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【404】隠者からの挑戦状

 ウエスト区の目抜き通りは、いつも通りの喧騒に包まれていた。


 極彩色のネオンサインが視界を埋め尽くし、空中に浮かぶホログラム広告がノイズ混じりに踊っている。

 どこかから流れる合成音楽の重低音が、通りを行き交う人々の話し声と混ざり合い、不協和音を奏でていた。


 カーバンクルは白いパーカーのフードを目深に被り、その混沌の中を歩いていた。


 誰も彼女を気に留めない。

 目立たず、記憶に残らないこと。それがこの街で長生きするコツだ。


「よう、そこのチビ。脳味噌とろけるVR体験はどうだ?」


路地の暗がりから粘つく声が絡みつく。VRの客引きだ。違法なデータでも扱っているのだろう。


 カーバンクルは視線すら向けずに足を速める。

 相手は「チッ、貧乏人が」と毒づき、すぐに次のカモへ意識を切り替えた。


(……なんか食べようかな)


 彼女が足を止めたのは、高層ビルの隙間にへばりつくような屋台の前だった。


 油と蒸気の汚れにまみれた暖簾。

 「オールドスタイル麺処」という看板が空中に浮かんでいる。


 客席は常に満席に近い。

 24時間営業、生身の店主が一人と、調理用ロボットのアームが二台。


「……空いてる?」

「いらっしゃい。空いてるよ」


 店主は右半身を機械化した60代の男だ。露出したケーブルには油がこびりついている。カーバンクルはメニューを見ずに答えた。


「普通のやつ」

「あいよ」


 男は無駄口を叩かず、手慣れた様子で調理を始めた。

 ロボットに任せず、自身の義手で麺の湯切りを行う。

 その正確な動きは、彼がかつて何らかの「職人」であったことを匂わせていた。


 数分後、カウンターにドン、と丼が置かれる。


 濁った茶色のスープ、縮れた麺。

 その上に乗っているのは、合成肉を圧縮したチャーシューのようなもの、プラスチックじみたメンマ、そして工場から廃棄寸前で流れてきたネギ。


 全てが模造品だ。

 だが湯気だけは本物の匂いがした。


「“昔ながら”のラーメンだ」


 店主は自嘲気味に笑い、自分の分の丼をかき込み始めた。

 カーバンクルは無言で箸を割り、麺を啜る。

 熱いスープが食道を通る。悪くない。いや、この街では上等な部類だ。


「……美味い」

「そりゃどうも」


 短い感想に、店主は満足げに片目を細めた。

 周囲の客たちも会話などしない。ただ黙々と食事を胃袋へ流し込んでいる。


 スープを飲み干すと、カーバンクルは手首のチップをカウンターの読み取り機にかざした。


 電子音が鳴る。50クレジットと決して安くはないが、まともな食事代としては妥当だ。


「ごちそうさま」

「またな」


 店主は振り返りもせず、次の注文へと取り掛かる。

 カーバンクルは席を立ち、再びネオンの洪水へと身を投じた。



 次の目的地は、大通りから一本外れた薄暗い路地。

 「リラクゼーション・ポッド」という看板が、切れかけた蛍光灯のようにチカチカと点滅している。


 無人のマッサージ店だ。入り口には料金表がホログラムで表示されていた。


【基本コース(30分): 100クレジット】

【プレミアム(60分): 180クレジット】

【全身調整コース(90分): 250クレジット】


 カーバンクルは基本コースを選び、代金を支払う。

 ドアが開き、中に入ると、カプセル型のチェアが六台並んでいた。


 最新の医療ポッド崩れだが、人工筋肉のマッサージ機能がついているらしい。

 一番奥のポッドに沈み込むと、半透明のカバーが彼女を外界から遮断した。


 頭の支えが首裏とリンクし、全身に微細な振動が走る。

 首、背骨、腰、そして手足へ。凝り固まった筋肉をほぐすように機械の指が動いていく。


 カーバンクルは目を閉じ、思考を整理し始めた。


 エリザベス・ヴァンダービルトの始末から三日が経過している。

 イスラからの次の依頼はまだ来ていない。

 おそらく、隠者たちの反応を見極めているのだろう。


 ……30分は瞬きする間に過ぎた。

 終了の合図と共にカバーが開き、現実が戻ってくる。


 カーバンクルは身を起こし、首を軽く回した。

 関節の動きが滑らかになっている。少なくとも、次の仕事までは保つだろう。


 店を出ると、頭上の空はまだ人工太陽の光で白んでいた。

 カーバンクルはフードを深く被り直し、今夜の宿を探すために歩き出す。


 ――その背中に、三つの不穏な気配が張り付いていた。


(……誰かいるね)


 路地の影。光の届かない場所から、三つの人影が現れた。


 全員が黒い強化スーツを着て、顔の下半分をマスクで覆っている。

 足音を完全に消した、プロの動きだ。


「ターゲット確認。白いパーカー、水色の髪。間違いない」


 先頭の男が首元のマイクに向かって囁く。その声に感情の色はない。

 彼らはカーバンクルから50メートル後方、通行人の影を利用して完璧な尾行を行っていた。


「指示を。殺すか、捕らえるか」


 イヤホン越しの返答は、ノイズ混じりの冷徹な男の声だった。


『捕獲だ。ただし、抵抗された場合の手足一本くらいは構わん』

「了解」


 三人は目配せ一つせず、散開して距離を詰め始めた。

 ターゲットは404号室の始末屋。一瞬の油断が死に直結する相手だ。


 カーバンクルは歩き続けていた。

 目的地はウエスト区の端にある簡易宿泊所――だがふと、彼女の足運びが変わった。


 歩く速度はそのままだが、いつでも動けるように重心を落とす。


(戦力はだいたい把握した。武器も)


 カーバンクルは何食わぬ顔でルートを変更した。安宿ではなく、より人の多い方向へ。


 追跡者たちも即座に反応し、方向を変えてくる。


「ターゲット、感づいた可能性あり。どうする?」

『構わん。この区画の出口は封鎖済みだ。袋の鼠だ』


 指示は絶対だ。三人は迷彩機能の出力を上げ、一気に距離を詰める。

 一般市民を突き飛ばしてでも確保に向かう構えだ。


 カーバンクルはスピードを上げ、路地へ飛び込んだ。


 そこはビルの排気ダクトが密集する狭い袋小路。

 通常ならば、自ら逃げ場のない場所に入るようなものだ。

 追跡者たちは間髪入れずに路地へ突入する。


「確保する!」


 だが湿ったコンクリートの底に、カーバンクルの姿はなかった。


「見失った!?」


 先頭の男が周囲を見回す。

 誰もいない。路地は行き止まり。

 壁は高くそびえ立ち、逃げ場などないはずだ。


 ……いや、一つだけある。


「上だ!」


 男が叫ぶと同時に見上げた視線の先。


 カーバンクルは壁面のダクトを蹴り、老朽化した非常階段の手すりへ軽業師のように飛び移り、既に屋上の縁に手を掛けていた。

 重力を無視した、ネコのような動き。


「屋上だ! 追え!」


 三人は脚部の強化機能を使い、壁面を駆け上がる。


 だがカーバンクルは更に速かった。

 彼らが屋上に到達した時、彼女の姿は既に隣のビルへと飛び移っていた。


 ウエスト区の屋上は、空調機とケーブルが複雑に絡み合う迷路だ。

 ビルとビルの間隔はバラバラで、一歩踏み外せば地上へ真っ逆さまだ。


 カーバンクルはその悪路を、まるで平地であるかのように疾走していた。


 追跡者たちも伊達ではない。

 軍用ボディの出力を全開にし、コンクリートを削りながら追いかける。

 しかし、距離は縮まらない。


「クソッ、速すぎる! 見失うぞ!」

「散開しろ! 挟み撃ちにする!」


 リーダーの指示で三人が分かれる。

 一人は直進、二人は左右のビルから並走し、前方の開けた給水塔エリアで合流して包囲する作戦だ。


「そこまでだ!」


 計算通りのタイミングで、三方向から追跡者が着地する。


 給水塔の陰、逃げ場のない屋上の中心。

 カーバンクルは足を止め、ゆっくりと振り返った。


 距離、それぞれ20メートル。三つの銃口と、三つの刃が彼女を捉える。


「…………」


 カーバンクルはフードを脱ぎ捨てた。

 風に舞う水色の髪。そして、右目の赤い義眼が『カシャリ』と音を立てて変形する。


 虹彩の中で光が高速回転し、幾何学模様の照準が浮かび上がった。


「……依頼人は誰かな?」


 彼女の言葉は冷たく、鉄のような味がした。



 ――屋上のコンクリートに、三つの肉塊が転がっていた。


 全員、黒の強化外骨格。

 だがその装甲は飴細工のように砕け散っている。


「ぐっ……あぁ……」

「ちく、しょう……!」


 一人は右腕がねじ切れ。

 一人は胸部装甲が陥没し。

 最後の一人は、両膝が逆に折れ曲がっていた。


 破損した人工筋肉からオイルと血液が漏れ出し、不快な音を立てる。

 彼らはまだ生きている。だが、もはや戦闘者としては機能しない。


 その中心に、カーバンクルは立っていた。

 右眼の幾何学模様が消え、通常の赤い瞳に戻る。


 処理完了。

 所要時間、17秒。


「バ、化け物……」


 先頭だった男が血の泡を吐きながら呻く。

 何が起きたのか、彼らの処理速度では理解すらできていないだろう。


 包囲した瞬間、視界がブレた。

 仲間がゴミのように宙を舞い、次の瞬間には自分の膝が粉砕されていた。

 それだけだ。


 カーバンクルは男の前にしゃがみ込む。

 水色の髪が風に揺れ、表情はない。


「依頼主は?」


 問いかけは静かで、事務的だった。

 男は唇を震わせる。


「……言え、ねえ」


 言わないのではない。言えないのだ。


 脳内の海馬にはプロテクトがかかっている。

 機密を漏らそうとすれば、防衛プログラムが脳を焼く。


 カーバンクルは無言で男の右手を取った。

 装甲の隙間から露出した、生身の人差し指。


 それをためらいなく、逆に折った。


「ぐ、ぎゃあああああ!!」


 絶叫がビルの谷間に吸い込まれる。

 カーバンクルは眉一つ動かさない。


「依頼主は?」

「あ、ぐぅ……!」


 次は中指。


「言えば死ぬんだよ……契約が……!」

「言わなくても死ぬよ。痛いままね」


 冷淡な宣告と共に、中指がへし折られる。

 男の理性が飛んだ。激痛が恐怖を上書きする。


「ああああああああッ、 しゃ、シャドウ……セキュリティ……!」


 言った瞬間だった。

 バチッ!

 男の頭部から焦げ臭い煙が噴き出す。


 白目を剥き、全身を激しく痙攣させ、やがて糸が切れた人形のように沈黙した。


 脳内チップの焼却処分。口封じだ。


(……シャドウ・セキュリティねぇ)


 民間軍事会社兼、セキュリティの企業だ。

 だがそれだけでは情報不足だ。誰が、何のために。


 思考を巡らせようとした瞬間、殺気がカーバンクルの背中を叩いた。

 背後。さっきの三人よりは少し強い。


「……掃除の手間が省けたな」


 振り返ると、貯水タンクの上に男が一人立っていた。

 30代後半、全身傷だらけの筋肉質な巨躯。

 両手には高周波で振動するコンバットナイフ。


 男は眼下の死体を見下ろし、つまらなそうに鼻を鳴らす。


「どうせ廃棄処分だ。スクラップにしてくれて助かったぜ」


 男が地面を蹴った。

 速い。


 瞬時に間合いを詰め、ナイフが横薙ぎに閃く。

 カーバンクルは上半身を反らし、切っ先を紙一重でかわす。

 風切り音が肌を撫でた。


「ほう」


 男は止まらない。追撃の斬り下ろし。

 カーバンクルは横へ回転し、距離を取る。


(……反応速度、義体のグレード、共にAクラス。面倒だなあ)


 まともにやり合えば消耗する相手だ。

 男はナイフを弄びながら、耳元のインカムで何者かと通信していた。


「ターゲットと接触。……ああ、噂通りだ。上玉だぜ」


 通信相手は、おそらく作戦の指揮官だろう。

 それがシャドウ・セキュリティの人間だろうか?


「了解。……ああ、殺しはしねえよ。いたぶって、削って、電池切れを待つ」


(……やっぱり消耗狙いか。増援が来る可能性が高いね)


 カーバンクルは判断し、一瞬の隙を見て、屋上の縁へ疾走した。


「逃がすかよッ!」


 男が背後から迫る。

 だが、カーバンクルの方が一瞬速い。


 彼女は躊躇なく、虚空へ身を投げた。


「なっ……!?」


 下は隣のビルの非常階段。高低差15メートル。

 重力に従って落下しながら、壁面を蹴り、衝撃を殺して着地する。

 そのまま鉄骨の影へと滑り込んだ。


 屋上の縁に取り残された男は、暗闇を見下ろして獰猛に笑った。


「ターゲット逃走。……ああ、問題ない」


 男はナイフを収め、獲物の匂いを追うように鼻を鳴らす。


「追い詰めてやるさ。ネズミが力尽きて、自分から罠に飛び込むまでな」

今回の章は普通の依頼っぽいやつと戦闘のハイブリッドを目指しています

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