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【断罪】深夜の侵入

「ここ……が」


 『ホテル・ダストカート』の404号室。

 ドアを開けると、カビと合成洗剤の匂いが鼻をついた。


 壁紙は剥がれ、天井の隅には監視カメラの残骸がぶら下がっている。

 予想を裏切らない、掃き溜めのような部屋だった。


 ケンジは擦り切れたベッドに腰を下ろし、手の中のメモリアル・キューブをただ見つめていた。


(……母さん)

(こんな国にいなければもっと長生きできたよな)

(思い出すのは、病気になる前の強い母さんの姿ばっかりだ)

(そんで、フラッシュバックみたいにあの映像が挿し込まれる)


 ……何時間そうしていたのか、もう分からない。

 時間の感覚はとうの昔に麻痺していた。


 真夜中を過ぎ、窓の外のけばけばしいネオンサインが部屋を不気味に照らし出した頃。

 部屋の隅。闇の中から、音もなく小さな影が滲み出した。まるで空間そのものから生まれたかのように。


「っ!?」


 淡い水色の髪。オーバーサイズの白いパーカー。そして、赤い光を放つサイバネティック義眼。

 それは、都市伝説で語られる暗殺者の姿そのものだった。

 だが、あまりにも……幼い。

 少年か少女かさえ判然としない、華奢な子供にしか見えなかった。


「……君が、カーバンクル?」


 ケンジの声は、自分でも驚くほどかすれていた。

 子供は無言で頷くと、ケンジの前に置かれた軋む椅子に、まるで重さがないかのように静かに腰を下ろした。

 その人形のような顔に、感情は一切浮かんでいない。


「君が……本当に、404号室の『始末屋』なのか?」


 こんな子供が? という疑念が、声に滲む。

 裏社会の人間のたちの悪い冗談なのではないか。


「そう。依頼内容は?」


 問いは短く、ストレートだった。

 その声は合成音声のように平坦で、年齢不詳の響きを持っていた。


 無駄な前置きも、感情の揺らぎも一切ない。

 ケンジは、目の前の存在が冗談などではないことを悟った。


 それからケンジは、堰を切ったように語り始めた。

 母親の病気、シルバーケアという偽りの希望、そこで行われていた非道な実験、録画した証拠、システムの冷酷な拒絶、そして……母だった冷たい金属塊。

 言葉は何度も途切れ、震え、嗚咽に変わった。


「……ふぅん」


 カーバンクルは時折義眼を微かに明滅させながら聞いていたが、その表情は最後まで石膏像のように変わらなかった。


「つまり、シルバーケア・メディカルセンターの関係者全員の始末を求めるということ?」

「そうだ! ドクター・ブルームフィールド、看護師のサラ・ヴァンス、映像に映っていたスタッフ全員……あいつらは母さんを弄び、殺したんだ!」


 カーバンクルは涼しい顔を維持していたが、内心で辟易していた。


(めんどくさいなぁ。ちょっと人数多すぎない?)


 これまで請けてきた依頼はせいぜい2、3人の個人的な恨みだ。

 今回は施設という組織が対象。スタッフだけでも20人を超える。


 しかも、セントラル区に隣接する富裕層向けの施設だ。

 物理的にも電子的にも、セキュリティレベルは桁違いだろう。


「対象者の詳細は?」

「このデータに全部入ってる。映像に映ってるクズは、一人残らずだ」


 ケンジはデータチップを差し出した。

 カーバンクルはそれを受け取ると、自身の手首にケーブルを直結した。網膜に直接、膨大な情報が超高速で流れ込んでいく。


 画面に映し出される、老人たちが苦しみ叫ぶ地獄絵図。

 それを冷ややかに見下ろすスタッフたちの顔、顔、顔。

 そのおぞましい光景をスキャンしても、彼女の表情はピクリとも動かない。


(主犯格はドクター・ブルームフィールド、依頼人の母を虐待していたのが主任看護師サラ・ヴァンス……その他実行犯として看護師8名、技術者4名、警備スタッフも関与かな……)


 頭の中のプロセッサが対象者を瞬時にリストアップし、脅威レベルを査定していく。


(一人ずつ消していては時間がかかりすぎる。けど一度に全員をとなると……リスクが高い)


 カーバンクルは映像を再スキャンした。患者への扱いは確かに非人道的だ。

 だが彼女の思考を占めるのは、倫理ではなく依頼遂行の難易度だけだった。


「期限は?」

「できるだけ早く……頼む。母さんの死を、ただの『処理済み』で終わらせたくないんだ」


 ケンジの目から、こらえきれなかった涙がこぼれ落ちた。


(……母親、か)


 カーバンクルはその涙を見て、自分の中で表現しきれない思いを感じていた。

 母親も父親も、彼女にはまったく関係ない代物だ。しかしその情がいかに深いものかはわかっているつもりだった。


「……報酬は既に払ってもらったからね。引き受けるよ」


 この部屋の利用料という名の対価を受け取った以上、仕事は完璧に遂行する。

 それがカーバンクルの唯一のルールだった。


「ただし、方法は私に任せて」

「ああ、どんな方法でも構わない。あいつらに……母さんが味わった以上の苦痛を与えてやってくれ」


 ケンジは、血が滲むほど拳を握りしめていた。その手の中にはメモリーキューブがあるままだ。

 カーバンクルは静かに立ち上がる。


(どうやって効率的に始末するか……そして、看護師たちに与える報復は何が相応しいかな)


 彼女の脳内では、すでに幾千もの戦術シミュレーションが始まっていた。

 個別撃破か、システムダウンを誘発させての一網打尽か。


 施設の構造データ、警備システムのハッキング経路、スタッフの勤務シフトとプライベートな情報……パズルのピースを組み立てるように、最適な計画を構築していく。


「な、なぁ……待ってくれ」


 ケンジが、すがるように呼び止めた。


「君は……なぜこんなことをしているんだ?」

「なぜって? あなたが依頼したんでしょ」

「そうじゃなくて……君は、見たところ子供だろう。何があって、そしてなんのために――」


 そこまで言ったところで、ケンジは自らの首元に冷たい何かが触れるのを感じ硬直した。


「……っ!?」


 彼の首筋にカーバンクルの指が触れていた。氷のように冷たく、柔らかな指。

 瞬きもしていなかったはずなのに、移動の瞬間はまるで見えなかった。


「不用意に踏み込もうとしないで」

「わ……わかった、悪かった……」


 ケンジは冷や汗が噴き出すのを感じながらなんとか答える。

 それからカーバンクルは振り返らないまま部屋を出ていく。


「……私がこれを続ける理由は、贖罪のため」

「え――」


 ドアが閉まり、子供の姿は再び闇に溶けて消えた。

 一人残されたケンジは、復讐のことすら一時忘れ、カーバンクルという子供のことで頭がいっぱいだった。


(贖罪……って、あの歳で罪も何も……?)



 深夜2時。

 シルバーケア・メディカルセンターは、墓場のような静寂に支配されていた。


 純白のナノテク外壁を覆うように、不可視の赤外線レーザーグリッドと、微細な音響を拾う指向性マイクが蜘蛛の巣のように張り巡らされている。


 正面ゲートでは、重装甲の警備ドローン『ケルベロス』が2体、重低音を響かせながら巡回路を往復していた。


 その鉄壁の防衛網は、カーバンクルにとって「面倒な障害物」でしかなかった。


 施設から500メートル離れた高層ビルの尖塔。

 カーバンクルはそこに立っていた。赤い義眼が、常人には見えない情報の奔流を捉えている。


 熱紋(サーマルサイン)、電磁波スペクトル、構造体のストレスポイント。

 あらゆるデータが、瞬時に彼女の脳内プロセッサにインプットされていく。


「警備ドローン8体、隠しカメラ含む監視ユニット計147台、センサーグリッド73ポイント……ふうん。案外スキだらけ」


 呟きと共に、最適侵入ルートの算出が完了した。

 屋上のメイン換気ダクトから、地下のメインフレームへ。それが最短かつ最も効率的な解だった。


「じゃ、行くか……」


 次の瞬間、カーバンクルは尖塔から身を投げた。

 それから空中で体を捻り、10メートル下のビル屋上に猫のように着地する。

 勢いを殺さず、さらに次のビルへ。むしろ落下のエネルギーを利用して、さらに加速していく。

 まるで物理法則を無視したゴーストのように、ネオンが乱反射する都市の峡谷を駆け抜けていく。

 ターゲットの屋上まで、わずか90秒。


「ふう。建物がたくさんあって助かった……」


 それから、侵入すべく屋上の大型換気口に手をかけた。

 その時。背後でサーボモーターの駆動音が空気を切り裂いた。


『警告:侵入者を検知。5秒以内に投降せよ』


 屋上ハッチから、2体の人型警備ロボットが姿を現す。

 胸部には高圧電流を放つスタン・ランチャーを装備した旧式モデルだ。


 カーバンクルは振り返りもせず、心底うんざりしたように呟いた。


「……面倒だなぁ、もう」


 赤い義眼の虹彩が複雑な幾何学模様に変化し、内部から禍々しい光を放つ。


「戦闘モード、起動」

『――警告終了。鎮圧モードに入――』


 1体目のロボットが青白い電撃を放った瞬間、カーバンクルの姿はそこから消えていた。

 超高速機動で死角に回り込み、指先をロボットの関節部に突き刺す。

 金属を引き裂く甲高い悲鳴と共に、ロボットの右腕が火花を散らして吹き飛んだ。


『侵入者の脅威レベルを5に更新。実弾使用を許可』


 2体目のロボットの肩部装甲がスライドし、小型ミサイルポッドが顔を覗かせる。


 だが、ロックオンが完了するより早く、カーバンクルは跳躍していた。

 空中で独楽のように回転し、その勢いを乗せてロボットの頭部ユニットを蹴り飛ばす。

 金属製の首が捻じ切れ、頭部パーツが放物線を描いて闇に消えた。

 首を失った胴体は、制御を失って数秒間痙攣した後、壁に激突して沈黙した。


 戦闘開始から、わずか12秒。

 カーバンクルの白いパーカーには、オイル一滴付着していなかった。


「だから、面倒なのは嫌いだって言ったのに」


 呟きながら、換気口のハッチを素手で引き剥がす。

 内部のダクトは、彼女が音もなく進むには十分な広さだった。


 冷たい金属のダクトを蛇のように進みながら、義眼のスキャンが施設の内部構造を3Dマップ化していく。


 深夜勤務の生体反応は12。

 ドクター・ブルームフィールドは最上階の院長室で、何かのデータに没頭している。

 他のスタッフは各フロアに点在。


 目標は地下1階のサーバルーム。この施設の神経中枢だ。



 10分後、カーバンクルはサーバルームの真上のダクトから、内部の様子を窺っていた。

 部屋には夜勤の技術者が一人。カフェイン漬けの虚ろな目でコンソールを監視している。


 カーバンクルは、天井のパネルを音もなくずらし、彼の背後に降り立った。


「……ん?」


 男が気配を察して振り返った時には、既にカーバンクルの指が彼の首筋の神経叢を正確に圧迫していた。

 男は悲鳴を上げる間もなく、椅子から崩れ落ちる。


「よし。最低でも1時間は起きない」


 カーバンクルはメインフレームに向かうと、自身の掌を認証パネルに当てた。

 彼女の義眼が再び怪しく光る。脳と目を使い、何かしらのハッキングが行われた。


 やがて彼女の脳内に、施設の全情報がデジタルの洪水となって流れ込む。

 全監視カメラの映像、電子ロックの全マスターキー、スタッフの生体データ、通信ネットワークのログ……数秒で、この建物は彼女の支配下に置かれた。


「……面白いおもちゃがあるね」


 カーバンクルの口元に、冷たい笑みが浮かんだ。

 この施設には『プロトコル・キマイラ』と名付けられた、最高レベルの緊急封鎖システムが組み込まれていた。


 バイオハザードやテロリストの襲撃を想定し、各区画を完全隔離する機能。おそらくここが老人用ケア施設になる前に使われていたものだろう。

 本来は究極の防御システムだが、今夜は最高の檻となる。


 彼女は思考高速でコードを書き換えた。

 封鎖システムの起動権限と解除権限を、すべて自分自身のアカウントに紐付ける。


「これで準備、完了」


 カーバンクルは館内放送システムをジャックした。咳払いし、話し始める。


『全スタッフに通達。レベルAの緊急事態が発生。各自、直ちに指定されたセクションへ移動し、待機せよ』


 彼女の声は、幾重にも電子変調がかけられ、性別も年齢も判別不能な不気味な響きを持っていた。


『ドクター・ブルームフィールドはその場で待機。サラ・ヴァンスは第7診察室へ。トム・ケリーは……』


 一人一人に、異なる隔離区画を指定していく。

 獲物を一匹ずつ、別々の檻に追い込むように。


 モニターには、困惑しながらも、緊急事態という言葉に急かされて移動するスタッフたちの姿が映し出されている。

 全員が指定区画に入ったのを視認すると、カーバンクルは最後のコマンドを打ち込んだ。


「プロトコル・キマイラ、起動」


 施設全体に甲高い警報が鳴り響き、ほぼ同時に、あらゆる扉が轟音と共にロックダウンされた。

 チタン合金製の分厚いシャッターが通路を塞ぎ、建物は巨大な迷宮兼監獄へと変貌した。


「これで、鼠は一匹も逃げられない」


 カーバンクルは満足げに頷いた。

 準備は整った。これから始まるのは、一方的な狩り。あるいは、『害虫駆除』だ。


 彼女はサーバルームを出て、最初の獲物が待つ檻へと、音もなく歩き出した。

 長い、長い夜が始まる──。

やれーッ

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