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妖精は薔薇の褥で踊る  作者: うさぎのたまご
二章 薔薇は雨降る夜に狂い咲く
38/38

選ばれたもの3

 (注)あとがきを必ず見てください。

「お金の価値……ですか、そうですね。国によっては違う所もありますが、大体は……金貨1枚は銀貨100枚、白銅貨400枚、銅貨4000枚、銅銭40000枚の価値があり、それだけで平民なら四人家族が楽に一年は越せます。しかし一般的には白銅貨までくらいしか流通してなく、この国でも金貨など一生見ない人が大半を占めます」

「……そう。ありがとう」


 案内人の後ろをついていきながらレオンにお金の価値を聞いてみる、が全く分からない。円に換算してみようかとも思ったが、四人家族が一年暮らすために、必要になるお金がどれくらいかがまず分からなかったので、無駄な努力に終わった。


 そして今気付いたのだが……多分、自分は前世でも今世でも買い物をしたことがない。


 恐らく一般的なことをしたことがない自分に、今更ながら少し焦りが出て来た。


「林檎一個はどれくらい」


 取りあえずみんなが食べそうで、かつ自分が最も多く食べている果実の名前を挙げてみる。


「姉さまが食べている林檎なら……一つ白銅貨3~5枚くらいですよ」


 ……。

あれ? 白銅貨400枚で金貨1枚、つまり林檎一個、間を取って一つ白銅貨4枚とするならば林檎100個で金貨1枚だ。


 それくらいなら誰でも手に入れられるんじゃ……。


 貯金という習慣がないのだろうか? いや、自分もしたことないから人のことなど言えないのだが。


 フェルニアが悩んだのが分かったのか、レオンが続けて口を開く。


「しかし、市井に売ってあるような林檎ならば、一個銅銭15~17ぐらいです」


 ……なぜそんなに違う?

 およそ25倍だ。


「この国には、果物や野菜、2種類の栽培方法がありますよね」


 余計に混乱するとレオンが軽く首を傾けて聞いてくる。


知らなかったので、きょとんとすると、そうですかと頷いた。


「一つは魔法を使って育てるもので、もう一つは何も使わずに土と水で育てるものです。この場合、魔法を使って育てると成長が早まり、最短四日程で収穫できます。……短ければ短くなるほど味が落ちて値段が下がるので大体は1週間はかけますが……。ちなみに栄養が行き届かないので色が赤ではなく白っぽいです。魔法を使わずに育てるのは林檎ならば一年ほど、こちらの場合時間はかかりますが綺麗な赤色になり、かなり高く売れます」


 一度くぎられる。


分かりますか、と聞かれて頷くと再び口を開いた。


「あまり美味しくなく、安くしか売れないが沢山量産できる方法と美味しく高く売れるが一年に一度しか収穫できない方法、全体的には前者の方が利益が沢山出るし手間がかかりません。つまり……わざわざ手間もかかり、魔法で育てるより儲からない自然の栽培方法で作ろうと思う人はなかなかいないんです。ですから今では赤林檎はわざわざ依頼しないと手に入れられませんし、白林檎は市井に溢れている。値段がかなり違うのはそのためです」


 なるほど。というか本当にレオンは何でも知っている。


「魔法を使って育てるのは、全部白いの?」

「いえ、2ヶ月以上かければ色が少しずつ付いてきます。まあ、2ヶ月もかけて育てる所もほとんどないのでないに等しいですが……。でもやっぱり白だけじゃ食卓が寂しいし、いろどりがないのでほとんどの所は魔法で色を付けて出荷しているみたいですよ」


 色付けしていないとするならば白い林檎、白い蜜柑、白い苺……野菜も白。

 トマトソースや果実水も白なのか。


 ……あまり美味しそうじゃないな。


 多分、色を付けて正解だったと思う。

 全部真っ白じゃ食欲がわかないし、きっと売れるものも売れないだろう。


 そして、白いもののことばかり考えていると、意識はやっぱりそっちの方に引っ張られる。微妙に自分の前を歩いて案内人との間に割って入っているアル、いつも思うけど日焼けをしたことなどあるのだろうか?

まさか吸血鬼は日焼けをしないとか……。


ありえないことを考えながらじっと見ていると、見られているのに気がついたのか振り向いたアルトレルと視線が合う。


 濁りも澱みもない綺麗な紅。


 そして目よりも少しだけ毒を含んだような色の艶っぽい唇。


 林檎みたい。


 素直にそう思った。


 唇の内側、咥内は林檎のような味じゃないけれど、水飴がつまっているみたいに甘くて美味しいし、唇は強く食んだらいつもよりさらに赤く染まる。


 じんわりと色が増す瞬間はまるで熟れていく林檎のよう。


 そう、本当に。

 無意識のうちに指がアルの顔へとのびていき、唇を少し強めに押すと驚いたように半開きになったそこに指先を潜り込ませる。


 くちゅ、と濡れた音が響いた。


 舌、少しザラザラしている。


 熱くて指、溶けるかも……。


「――ん」


 指を中に入れたのは初めてで、慣れないながらも粘膜を擦りながら唾液の溜まりそうなところを探り、絡めると指を引き抜き自らの口元へと持っていく。


 舐めるととろりと甘い味が広がり、もっと欲しくなったが、潤んだ目で微かに上気した頬をしているアルをこれ以上他の人に見せたくなかったので耐える。


 唇の端についた唾液を、濡れた親指で拭ってあげた。


「……よく、血の楔で縛っていない吸血鬼の牙に手を触れることが出来ますね」


 慣らされているのですか、と琥珀色の髪を揺らしながら訊いてくる案内人、あまりそういう言いかたは好きではなく、ふいっと視線を逸らす。


 アルを血の楔で縛っていないことが他の人に分かるのはしょうがないだろう。


 吸血鬼は楔を穿たれると首回りにぐるりと刺青みたいな痕ができる。

 大抵は花の付いた蔦が巻いたようなもので、色も黒に近い青、……自分がつけたらいったいどんな花がアルの首に巻きつくのか見てみたい気もするが、すごく痛いと聞いているし、なにより汚れを知らないアルの肌が損なわれるような気がして嫌だ。


 でも、自分のものという印を付けたアルは、きっと見るたびに私に微かな安堵をもたらしてくれるとも思う。そしてそれには勿論、ほんの少しの罪悪感と不安も混ざっていて……。


 ほぅっと溜息を吐きながらアルの喉を撫でる。


 何度か指先で往復していると、きゅっとアルトレルが苦しそうに眉を寄せた。


「……っ、ティア」


 人差し指と中指が丁度、鎖骨の真ん中あたりに来たところでアルトレルにぐいっと腕を掴まれる。目は先ほどと変わらなく潤んでいて……怖かったのだろうか?


 フェルニアはそっと腕を取り返し、ふわりと微笑んだ。


「大丈夫だよ。そんなことはしないから」


 そうするとアルトレルは少しだけ目を伏せて俯く。


 泣きそうになったのを堪えたようにも、また憤っているようにも見える複雑にゆがんだ顔は、そうすることで見えなくなった。


 まあ、すぐにあげた顔はいつも通り無表情で、本当にそんな顔をしていたのかどうかも、はっきりとは分からないのだが。


「……で、どちらに行きたいのですか?」


 その様子を不可解そうに見ていた案内人が聞いてくる。

 それに、そういえばまだ行先を告げてなかったなとフェルニアは眉を顰めた。


 何しろ――正確な場所が分からないのである。


 だって、与えられた知識のほとんどはゲームが始まってからしか使えないようなもの、幼い頃のことやトラウマなどの出来事は詳細に出てくるが、道や場所はあまり出てこなかった。今回は『奴隷市場の近くの~』みたいな感じで、大まかな場所しか分からない。


 そこでそういえば攻略対象が奴隷商人に追いかけられているスチルがあったな、と思い出す。あの少年はご丁寧にも、恐らくゲーム画面内に映る映像まで提供してくれたのだ。


 親切心か、そうでないかは分からないが、とりあえず要るかと聞かれていたら間違いなく断ったほどには、ゲーム内の映像はフェルニアの心に打撃を与えた。


 例えば以前、アルトレルと触れ合っているときにヒロインがアルトレルに告白して、そのままいろんなことをしたときのものを思い出し、危うく唇を噛みちぎりそうになったことがある――もちろんアルのものを。その後しばらくは口を合わせる度に微妙に怯えられたので、もうする気はないが。


またある夜はアルトレルのルートでバッドエンドになった時の夢を見て、急いで抱きしめているアルの心臓が動いているのかを確認した時もあったし、ゲームの内容に嫉妬して、まだ口づけに慣れてなかった頃のアルトレルを酸欠になるほど構い倒したときもあった。


 ……あの時は本当に驚いた。ずっとじたばたしていた身体が突然、ぱったりと動かなくなったのだ。


 それからはゆっくりと、アルトレルが窒息死とかしないように徐々に慣らしていき、今に至る。というか口づけのしすぎで窒息死とか、本当に笑えないし、正直死んでも浮かばれないと思う。……そうやって死んだ人はきっといないと思うけど。


「時計台」


 そんなことを考えながら、攻略対象が奴隷商人に追われているスチルにあった、一番目印になりそうなものを挙げる。


 案内人の顔がそうとは分からないほど、微妙に強張った。


「時計台、ですか?」


 考えるような間。


「……なにか都合の悪いことでもあるんですか」


 そのまま何も言わない案内人に焦れていると、レオンが訝しそうに口を開いた。


「……いいえ。時計台なら見ての通りすぐそこですし、別にただ、どうしてそんな所に行きたいのかと……少し思っただけ、ですよ」


 案内人の問うような視線に答えを求められているのが分かり、一度小さく瞬いた。


「この国で一番、大きいんでしょう」


 首を傾げる。

 ここら辺には時計台が一つしかないが、そのかわりその時計台はこの国のどの時計台よりも大きく、広範囲から見ることができると先ほどレオンにきいたばかりだ。


「あぁ、そうでしたか、そう、ですよね。じゃあ案内しますよ」


 ほっとしたように息を吐く。

 隠し事にあまり向いていなさそうだなと思いながら、他にもいろいろ聞いてくる案内人には適当に頷いておく。


 そうこうしているうちに時計台の下についてしまった。

 流石に……大きい。


 でも、これって近くから見ると逆に大きすぎて時間なんて見えないんじゃないのだろうか、実際ここからだと上の方が見えない。


 レオンは興味を持ったのか、ぶつぶつと独り言を言いながら時計台の下を回り、巨大な時計台を一つ立てるのと標準の大きさの時計台をいくつか立てるのは、どちらのほうが費用がかかるのでしょうかと言っている。その後の何かの計算は早くて難しかったのでよく分からなかった。


 それを横目におさめながら、アルの手を引いて時計台の近くの路地に足を踏み入れた。


「ティア?」


 どこに行くのかと立ち止まって聞くアルを「しー」と唇に指を当てて促すと、さらに奥の方に入っていく。


 次第に暗くなっていく路地、不安なのかしきりに周りを気にするアルを多少強引に引っ張り、行き止まりに来た時には息がほとんどきれかけていた。

 自分の体力は標準よりも低すぎる。


 少し崩れながらも積み上げられた木箱、スチルで見たのと同じ配置にほっとする。


 確か……とおぼろげな記憶をたどりながら壁に手を這わせていると、後ろから伸びてきた手に止められた。


「……汚れる」


 不機嫌そうなアルの声に自分の手を見下す。


「別にいいよ」


 黒く汚れた手、アルの方が汚れると腕を取り返し、今度は木箱を一個ずつおろしていく。そしたらもう一度、後ろから首のあたりに手をよせられて止められた。


「俺がやる」


 耳の中に直接息を吹きかけられ、小さく震える。


 その間に後ろから抱きしめていた手はするりと離れて、言葉通り木箱を退かし始めた。


 無言で黙々と片づけているアルを見て、どうしようかと考える。


 アルにやってもらうのは悪いと思うが、どう考えても体力も力もない自分がやるよりもアルの方が早いし、自分が手伝うとしても通路が狭いので邪魔になる。


 結果、じっと見守っていると丁度3分の2ほど退かしたところでアルの動きがぴたりと止まった。


 そして戸惑ったように振り返る。


「これ……」


 壁に刻まれた青白く発光する魔方陣、やっと見つけたそれに無意識のうちに息が漏れた。


 過去の回想で、一度攻略対象が仲間と共に袋小路の所に追い詰められるシーンがあった。必死にどこかに隠れようと仲間と攻略対象が木箱を漁るとその中に会った魔法陣、これで転移した攻略対象は危機を逃れられ、安心した瞬間に捕まる。


 こんな感じだったはずだ。

 時間がほとんどないという焦りがフェルニアの思考を乱す。


 気がついたらそれに触れていて、腕を掴んでいたアルの手の感触が消える。


 真っ白く塗りつぶされる視界、ふわりと身体が浮いた気がした。



****************************



「ん、むむー」


 大男に荷物のように担ぎ上げられて、がくがくと揺れる視界の中、必死に目を凝らす。


 声を出せないように口に被せられた布が唇を擦ってひりひりする。


 あれから……最悪なことにフェルニアが転移した先では丁度、数人の男たちが子供を袋に詰めている所だった。


 しかも転移魔法陣はすぅっと壁から消えて、戻りようがない。


 取りあえず大人しく縛られて、小さく抵抗らしきものをしてみると袋に入れる必要はないと判断されたのか、そのまま担がれて運ばれた。


 走っているので視界がすごく揺れるし、身体が折りたたまれるように肩にのせられているのでお腹が痛いが、自分が見た時にはもう皆、袋に詰められていたのでしょうがない。どうにかしてどれが攻略対象か見つけなければいけないのだ。


 攻略対象を担いでいる男の顔がスチルに映っていたら手っ取り早かったのだが、モブにいちいち顔があるわけがなく、色が黒いと言うことしか分からない。


 袋一つ一つを目で追っていると、自分を担いでいる男が持っている袋がもの凄く小さいことに気が付いた。


 いや、もの凄くと言うわけではないが、どう考えても子供は入らなそうな大きさだ。


 意識があるのかじたばたと動いていて、袋の動き具合から四本足の獣だと推測できる。


 攻略対象の仲間の中に獣人化できる人はいない。出来るのは攻略対象だけだ。……とすれば、これ、かな?


 いまいち確信が持てなかったが、それ以外に考えられる袋がなかったので、後ろ手に縛られていた腕の紐を緩めた。足首を縛めているものも苦労しながらなんとか結び目を解く。


 頃合いを見て一気に手首を引き抜くと、硬い靴のつま先で男の脇腹をおもいっきり蹴りつけ、背中を掌全体で押して地面に転がる。


 一応受け身を取ったのだが、以前アルが3階から飛び降りたのを見様見真似でやっただけなのでやっぱりうまくいかずに身体のあちこちを強かに打った。手の甲に傷が出来たが気にせずに体勢を崩した男の手から袋を抜き取ろうと引っ張る。

 が、そこで想定外の事態が起こった。


 そのまま袋を取って、あとは魔力なり暴力なりどうにかして逃げるか始末すればいいと思っていたのだ。しかし男が袋を離さない。


いらついて靴の踵でぐりっと足を踏んでみたが、力の差は明らかで一度体勢を立て直してしまえば男の力が緩むことはない。


「このっ」


 鞘を入れたままの剣が振り上げられる。だけど前を走っていた男たちが次々と壁にある魔法陣で転移している今、離してしまえばきっと袋ごと男は消えるだろう。男が行った後はさっきみたいに魔法陣が消えてしまうかも……。


 元々自分はおまけのようなものだから置いて行っても未練はないはず。そうしたら追いかけられない。


 両手がふさがっているせいで魔法が使えなくて、痛みに備えて唇を噛みしめる。


 ひゅっと風が耳を切る音と、後ろからお腹に腕が回されたのはほぼ同時だった。


 ガキィッと目の前で火花が散る。交わるのは所々すすけた幅広の鞘に入ったままの剣と欠けてもすすけてもいないが赤く濡れた細身の剣。


「ぁ……」

「ティアっ」


 聞きなれた声と見慣れた黒い袖にほっとするが、次の瞬間、後ろに思いっきり引っ張られ、安心したせいで力の抜けたお腹にかかるあまりの負荷に、ぐえっと馬車の中でレオンに貰ったお菓子を吐きそうになった。いや別に吐くほど食べたわけじゃないけれど……。


 そのまま一度ぎゅっと後ろから抱きしめられ、罵倒の言葉を吐く男の方に剣を滑らせるアル。刃先が男の膝をかすると共に少しだけ赤い血が散って、そのまま呻く男の後ろに回り、腕の関節を曲げると首の後ろを強く打つ。


 そこまで見届け、フェルニアはアルトレルが大丈夫そうなのを確認すると急いで後ろを振り返った。


 実は先ほどアルの剣が男のものを受け止めた時、男の手から袋が滑り落ちたのだ。ころころと転がった袋は自分をすり抜け後ろへ、アルが後ろに引っ張った時に自分は地面に座り込んでしまい、思いっきり袋の上へ乗ってしまった。


(どうしよう……)


 くたっと動かなくなった袋を抱きかかえる。


 軽く揺すってみたが起きる気配はなく、生きているか中身を確認しようと袋の口に手をかけたとき、後ろから回された腕がそれを阻んだ。


「んぅ」


 さっきの比ではない力がぎゅぅぅっと肺を圧迫する。

 腕もまとめて拘束されればどうしようもなく、荒い息を吐くアルに暫く身を任せた。


 ……。


 ぎゅぅぅっ……ていうか、なんか、ミシミシッって。


「……アル、苦しい」


 ぼんやりと呟くとようやく拘束が解かれ、新鮮な空気を肺に取り込んだ。

 口から首まで落ちてしまい、もうさるぐつわの役目をはたしていない布を取り払われる。ちゅっと手の甲に唇が這わされた。


「汚いよ」


 土のついた傷口に躊躇いもなく舌をあてがうアルに注意するが、綺麗だから大丈夫とよく分からない返事をもらう。


 やがてひとしきり顔や腕にある傷を治すと満足したのか、そのままアルの身体が離れていった。しかし立ち上がろうとするとまた引き留められる。


 首筋にアルの額が当てられ、ぽたりと何かの液体が落ちる感触にぎょっとした。


「ぁ、アル?」

「ごめん」


 身体をひねってアルの顔を確認しようとするが、自分の首の後ろにアルがいるのでどうやったって見ることができない。


「なにが?」


 やがて顔を見るのを諦め、できるだけ穏やかに聞くと「あんなことしなければよかった……っ」と吐き出すように告げられる。身体をしめつける腕の力がまた強まってやんわりと困ったように首を傾げた。


「あれは……私が悪いんだよ」


 自分が木箱を退けて魔方陣を見つけたことを言っているのだろう。だけどあれは私がしようとしたことをアルが代わりにやってくれただけだし、アルはちゃんと引きとめようと腕を掴んでくれた。


「っ……でも」


 緩んだ腕の隙間を抜け出し、正面からアルトレルと向き合う。


 まさかそんな行動に出るとは思わなかったのか、ぽかんとあいた口からつぅっと赤い血が流れ落ちる。そこに軽く口づけると血を舐め取ってあげた。


「くちびる、噛んじゃだめだよ」

「わかっ、た。でも……んっ」


 謝罪と後悔をくりかえす唇は自分のそれを重ねることで塞ぐ。そのまま抱き合っていると向こうに息を切らしたレオンが見えた。

 こちらに気づくと目を見開いて急いでかけよってくる。


「ねえ、さま。ぶじ、ですかっ」


 呼吸が定まらないのか、途切れ途切れに喋るレオンに身体を軽く動かしてどこにも異常がないことを伝える。


「だいじょう……っ」


 大丈夫だと言って立ち上がろうとしたが、足首がずきりと痛んでそのまま地面にぺたりと座りこんでしまう。拍子に腕の中の袋も落ちてしまい、そういえば中を見てなかったと慌てて手を伸ばすと横からレオンに取られてしまった。


「レオン……」


 恨めしげに軽く睨むと、少しだけ眉を寄せたレオンと目があった。

 あこれきっと怒っているなと思ったが、機嫌を直す方法など知るわけもなくただじっと見上げる。


「姉さま。怪我してるじゃないですか」

「……アルに運んでもらうからいい。それよりっ」


 痛ましげに目を伏せたレオンに、アルにはちょっと悪いと思ったが運んでもらうことにし、もう一度手を伸ばす。


「――ぁ」


 伸ばした腕のせいで袖がずれ、地面に強く打った時にできた青痣が覗く。手首についた布の痕も。


 誰が出した声か分からなかったが、きまりが悪くなり慌てて袖を伸ばして隠す。目の前でシャラリと涼しげな金属と金属が触れ合う音がした。


「――――この男が、やったんですか」

「レオ、ン?」


 先ほどアルが気絶させた男の首筋に躊躇いもなく剣の切っ先を向けるレオンに信じられない思いで目を向ける。


「なに、してるの」

「姉さまを、傷つけたんでしょう」


 当然です。と続けるレオンの目にどうしていいか分からないような自分の顔が映った。


「……傷ついてなんかない」


 ちょっと縛られて殴られそうになっただけだ。

 布の痕は数日すれば消えるものだし、青痣に至っては自分が無茶をしたせいでできたもの。別に傷つけられたりなんかしたわけじゃない。


 そういうと、ぎぅっと腹部に不穏な力が加わった気がする。


「……兄さまはそう思っていないみたいですけど」


 確かに攫われようとしていなかったら怪我なんて一つもしなかっただろうが、頼むからここは話を合わせてほしい。


 いや、それよりもゲームの中のレオンは虫も殺せないような気弱な少年だったはずだ。攻略対象がほぼ全員、人殺しをしているようななかでの唯一の癒し……という設定だったはず。ヤンデレ化さえしなければ。


 ゲームと違うのは分かっていたが、ここまでかけ離れていると混乱する。

 そうこうしている間にも刃先が男の首をなぞり、薄らと赤い血が滲んだ。


「でも……そう、だ。今日、父様がここの市場、調べるんでしょ。だったら、役に立つかも……殺しちゃ、駄目」

「一人ぐらい問題ないですし、下っ端です。捕まえても大した情報は得られませんよ……大体なんで姉さまがそんなことを知っているんですか。もしかして、誰かに教えられました?」


 そういえばゲームの中でそんなこともあったなと思い出し告げるが、ばっさり切られた。そのうえ誰かに余計なことでも吹き込まれたのかと探るような視線を向けられる。


 何でか分からないけど、父様もレオンも自分には何も教えてくれないのだ。与えられる情報が制限されている中、私がこのことを知っていたのは確かに不自然だった。


「それも、だけど……それより私が、レオンに、そんなことしてほしくない」


レオンの言葉に反論できず、何とかやめてほしいと焦りながら懇願するように見上げると凍っていたアイスブルーの瞳が微かに揺らいだ。


「……ね。レオン?」


 それに手ごたえを感じて首を小さく傾ける。

 暫くしてレオンは戸惑ったように剣を下すと口元あたりを片手で覆う。


「――ずるいです」


 そんな顔でそんなこと言わないでください。とちょっと顔を赤くするレオン。そんな顔ってどんな顔だと思ったが、一応剣をしまってくれたので黙った。話が終わったことを察したアルが抱き上げてくれて、首に手を回してしがみつく。


 どうせ後で父さまがどうにかするだろうし……とかいうレオンの独り言は聞かなかったふりをした。何それ怖い。


「まぁ、それは良いとして……姉さま。これは?」


 薄汚れた袋を眉を顰めたレオンが軽く振る。


「あっ、それ」


 忘れていたとアルの首から手を放して袋を掴もうとするが「病気になります」と遠ざけられてしまった。


「ぞうきん……いえ、子犬? おおかみ、ですか?」


 なかを覗き込んだレオンが「まさかこんなものが欲しいわけじゃないですよね」と視線で聞いてくる。狼と聞いたことで攻略対象だと確定してほっと息を吐いた。


「うん。それ欲しいの」

「そう、ですか。いえ別に姉さまが欲しいんだったらいいんですけど……」


 だけどやっぱりまだ安心できなくて、確認しようともう一度手を伸ばすが、眉を寄せたレオンに阻まれてしまった。


「これ、汚いです。本当に病がうつりますよ。まさか中身を触ってなんかはないですよね」

「袋だけなら……」


 そういうとレオンは眉を顰めながら上着を脱ぐと袋をくるくると包む。

 そこでレオンの手が赤く濡れていることに気付いた。黒い手袋をしていたので今まで気付かなかったが、白い上着に手が触れた時、赤い染みがついたのだ。


「レオン、手、血が……」

「あぁ、僕のじゃありませんから気にしないでください」


 じゃあ誰の、とは口にしない。


 少し気になったがそのままアルに身を預けてゆらゆらと揺られる。


「姉さま」


 後ろから手首を取られて、男の指の痕が残ったそこを撫でられる。


「帰ったら、消毒しないといけませんね……」


 労わるような言葉。何かを堪えるように伏せられた目。なぞる指の白さ。

どこかで見たような気がするそれ、既視感に眉を寄せると共に頭のどこかが大きく脈打った。


『大丈夫です。ちゃんと洗って、綺麗にして、何もかも忘れてください。そしたらほら、何も知らなかった頃のあなたに戻れます。だから……ね。泣かないでください。あなたが泣くと僕の胸も痛いんです』


 いつかどこかで誰かに言われた言葉がよみがえる。回数を重ねるごとに鮮明になっていく記憶にきつく目を閉じた。


「姉さま」

「まえ……」


 目を開けた時には心配そうなレオンの顔。ぼんやりと口を開く。


「まえ、同じこと……いった?」

「……なぜ今そんなことを?」


 困惑したように首を傾げるレオンに嘘はみられない。


「きいたこと、ある気がしたの」


 いつも冷たい薄青の目が、一瞬だけ溶けるような濃い青色に変わった気がする。


「気のせいですよ。僕はそんなこと言ったことありませんし……。姉さまはきっと疲れたんです。屋敷に帰って温かい紅茶でも飲みましょう。ほら、僕がまえ言ってた薔薇の花びらで作った砂糖菓子も取り寄せたんです。きっとすごく美味しいですよ」


 するりと自分から離れていった手を目で追いかける。


 なんだか紅茶とお菓子で誤魔化されたような気がしないでもないが、レオンがそう言っているからにはそうなのだろう。


 思えば前のことを思い出すのは疲れた時が多いような気もする。

 どこか釈然としないものを感じながらも、アルに身体を預ける。

 前を歩くレオンの背中が一瞬誰かに重なった気がした。



****************************



「そういえばどうやって来たの?」


 馬車の中、アルの膝の上に座り、戯れるようにアルの唇を弄りながらふと疑問に思った事を訊いてみる。


 実はあの後、駆け付けた父様に馬車の中に押し込まれたのだ。


 おまけに外出禁止にされてしまった。やっと得た自由――と言ってもほぼ出ることはなんてなかったが、それを禁止されることに不満を覚えないわけがない。しかしレオンに『姉さまは一生外に出ない方がいいかもしれませんね』アルに『しばらく外に出ないでほしい』と懇願されればどうしようもなかった。


 多少ふてくされながらアルの手にちゅっと口づける。


 上着に包んだ袋を横の座席に転がし、窓の外を物憂げに見ていたレオンが振り向いた。


「僕、ですか? そうですね……僕は、姉さまと兄さまがいなくなったことに気付いて案内人を脅し――案内人に頼み、いきそうな場所を吐かせ――教えてもらい、後は走って全部回っていました。間に合わなくて、時間がかかって申し訳ありません」

「うんん。別に……」


 逆によく見つけられたなと思う。

 所々に怪しい言葉がでてきた気がするが、それは気にしない。気にしたらきっとレオンの手袋についている血の意味も知ることになると思う。


「そういえば姉さまが使ったとか言っていた魔法陣ですけど、あれ、時間ごとにランダムに場所が移動するそうですよ」


 そうか、だからもう既に攻略対象達が見つけていたはずの魔法陣が箱の中に埋もれていたのか。納得し、ゆっくりと目を閉じる。


 来るときはあんなに気持ち悪かった馬車の揺れが、アルが怪我をした自分を気遣ってくれているのか丁度いい。


 アルの肩らへんに頭を押し当て、うとうとと微睡んでいるといきなり馬車が急停止した。


 衝撃で目が一瞬で覚め、身体が軽く投げ出される感覚に慌てるが、アルが右腕で座席を掴み、左手で自分を捕まえてくれたので大事には至らなかった。


 けれどぼんやりとしていたレオンの方はそうはいかなかったらしく、転倒は免れたようだが、横に放っておいた袋を掴み損ね、袋が「ふぎゅ⁉」と潰れたような声を出して馬車の床に叩きつけられた。


「あ、姉さますみませ……」

「――――暗いっ、ここどこだよ!」


 袋――正確には中の狼が喋る。しーんと馬車の中が静まりかえった。


 アルもレオンも小さく目を見開いて袋を凝視している。


 まぁ当たり前だろう。事情を知らない二人にとっては動物が突然人間語を喋ったかのようにしか映らないのだから……。


 もぞもぞと袋をひっかいて、最初に出て来たのは緑色の目だった。


 その後に自分でも両手で抱えられるくらいの小さな身体が出てくる。袋から完全に出ることは難しかったらしく、一度転んで顔から勢いよく床に突っ伏した。


 その時にまた妙な悲鳴を上げた気がしたが、そんなことはどうでもいい。


 情報と違う姿に違和感を覚える。


(なんで……)


「姉さま、これ」

「ティア」


 むくむくと大きくなっていく姿にレオンが気味悪そうに眉を顰め、アルが守るように身体に回す腕に力を込めると剣を抜く。謝罪のためかドアを開けた御者が悲鳴を上げて逃げて行った。


 やがて完全に大きくなった身体は……当たり前というかやっぱり自分たちと同じくらいの身長の薄汚れた服をきた子供だった。


 灰色……に近い銀色の髪に緑色の目。


 それを見てすっと身体が冷たくなるような錯覚を覚えた。


 知っている攻略対象と髪の色が違うとか、目の色が違うとか、そもそも顔が違うとかいろいろあるが、なによりも注目すべきは頭の上でピクピクと警戒しているように震える三角の……。


「……耳?」


 とふわふわと柔らかそうだが今は逆立ってしまっている銀色の尻尾。


 ここはどこだとかおまえは誰だとか喚いている少年を呆然と見つめる。


 このゲームの攻略対象は……獣とかに姿を変えられる人とかはいたが、あくまでも人間の姿がメインで、人間化した時に頭に獣耳とか尻尾とかはえている人は……いなかった、はずだ。


 じゃあ、自分の知っている攻略対象とは違う容姿で、攻略対象にあるはずのない耳と尻尾をもっている彼は誰?


 もしかして自分は……選ぶ袋を間違えたのだろうか?


 いや、ここまで苦労、主にレオンとアルがして自分自身もかなりの傷を負って何とか手に入れたものだ。そんなことは絶対にあってほしくない。


 そろそろ私は誰とか叫びそうな少年を食い入るように見る。


「だからっ、ここはどこでおまえ達はだれっ……ぐっ」


 同じ質問を繰り返す少年をレオンが一度溜息を吐いて首のあたりを掴むと強引に座席に押し倒す。その時に首が締まったのか苦しそうな声が漏れたが、レオンは気にせずに無造作に少年の顔の横の壁に剣を突き刺した。


 抗議するように開けられた口がぴたりと閉じる。


「……は?」

「まず」


 レオンが苛立たしげに髪をかき上げる。


「人に何かを聞く前に自分の名を言ったらどうですか? あなたが誰で、今までどこに住んでいたかを答えれば、僕が質問に答えましょう。……姉さま、それでいいですか」


 レオンの問いにこくんと頷く。

 そう、だ。


 攻略対象云々も大事だが、まず彼は……誰だ?




 大事なお知らせです。

 妖精は薔薇の褥で踊る。に出てくる乙女ゲームの舞台を『学園』から『王宮』に変えようと思います。

 理由はレオノールとエリクセルの設定に無理を感じたのと、なによりフェルニアが真剣に授業を受けている姿が想像できなかったからです。……保健室っぽいところで授業をさぼってアルトレルといちゃついている姿なら普通にできるんですけど。

 それからこの機にちょっとしたところを変えようかなぁと思います。変えたところは後で活動報告で『〇〇を〇〇に変えました』みたいな感じで報告するので見返す必要はありません。

 全体的に小規模な手直しを行いたいと思います。

 手直し期間は11月25~28。

その間は検索除外に設定。

 次の投稿の時に活動報告も一緒に見て貰えばなぁと思います。

 それでは……ご迷惑をかけて申し訳ありません。


追記→11月24日

もしかしたら手直し期間がのびるかもしれません。


さらに追記→一月16日

明日の11時に39部投稿します。


追記→すいません。投稿は延期します。詳しくは活動報告に載せています。


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