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けむりの家  作者: 三毛猫
35/50

第35話 孝道

 祖母の病院を見舞いに訪れた日の翌朝、幸助は父と車に乗り込んだ。

「九時に竹橋だから、五時には帰るつもりだ」

「そう――」

 これから彼は辺鄙(へんぴ)な所に行かなければならない。

 O町は見渡す限り山である。盆地にはなっているものの、山の中だった。ここに来るまでにH山やK越を通り、高速を使わずに行くと片道一時間半以上はかかるのくらいである。中山道から少し離れて、柿の木の植わっている丘の一角に住宅が密集していた。その密集した一軒に孝道がいるのである。幸助たちはその丘の上の神社に車を停めた。境内は玉石が敷き詰められていてちょうど大雨のあとだったためか黒々と光を放っている。その敷地から柿の植わっている丘の斜面の方に小道が伸びている。何の舗装もしていない雨で泥だらけのその道をまっすぐ行くとその家はあった。

〝K〟と表札がかけてある。

「あそこのオヤジ、しっかり自分のものにしてるんだな」

「あれでしょう。裁判やって負けたやつ」

「ああ、馬鹿だね。常軌(じょうき)(いっ)してる。財産分与ごときで裁判なんて」

「遺書が二つあったって」

「日付が兄貴の方が新しかったらしいからな」

 遺産は曽祖父の家と土地であった。新しい遺言には祖父の兄が土地をもらい、祖父は家を与えられた。母方の祖父は親に結婚を反対され、勘当同然で家を出た。父はこのオヤジのことをとても嫌っていた。母方の祖父はすすんで離婚の話を京子に唆していたからだ。

「爺さんは町庁勤めだったらしいね」

 父は含んだ笑いを(こぼ)した。

「町民を苛めたような話しを自慢するなんて、節操もねえ」

「それで弁護士も妹の紹介?」

 母親は三姉妹の真ん中だった。下の末っ子の妹は弁護士をしていた。

「だろう。そうじゃなかったらお前の母親の代わりに弁護士から通告が来るなんて事はねえよ」

K家は家族ぐるみで物事を進める特異な体質があった。その体質は姉妹3人の他に男児がまったくなかったためである。K家祖父は後継ぎ欲しさに娘たちの家族に介入し、スキを見て子どもを懐柔しようとした。それは嫁入りした家から男児を引き離し養子縁組してK家筋の跡継ぎを得ようと画策していたためである。そして末の三女はそのことに関して積極的であった。

「阿呆らしい」

「馬鹿だね。弁護士雇ったらその分とられるんだからな」

彼にとってそのことは事実にしろ妄想にしろどこかしらの真実味を帯びて脳裏に張り付いていた。京子の家庭破壊的な行動の裏付けには一つの筋の通った事実だからである。そしてそれは母親からくる突然のメールが意味しているように――。

「お前、まだ母親からメールくるのかよ」

「ああ、返したことないけどな」

 それはとても虫唾の走る出来事だった。彼は母親に一度も携帯のアドレスを教えたことはなかった。それがなぜだか突然メールが届いたのである。おかしなことは他にもある。京子が出ていったあと、幸助と父は住居を変えるために引っ越したが、その引越した先の住所を知っていたことや、父が単身赴任であること、進学先に決めた大学の名称まで京子は知っていたからだ。

「それにあれは、探偵を使っているみたいだからな」

 父はそういった後、家の呼び鈴を鳴らした。

 孝道がへらへら笑いながらやってきたのがすりガラス越しに見えた。。

「鍵は空いてるよ」

 そう言いながら孝道は幸助を見るなりこう続けた。

「何だよ。幸助も来たのかよ。お前はいいよ、どこか行ってろよ」

 髪が部分的に抜け落ち、全身浮腫んだように腫れぼったく見える。首の周りは赤く()れて荒れていて、目の両端も赤く浮腫(むく)んでいた。無精(ぶしょう)(ひげ)が伸びたままで、全身重そうにどっしりと気だるい感じがその(おもむ)きを見せていた。(あご)は上を向いていて、どこにも力が入らないようだった。目はつり上がって、いかにも腹に悪い物を抱えていると言う感じであった。

 孝道は見下すように幸助たちを見ながら、何処か目は怯えているのだ。


 幸助は父があの家の玄関に入るのを見て、すぐに来た道を折り返した。ぬかるんだ道を革靴で歩くのは気が引けたが、運動靴やスニーカーで歩くよりは後が楽だろうと思った。

 神社には高いすぎの木が4,5本列になって生えている。風が強く吹く中で幸助は歩みを進める。おそらく周りは農地のはずであるが、柿の木しか植わっていない。T山系の山々が周囲を覆って黒くくっきりと外縁を縁取っている。天候は悪く空はうす灰色の雲の中であるそしてその背景に黒く濃い雲が今にも落ちてきそうに真上を流れていく。杉の木の葉も色濃く黒く風に引っ張られるように揺れている。もう少しで境内には入れるといったところで、ぽつぽつと大粒の雨が降り出した。幸助は父から預かった車のキーで急いでカギを開けて車に入った。退屈で何をしようにも何もできない時間だ。シートにもたれて目をつむり、少しの間休息を楽しむことにした。

 父は半時間ほどして戻ってきた。幸助は車の中で本でも読むことにして待っていた。父は浮かない顔でもなく、ただじっと険しい顔で運転席のドアを開けた。

「孝道のところにも弁護士から通知が来たんだってよ。あの家を出ろって立ち退き通知書が来たって」

 弁護士と聞くと母親の息のかかった事象であることがうかがわれた。そのおかしさで幸助は含み笑いが自然とこぼれた。

「ふうん。それで、孝道どうしたいって?」

「こっちに戻れないかって言ってるよ」

「え、でも孝道、俺らの生活に合わせられないじゃない? しかも自分の生活を強要するし――」

 父は車に入ったまま窓の外の灰色の虚空を見て、話をつづけた。

「でもな。だからと言って、野放しにはできないんだよ。もし何処かで悪さしたら身元引受人は俺になるんだからな。俺が死んだって、お前にその番が回るんだぞ」

「まあ、そうですね。――ところで、アイツ、今何やってるの?」

「さあ? 相変わらず競馬に行ってるって聞いたけど、今は病気で出られないみたいだな」

「病気?」

「頻尿」

「は?」

「これ」

 そう言って父が後部座席に指をさした。そこにあったのは一升瓶だった。

「土産だと。アイツ酒を浴びてるらしい」

「それで頻尿?」

「だろう」

「だって、頻尿って、あの歳で?」

「もうアイツもお終いだよ」

 言い終えて父は車のエンジンをかけた。幸助と父は街道沿いで食事処を探して昼食を()ってO町を後にした。



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