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【断罪】脳喰い虫

 最上階の院長室。

 重厚なマホガニー製のドアが静かに開き、カーバンクルが足音もなく入室した。


 巨大なデスクに座っていたドクター・ブルームフィールドは、突如現れた子供の姿に、不快感を隠しもせず眉をひそめた。


「何者だ、君は。セキュリティはどうなっている? こんな時間に、子供が何の用かね」


 彼は努めて権威的な態度を保とうとしたが、その声には隠しきれない動揺が滲んでいた。

 目の前の子供が放つ、異常なプレッシャーと先ほどの非常警報に、本能的な恐怖心があった。


「私は404号室から来た」


 カーバンクルの声は、部屋の空気を凍てつかせた。


 その言葉を聞いた瞬間、ブルームフィールドの顔から血の気が引いた。

 傲慢な笑みが凍りつき、目が大きく見開かれる。


「まさか……ありえない。あの都市伝説はただのゴシップのはずだ」

「伝説かどうか、今からあなたの身体で証明してあげる」


 カーバンクルは、獲物を値踏みするように首を傾げた。


「……ふ、ふざけるな!」


 ブルームフィールドは恐怖を怒りで塗りつぶし、立ち上がった。


「仮に君が本物の『始末屋』だとして、この私を誰だと思っている? 私はドクター・アーロン・ブルームフィールドだぞ。ネオ・アルカディアの神経工学を20年進歩させた権威だ!」


 彼は胸を張り、デスクの緊急通報ボタンに指を伸ばそうとした。


「小娘一匹に何ができる。私の後ろには巨大複合企業がいる、政財界にも強力なコネクションがある! 私に指一本でも触れてみろ、君の存在は都市から完全に消去されることになるぞ!」


 カーバンクルは彼の虚勢を嘲笑うかのように、無表情のままゆっくりと近づいた。


「それに……」


 ブルームフィールドの目に、恐怖とは別の、奇妙な好奇の光が宿った。


「その、容姿……? その赤い義眼……まさか、君は……」

「知ってるの?」

「……7年前の『プロジェクト・カーバンクル』……あの被験体……か?」


 その単語が出た瞬間、カーバンクルの赤い義眼が、鋭いフォーカス音と共にブルームフィールドを捉えた。


「……詳しく話して」

「は……ハッ! 私がなぜ、裏路地のドブネズミに貴重な情報を与えねばならんのだね?」


 ブルームフィールドは、立場が逆転したと勘違いし、再び傲慢な笑みを浮かべた。


「君は所詮、システムの影に生きる者。私は光の当たる場所で世界を動かす研究者だ。我々の間には、決して越えられない『格』というものがあるのだ――」


 次の瞬間、空気が裂ける音と共に、カーバンクルのハイキックがブルームフィールドの顎を撃ち抜いた。


「ぐぼっ……!」


 巨漢の身体が椅子ごと吹き飛び、床に叩きつけられる。


「格?」


 カーバンクルは、床で痙攣する男の頭を無造作に踏みつけ、冷たく見下ろした。


「そんなものは、あなたたちが信じているだけのくだらないルール。今、この閉鎖空間において、あなたの生命活動を停止させられる私の方が絶対的な『上』だよ」


 彼女は男の髪を鷲掴みにし、破壊されたデスクの残骸に顔を叩きつけるように座らせた。


「7年前の話をして。さもないと、あなたが患者にしたように死ぬまで電圧を与えてもいい」

「ひ、ひっ……」


 ブルームフィールドの権威も威厳も、物理的な暴力の前には無力だった。

 顔は恐怖と苦痛で歪み、高級スーツは吐瀉物で汚れている。


「わ、わかった……話す! 何でも話すから……!」


 震える声で、彼は過去の罪を告白し始めた。


「な、7年前、ノース区の軍事研究施設で、極秘プロジェクトが進行していた……最高の兵士を人工的に作り出す、『プロジェクト・カーバンクル』だ」

「それが私?」

「そうだ……君のような素体の子供の脳に、何百人もの歴戦の兵士や暗殺者の戦闘データをナノマシンで直接書き込む実験だった」


 カーバンクルの脳内で、断片的なフラッシュバックと、男の情報がリンクしていく。

 自分の正体に関する、初めての具体的なデータだった。


「あなたは、そのプロジェクトにどう関わっていたの?」

「わっ、私は……末端の研究員に過ぎん! 主に被験体のバイタルデータ収集と、拒絶反応の記録を……」

「責任者は誰?」

「マーカス・ヴァイス……悪魔のような男だった。彼が、プロジェクトの総責任者だ」


 ブルームフィールドは、恐怖に駆られて続けた。


「そのヴァイスは今どこにいる?」

「知らん! 本当に知らんのだ! プロジェクトが崩壊した後、関係者は散り散りになった……!」


 カーバンクルの指が、男の首の骨に食い込んだ。


「がっ、げっ……!」

「嘘はあなたの仕草で分かる。首を折られたい?」

「ひぃっ! ま……待てっ! た、確かな情報じゃないが……最後に聞いた噂では、彼はセントラル区で『別の研究』を続けていると……! 『ネオ・テック社』の非公開研究部門にいるという話だ……!」


 カーバンクルは、満足げに指の力を緩めた。


「……有用な情報だった。ありがとう」


 彼女は男を椅子に突き飛ばし、パーカーのポケットから小さなシリンダーを取り出した。


「さて。私の個人的な興味は満たされた。次は、依頼人のための『報復』の時間だよ」

「……はっ?」


 ブルームフィールドの顔が絶望に染まる。


「ま、待ってくれ! 私は君に協力したじゃないか! 取引は成立したはずだ!」

「取引? そんなものはしてない」


 カーバンクルの声は、絶対零度まで冷え切っていた。


「あなたは患者にしたことの報いを受ける。ただ、それだけ。彼らが味わった絶望と苦痛を味わってもらう」


 ブルームフィールドの恐怖に歪んだ顔が、シリンダーの表面に映り込んでいる。


「ま、待て! 金ならいくらでも払う! セントラル区の口座にっ」

「あなた達って毎回金の話するよね。まぁ、毎回それで解決してきたからなんだろうけど」


 呆れたように目を細めるカーバンクルが、彼の目の前にシリンダーを近づける。


「でも安心していいよ。すぐに命は奪わない。今回は人数も多いし、あまり一気に始末すると捜査機関も動きそうだからね」


 カーバンクルは言いながらシリンダーの封を解いた。

 中から銀色に光るミミズのような、半有機半機械の生命体が這い出てくる。


「あなたは脳に異常を抱えた老人たちを弄んだ。だから、あなたにも同じ立場になってもらう」


 ブルームフィールドは、カーバンクルの指につままれて蠢く物体を見て目を見開いた。


「そ、それはまさか……まさか!? ノース区の兵器、『ブレインイーター』……!? 馬鹿な、あれは凍結されたはずだ!」

「よく知ってるね。そう、私やあなたがいたノース区で作られたものだよ。『脳喰い虫』って通称の方が馴染みがあるかな?」


 恐るべき生物兵器の存在を前に、ブルームフィールドの顔が恐怖と、そして屈辱に歪んだ。

 自分が専門としてきた『脳』を破壊する技術。天敵のような存在。


「や、やめろ! 私に手を出すな! 私の脳は人類の至宝だぞ……がっ!」


 彼が後ずさるより早くカーバンクルの手がその首を掴み、地面に叩きつけた。


 カーバンクルは、蠢く脳喰い虫をブルームフィールドの耳元へ運んだ。

 キチキチという気味の悪い駆動音が耳のすぐ近くで響く。


「や、やめ……やめろ……っ! それは、その兵器だけはぁ……っ!!」


 虫は獲物の恐怖を感知したかのように、自ら彼の耳の穴へと猛然と潜り込んでいく。


「ぎゃああああああああッ!! 俺の頭の中に! 入ってくるなあああ!」


 鼓膜を破る音。

 頭蓋骨の内部に直接響く、無数の脚が骨を引っ掻くおぞましいノイズ。そして――。


「ぐ……がああああああああッ!!」


 頭蓋の内側から、灼熱のドリルで脳を直接かき混ぜられるような、地獄の頭痛が彼を襲った。


(まっ、まずい……! この痛み……「この痛み方」はまずすぎる……!)


 ブルームフィールドは神経工学の権威である。

 それゆえに、彼の脳がどのように破壊されているのか、脳のどの部位が削られている痛みなのか、すべてリアルタイムでわかってしまう。

 その知識が、彼の苦痛を何倍にも増幅させていた。


「があああっ……クソッ、クソオォ……!」


 ブルームフィールドは激痛に耐えながらも、床に転がったまま密かに思考を巡らせていた。


(私の……私の医療技術なら、この虫の位置を特定して摘出することなど容易い……! バカな小娘め……こいつを抜いて、次は貴様の脳にブチ込んで――)

「もしかして、あとで摘出できるとか思ってる?」


 カーバンクルは、ブルームフィールドの思考を先読みするようにして淡々と問う。


「詳しく知らないみたいだけど、この『脳喰い虫』は休眠時は神経細胞と完全に同化する。かといって覚醒時に摘出しようとすれば、自己防衛機能が作動し、あなたの脳幹を道連れに自爆する」

「は――はぁ!?」


 その言葉が、ブルームフィールドの最後の希望を打ち砕いた。

 激痛の波が引いた後、彼はぜえぜえと息をしながら、震える手で自分の頭に触れた。


「ふざ、けるなよ……! 消えるだろうがっ、私の脳が……私の知性が……!」


 彼は何かを思い出そうとして、言葉に詰まった。


 「前頭葉……いや、海馬における……長期記憶の……なんだ?」


 自らが専門として学んでいた脳の情報。その言葉が出てこない。

 自分の脳が、自分の制御を離れていく。

 知識の宮殿が内側から食い荒らされ、崩れていく感覚。

 それは死よりも恐ろしい、知性への凌辱だった。


「やめろ、やめてくれ……! 私の知識が……私の、研究がぁっ……!」


 彼は、自分が積み上げてきた全てのものが、頭の中から消え去っていく恐怖に泣き叫んだ。


「脳喰い虫は、これからあなたの脳を巣にする。普段は眠ってるけど、気まぐれに覚醒してあなたの知識と記憶を少しずつ食い荒らす。その度に、あなたは今日味わった地獄の頭痛を繰り返し体験することになる」


 カーバンクルは、プライドの残骸にしがみつく男に背を向けた。


「た、ただで済むと思うなよ! 貴様の顔も名前も覚えたっ、必ず見つけ出して……!」

覚えていられない(・・・・・・・・)んだよ。私の顔も名前も、多分数日で消えてなくなっちゃうからね」

「――っ!!」

「脳喰い虫の覚醒タイミングはランダム。次に頭痛と一緒に記憶が奪われるのは5分後かもしれないし、1日後かもしれない」


 怒りと絶望、困惑、恐怖。

 それらが入り交じる男の声が背後で虚しく響いていた。


「だけどいつかは、脳を全部食べられてあなたは死ぬ。いつか来る最後を怯えて過ごすといい」


 カーバンクルは、その無様な姿に一瞥もくれず、次の獲物が待つ檻へと向かった。

 制裁すべき相手はまだいる。

 次は実行犯である看護師たちだ。

カネキくんのアレみたいですね

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