【404】屠殺人、来襲
路地裏の湿ったアスファルトを、カーバンクルは音もなく疾走していた。
頭上の隙間から漏れるネオンの光が、汚れた水たまりに反射して歪む。
左耳のイヤーカフが震えた。暗号化回線の着信シグナルだ。
『おい、ショウだ。応答しろ!』
カーバンクルは足を止めず、左耳に手を添え回線を開く。
「タイミングがいいね」
『うおっ、繋がったか! お前の位置情報、バグったみたいに動いてるぞ。屋上からダイブでもしたのか?』
「そのとおり」
ショウの声には、呆れと焦燥が混ざっていた。
カーバンクルはコーナー手前で減速し、曲がり角の先をスキャンする。
「シャドウ・セキュリティ。別働隊が来てる」
『……マジかよ。シャドウ・セキュリティっつーと……隠者たちの中に名前があった。レックス・ドレイクの飼い犬共か』
インカムの向こうで、猛烈なタイピング音が響き始めた。
『待ってろ、今すぐウエスト区の監視カメラをジャックする』
カーバンクルは路地の奥、蒸気が噴き出すパイプの影に身を潜めた。
前方から三つの反応。
出口を塞ぐように展開している。プロの動きだが、こちらの位置は特定できていない。
「……来るね」
一人目が角を曲がった。
その瞬間、カーバンクルは影から弾かれたように飛び出した。
「うおっ!?」
敵が反応し、銃口を上げようとする。
遅い。
ガッ!
「かは……!!」
喉元への掌底。
気管が潰れる嫌な音が響き、男は声を上げる間もなく崩れ落ちる。
「なっ!? か、会敵! 会敵!!」
二人目が驚愕に目を見開く。
カーバンクルはその視界を低空で潜り抜け、膝関節を横から踏み抜いた。
バキリ。
「ぐあッ!? ぎいぃぃぃ!?」
逆方向に折れ曲がった足を見て、男が絶叫する。
三人目が慌ててサブマシンガンを抜こうとした。
カーバンクルは踏み込み、その手首を掴んで強引に捻り上げる。
「痛でででででッ……!」
銃が宙を舞う。
そのまま流れるような動作で、男の顔面をコンクリートの壁に叩きつけた。
ドンッ!
……男は糸が切れたように脱力し、ズルズルと地面へ滑り落ちる。
戦闘終了。経過時間、4.2秒。
『……今の音は?』
「お掃除」
『ケッサク。相変わらず規格外だな、アンタ』
ショウが感嘆の息を漏らすが、すぐに声のトーンを落とした。
『だがマズいぞ。カメラ映像を解析した。主要な出口は全部封鎖されてる。ざっと二十人……いや、増援を含めればもっとだ。波状攻撃ですり潰す気だぞ』
「うん。わかってる」
カーバンクルは倒れた兵士のポケットを探り、軍用通信機を引き抜いた。
ジャックを繋ぎ、暗号キーをショウへ転送する。
「敵の回線を拾った。共有する」
『お、気が利くな。……よし、侵入成功。なるほど、完全に包囲網だ』
一瞬の沈黙。ショウが地図データと敵配置を照合しているのが伝わってくる。
カーバンクルは路地を移動しながら、次なる脅威を索敵する。
東、距離50メートル。二人。まだこちらに気づいていない。
『……一個だけ、抜け道があるな』
ショウの声が戻ってきた。
『“旧ウエスト第3医療センター”を知ってるか? ノース区との境界線上にある廃墟だ』
「うん」
『あそこは15年前の事故以来、高濃度の汚染区域指定だ。PMCの連中も、防護服なしじゃ踏み込めない』
カーバンクルは即断した。
「なるほど。じゃ、そこに行こうか」
『……一応聞くけど、アンタは平気なのか? 放射能だぞ』
「問題ない」
『そう……だよな。アンタはノース区もイケるんだったか』
ショウの声に、わずかな躊躇と畏怖が混じる。
カーバンクルは何も答えず、東へ向けて加速した。
路地の交差点。
正面から二人の兵士が現れる。
「いたぞ! 確ほ——」
叫ぼうとした男の顎を、カーバンクルの拳が下から撃ち抜いた。
脳震盪を起こして白目を剥く男。
もう一人がナイフを抜くより速く、その鼻梁へ頭突きを叩き込む。
ゴッ。
「がふっ」
「ギャアッ!!」
二人が重なるように倒れる。
カーバンクルは足を止めることすらなかった。
ただの障害物処理。通過する風のように、その横を通り抜ける。
『……今、また何人かやった音しなかったか?』
「気のせいじゃない?」
『はいはい、そういうことにしとくよ。次の交差点を左だ。カメラ映像はループさせといた。しばらくはバレない』
「助かる」
『礼は生きて帰ってから言え』
カーバンクルは指示通りに左折し、光の届かない裏路地へと深く潜っていく。
北へ進むにつれ、街の空気が変質していくのを感じた。
極彩色のネオンが減り、代わりに黄色の警告色が目立ち始める。
腐ったゴミの臭いと、焦げた金属の臭い。
廃ビルの外壁には、巨大なホログラムが浮かんでいた。
不吉なバイオハザードマークと、明滅する文字。
【DANGER: 立入禁止区域】
【ノース区境界線より300m以内】
その先に、巨大な墓標のようにそびえ立つ建物があった。
かつて病院だったコンクリートの塊。
窓ガラスは全て割れ、黒い眼窩のように闇を覗かせている。
自動ドアは半開きのまま錆びつき、周囲には目に見えない死の粒子が澱んでいた。
「……着いた」
カーバンクルは足を止める。
肌を刺すような静寂。
ここから先は、人の住む世界ではない。
■
ウエスト区の裏通り、廃棄された倉庫街の陰に、一台の大型配送トラックが停まっていた。
外装はどこにでもある物流会社のホログラムで偽装されているが、その実態は移動式の戦術指揮車だ。
車内は氷のように冷えていた。
サーバーの冷却ファンが低く唸り、無数のモニターが青白い光を投げかけている。
その中央に、レックス・ドレイクは立っていた。
彼は腕を組み、空中に投影された立体地図を睨みつけている。
ウエスト区とノース区の境界線。
カーバンクルの反応は、廃病院に侵入したのを最後に途絶えていた。
当該エリアの監視カメラは10年前から死んでいる。彼は舌打ちした。
「……状況は」
レックスが低い声で問う。
オペレーターの男が、焦燥を隠しきれない声で応答した。
「ロ、ロストしました。ターゲットは旧第三医療センター内部へ侵入。ですが……」
言葉が詰まる。レックスは眉一つ動かさない。
「続きを言え」
「……ガイガーカウンターが警告音を上げっぱなしです。あの区画の放射線量は、環境基準値の800倍。致死量ではありませんが、生身なら数時間で急性障害が出ます。部隊は侵入を躊躇っています」
「躊躇っている、だと?」
レックスは鼻で笑った。感情のこもらない、乾いた音だった。
「俺がいつ、『待て』と命じた?」
「し、しかし! 通常装備では被曝します。規定では防護スーツの着用が——」
「ハァ……倉庫から重装防護服を出せ。ナノファイバー製の軍用モデルだ。今すぐ着せて突入させろ!」
「は、はい! ただ、搬送と装着に最短で20分は……」
「急がせろ」
レックスは通信を切り、舌打ちした。
20分。遅すぎる。その間にネズミが地下水道にでも逃げ込めば追跡は不可能だ。
部下たちの恐怖は理解できる。放射能は見えない死神だ。
いくら義体化しても、脳や生体部品が焼かれれば終わりだ。
だが、恐怖で足を止める兵士になど価値はない。
「……使えんツールだ」
吐き捨てるように呟いた時だった。
プシューッ。
油圧式のエアロックが開き、外の湿った空気が流れ込んできた。
同時に鉄錆と血の混じった匂いが、無菌室のような車内に漂う。
「——俺が行きましょうか?」
男が入ってきた。
先ほど屋上でカーバンクルと接触したナイフ使いだ。
黒い戦闘服、全身に走る無数の傷跡。
違うのは、その獰猛な顔に薄い笑みが張り付いていることだった。
レックスは視線だけで男を捉える。
「防護スーツなしで、か?」
「邪魔なだけです。それに、ちょっとばかり放射線を浴びた程度でくたばるなら、俺のボディはその程度の代物だったってことでしょう」
男はコンバットナイフを抜き、親指の腹で刃を撫でた。
チリ、と皮膚が切れる音が聞こえそうなほどの切れ味。
「それより、あのガキが面白い。ありゃあ普通のネズミじゃない。もう少し遊ばせてもらいたい」
「……貴様、名前は」
「ヴォルク。それだけ覚えておいてくれれば」
レックスは無言で端末を操作し、傭兵データベースへアクセスする。
網膜ディスプレイに情報が高速でスクロールされる。
元・大陸間防衛機構、特殊生物汚染対策班。
ドーム都市外の汚染地帯での任務経験もあり、全身の皮膚および臓器を耐放射線仕様に換装済み。
ネオ・アルカディア建国後は、国内作戦行動中に民間人を独断で壊滅させ、不名誉除隊。
確認されているだけでも、殺害数は31。
戦場での通称は、屠殺人。
「……なるほど。飼い慣らせない獣か」
レックスは端末を閉じ、口角をわずかに上げた。
毒をもって毒を制す。ノース区の汚染には、汚染に浸かった怪物が相応しい。
「許可する。行け」
「感謝します、ボス」
ヴォルクは軍隊式ではない、ふざけた敬礼をして背を向けた。
その足取りは軽く、これからピクニックにでも行くかのような気配。
だが、全身から放たれる殺気は隠しようもない。
エアロックが閉まる。
再び静寂と機械音が戻った車内で、レックスはモニターの廃病院を見つめた。
屠殺人と、ノース区の生き残り。
どちらが先に壊れるか。
答えは見えている。
いくら規格外だろうと、所詮はガキだ。大人の用意した地獄には勝てない。
■
廃病院の正面ゲート。
ヴォルクは立ち止まり、視界の右端で点滅し続ける警告ウィンドウを鬱陶しそうに弾いた。
【WARNING: 放射線レベル危険域】
【被曝量予測: 8.5 mSv/h】
「うるせえな」
思考操作でアラートをミュートにする。
懐から合成葉巻を取り出し、火をつけた。紫煙を肺一杯に吸い込み、黄色いホログラムに向かって吐き出す。
目の前の廃墟は、巨大な墓石のように鎮座していた。
外壁は溶け、カビと苔が黒い紋様を描いている。
ヴォルクは右手のナイフを逆手に持ち替え、軽く回した。
センサーを『アクティブ・ソナー』に切り替える。
反響音なし。生体反応なし。
ネズミ一匹いない。
(……静かすぎる)
通常、廃墟には不法居住者か野生化したドロイドでも巣食うものだ。それが皆無。
つまり、内部にいる“何か”が、既にそれらを掃除したということかもしれない。
「上等だ……」
ヴォルクは歪んだゲートを蹴り飛ばし、堂々とロビーへ足を踏み入れた。
視覚フィルターが暗視モードに切り替わる。
緑がかった視界の中、床の足跡が白く浮かび上がった。
隠すつもりすらないらしい。あるいは、隠す必要がないと判断したか。
(舐められたもんだ)
足跡は階段ではなく、奥の廊下へ続いていた。
かつての検査室、あるいは霊安室か。追い詰められた獲物は本能的に穴へ潜る。
屋上での動きは見事だったが、所詮はガキだ。戦術の引き出しが少ない。
ヴォルクは音もなく移動を開始した。
歩幅を広げ、しかし重心は常に一定。床の瓦礫を踏む音すら立てない。
廊下の角、診察室の扉、天井のダクト。
あらゆる死角をクリアリングしながら進む。
廊下の突き当たり。
重厚な防音扉の隙間から、薄い光が漏れていた。
(ビンゴ)
ヴォルクは扉の脇に張り付き、呼吸を整える。
心拍数、正常。アドレナリン分泌、最適値。
ターゲットは扉の向こう。おそらく待ち伏せているつもりだろうが、こちらのサーマルセンサーは壁越しに熱源を捉えている。
子供の浅知恵だ。
ドアを開けた瞬間、ナイフを投擲し、利き腕を潰してからゆっくりと——
ヴォルクは勝利のシミュレーションを終え、ドアノブに手を掛けた。
「チェック・メイ――!」
勢いよくドアを開け放つ。
同時に踏み込み、ナイフを振りかぶ——
ドンッ。
乾いた音が、一つだけした。
ヴォルクの思考が停止した。
痛みはない。
ただ、視界がいきなり天井を向いた。
ひび割れたコンクリート。埃まみれの蛍光灯。
自分の足が動かない。いや、感覚がない。
(……あ?)
床に倒れ込んだ衝撃で、ようやく理解が追いつく。
額の真ん中に、鉛の塊が埋まっている。
ナイフを投げる動作の途中、脳幹を正確に撃ち抜かれたのだ。
滞在時間、3分。
交戦時間、0秒。
■
『ヴォルク、応答しろ。状況はどうなってる』
レックスの呼びかけに、ノイズだけが返ってくる。
彼は苛立ちを隠さずに貧乏揺すりをし、オペレーターを怒鳴りつけた。
「おい、あいつのバイタルは!」
オペレーターは青ざめた顔で、震える指先でモニターを指した。
「……し、信号ロスト」
「は?」
「生体反応、消失。脳波、心拍、共にフラット。……死亡しました」
車内に静寂が落ちた。
冷却ファンの低い唸りだけが響く。
「……無能がァァァッ!!!」
爆発した怒声に、オペレーターたちが一斉に身を縮める。
レックスは血の滲む拳を握りしめ、唾を飛ばして叫び続けた。
「B班、C班、包囲を圧縮しろ!」
レックスは充血した目で地図を睨みつける。
「ネズミ一匹逃がすな! スーツが届き次第、全員で突入してあの建物を更地にしてやる! 殺せ! 手足の一本どころか、ミンチにしても構わん!!」
プライドを傷つけられた指揮官の絶叫が、虚しく車内に響き渡った。
なんて強そうな経歴と二つ名なんだ
なお




