表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
186/212

【断罪】コレクションの破壊

 同じ夜。セントラル区。

 暗号化された虚数空間に、二つのホログラムが浮かんでいた。


 一つはエドワード・フィンチ。

 もう一つは、隠者たちの中核メンバーの一人——アレクサンダー・クロウ。


 ブラック・リヴァイアサン社CEO。

 軍事・警備産業の巨頭。


「報告は聞いた」


 アレクサンダーの声は低く、鉄を擦り合わせたような響きがあった。


「教育委員会の管轄下にある生徒を、お前の個人的な趣味で監禁し、傷害を負わせた。しかも処理が杜撰で、被害者は生きたまま発見された。そういうことだな、エドワード」


 エドワードのホログラムが、びくりと震えた。


「ち、違う……あれは『あえて』で、だって生かしておかないと夢をなくした姿が見れなくて……」

「……はぁ」


 アレクサンダーの声が、一段冷たくなった。


「貴様の気色の悪い趣味嗜好など聞いていないわ。無能のクズめ」

「ぐっ、ぬっ……」


 エドワードは口をつぐんだ。

 ホログラムの手が、膝の上で小刻みに震えている。


「マルコムが死に、レックスが死に、ゴールドスタインが死んだ。我々は今、あの化け物に狩られている最中だ。その状況で——お前は何をしている? 小児性愛の性癖を満たして遊んでいるのか?」

「あ、遊びなどでは……! あれは職務の一環で、下層の才能ある子どもの芽を摘むのは——」

「管理という名の、お前の自慰行為だろう。我々の間では周知の事実だ」


 アレクサンダーが鼻で笑った。

 その嘲笑には一片の温度もなかった。


「今まで無視していたのは、我々にも利があったからだ。だが、証拠が残る形で暴走するなら話は別だ」


 アレクサンダーのホログラムが、エドワードに一歩近づいた。


「生きた被害者は証言する。兄は諦めていない。お前の隠れ家に痕跡が残っていれば、いずれ足がつく。そうなったとき、我々は——」

「わ、わかっている! 処理する、痕跡は必ず消すから……!」

「処理? どうやって。お前は我々の中で最も無能だ。金もない、武力もない、人脈もない。あるのは教育委員会の肩書と、子どもを洗脳する気色悪い技術だけだ」


 エドワードの歯が、カチカチと鳴った。

 屈辱と恐怖が入り混じった、惨めな震えだった。


「まあいい」


 アレクサンダーの声から、完全に感情が消えた。


「好きにしろ、エドワード。お前がどうなろうと、我々には関係ない。カーバンクルに狙われたくなければ自分で身を守れ。守れなければ——他の連中と同じ末路を辿るだけだ」


 通信が切れた。

 アレクサンダーのホログラムが消え、虚数空間にエドワードだけが残された。


「……クソッ」


 歯の隙間から、呪詛が漏れた。


「クソッ、クソ、クソ……! なんで私ばかり……私は悪くないのに……あいつらだって同じことをしてるじゃないか……人間狩りだの拷問ショーだの、もっと酷いことを……! なのになんで私だけ馬鹿にされて、見下されて……ッ」


 ガリガリと親指の爪を噛み千切りながら、エドワードは通信を切断した。



 エドワードの隠れ家は、セントラル区の外縁部にあった。


 表向きは教育委員会の資料保管庫として登録された、築三十年の低層ビルの地下一階。

 入口は生体認証でロックされ、彼だけの完全な密室空間となっている。


 通信を終えたエドワードは、部屋の中央に立っていた。


 琥珀色の照明に照らされた壁一面の写真。

 百枚近い子どもたちの輝く笑顔と、その対になる虚ろな顔。

 彼が丹念に集め、壊し、支配してきた「芸術作品」の数々。


 エドワードはグラスに安酒を注ぎ直し、写真の前をゆっくりと歩いた。


 一枚一枚を指でなぞりながら。

 ヴァイオリンの少女。科学の少年。スポーツの天才。そして——最新の一組。


 左側には、工具を手に笑うナノの写真。右側はまだ空白だった。


「……ナノの写真は、どうしようかなァ」


 甘い独り言が漏れた。


「手のない姿を撮るか……? 少しやりすぎたかもしれないな。でも仕方がなかった。私を拒絶したあの子が悪いんだ。大人しく愛されていれば——」


 その時。

 鼻腔を、異質な匂いが掠めた。


「ん……?」


 エドワードの独白が止まる。

 グラスを持つ手が固まり、目だけが左右に動いた。


 ——焦げ臭い。


 最初は気のせいかと思った。

 しかし匂いは急速に強くなっていった。


 紙が燃える匂い。布が焦げる匂い。

 そして——化学系の着火剤特有の、鋭い刺激臭。


「なっ——」


 天井の通気口から濃い灰色の煙が這い出していた。

 火災警報が鳴らない。

 建物のセキュリティシステムが、完全に沈黙している。


「火事……!? なっ、なぜ警報が——!?」


 エドワードは慌てて端末を取り出し、監視システムにアクセスしようとした。


 画面は真っ暗だった。

 通信も、セキュリティも、消火システムも——全てが死んでいる。


(ハッキングされた……!? のか!?)


 その認識が脳に届くのと同時に。

 ボワッ!! という爆発音とともに、壁の写真の上端が一斉に赤く染まった。


「うわぁぁっ!!」


 天井裏から回り込んだ炎が、壁面に降り注いだのだ。

 高熱の化学炎は、乾燥した印画紙を瞬く間に燃料として喰らい尽くしていく。


「あっ——」


 エドワードは壁に手を伸ばした。

 写真を剥がそうとした。反射的に。

 しかし指先が触れるより早く、ヴァイオリンの少女の笑顔が赤く歪み、チリチリと黒く縮んでいく。


「やめろ……! やめろやめろやめろ!!」


 エドワードは絶叫しながら、隣の写真に手を伸ばした。

 科学の少年が燃えた。

 プログラミングの神童が燃えた。

 スポーツの少女が燃えた。

 ナノの写真が燃えた。


「あああああ!! 私のコレクションが……私の愛した芸術が……私の、私の……ッ!!」


 炎は壁を伝って左右に走り、百枚近い写真を次々と火の海に飲み込んでいく。


 子どもたちの輝く笑顔も、絶望に染まった虚ろな顔も、等しく無価値な灰へと変わっていく。

 エドワードが人生をかけて築き上げた「優越感の証明」が、文字通り音を立てて崩れ去っていく。


「ふざけるな! ふざけるなよぉ!?」


 天井の一部が崩落し、火の粉がエドワードの肩に降りかかった。

 高級スーツが焦げ、皮膚に焼き鏝を当てられたような激痛が走る。

 煙が目を灼き、呼吸が詰まった。


「ひっ、ヒィ、ヒィ……!?」


 ——逃げなければ死ぬ。


 執着を生命の危機が上回った。

 エドワードは壁に未練の手を炎の熱に弾かれ、泣き叫びながら踵を返して出口へ走った。


「ああああ……! うわあああぁッ!」


 廊下は既に黒煙で充満していた。

 這うようにして非常階段を登り、地上への扉を蹴り開ける。

 夜の外気が肺に流れ込み、アスファルトの上に転がり出て激しく咽せた。


「ゴホッ、ゲホッ……ハァッ、ハッ、ハァ……ッ!」


 路地裏だった。

 セントラル区の住宅街の裏手。人通りはない。

 ビルの地下から猛烈な黒煙が噴き出し、非常口の隙間からオレンジ色の業火が漏れている。


 エドワードは四つん這いになり、涙と鼻水で顔をぐしゃぐしゃにしながら酸素を貪った。


 煤で汚れた顔。焼け焦げたスーツ。眼鏡の片方のレンズは割れている。

 つい先ほどまでの優雅な教育委員長の面影は、微塵も残っていなかった。


「クソ、なんだ、何が起きた……!? 誰が、こんな――」


 息を整えようとしたとき。

 頭上から、静かな声が降ってきた。


「夢の燃える匂い。分かる?」


 エドワードの心臓が、冷水を浴びたように凍りついた。

 ゆっくりと顔を上げる。


 路地裏の向こう側。街灯のない暗がりの中に、小さな影が立っていた。

 白いパーカー。

 そして——透き通るような水色の髪。


 エドワードの呼吸が止まった。

 暗闇の中で微かに赤く光る二つの瞳。


 しかし、エドワードの脳髄を貫いたのは恐怖だけではなかった。


(……美しい)


 華奢な体躯。幼さを残す白い輪郭。そして何より、あの色素の薄い水色の髪。


 それはまさに、エドワードの「タイプ」だった。

 彼が今まで集めてきたどの子どもよりも、圧倒的に彼のストライクゾーンのど真ん中を射抜いていた。


「だ、誰だ……?」


 喉が引き攣り、声が震えた。恐怖と、わずかな熱情が混ざった醜い声。


 だが目の前の存在が何者であるか、エドワードの脳は既に理解していた。

 隠者たちが怯える死神——カーバンクル。


 だがその死神があまりにも自分の理想の姿をしていたため、彼の脳は処理を遅らせていた。


「404号室から来た」


 カーバンクルの声は絶対零度に凪いでいた。

 怒りも憎しみも、何の感情も込められていない。ただ事実を告げるような平坦な声。


 エドワードの身体が激しく震え始めた。

 四つん這いのまま後退ろうとし、手のひらがアスファルトを擦って皮が剥ける。


「ま、待て……! 私を殺すつもりか……!? やめてくれ……! 私は、私は悪くない……あいつらに利用されていただけで……!」

「まだ殺さないよ」


 カーバンクルの声が、エドワードの醜い弁解を刃物のように遮った。


「……え?」

「まだ、殺さない」


 カーバンクルが一歩、前に出た。


 街灯のない路地裏でも、その赤い瞳だけは鮮明に見えた。

 幾何学模様が、瞳孔の中で歯車のようにゆっくりと回転している。


「だけど」


 もう一歩。

 エドワードとの距離が3メートルを切る。

 近づいてくるその幼い姿に、エドワードは恐怖に震えながらも、目を逸らすことができなかった。


「あなたはもっと、必死になったほうがいい」


 カーバンクルの声に、初めて異質な響きが混じった。

 薄い氷の下に閉じ込められた、途方もなく冷たく残酷な何か。


「あの部屋の写真は全部見た。名前も、日付も、全部ね……」

「ヒ――」


 エドワードの顔から、一気に血の気が引いた。


「次は、もっと大切なものを奪うから」


 カーバンクルの赤い瞳が、エドワードを真っ直ぐに射抜いた。


 数秒。それだけの時間だった。

 けれどエドワードにとっては、自分の全存在を解剖され、ナイフを突き立てられたような、永遠にも等しい時間だった。


 カーバンクルが静かに踵を返した。

 路地裏の暗がりに向かって歩き出す。足音はない。

 白いパーカーの背中の『404 Not Found』のロゴが、闇に溶けていく。


「ま、待て……! 待ってくれ……! ど、どうか、私は悪くなくて……」


 狂気に当てられたエドワードの戯言は、誰にも届かなかった。


 水色の髪が路地裏の角に消え、あとにはビルの地下から漏れる猛烈な黒煙と、アスファルトに這いつくばった惨めな男だけが残された。


 遠くで、消防ドローンのサイレンが鳴り始めた。


 エドワードは路地裏の地面に座り込んだまま、ガタガタと震え続けた。

 焼け焦げたスーツから煙の匂いが立ち上り、ひび割れた眼鏡の向こうで、目だけが狂ったように左右に動いている。


「次……次は……? 次はだって……? ま、まさか、また来るつもりなのか……!? なぜ! 私は、私は悪くないんだぞ……!」


 誰に言い聞かせているのかも分からない言葉を繰り返しながら、エドワード・フィンチは夜の路地裏で膝を抱えた。

コレクション捨てるのは、善人にも悪人にも効く

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ