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【依頼人】楽園への潜入

「え――い、依頼を受けられない、って……」

「私は始末屋で、正義の味方じゃない。私の使命は、悪人を『消す』こと」

「ど、どういう意味だ……?」

「私は人を殺すのが仕事であって、救助は専門外ってこと」


 カイは愕然とした。


「で、でも子供たちを――」

「あなたには、きちんとした覚悟はあるの?」


 カーバンクルの声は、氷のように冷たかった。立ち上がり、カイの目を見据える。


「あなたの本当の望みは、『救出』? それとも『復讐』?」

「――!」


 カイは、咄嗟に答えられなかった。


「私に依頼するということは、誰かの死を命じること。あなたは、殺人の罪を一部背負うことになる。その覚悟は、本当にある?」

「…………」

「ただ子供たちを助けたいだけなら、別の方法を探すべき。メディアにリークするとか、セントラル区の外のジャーナリストに接触するとか――」

「無理だ!」


 カイは叫んだ。


「全部やった! 誰一人、信じちゃくれなかった! ……エリアスは完璧なんだよ。表向きは聖人で、施設は清潔で、子供たちは洗脳されて笑顔で挨拶する! 全部、作り物の地獄なのに!」


 カーバンクルは黙って、カイの激情を受け止めていた。


「もう5年だ! その間に何人の子供が死んだ!? ルナは今、どんな目に遭ってるんだ!?」


 カイの目から、熱いものがこぼれた。


「そうだ、俺は……あいつらが憎い」


 初めて、心の底からの言葉が出た。


「ファーザー・エリアス。シスター・マグダレナ。ブラザー・ヨハン。あいつら全員、ぶっ殺してやりたい!」


 その瞬間、カーバンクルの赤い瞳が、わずかに強く輝いた。


「……それが、あなたの本当の依頼?」

「ああ」


 カイは血が滲むほど拳を握りしめた。


「あいつらは人間じゃない。生きてちゃいけないクソ野郎だ。だから……消してほしい。この世界から、あいつらの存在を!!」


 声は震えていた。だが、もう迷いはなかった。


「子供たちのことは俺が何とかする。君があいつらを排除してくれるなら、その隙に俺が必ず全員を連れ出す!」

「捕まったら死ぬかもしれないよ?」

「構わない」


 カイは立ち上がった。その目にもう迷いはない。


「5年間、俺は逃げ続けた。ルナを見捨て、自分の罪からも目を背けて。でも、もう終わりだ。もう過去から逃げたくない!」


 カーバンクルは長い間、カイを見つめていた。

 その赤い瞳の奥で、膨大なデータが処理されているかのような光が明滅する。

 やがて、彼女は小さく頷いた。


「わかった。その依頼、受理する」


 カイの心臓が、大きく跳ねた。


「本当か……?」

「ただし、条件がある」


 カーバンクルはパーカーのポケットから、指先ほどの大きさの通信機を取り出した。


「私が施設に潜入して、内部構造とセキュリティを解析する。それまであなたは動かないで」

「どれくらいかかる?」

「さぁ。それはわからない」


 カーバンクルは通信機をカイに渡した。


「準備が済んだらこのデバイスに連絡する。それが合図。あなたは施設の裏手にある廃棄物処理ゲート前に来て。子供たちを逃がすルートを確保しておいて」

「……君は、どうやって潜入するんだ?」

「孤児として」


 カーバンクルは窓に向かって歩いた。背筋を軽く伸ばすその姿は、普通の子供に見える。


「施設はかわいそうな子供を求めてるんでしょ? なら、そういう子供を演じるまで」

「お、おい! そんなの危険すぎる……! あいつらは正気じゃないんだぞ!」

「心配ない」


 カーバンクルは振り返った。表情は変わらない。だが、その声には奇妙な説得力があった。

 彼女は窓を開けた。外の冷たい風が部屋に吹き込んでくる。


「ターゲットは3名で確定。ファーザー・エリアス、シスター・マグダレナ、ブラザー・ヨハン。他に排除すべき幹部がいれば、リストに追加しておく」

「……ありがとう」


 カイは、深く頭を下げた。


「カーバンクル……君の名前、絶対に忘れない」

「覚える必要はない」


 カーバンクルは窓枠に足をかけた。


「私は404号室、存在しない部屋から来た。それだけの存在」


 そして――彼女は、4階の窓から闇へと身を躍らせた。

 まるで、最初からそこにいなかったかのように、気配も音もなく消えた。


 カイは開け放たれた窓から身を乗り出したが、彼女の姿はどこにもなかった。

 手の中には、冷たい金属の感触の通信機だけが残されている。


「潜入……」


 カイは通信機を強く握りしめた。

 この手で長い悪夢を終わらせる。ルナを、子供たちを、必ずこの手で……。


「頼む……カーバンクル。これが、最後の希望だ……」



 ウエスト区の喧騒の中。

 一人の少女が、幽霊のように彷徨っていた。


 油と煤で汚れた灰色のパーカー。

 正体不明の液体が染みついたズボン。ソールが剥がれかけた靴。

 水色の髪はベタつき、顔には擦り付けた泥。左腕には、鋭利な廃材でつけた生々しい擦過傷。


(よし。変装は完璧)


 完璧なまでの「都市のゴミ」。サウス区から流れてきた、ありふれたストリートキッドの姿だった。


 カーバンクルは自身のデータベースから最適なペルソナを構築し、それを寸分の狂いもなく演じている。

 目的地は目の前だった。


 エデン・コミューン布教センター。

 周囲の猥雑なネオン街とは不釣り合いな真っ白なビル。

 看板には上品なフォントで「心の平安を求めるすべての人々へ」と記されている。


(さて……ゲーム開始といこうかな)


 カーバンクルは思考を切り替える。

 怯え、飢え、絶望。それらの感情データをロードし、全身で表現する。

 小さな体を丸め、監視カメラの死角を縫うように布教センターへと近づいた。


「あら……あなた、可哀想に」


 入り口に立っていた中年の女性職員が、カーバンクルに気づいた。

 その声は蜂蜜のように甘い。

 だがその目は、カーバンクルの汚れた衣服を値踏みしていた。


「……っ」


 カーバンクルは小さく後ずさり、怯えた子犬のように喉を鳴らした。

 声は出さない。沈黙は、時に何よりも雄弁に恐怖を伝える。


「大丈夫よ、怖くないわ」


 女性は膝をつき、カーバンクルと目線を合わせた。


「お腹、空いているのでしょう? 中に入って、温かいスープでもどうかしら」


 カーバンクルは一瞬逃げる素振りを見せ、それから飢餓に負けたように小さく頷いた。


「良い子ね。さあ、こちらへ」


 女性はカーバンクルの手を優しく握った。

 その手は温かい。だが、指先の力が異常に強い。逃がさない、という心理が見て取れた。



 布教センターの内部は外観以上に清潔だった。

 無菌室のような白い壁。

 目に優しい間接照明。

 来訪者の精神を安定させる効果のある、特殊な周波数の音楽が流れている。


 壁には「神の愛」「共同体の絆」「心の平安」といったホログラムの標語が、ゆっくりと明滅していた。


「また一人、迷える子羊よ」


 女性職員が、受付に座る若い男に声をかけた。

 男はカーバンクルを一瞥し、プログラムされたような哀れみの表情を浮かべる。


「応接室に案内して。私はシスター・アンナにご報告してくるわ」



 応接室は窓のない小さな箱だった。

 柔らかなソファ、低いテーブル、そして壁にはプラズマで発光する十字架。

 テーブルの上には、合成タンパク質で作られたパンと、栄養素が溶け込んだ温かいスープが置かれていた。


「さあ、食べていいんだよ」


 ブラザー・トムと名乗った若い男が、優しく微笑む。


「ゆっくりでいい。誰も君を急かしたりしないから」

「…………」


 カーバンクルは演技を続ける。

 恐る恐るパンに手を伸ばし、一口齧る。

 そして次の瞬間、何日も食べていなかったかのように、貪るように食べ始めた。


「そんなに慌てなくても、食べ物は逃げないよ」


 トムは微笑んでいる。だが、その瞳孔はカーバンクルの様子を細かく観察していた。


(それなりの観察ソフトを入れてるのかな? もっとも、私には意味がないけど)


 カーバンクルはスープも一気に飲み干し、安堵のため息を漏らした。


「……ありがとう、ございます」


 か細く、掠れた声。トムの表情が満足げに和らいだ。


「どういたしまして。君の名前は?」

「……」


 カーバンクルは俯き、唇を噛んだ。


「名前、ないのかな?」

「……カー……」


 言いかけて、口ごもる。トムが興味深そうに身を乗り出した。


「カー?」

「……カーラ」


 偽名だ。うっかり普通に名乗りかけてしまったが、念には念を入れておいたほうがいいだろう。


「カーラ。可愛い名前じゃないか」


 ドアが音もなく開き、別の女が入ってきた。

 40代。体にフィットした黒い僧衣。髪は短く刈り込まれ、その目は尋問官のように鋭い。


 シスター・アンナ。この布教センターの責任者。カイのデータにあった人物だ。


「カーラね」


 アンナはカーバンクルの前に座った。

 その視線は、トムよりもさらに冷徹にカーバンクルの全身を見つめているようだった。


「家族は?」

「……いません」

「どこから来た?」

「サウス区の……スクラップヤード」

「一人で?」


 カーバンクルは無言で頷いた。


「両親は?」

「……事故です。プラントの。二人とも」


 嘘は簡単だった。カーバンクルはこれまでそういった人間の依頼も受けてきた。その中から、最も悲劇的な孤児の記憶と様子を参考にすればいい。


「そう……気の毒に」


 アンナの表情が変わる。

 それは同情ではなかった。質の良い商品を見つけたバイヤーのそれに近かった。


「どうして、ここへ?」

「……道で、白い服の人が……ここなら、安全だって……」

「その通りよ。ここは、あなたのような子を神がお救いになるための場所」


 アンナは立ち上がった。


「ブラザー・トム、ファーザーに至急連絡を」

「はっ」

「……『特級品が見つかった』と。完璧な候補よ」


 小声でシスターがささやく。何の候補か、カーバンクルは問わない。無知な子供を演じきるのみだ。


「カーラ」


 アンナがカーバンクルの頭を撫でた。その手は、氷のように冷たかった。


「あなたは幸運だわ。今日から、あなたは神に選ばれし子となるのですから」



 一時間後、カーバンクルは黒い大型バンに乗せられていた。

 窓は外部から内部が見えないよう、電子スモークで覆われている。

 運転席にはブラザー・トム、助手席にはシスター・アンナ。

 カーバンクルの隣には、同じように拾われてきたらしい10歳ほどの少年が小刻みに震えていた。


「もうすぐ着くわよ」


 アンナが後ろを振り返って言った。


「エデン・コミューン本部。あなたたちの新しい家であり、世界そのものよ」


 車は工業地帯の奥深くへと進んでいく。

 その中に、異様なほど清潔な一角があった。


 高さ5メートルの純白の壁に囲まれた広大な敷地。

 正門はチタン合金製の重厚な扉。壁の至る所に、AI制御の監視カメラと自動迎撃タレットが設置されている。


 エデン・コミューン本部施設。カイが『偽りの楽園』と呼んだ場所。


(明らかに妙だね。ただの宗教施設に、なんでこんな武装が必要なのかな?)


 車が正門の前で止まると、アンナが生体認証でロックを解除した。

 重い扉が、音もなく滑るように開く。


 中には完璧に管理された庭園と、中央にそびえる巨大な白い建物があった。

 一見、静かで平和な宗教施設。

 だが、カーバンクルの視覚センサーは、その偽りの姿の裏にある全てを捉えていた。


 監視カメラの死角。警備員の巡回ルート。建物の構造と素材強度。非常用電源の位置。

 全てのデータが、彼女の脳内マップにリアルタイムで構築されていく。


 車が建物の前で止まった。


「さ、降りてちょうだい」


 アンナの命令で、カーバンクルと少年は車を降りる。


 建物の入り口で、一人の男が待っていた。

 純白の僧衣。肩まで流れる白髪。聖人のような穏やかな笑顔。

 ファーザー・エリアス。ターゲット1だ。

 この男が、依頼者のトラウマの根源。この施設の長だ。


(……まだだ)


 今殺せば、他のターゲットを逃がしてしまうかもしれない。

 カーバンクルは怯えた表情を維持し、エリアスを見上げた。


「ようこそ、我が子らよ」


 エリアスの声は、聞く者の心を溶かすような、特殊な音波を含んでいた。


「私の名前はファーザー・エリアス。今日から、私があなたたちの父親です」

(……1/fゆらぎ。安心感を与える音波。それを声に与えるように喉を改造(インプラント)してるね)


 彼は膝をつき、カーバンクルと同じ目線になった。


「もう何も怖がることはない。ここは安全な場所。神の愛に満ちた、最後の楽園です」


 彼の手が、カーバンクルの頭に触れた。

 その瞬間、カーバンクルの皮膚センサーが、微弱な生体電流を検知した。


(……ナノマシンか。接触による精神感応、あるいは情報収集……?)


 この男、見かけ倒しではない。

 「信仰」と呼ばれるものを、あらゆる手段で獲得しようと備えている。能力と、機能を。


 カーバンクルの赤い瞳が、一瞬だけノイズのように走った。だが、エリアスは気づかない。


「あなたの名前は?」

「……カーラ、です」

「カーラ。素晴らしい響きだ」


 エリアスは微笑んだ。


「今日から、君は神の子。過去の悲しみも、痛みも、全てここで洗い流しなさい。新しい人生が、ここから始まるのです」


 彼が立ち上がり、建物の扉が開かれる。

 内部は薄暗く、消毒液と香の匂いが混じり合った奇妙な空気が漂っていた。

 壁には「神は試練を与える」「贖罪こそが救済」「沈黙は美徳」といった標語が、冷たく並んでいる。


(この匂いも、少し変わってるね。何らかの影響がありそうだ)

「シスター・マグダレナ!」


 エリアスが呼ぶと、廊下の奥から一人の女が現れた。

 骸骨のように痩せた体。光のない、ぎょろりとした目。

 シスター・マグダレナ。ターゲット2だ。


「新しい子供たちです。いつものように、『教育』をお願いします」

「承知いたしました、ファーザー」


 マグダレナはカーバンクルを見下ろした。その目に、感情というものは存在しなかった。


「ついてきなさい、子供たちよ」


 氷のような声。

 カーバンクルは従順に頷き、マグダレナの後を歩き始めた。


 どこからか、微かに子供の嗚咽が聞こえる。

 エリアスは入り口で満足げに微笑んでいた。


「また二人、神の楽園に魂が救われた。実に素晴らしい」


 ――カーバンクルは振り返らない。

 ただ前を向き、一歩一歩、地獄の最深部へと進んでいく。

 赤い瞳は、この偽りの楽園の全てを記録し続けていた。

カーバンクルさん、潜入捜査。無事に帰れるのか……!?

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