↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
23/370

【断罪】適応能力剥奪

 第7診察室の電子錠が、音もなく開いた。

 振り返ったサラ・ヴァンスは、そこに立つ水色の髪の子供を見て、苛立ちを隠しもせず声を荒げた。


「あんたは何!? 子供がどうやってここまで入って来たのよ――、ぐッ!?」


 次の瞬間、視界がぶれ、サラは自分が診察台の上に仰向けに倒されていることに気づいた。


「う……あ?」


 何が起きたのか理解できない。

 ただ、首筋に走った一瞬の痺れと、背後に回り込まれたことだけがかろうじて認識できた。


「な……にを、すんのよ……!」


 サラが抵抗しようとした時には、すでに医療用の電磁拘束具が彼女の手足首を診察台に固定し終えていた。


「動かないで。これから、あなたへの『処置』を始める」


 カーバンクルの声は、氷のように平坦だった。


「処置ですって? あんた、自分が何をしてるか分かってるの!? 何なのよあんたは!? 人を呼ぶわよ!」

「404号室の始末屋。依頼を受けて、あなたを処分しに来た」


 その言葉に、サラの顔から血の気が引いた。だが恐怖はすぐに、信じられないという傲慢な怒りに変わった。


「始末屋? なんのごっこ遊びよ? 誰よ、依頼人なんていう馬鹿は!」

「ケンジ・タナカ。あなたが弄んで殺した、ミツコ・タナカの息子」


 その名を聞き、サラは嘲るように鼻を鳴らした。


「ああ、あの貧乏人の告発者……。まだ諦めてなかったんだ。しつこいゴキブリね」

「あなたは彼の母親を残虐に扱った」


 カーバンクルは小さなデータパッドを取り出し、ホログラム映像を空中に投影した。

 サラが老婆を平手打ちし、食事を床に叩きつけ、その苦しむ様を嘲笑する姿が再生される。


「……ハッ、これが何? こんなの、どうとでも編集できるじゃない」

「いつまでも嘘をつき続けることはできない。特に、こういう状況では」


 サラは一瞬言葉に詰まったが、すぐに居直った。


「だとしてもよ。私はただ、ドクター・ブルームフィールドの指示に従っただけ。あれは業務の一環よ。私に責任はないわ」

「言い訳はいい」


 カーバンクルは映像を止めた。赤い瞳がギョロリとサラを捉える。


「あなたは患者を『喋るゴミ』と呼び、暴力を振るい、その苦痛を明らかに楽しんでいた」

「楽しんでなんかないわよ!」

「そう? 映像では満面の笑みだったけどね」


 サラは忌々しげに舌打ちした。言い逃れができないと踏んだのだろうか。


「……面白いと思わない?」


 カーバンクルの赤い義眼が冷たく光る。彼女の目は、サラの表層のその奥を見ていた。


「あなたには、夫のジェイソンと8歳の娘エミリーがいる」

「――!? なんなの、どういうこと!? どうして知ってるの!!」

「娘の誕生日には、毎年手作りの合成ベリーケーキを焼いてあげるんだって? 学校の保護者会にも熱心で、誰もがあなたを『理想の母親』だと思っている」

「答えなさいよ! どうしてあんたが、私の家族のことを……!」

「調べればすぐにわかるよ。あなたは家では良き妻で、良き母親を完璧に演じている」


 カーバンクルは、心底不思議そうに首を傾げた。


「職場では老人を虐待し、家では愛する娘を抱きしめる。同じ人間が、どうしてここまで違う役割を平気で演じられるんだろうね?」

「……当たり前じゃない!」


 サラは叫んだ。ガシャンと手枷が鳴る。


「仕事とプライベートは別よ! あんな脳の腐った年寄りどもと、私の可愛い娘を一緒にするな!」

「……あなたは、環境によって自分(ペルソナ)を切り替えることができる。環境に『適応』しているんだね」


 カーバンクルは納得したように頷いた。


「人間はどんな異常な環境でも、それが日常になれば『普通』だと認識する。あなたはその典型例だね。罪悪感さえも麻痺してる」


 そう言いながら、カーバンクルは金属とケーブルでできた、蜘蛛のような形状の装置を取り出した。先端には、鋭利な神経探査ニードルがいくつも備わっている。


「だから、あなたへの制裁もそれに合わせることにしたよ」


 カーバンクルは、そのおぞましい装置をサラの頭部に押し当てた。


「や……やめなさい! 何をする気なの! やめて!」

「これはね、ブルームフィールドが持っていた装置だよ。患者用の行動抑制装置……昔で言うロボトミー手術みたいな装置だと思ってくれていい」

「そ……っ、それで、どうする気……!? 殺すの……!? ちょっと老人を殺したくらいでっ!」

「あなたはもう、これから『適応』できない身体になる。心配しないで。他の看護師にも同じものを施した」


 装置から伸びたニードルが、モーター音と共にサラの頭蓋骨にねじ込まれ始めた。


「――ぎゃあああああああああっ!!」


 骨が砕けるような嫌な感触と音と激痛に、サラの絶叫が診察室に響き渡る。


「痛い! 痛い痛い痛い! 助けて! 誰か! お願い、やめてぇぇぇ!」


 カーバンクルはその悲鳴をBGMのように聞き流しながら、装置を完璧に固定した。

 ニードルが脳の深部、扁桃体と前頭前野の特定の神経回路に接続される。


「これから、あなたの脳に新しい『ルール』を書き込む」


 装置が起動し、強力な電気信号がサラの脳を蹂躙した。


「あ……が、ががが……ぐ……!」


 サラの身体が、電流を流された魚のように激しく痙攣する。白目を剥き、口から泡を吹いた。


「あたまの……なかに……なにかが……ああああああああっ!」



 ――プログラムの強制インストールは5分間続いた。

 その間、サラは筆舌に尽くしがたい苦痛と恐怖に悶え続けた。

 やがて装置の起動音が止まり、静寂が戻る。


「……完了」


 カーバンクルは、血に濡れたニードルを無造作に引き抜く。


「はぁ……はぁ……はぁ……」


 サラは荒い息を繰り返しながら、焦点の合わない目で虚空を見つめていた。


「……何を……私に、何をしたの……?」

「言ったはずだよ。『適応』できない身体にした」


 カーバンクルは、拘束具を一つずつ解除していく。


「さあ、もう帰っていいよ。家族が待ってる」

「帰、る……? え……? いい、の……? 殺さないの……?」


 頭の傷口からは、まだ生温かい血が流れ続けている。

 完全な死を覚悟していたサラは、その解放に安堵と、感謝のようなものすら抱いていた。


「うん、帰っていいよ。家族のところに、ね」

「……っ」

「あなたが虐待してきた老人たちもまた、誰かの家族だった。そして残された者は、もう家族に会うことはできない」


 カーバンクルが真剣な表情で語るのを、サラはほとんど聞き流していた。

 むしろ、くだらない説教をする子供に苛立ってすらいただろう。


「あなたはその痛みを理解しないといけない。そして、その機会は……幸運だね。すぐに訪れるよ」


 カーバンクルは部屋のドアを開けた。

 サラはふらつく足取りで、会議室を出ていった……。



 午前3時。サラは自宅のスマートロックを、震える指で解除した。

 頭部の傷は施設の医療キットで乱暴に縫合したが、まだズキズキと脈打っている。


 だがそれ以上に彼女を蝕んでいたのは、あの子供に施された不吉な「処置」だった。


 リビングの薄明かりの中、夫のジェイソンがソファでうたた寝をしていた。

 壁のホログラムスクリーンが、つけっぱなしの深夜番組を映し出している。


「……ただいま」


 小さく呟いた声に、ジェイソンが身じろぎして目を覚ました。


「サラか。遅かったじゃないか。長引いたのか? って、その頭の怪我は……!?」


 その瞬間、サラの口が、彼女の意志とは無関係に言葉を紡いだ。


「うるさいわね、この役立たず。お前、今が何時だか分かってるの?」

(え……?)


 自分の口から吐き出された言葉に、サラは愕然とした。


(私、何を言ってるの? ジェイソンに、そんなつもりじゃ……!)


 心の中では、疲れて眠る夫を気遣う言葉が渦巻いているのに。表に出たのは、信じられないほど冷たい声だ。


「……サラ? どうかしたのか、何か嫌なことでもあったのか?」


 ジェイソンの困惑した顔がサラの視界に映る。だが、彼女の身体は再び勝手に動いた。


「突っ立ってないで、邪魔よ。さっさと寝室に消えなさい!」


 その手は、夫の肩をゴミでも払うかのように乱暴に突き飛ばしていた。


「痛っ……! おいサラ、一体どうしたんだ!」

(やめて……! なんで身体が勝手に動くの!?)


 サラの精神が、自分の身体という名の檻の中で絶叫する。

 だが操縦桿は、もはや彼女の手にはなかった。


 その時、2階から小さな足音が聞こえてきた。


「ママ……?」

「……!」


 8歳の娘エミリーが、眠そうに目をこすりながら階段を降りてくる。


「ママ、お帰りなさい。待ってたよ」

(エミリー……! 私の宝物……!)


 サラの心臓が、愛しさで締め付けられる。腕を広げ、娘を抱きしめたい衝動に駆られる。

 しかし口から出たのは、最も聞かせたくない言葉だった。


「なぜ指定区画を離れているの? 消灯時間はとっくに過ぎてるでしょうが!」


 それは、彼女が職場で老人たちを呼ぶ時の、冷え切り苛立った口調そのものだった。


「していくかく、って……? ママ、どうしたの? なんだか変だよ……」


 エミリーが不安げな顔で、母親に駆け寄ろうとする。


(違う! 違う! 離れて!)


 サラの手がまるで機械のように動き、娘の細い腕を鷲掴みにした。


「指示に従えない出来損ないは、罰を与えないと覚えないかしらね」

「痛い! ねぇママ、痛いよ!」


 乾いた音がリビングに響き渡った。

 サラの手が、愛する娘の頬を全力で平手打ちしていた。


「きゃあああああっ!」


 小さな身体が勢いよく床に叩きつけられる。


(やめて! やめて! なんでこんなことを!?)


 サラの心は罪悪感と恐怖で張り裂けそうだった。

 愛している。誰よりも大切に思っている。

 なのに彼女の身体は、職場で繰り返してきた虐待行為を娘に再現してしまう。


「サラ! お前、何てことを!」


 ジェイソンが、娘を庇うように駆け寄ってきた。


(ジェイソン、助けて! 私を止めて! お願い!)


 だが口が吐き出すのは、夫への罵詈雑言だった。


「黙れ! 業務妨害なら警備を呼ぶわよ!」

「ぐあっ!」


 振り抜かれた拳が、ジェイソンの顔面を捉えた。

 鼻から血を流し、夫が床に崩れ落ちる。


「パパ! パパ、しっかりして!」


 エミリーが泣き叫びながら父親にしがみついた。


「うるさい! 静かにしろって言ってるでしょう!」


 彼女は、父親にしがみつく娘を無理やり引き剥がし、壁に向かって投げつけた。


「きゃあああっ!」


 鈍い音と共に、エミリーは泣き崩れた。


「ママ……どうして……痛いよ、ママ……」

(ごめんなさい……ごめんなさい! 愛してる! 本当に愛してるの! なのに、どうして……!)


 心と身体の完全な乖離。

 サラは、自分の身体が家族を破壊していく様を、ただ見ていることしかできない。


「本当に見苦しいわね。さっさと死になさいよ!」


 サラの足が、床で嘔吐く娘の腹部を蹴り上げようとする。


「やめろ、サラ!」


 ジェイソンが、最後の力を振り絞って妻に飛びかかった。もつれ合って床に倒れ込む。


「離せ! このクズが!」


 サラは獣のように暴れ、夫の顔を爪で引き裂き、肩に噛みついた。


「サラ! 目を覚ませ、俺だ! エミリーを見ろ!」

「患者が暴れてるわ! 離せ、このクズがぁ!!」


 ジェイソンは、全体重をかけて妻の両腕を押さえつけた。


「エミリー! 公安局に通報しろ! 早く!」


 娘は、血と涙でぐちゃぐちゃになった顔で、震えながら通信端末に手を伸ばす。

 そんな地獄の中で、サラは狂ったように叫び続けた。


「……公安局か? 妻が……妻が突然、狂ったように……娘に暴力を!」


 ジェイソンの絶望に満ちた声が聞こえる。

 壁際で震えるエミリーの、恐怖と絶望に満ちた視線がサラの心を抉る。


(エミリー……愛してる……愛しているのに……どうして愛してる家族にこんなこと……!)


 そのとき、カーバンクルが残した言葉が彼女の頭に浮かんだ。


『あなたが虐待してきた老人たちもまた、誰かの家族だった。そして残された者は、もう家族に会うことはできない』


 ――家族。

 家族を破壊した罪。


「あ、あ……あぁ」


 思考が鈍く回っていく。目を逸らしてきた自分の罪と向き合わされる。


(ちが……私は……ただ仕事で苛ついて……家族を奪うとか壊すとか、そんなつもりでやったんじゃない!!)


 頭の中でそう叫んでも、それを聞き届ける者はいない。

 サラは自らの罪を、自らの手で、自らの家族に再現するしかなかった。

本作を少しでも気に入っていただけましたら、ページ上部や下部から『ブックマークに追加』をぜひよろしくお願いいたします。

作者への応援や執筆の励みになります!

また、評価は下部の星マークで行えます! ☆☆☆☆☆を★★★★★にして応援お願いします。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。