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けむりの家  作者: 三毛猫
45/49

第45話 小父の死


 父が調停を蹴らずにしっかりと応じていたのは家と土地のことがあったからだった。幸助たちの家と土地を母親が権利として主張するなら、最悪は裁判に持って行くことしか出来ないだろうとは考えていた。父はそうならないために相手方の申し出に応じることにしていた。父はそのことで滅入っていたのかも知れない。しかし母親はそこまでは頭が回らなかったのか、弁護士に止められたか、恐らく家を捨てた人間が家と土地の権利までを主張しても勝てないと踏んだのかも知れない。母親は父の年金の半分と、これからの生活費の一部として七百万を渡すようにとだけ言った。父もそれで折れて年金の半分は母親の権利になった。しかし幸助にとってそういった話、すべてが笑い草だった。

 そうしている間に母親の姉の婚約者が亡くなった。

小父(おじ)さんが死んだって」

 幸助は母親からくるメールをなんとなしに見た時、その知らせだけ目についたのである。

「ああ、(がん)だったんだろう。知ってるよ」

 父はそれだけ言ってしばらく黙ったが、幸助が黙っていると話をつなげるようにこう言った。

「お前、焼香挙げになんか行くつもりなのかよ」

 父親にとっては離婚する相手の親族に肩入れすること自体、嫌なことであっただろう。しかしこの小父に幸助は幾度となくお世話になったことを記憶している。伊豆の海水浴へ連れて行ってもらったこと、式根島までクルージングをさせてもらったこと、そんなことを恩着せがましく言うことなど小父に限ってはありえないと思うけれども、やはり人の死を何も感じずにやり過ごすことは幸助にとってどうしようもなく、してはいけないことのように思われたのである。

「一応、世話になったから、小父さんには——。行かないと逆に気持ち悪いでしょう」

 この一言で幸助と父は母親の姉のその良人と面識があったために、焼香だけ挙げに行くことにした。


 ホームドアが開いて駅名が連呼された。

 ホームへ降りて、冬の三時、乾燥しているのだけれども曇っていてその気候は鬱蒼(うっそう)としていた。プラットホームは武骨な骨組みに覆われて、がっしりとしたつくりだ。新幹線が横を滑りゆくときでも何ら風圧を感じさせない。外の景色を見ても、住宅街だけあって、そのほかは何にもない所である。どことなくつまらなさを感じながら、ダイエーの大きな看板文字が、人世代の古さを感じさせる始末である。ホームの階段をを降りて改札を出たロータリーのすぐわきの道を行く。この道は、幸助にとって古い、懐かしい道だった。

「向こうの爺さんの家、覚えてるかよ」

 父が先に口走った。

「覚えている、かもね? この道、探さずに通れるんだから、間違わずに行けるんじゃないかな?」

「そうか、まあ、もう関係ねえけどな」

 たぶん父はもう金輪際この土地を踏むことはないという意味でそういったのだろう。そういわれると確かに幸助も今日を最後にこの道を歩くことはないように思われる。小父さんとの関係のほか、あとは小母さんと幼いころ夏休みに遊んだ従弟を思い出すけれど、父が母方の実家に顔を出さなくなってから全く関係がなかったのだから、小父の死を看取ってその後、何も幸助と関係するものがない。

「M教会? でしょう? 今日行くのは」

「ああ、爺さんの家の先に在る――」

 喪服を着て(なり)だけ揃えていたが、気分は葬式と言う感じではなかった。

「小父さん、何で死んだって?」

「さあ? 胃癌だったか、何だったか。見つけた時にはいろいろ転移していたらしいな」

 長らく関係のなかった幸助は、父がそのことを知っていることに関して、何かしら不信感を覚えた。しかし、それも幸助が母方の家系に無暗に関わって気をおかしくするようなことがないようにするためのひとつの配慮のようにも思えた。そして父は続けざまにこういうのである。

「――だけど馬鹿だぜ、薬なんてそんなのは不健康だとか、あそこの婆さん言っちゃってさ。自然治癒だとか言って、見殺しにしたんだぜ」

 小父は両親が居らず、母方の家庭に養子で来ていたことを幸助は思い出した。

「――見殺し、ね。――自然治癒。だけどあの家、そういうの好きだよね。――無農薬野菜だとか、無添加だとか」

「ああ、そういうのも行きすぎるとまともじゃないね、知ってるか? 癌なんかは今は摘出しなくても割と簡単に薬で治るって言う話なんだぞ」

「ああ知ってる。」

「あの母親と一緒にいたら、こっちがおかしくなっちまってたな。あの一家、親子して干渉し合ってるんだから、母親に離婚をすすめてたのも爺さんなんだぜ」

 しかし幸助は父のその言い方をどうだろうかと思った。彼が父方についたのは感情的な理由よりも経済的な理由にあった。住居を転々としているよりはマシなのだとは分かっていたから、幸助は幸助であの家に戻る気でいたのだった。感情的な話をすれば、どちらとも生活はしたくなかった。

「俺はこの辺の人とは結婚できないな」

 父は笑って、

「そうかよ」

 と言い捨てるように言った。

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