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【断罪】お前が悪い

「ヒッ、ヒッ、ヒィ……」


 翌日から、エドワードは眠れなくなった。


 隠れ家は完全に焼失した。

 壁一面の写真も、彼が執着してきた「コレクション」の全てが一夜にして灰になった。


 エドワードはセントラル区の超高級レジデンスに身を移した。

 地上32階。窓は防弾ガラス。最新の生体認証セキュリティ。

 それでも夜になると空調の音が足音に聞こえ、自分の影にすら怯えた。


『次はもっと大切なものを奪うから』

「クゥッ……! こ、おのれ……っ」


 水色の髪の死神の声が、耳の奥にこびりついて離れない。

 エドワードは震える手で、裏社会で最強と謳われる民間警護会社『ヴァンガード・セキュリティ』を雇った。



 リーダーのギルバートは、元特殊部隊員のプロフェッショナルだった。

 エドワードは彼との初対面で、最も得意な顔を作った。怯えた、無力な被害者の顔だ。


「助けてほしいんだ。私は……教育改革を進めようとしたら、旧体制の勢力に目をつけられてしまった。命を狙われている。隠れ家も放火された」

「脅迫者の情報は?」

「……わ、分からない。ただ、若い女性の声だった。まだ子どものような……」


 ギルバートの眉が動いた。


「……まさか、404号室の始末屋、ですか」

「あっ、ああ! そう、そうだ……あれは本物だ。どうか、私を守ってくれ……!」

「……ふぅむ。なるほど……」


 エドワードは計算された涙を浮かべた。

 月額五十万クレジットという破格の報酬で契約は即日成立し、五人の屈強なボディガードがエドワードの周囲を固めた。


 レジデンスの出入りは厳重に管理され、セキュリティは軍用レベルに引き上げられた。


 ——大丈夫だ。金さえ払えばプロは動く。

 あの化け物だって、手が出せるはずがない。


 エドワードは束の間の安堵の中で、彼らに差し入れをし、家族の話を聞き、「善良な公務員」を演じ続けた。

 子どもたちを手懐けたのと同じやり方で、大人の傭兵たちをも味方に引き入れようとした。


 ――しかし、その安堵はわずか三日で崩れ去った。



 四日目の夜。

 シフト交代の時間に現れたギルバートの後ろには、チームの全員が立っていた。

 誰も武器を携行していない。護衛の姿勢ではなかった。


「ギルバートさん……?」

「契約は今日で終了だ。残額は返金しない」


 ギルバートの顔には、プロが絶対に見せないはずの感情——純粋で、生理的な嫌悪が張り付いていた。


「な、何を言って……!」

「エドワード・フィンチ。過去11年間にわたり、下層区の才能ある児童を精神的支配下に置き、性的搾取してきた」


 ギルバートはタブレットを突きつけた。

 画面にはエドワードの隠れ家の写真。燃える前の「コレクション」の壁。


 エドワードの膝が、ガクリと折れた。


「な……ど、どこでこんなものを……!」

「今朝、チーム全員の端末にハッキングで送られてきた。……俺たちは金で暴力を振るうプロだ。だが最低限のラインはある」

「ま、待て、待つんだ……」


 ギルバートはエドワードの胸ぐらを掴み、壁に叩きつけた。


「がっ!」

「要するに。ガキを嬲るペド野郎なんか護衛したくねぇんだよ」


 ドスッ、と容赦のない拳がエドワードの鳩尾に沈んだ。


「ぐぶぉっ! ゲホッ、ごえぇ……!」


 エドワードは床に崩れ落ち、胃液を撒き散らして咳き込んだ。


「俺にも11の娘がいる。もしこんなクソ野郎が娘に近づいたら、俺は——」


 ギルバートは唾を吐き捨て、チームと共に背を向けた。


「あんた、終わりだよ。勝手に死ね、クソ野郎」


 ドアが閉まる音が、死の宣告のように響いた。


 レジデンスの部屋に、エドワードだけが残された。

 自分の吐瀉物の匂いの中で、彼は床に額を擦りつけた。


「……私は、悪くない……!」


 呟いたいつもの言葉。これまで何千回と繰り返してきた、自分だけの魔法の呪文。


 しかし。

 今夜、その言葉は——いつもより薄く聞こえた。


 ギルバートの目を思い出す。あの嫌悪の目。

 殺意ですらない。殺す価値すらない汚物を見るような目。


 裏社会の人間に、汚い仕事をこなしてきたプロの傭兵に、人殺しにすら——軽蔑された。


「私は……」


 悪くない。その言葉を口にしようとした。

 舌の上まで来ていた。けれど、声にならなかった。


 初めてだった。

 あの呪文が、喉を通らなかったのは。


「……〜〜〜〜ッ!!」


 エドワードは床に額を押しつけた。

 胃液の酸っぱい匂いと自分の汗の匂い。高級レジデンスの清潔なフローリングの上で、エドワード・フィンチは人生で初めて、自分の言い訳に罅が入る音を聞いた。


 ——本当に、悪くないのか?


 その問いが脳裏をよぎった瞬間、エドワードは首を激しく振って否定した。

 身体ごと否定するように、床の上で丸まり、頭を抱えた。


「悪くない。悪くない。私は悪くない。あいつらが悪い。子どもたちが悪い。夢なんか見るから悪い。私はただ——」


 言い聞かせるように呟き続ける声は、次第に小さくなり、やがてただの喘ぎ声になった。



 ボディガードが去ったその日の深夜。


 エドワードはリビングの床に座り込み、空になった酒瓶を抱えて震えていた。


 カーテンは全て閉め切り、照明は落としている。

 32階の防弾ガラスの向こうにはセントラル区の夜景が広がっているはずだが、彼には暗闇しか見えなかった。


 不意に。

 キッチンのインジケーターランプの青白い光が、一瞬だけ遮られた。


 エドワードの心臓が跳ね上がり、空き瓶が床を転がる。


「だ、誰だ……!」


 パチン、とリビングの照明が全開になった。

 急激な明るさに目を細め——視界が回復した瞬間、エドワードは声にならない悲鳴を上げた。


「〜〜〜〜!!」


 3メートル先。

 カーバンクルが立っていた。


「こんばんは」


 白いパーカー。透き通るような水色の髪。無機質な赤い瞳。

 その右手には——真新しい工業用チェーンソーが、だらりと垂れ下がっていた。


「どっ……どうやって入った……! ここは32階だぞ! セキュリティが——」

「窓から来た。……ヴィクターのとこのセキュリティで足りないのに、こんな普通の家で防げるわけないでしょ」


 カーバンクルが短く答えた。

 32階。防弾ガラス。生体認証。その全てを、この少女は幽霊のようにすり抜けてきたのだ。


「ナノ・クロイツェルの病室に行ってきたよ」


 カーバンクルの声は、凪いだ水面のように静かだった。


「まだ目を覚まさない。両腕は——あなたが知っている通り」


 エドワードは這いずって後退り、ソファの背もたれに激突した。


「ま、待ってくれ……! 私は……あれは事故だったんだ……! 彼女が急に暴れたから、止めようとして——」

「嘘はいい」


 カーバンクルが一歩、前に出た。


「椅子には結束バンドの跡があった。切断面には焼灼処置が施されていた。最初から手を奪うつもりで準備していたんだよ、あなたは」


 ……見抜かれている。

 もう一歩。近付いてくる。


「ナノは右利きだった。あなたは右手から切った。一番大切な利き手から」


 カーバンクルの足が止まった。

 エドワードとの距離は、すでに1メートルを切っている。


「お願いだ……こっ、こ、殺さないでくれ……! 金ならいくらでも払う! 君のような美しい子が、こんな野蛮な真似をするのは——」


 エドワードは床に這いつくばり、涙と鼻水で顔をぐしゃぐしゃにしながら命乞いをした。


 彼の歪んだ嗜好を満たす美しい少女が、死神として自分を見下ろしているという絶望的な矛盾に、脳が焼き切れそうだった。


「殺さないよ」


 カーバンクルの声が降ってきた。


「……え?」

「前にも言ったでしょ。まだ殺さないって」


 カーバンクルはエドワードの右手を踏みつける。


「ぎ……ッ!?」


 エドワードは狂ったようにもがいたが、腕は1ミリも動かなかった。

 カーバンクルは、チェーンソーを持ち上げた。


「あなたがナノさんにしたことを、同じようにする」

「やめ——ぎゃああああああああッッ!!!」


 チェーンソーが起動した。

 鼓膜を劈く高周波の金属音と、肉を断ち骨を砕く絶叫が、32階の防音リビングに響き渡った。



 ……痛みが、全てを支配していた。


 エドワードは血の海となった高級カーペットの上で転げ回っていた。

 右腕の肘から先が——ない。

 断端は、ナノと同じように致死量ギリギリで焼灼処置が施されていた。当然それも、意識があるまま激痛とともに施されたものだ。


 カーバンクルは立ち上がり、チェーンソーの電源を落とす。


「ぁ、あ゛……ぁあ゛あ゛あ゛……ッ」


 エドワードは失われた右腕の断端を左手で押さえ、胎児のように丸まって痙攣していた。


「次に私の襲撃を防げなかったら……」


 カーバンクルの赤い瞳が、苦痛に歪む男の顔を冷徹に見下ろしている。


「もう片方の手も奪うからね」

「ヒッ……ァ……!」

「そうなったら、あなたはもう何もできなくなる。子どもの頭を撫でることも。コレクションを愛でることも。チェーンソーを握ることも」


 カーバンクルは、窓に向かって歩き出した。

 来たときと同じ32階の窓。


「逃げられるなら逃げてもいいよ。隠者たちに泣きついてもいい。でも、私は必ず見つける」


 窓枠に手をかける。夜風がパーカーの裾を揺らし、水色の髪を散らした。


「次は防げるといいね。……もっと頑張りなよ、先生?」


 白いパーカーが窓の外の暗闇に溶けて消えた。

 音もなく。


「かッ……は……う、ぐぅぅ……」


 32階のリビングに、エドワードだけが残された。

 右腕の断端から脈打つ激痛が全身を貫いている。


 彼が子どもたちから奪ってきた「絶望」が、そっくりそのまま彼自身の血となってカーペットを汚していく。


「あ……あぁ……私の、私の手が……ッ、私の……!!」


 エドワードは残された左手で、自分の顔を覆った。

 完璧だったはずの計画。完璧に演じた善人。完璧なコレクション。

 全てが灰になり、今は自分の肉体すら削り取られた。


 誰も助けに来ない。金で雇ったプロも、権力で結ばれた隠者たちも、誰も彼を救わない。


 防音壁に閉ざされた高級レジデンスの中で、エドワード・フィンチの惨めな嗚咽だけが朝まで響き続けていた。

単体への制裁にしちゃそこそこの尺!

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