何もない村
数ある物語の中から、本作を手に取っていただき、心より感謝申し上げます。
この小さな物語が、あなたの日々にほんの少しでも彩りを添えられますように。
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なお、全く別ジャンルの物語も公開しております。気分転換に違う世界を覗いてみたいときは、ぜひそちらもお楽しみください。
馬車が止まった時、エリナはしばらく言葉を失った。
「……え?パパ酷くない!!」
目の前に広がっていたのは、“領地”というより荒れ地だった。
村が三つあると聞いていた。
だから、もっとこう――小さくても活気のある町並みを想像していたのだ。
畑があって、商店があって、子供たちが走り回っていて。
だが、現実は違った。
家は傾き、壁は薄い。
雨風を防ぐだけの小屋が並んでいる。
道は泥だらけ。
井戸は古く、柵も壊れている。
畑も痩せていて、作物は少ない。
人々の服は擦り切れ、子供たちは裸足だった。
「……ここ、本当に領地?」
(“領地”という名目の、放置地だな)
「名目が一番厄介ね……」
エリナは乾いた笑いを漏らし、ゆっくり村を見渡した。
衣食住。
当たり前にあると思っていたものが、ここにはほとんどなかった。
暖かい食事も。
綺麗な水も。
丈夫な家も。
「……こんなの」
胸が少し苦しくなる。
料理だの、発明だの、世界制覇だの。
浮かれていた自分が恥ずかしくなった。
ここでは、“便利”以前に“生きる”ことが問題だった。
その夜。
エリナは小さな木の机に地図を広げていた。
「木材、石、水、食料……全部足りない」
(選択肢は三つ)
「また始まった……」
(1:公爵領へ支援要請。確実だが時間がかかる。プライドも傷つく)
(2:近隣領へ取引交渉。早いが足元を見られる)
(3:森で自力調達。危険だが即効性がある)
エリナは指で地図をなぞった。
「……3」
(当然そう言うと思った)
「当然って言い方やめなさい」
(では次の選択肢。森のどこから入る)
(東:道がある。人の罠がある可能性)
(北:獣が多い。肉は取れるが遭遇率が高い)
(西:薬草が多い。だが湿地がある)
「……西」
(根拠は)
「胃」
(……)
「冗談よ。薬草と木材、両方が要る。湿地は避ければいい」
(理屈は成立。実行時の不確定要素:天候、護衛の腕、子供の突発行動)
「やめて。最後のやつ怖い」
翌朝。
エリナは護衛たちと共に森へ向かった。
木材。薬草。獣肉。魔石。
何をするにも、まず材料がいる。
森の入口に立った時。
エリナの足が少し止まった。
木々の匂い。
薄暗さ。
遠くの獣の鳴き声。
どうしても思い出してしまう。
あの日の森を。
血の匂いを。
ベルが崩れ落ちた瞬間を。
「お嬢様?」
護衛の一人が声をかける。
エリナは慌てて首を振った。
「……ううん。行く」
足は少し震えていた。
だが進む。
森の中は静かだった。
鳥の声。
風の音。
枝を踏む音。
しばらく進んだところで、小型の魔物が現れた。
狼に似た魔物。
二体。
護衛たちはすぐ剣を抜いた。
「下がってください!」
その声に、エリナは反射的に後ろへ下がる。
胸が苦しい。
手が震える。
怖い。
逃げたい。
だが――腰の剣に触れた瞬間。
“知っている”感覚があった。
足運び。
重心。
間合い。
ベルの剣術。
カードの中に残った技術。
(選べ)
「……今!?」
(1:完全に下がる。安全だが“慣れ”は育たない)
(2:護衛の背後で一歩だけ動く。危険は少、経験は増)
(3:前に出る。経験は増、危険も増。護衛の判断を乱す恐れ)
エリナは息を吸った。
「……2」
(よし。次。敵の動きは二つ)
(右が先に跳ぶ可能性/左が間合いを詰める可能性)
(どちらも五分だ。見るか、賭けるか)
「見る」
エリナは狼型魔物の肩、脚、視線を見た。
――右の個体の肩が沈む。
「右!」
護衛が反応し、剣を振る。
だが、右はフェイント。
左が飛ぶ。
「っ!ごめんなさい。避けて」
エリナは半歩横へずれた。
爪が空を切る。
(今なら、斬る/押し返す/護衛に任せる)
「……斬る!」
剣を振る。
浅い。
だが当たった。
魔物が怯む。
護衛が追撃し、倒す。
もう一体は護衛が仕留めた。
静寂。
エリナは自分の手を見た。
震えている。
でも、立っていた。
「……できた」
護衛たちは驚いていた。
「今の、お嬢様が?」
「見事でした」
「久しぶりの動きとは思えません」
エリナは小さく息を吐く。
怖かった。
今でも怖い。
だが。
怖いから何もしないでは、何も変わらない。
カードが静かに言う。
(剣術は、敵を倒すためだけのものじゃない)
「……え?」
(恐怖に飲まれないための“手順”だ)
(恐怖が消えることはない。だが“次の一手”を持てる)
エリナは少し黙った。
確かにそうだった。
剣を知っているから立てる。
動き方を知っているから、逃げずに済む。
(ベルのおかげか・・・エリナは心の中で思う)
その日、森から戻る頃には、荷車いっぱいの木材と薬草、獣肉が集まっていた。
村人たちはそれを見て目を丸くする。
「こんなに……」
「冬を越せるかもしれない……」
痩せた顔。
これは“経営”ではない。
“生きる場所を作る”ことだ。
(あの父親、甘いのか、厳しいのかわからんな。…領地強化も見越してか…くえないやつだ。)
カードは、ぼやく。
夜。
焚き火の前で、エリナは静かに剣を磨いていた。
ベルの癖が残った動き。
磨き方。
布の使い方。
刃の角度。
「……ねえ」
(なんだ)
「私、まだ怖い」
(当然だ)
「でも」
焚き火の向こうの村を見た。
小さな灯りが、ぽつぽつと見える。
「少しだけ、前に進めた気がする」
カードは答えなかった。
ただ、静かな夜風だけが二人の間を通り過ぎていった。




