああっ!」


 リーナの絶叫が響く。


「お姉ちゃん! ママぁ!」


 オスカーが泣き叫ぶ。

 男たちは容赦なく、二人の小さな体を捕まえた。

 まるで物のように、軽々と持ち上げる。


「離せ! 子供たちに触るな! 離せえええっ!」


 エリックが床を這い、必死に手を伸ばす。


 だが、その背中を男のブーツが踏みつけた。

 骨が軋むほどの重圧。動けない。


「お願いです……! 何でもしますから、子供たちだけは……!この子たちは何も悪いことはしていませんから!」


 アンナが泣きながら懇願する。


 男たちは一切反応しない。

 ただ無表情のまま、プログラムされた通りに家族全員を拘束していく。


「はい。……はい、確保しました。それでは輸送します」


 エリックの両手に、冷たい金属の感触。

 電磁ロック式の拘束具が手首にはめられた。


「くそ……なんだってんだ……くそっ……!」


 エリックは歯を食いしばった。

 悔しさと無力感が、思考を焼き尽くす。


 家族を守れない。

 目の前に、愛すべき家族がいるのに。


 男たちは家族全員を、壊れた機械部品のように運び始めた。


「やめろ! やめてくれ! 俺のことはどうにでもしろ! だから家族には、子供たちには手を出すな!」


 エリックの絶叫は、吸音材の壁に虚しく吸い込まれていく。


「パパ! パパぁ!」

「ママぁ! 怖いよぉ!」


 子供たちの泣き声が遠ざかっていく。


 一家は外に連れ出された。

 居住ブロックの薄暗い通りに、窓のない黒い装甲バンが二台停車している。


 男たちは家族をバンに押し込んだ。

 エリックとアンナは一台目に、リーナとオスカーは二台目に。


「いや! パパ、ママぁ!」


 リーナが激しく抵抗し、オスカーは泣きじゃくるばかり。

 重いスライドドアが閉まり、エンジンが静かに起動する。


 窓はない。ただ、車内のモニターに外の景色が映し出されていた。

 近隣住居のセンサーライトがいくつか点灯したが、すぐに消えた。窓のカーテンが開く気配もない。


 ネオ・アルカディアでは、他人の悲鳴は聞かないのが生存の知恵だった。


 バンは音もなく走り出した。

 イースト区の工場地帯を抜け、やがてセントラル区へと続く検問ゲートを警告音も鳴らさずに通過していく。


 車内で、エリックは必死に思考を巡らせていた。


 ――なぜ、俺たちが?

 ――法を犯した覚えはない。特定の思想に与したこともない。

 ――ただ、この都市の歯車として、真面目に生きてきただけだ。


 理由がわからない。

 その事実が、何よりも恐ろしかった。


 アンナは隣で、声を殺して嗚咽していた。

 エリックは拘束された手で、必死に妻の手を探った。


 指先が触れ合い、二人は力一杯握り合った。



 やがて装甲バンが停止し、ドアが開くと同時に無慈悲な力で引きずり出された。

 一家が連れ込まれたのは、無機質な地下施設の一室だった。


 床は継ぎ目のないポリマーコンクリートで、ひんやりとした感触が足元から伝わってくる。

 壁には配線ダクトが剥き出しになっており、低く唸るような換気システムの駆動音と、消毒液に似た薬品臭が空気を満たしていた。


 リーナとオスカーはアンナに必死にしがみつき、怯えた目で周囲を見回している。

 エリックは妻と子供たちを庇うように、わずかに身を乗り出していた。


 やがて部屋の奥にある気密扉の方から、硬質な床を叩く革靴の音が響いてきた。

 それは黒服の男たちのブーツの音とは明らかに違う、悠然としたリズムを刻んでいた。


 気密扉が、静かにスライドして開く。


 現れたのは、上質なシルクと合成繊維で仕立てられたスーツを纏った五十代半ばの男だった。


 不自然なほど若々しい肌、遺伝子調整を受けたであろう整った顔立ち。

 その唇には優雅で残酷な笑みが浮かんでいる。


「やあやあ〜〜。ようこそ、ヨハンソン家の諸君〜。私のプライベートラボへ」


 男はまるで旧知の友人を迎えるかのように両手を広げた。

 その声は人工声帯を使っているかのように滑らかで、感情が乗っていなかった。


「あ、あんた……何者だ!? 我々が何をしたというんだ!」


 エリックは恐怖を押し殺し、絞り出すように叫んだ。


 男はエリックの敵意をまるで心地よい音楽のように受け止め、芝居がかった仕草で一礼した。


「おっと、自己紹介がまだだったね〜。私の名は――レオン・ヴァルトハイム」


 その名前を聞いた瞬間、エリックの全身から血の気が引いた。


「このネオ・アルカディアのささやかなる支配者の一人……とでも名乗っておこうかな〜」

お前かい!!

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ