【断罪】絶対零度
「……何者だ、お前」
アレンは銃口を下げず、低い声で問うた。
そこにいるのは子供だ。中性的だが、おそらく少女だろう。この危険な場所にまるでそぐわない姿が、逆に不気味だった。
少女は無表情のまま一歩踏み出す。その動きには一切の無駄がない。
「私はカーバンクル。依頼を受けて、404号室から来た」
「404……っ!?」
アレンの脳裏に、サウス区やイースト区で囁かれる都市伝説が蘇った。
――虐げられた者の最後の祈りに応える、正体不明の始末屋。
「……依頼主は誰だ。エリクソンか? ネオコープか?」
「セントラル区の一般市民。あなたが殺した人々の遺族」
カーバンクルは淡々と告げる。
その言葉は、アレンの思考を凍りつかせた。
「……何を、言っている。ふざけるな!」
我に返ったアレンは叫んだ。彼のサイバネティック義眼が、怒りに反応して赤く明滅する。
「セントラル区に住む連中は、システムに寄生する搾取者だ! 404号室の始末屋は、虐げられた者たちのための正義じゃなかったのか!?」
「誰がいつそんなことを言ったの? 私は依頼を受けるだけだよ」
カーバンクルは、まるでプログラムされた定型文を返すように言った。
「誰の味方でもない。あなたの正義も、彼らの正義も、私には関係ない」
「金で魂を売ったか!」
「違うよ。依頼料はホテル代だけ」
「なら、なぜ……!」
アレンの叫びが廃墟に響く。
「俺はお前たちの同志だ! 正義のためにこの身を賭して戦っているんだ!」
「あなたの活動記録は全部読んだ」
カーバンクルは静かに頷いた。
「でも、依頼は依頼。あなたの仲間も、依頼対象だった」
「マヤも……殺す気か」
「そう」
その一言が、アレンの理性の最後のタガを外した。彼は銃を握りしめ、戦闘態勢に入る。
「……絶対に、許さん。お前が何者だろうと関係ない。ここで、俺の正義がお前を裁く」
カーバンクルは、マヤが縛り付けられたサーバーラックにそっと手を置いた。
「いいね。あなたが私に勝てば、彼女は解放してあげるよ」
「当たり前だ!」
アレンの恐怖と怒りが混じった声が震える。
(……まさか俺の仲間を殺したのが、こんな小さな子供だとは……!)
カーバンクルは無表情のまま、両手を広げた。
その姿はあまりにも無防備で、挑発的だった。
「来て」
「……舐めるなッ!」
アレンは引き金を引いた。
炸裂した銃声が、コンクリートの壁に反響する。
だが、カーバンクルの姿が発砲と同時にブレる。
アレンの義眼が捉えたのは、床を蹴る瞬間の残像だけ。
「……ッ、そこか!」
アレンは予測軌道へ向けて即座に二射、三射と連射する。
跳弾を計算に入れた精密射撃。コンクリート片が弾け飛び、弾丸が廃墟の中を縦横無尽に駆け巡る。常人ならば回避不能の弾幕。
「ふん……」
しかし、カーバンクルは違った。
壁を垂直に駆け上がり、天井のパイプにぶら下がって体勢を反転させ、アクロバティックな動きで全ての弾丸を紙一重で回避する。
その動きは、まるで物理法則を無視した幽霊のようだった。
「化け物が……!」
弾倉を交換する一瞬の隙。
天井から舞い降りたカーバンクルが、無音でアレンの背後に着地した。
「ッ!」
殺気を感じ、アレンは振り返り様に銃床を叩きつける。
だが、その攻撃は空を切った。
懐に潜り込んだカーバンクルの手刀が、彼の腕の神経叢を正確に打ち抜く。
「ぐっ……! くっ!」
激痛と共に腕の感覚が麻痺し、銃が床に落ちる。
アレンは後退し、軍隊式の近接格闘術の構えを取った。
「なら、これでどうだ……!」
彼はサイバネティック強化された脚で床を蹴り、肉薄する。
常人ならば反応すらできない速度の拳を、カーバンクルの顔面に叩き込もうとした。
「見えてるよ」
「く……くそおぉっ!!」
カーバンクルが最小限の動きでそれを回避すると、アレンは焦りから連続攻撃に移る。
訓練で体に叩き込んだ、最適化されたコンビネーション。
しかしその全てが、まるで未来を読んでいたかのように見切られ、空を切った。
(こいつ、俺の動きを予知しているのか……!?)
だが数十合の攻防の末、アレンの拳が初めてカーバンクルの防御をこじ開けた。
ガードしようとしたカーバンクルの腕を跳ね上げる。
「もらったァッ!」
渾身の右ストレートが、カーバンクルの頬を浅く抉る。
水色の髪が揺れ、白い頬に一筋の赤い線が走った。手応えがあった。
「……っ」
(やった……! 血が出ている。こいつも、ただの人間だ!)
一瞬の油断。それが命取りだった。
血を流したカーバンクルは、初めてその無表情を崩した。ほんのわずかに、口角を上げて。
「……戦闘パターン、解析完了」
その無機質な声と共に、空気が変わった。
次の瞬間、アレンの視界からカーバンクルが消える。
否、消えたのではない。
今までとは比較にならない速度で踏み込んできたのだ。
「――舐めるなよ。俺だってまだ、底を見せちゃいない!」
アレンは最後の手段に出た。
「戦闘補助システム、最大出力!」
彼の義眼が深紅に輝き、世界の時間が引き伸ばされる。
彼の網膜に、カーバンクルの動きを予測する無数の緑色のラインが描かれ、最も確実性の高い迎撃ルートがハイライトされた。
高価な軍事用インプラント。思考の速度で最適解を導き出す、彼の切り札だ。
脳に負荷がかかるため多用はできないが、この一瞬に限り、彼の戦闘能力はジャックスよりも高くなる。
「見えた……終わりだ!」
スローモーションの世界の中、アレンはシステムが示した一点――カーバンクルの防御が最も手薄になる、コンマ数秒の隙を突く完璧なカウンターを放った。
これは絶対に避けられない。
相手は確かに早く鋭いが、所詮その肉体は子供。手痛い一撃を入れれば、それだけで勝てる。勝った――!
はずだった。
アレンの拳が命中する直前、カーバンクルがその予測ラインよりもさらに速く動いた。
まるで未来そのものを書き換えるように。
「な――」
アレンの網膜に『ERROR: PREDICTION FAILURE』の警告が赤く点滅する。
彼女の小さな拳が、アレンの腹部に突き刺さる。
「――ッ!!」
子供の拳とは思えない、内部から破壊するような衝撃波が全身を駆け巡る。
アレンの体がくの字に折れ曲がり、壁に叩きつけられて跳ね返った。
「ぐぼっ!! が、はっ……!!」
肺から空気が強制的に押し出され、呼吸ができない。
床に崩れ落ち、視界が明滅する。
カーバンクルが、ゆっくりと近づいてくる。
その足音がやけに大きく聞こえた。
壁に背を預けたアレンは、ぜえぜえと荒い息を繰り返していた。
義眼がノイズ混じりに明滅し、視界の端に警告が赤く点滅している。
折れた肋骨が肺に突き刺さるような激痛。左腕は感覚すら失っていた。
カーバンクルは彼の前に立ち、ただ無表情に見下ろしている。
「は……はは……」
アレンの口から漏れたのは、血の混じった乾いた笑いだった。
それは笑いというより、壊れた機械が立てる軋みのようだった。
「結局……この腐った世界じゃ、俺の正義なんて……届きもしなかった、か……」
彼は力なく天井を仰いだ。
剥がれかけたコンクリートが、かつて夢見た輝かしい未来とはあまりにかけ離れている。
「俺は……間違って、いなかったはずだ……」
アレンは、もはや誰に言うでもなく呟いた。
「システムに寄生する富裕層が、この都市を、人々を支配している。誰かが……立ち上がらなければならなかった。誰かが、奴らに恐怖を教えなければ……」
彼の脳裏に、5年前の光景が焼き付いている。企業の都合で「処理」された友人ウォルター。誰も罰せられず、全てが闇に葬られたあの日。
「だから俺が裁いた。俺が、正義を執行したんだ……。トラムも、モールも、あのオフィスビルも……全ては、虐げられた者たちのための報復だった……」
アレンはカーバンクルを見上げた。その瞳には、もはや怒りの炎は残っていない。
「お前には……わからないだろうな。依頼に従うだけの、子供には……」
カーバンクルは何も言わない。ただ、その深紅の瞳で彼を見つめている。
「……いいさ」
アレンは自嘲気味に笑った。
「俺の意志は、誰かが継ぐ……『リバティ・パルス』は終わらない。俺が死んでも、第二、第三の俺が現れる……」
咳き込むと、口から新たな血が溢れた。声は弱々しく、消え入りそうだ。
「だが、頼む……」
彼の声は、懇願に変わっていた。
「俺を、殺してもいい。ただ、マヤのことは……見逃してやってくれないか……あいつは、俺についてきただけだ……人も、殺してない……」
沈黙が、廃墟に重くのしかかる。
やがてカーバンクルはゆっくりと足を上げ――
アレンの胸を踏みつけた。
「がっ……!?」
骨が軋む鈍い音と共に、アレンの目が見開かれる。
激痛が全身を駆け巡り、呼吸が止まった。
「な……にを……」
苦痛に歪むアレンを、カーバンクルは氷のような瞳で見下ろした。
「――あのさぁ。何を勝手なことばかり言ってるの?」
その声には、温度というものが一切感じられなかった。
こわいぜ、カーバンクルさん




