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【断罪】決闘の末に

 拘束室の空気が、凝固したように重い。


 クロウとカーバンクルの間の距離は、およそ4メートル。銃弾なら0.01秒で届く距離だ。


 だがクロウは即座に引き金を引かなかった。

 大口径の銃口をカーバンクルの胸に据えたまま、鋼色の瞳で少女の全身をスキャンしている。


「……面白いものだな」


 クロウが呟いた。

 声に苛立ちや焦りはなく、純粋で冷徹な感嘆が滲んでいる。


「報告書には何度も目を通した。ヴァイスを殺し、ヴィクター・ローレンスの警備網を突破し、レックスの兵を殲滅した怪物。……データ上では、お前の危険度は十二分に理解していたつもりだった」


 クロウの親指がハンマーを起こした。乾いた金属音が室内に響く。


「だが、こうして実際に銃を向けて立ってみると——理解した。なぜ全員がお前に敗れたのかを」

「へぇ。なんでなのかな?」


 カーバンクルは微動だにしない。

 手錠の鎖をわずかに張ったまま、赤い瞳でクロウの銃口を静かに見つめている。


「誰もがお前を目の前にすると、一瞬の『油断』が生じる」


 クロウの声が、自分自身に言い聞かせるような響きを帯びた。


「どいつもこいつも無能ばかりだと思っていたが……たしかに。目の前にしてみると、とてつもない違和感だ」

「…………」

「いかにも無力で小柄な子供が、数秒後には自分を殺せるのだという現実。それが——頭では完全に理解しているのに、本能が信じることを拒絶する」


 クロウの瞳が鋭く細められた。


「汗と血にまみれた水色の髪。昨夜の尋問で限界に達しているはずの細い脚。……この子供に、自分が殺されるかもしれない。その映像が、どうしても脳内で結像しない」


 クロウは銃を構え直した。握る手に、わずかな力の揺らぎがあった。

 それを自覚した彼は、即座にグリップを強く握り直す。


「お前の最大の武器は、その異常な身体能力でも、脳内の戦闘データでもない。その『外見』そのものだ。

 『子供に殺されるはずがない』という、人間の本能に深く刻まれた先入観。それがお前の最強のステルス装甲であり、最も致死性の高い毒だ」


 カーバンクルの唇が、微かに動いた。


「……よくわかってるね」


 声は掠れていたが、もう昨夜の弱々しさは欠片もなかった。

 静かな水面の下を泳ぐ鮫のような、研ぎ澄まされた冷徹さがあった。


「でも理屈がわかるのと、対応できるのは違う」

「そうだ。だからこそ、私は躊躇いなく引き金を引く!」


 クロウが撃った。


 軍用大口径弾が火を噴き、拘束室の空気を引き裂いた。

 狙いはカーバンクルの右肩——致命傷を避けつつ、確実に行動能力を奪う正確な射撃だった。


 だがカーバンクルは、銃口が火を噴く瞬間にはすでに動いていた。


 沈み込むように膝を折り、弾道の真下を潜り抜ける——のではなく、両手を顔の前に掲げた。

 手錠の鎖を、弾道の上に差し出すように。


 ――ガァン!!

 轟音。


 大口径弾が、電磁手錠の鎖の中央を直撃した。

 チタン合金の結合部が弾丸の運動エネルギーに耐えきれず、火花を散らして砕け飛ぶ。


「なに!?」


 衝撃でカーバンクルの両腕が跳ね上がったが、彼女の足元は揺るがなかった。

 鎖が千切れ、手錠の残骸がカーバンクルの両手首にぶら下がる。


 彼女の両手が、自由になった。


「く……!」


 クロウの瞳が一瞬だけ見開かれた。

 驚愕ではない。その選択も予測の範囲内だったのだろう。

 だがその一瞬は、歴戦の軍人にとっても致命的な『空白』だった。


「だが、両手が自由になったとて――!」


 二発目を撃つ前に、カーバンクルが距離を詰めた。


 4メートルを一歩で殺す跳躍。装甲鋼の床を蹴る音すら残さない、無音の加速。

 クロウの眼前に水色の髪が翻った時には、少女の右手が銃身を下から掴んでいた。


「くっ……!」


 クロウは咄嗟に引き金を引いた。

 だが銃口はすでに天井を向かされており、弾丸は無影灯を粉砕して闇と火花を降らせただけだった。


「放せ!」

「頼み方が悪い」


 クロウは銃を手放さなかった。

 カーバンクルの細い指が銃身を握り込んでいるのを見て、強引に引き剥がそうとする。


 58歳とはいえ、軍用強化処置を受けた腕力だ。

 だが、カーバンクルの弱いはずの握力を引き剥がせない。達人的な筋力の操作で、力が流されていく。


 カーバンクルは銃を握ったまま、手首を捻った。

 小さな手が描いた弧は最小限だったが、その軌道にクロウの手首の関節が巻き込まれた。


「!」


 梃子と回転。

 人体の構造上、絶対に逆らえない方向へのベクトル。


「ぐ……っ!」


 激痛が手首を駆け上がり、クロウの指が反射的に銃から離れた。


 カーバンクルは奪った銃を見もせずに背後へ投げ捨てた。

 銃は放物線を描き、壁際に転がって止まる。

 彼女は、銃を使わない。


「……なんのつもりだ」

「銃はダメージの加減が難しいんだ」

「フン……化物め……!」


 クロウは即座に後退し、距離を取ろうとした。だがカーバンクルはそれを許さなかった。

 半歩の踏み込みで退路を塞ぎ、右の掌底を彼の胸骨に向けて突き出す。


「ッ!?」


 クロウは左腕で受けた。衝撃が腕の骨を伝わり、肩まで痺れが走る。

 受け止めたはずの一撃の重さに、クロウの表情が歪んだ。


(ありえん! 子供の打撃ではない……!)


 続けてカーバンクルの左拳が、クロウの脇腹を抉るように入った。

 スーツの生地が凹み、クロウの口から低い呻き声が漏れる。


「ぐっ……ぬぅぅ!」

「!」


 だが彼は崩れなかった。腹筋を硬直させて衝撃を逃がし、同時に右の肘をカーバンクルの側頭部に叩き込もうとする。


 カーバンクルの頭がわずかに傾いた。

 必殺の肘打ちが水色の髪を掠め、空を切る。


「ハァ、ハァッ!」


 クロウは戦い方を知っていた。

 旧世界の軍で鍛え、棄民との白兵戦をも生き延びた実戦仕込みの近接格闘術。


 年齢を感じさせない鋭い踏み込みと、体格差を活かしたリーチの長い攻撃が、カーバンクルの小さな体を捉えようとする。


「お前がカンフーの達人だろうと! 当たらなければ意味がないだろう!」


 クロウの右ストレートが繰り出される。

 カーバンクルは首を傾けるだけで拳を躱し、伸びきった腕の内側に滑り込んだ。


 クロウの肘の内側——上腕動脈が走る急所に、二本の指が正確に押し込まれる。


「……っ!」

「当たる。だから意味はある」


 右腕の感覚が一瞬途切れた。

 クロウは即座に左手でカーバンクルを払おうとしたが、少女はすでにその腕の下を潜り抜け、背後に回り込んでいた。


 腎臓への正確な一打。


「がっ……!」


 クロウの膝が揺らいだ。

 だが倒れない。歯を食いしばり、体を回転させて裏拳を放つ。


 カーバンクルは後方に跳んで距離を取り、再び正面で構えた。


「ぐっ……はぁ、はぁ……!」

「……ふぅ……」


 無影灯が一基破壊されたことで、室内は半分が闇に沈んでいた。

 残った一基の白い光が、二人の間に長い影を落としている。


 クロウは右腕を押さえながら、荒い呼吸を整えた。

 額に汗が浮かんでいる。銀縁の眼鏡が鼻の上でずれ、鋼色の瞳が剥き出しになっていた。


「……たいした、ものだな……!」


 その言葉に虚勢はなかった。クロウは戦場を知る男だ。

 自分より強い敵を前にした時、虚勢を張ることが命を縮めることを、骨の髄まで理解している。


「だが、ここまでだ。404号室の怪物!」


 クロウは構えを変えた。両拳を顎の高さに上げ、重心を低く落とす。完全な防御態勢だ。


「この部屋から出る手段はない。防爆扉のロックダウンは外からしか解除できん。お前が私を倒したところで、ここに閉じ込められて餓死するだけだ」

「それはどうかな……」


 カーバンクルは答え、静かに距離を詰めた。


 クロウが迎撃の構えを取る。接近に合わせ、右の前蹴りを繰り出した。

 長いリーチを活かした、腹部を狙う正確な牽制だ。


 カーバンクルは、自らその蹴りの軌道に向かって踏み込んだ。

 蹴りが届く前に内側に入る。クロウの軸足の横に着地し、膝の裏に自分の脛を引っ掛けた。


「ぬっ!?」


 クロウの体が前に傾く。

 その崩れた重心に逆らわず、カーバンクルの掌がクロウの顎を下から掬い上げた。


 鈍い衝撃音。


「が――っ!!」


 クロウの頭が跳ね上がり、視界が白く飛んだ。

 だがまだ意識は保っていた。膝をつきながらも、両腕を上げて次の攻撃に備えようとする。


「よく頑張るね。でも、もう寝る時間」


 カーバンクルの右足が、クロウのこめかみに吸い込まれた。


「あ――!?」


 回し蹴り。だが力任せの一撃ではない。

 側頭部を正確に捉え、頸椎への衝撃を抑えながら、大脳の揺れだけを最大化する——脳震盪を起こすための精密な一打。


 ゴッ、という音が室内に響いた。


 クロウの銀縁の眼鏡が弾け飛び、装甲鋼の壁に当たって砕けた。


 彼の巨体がゆっくりと傾き、床に向かって倒れていく。

 片手を突いて立ち上がろうとしたが、平衡感覚を失った体は言うことを聞かなかった。


 鋼色の瞳が、最後にカーバンクルの赤い瞳を捉えた。


「…………お前、は……」


 クロウの唇が動いた。だがその声は形にならなかった。

 瞳の光が急速に薄れ、瞼が重力に負けて閉じていく。


 ドン、と装甲鋼の床が重い音を立てた。


 アレクサンダー・クロウの巨体が仰向けに倒れ、動かなくなった。


 拘束室に、完全な静寂が戻った。


 残った一基の無影灯が、倒れたクロウと二名の武装兵、拘束椅子で泡を吹いているハミルトン、そして——その中心に立つ少女を照らしている。


「――はぁ。疲れたね」


 カーバンクルは両手を下げ、荒くなった呼吸を静かに整えた。

 全身は汗と血で汚れ、手首には千切れた手錠の残骸がぶら下がっている。


 だがその赤い瞳だけは、深い湖のように凪いでいた。


「さて。おしおきの時間かな……」

おしおきの時間だよ ベイビー

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