第7話 宿の部屋割りは戦略会議です
部屋が三つしかない。
たったそれだけの話である。
本来なら、少し譲り合えば済む。
誰かが相部屋になり、誰かが小さい部屋に入ればいい。
平和な旅なら、そうだ。
だが今の僕たちは、魔王を倒したあとに空気が最悪になった勇者パーティーである。
話は別だった。
「……三つですか」
宿の帳場で、僕は宿主に確認した。
恰幅のいい女将さんは、申し訳なさそうに何度も頭を下げている。
「本当にすみませんねえ。祭り帰りのお客が増えちまって、どうしても一部屋足りなくて」
「いえ、宿側の事情はわかりました」
わかったところで問題は消えないが、女将さんを責めても仕方がない。
僕は後ろを振り返った。
四人とも、それぞれ違う顔で立っている。
アルトさんは眠そうだ。
セラフィナ様はにこやかだ。
ミリアさんはすでに部屋の構造を見ている。
ガレンさんは、何とかなるだろうという顔をしていた。
この中で一番何とかならない顔をしているのは、たぶん僕だった。
「部屋の内訳は?」
僕が聞く。
「二人部屋が二つと、小さな一人部屋が一つです」
「小部屋」
僕は復唱した。
「ええ。物置を改装したような部屋ですが、寝るだけなら」
「嫌な情報が正確ですね」
とにかく、選択肢はない。
五人を三部屋に入れるしかない。
「俺は馬小屋でもいい」
アルトさんが言った。
「駄目です」
僕は即答した。
「なぜだ」
「親善旅行中の勇者が馬小屋で寝ていたら、王国の広報が泣きます」
「静かで落ち着くぞ」
「勇者様には寝台以外の社会復帰も必要です」
セラフィナ様が微笑んだ。
「社会復帰」
アルトさんが少しだけ傷ついた顔になる。
「まだ社会に適応していなかったのか、俺」
「かなり」
僕は言った。
「そうか」
素直に受け止めないでほしい。
「なら俺は廊下で寝る!」
ガレンさんが言った。
「それも駄目です」
「なぜだ!」
「夜中に見回りの宿員さんが悲鳴を上げます」
「隅で静かに寝るぞ!」
「体格が静かではありません」
ミリアさんが、廊下の先を見ながら口を開いた。
「防音性はどうなっている」
「そこを気にしますか」
「記録環境に直結する」
「旅先で研究室基準を求めないでください」
「睡眠の質と筆記精度は相関がある」
「それはたぶん正しいですが、今は精度より収容です」
僕は一度深呼吸した。
料理の次に部屋割り。
この旅は、なぜ毎回、戦うべき相手が生活インフラなのだろう。
とりあえず、全員を宿の談話室へ集めた。
丸テーブルの上に紙を広げ、部屋の配置図を簡単に書く。
「戦術会議か?」
ガレンさんが言う。
「ほぼそうです」
僕は答えた。
「目的は、誰も傷つかずに一晩を越えることです」
「大げさでは?」
アルトさんが言う。
「本気です」
僕は紙に三つの四角を書いた。
「大部屋が二つ、小部屋が一つ。まず、相部屋にする二組を決めます」
「勇者様と聖女様」
と女将さんが善意で言いかけたので、
「そこは宿のご提案を一旦忘れてください」
と僕は丁寧に止めた。
女将さんは察して、すぐに退いてくれた。
助かる。
「案その一」
僕は言う。
「アルトさんとガレンさん。セラフィナ様とミリアさん。僕は小部屋」
沈黙。
悪くない。
少なくとも、今ある案の中では一番ましだ。
ガレンさんが真っ先に頷いた。
「俺は構わん!」
「そうでしょうね」
アルトさんも小さく言う。
「寝るだけなら平気だ」
「本当ですか」
「たぶん」
「その“たぶん”は不安材料ですが、今回は前向きに受け取ります」
セラフィナ様はミリアさんを見た。
「私は問題ありません。ミリアさんが夜通し資料を朗読しなければ」
「朗読はしない」
ミリアさんが言う。
「ただし、気づいたことがあれば記録はする」
「それを朗読しなければ結構です」
「防音性次第」
「不安ですね」
僕は正直に言った。
しかし他の案よりははるかに安全だ。
僕が小部屋に入るのも妥当だった。
緩衝材を部屋割りに使うと、どこかが必ず歪む。
「ではこれで」
僕が言うと、全員が完全な賛成ではないにせよ、致命的な反対もしなかった。
このパーティーでは、それを即時可決と呼ぶ。
部屋へ荷物を運び込んだ後、僕はまず小部屋を確認した。
本当に小さかった。
寝台が一つ。
小机が一つ。
椅子が一つ。
窓は小さい。
だが静かではある。
こういう時、記録係は小さい場所の方が落ち着く。
討伐旅でも、僕の持ち場はだいたい隅だった。
「悪くないですね」
僕は独り言を言った。
「広くはないですが、誰にも踏まれません」
それはかなり大事な条件だった。
その夜。
廊下は静かで、宿全体ももう落ち着いていた。
僕は小机に向かい、記録帳を開く。
『親善旅行五日目。宿の手違いにより部屋数不足。』
ひどい書き出しだが事実なので仕方ない。
ペンを走らせていると、隣の部屋からガレンさんの声が少しだけ聞こえた。
壁は薄いらしい。
「アルト、起きているか!」
「半分」
「半分なら聞けるな!」
聞く気はなかったが、聞こえてしまうものは仕方がない。
どうやら、まだ寝ていないらしい。
壁の向こう。
アルトさんとガレンさんの部屋では、明かりがまだついていた。
「……何だ」
アルトさんが言う。
「謝罪の練習をしている」
「夜に?」
「昼だと声が出すぎる」
「夜でも出てる」
「そうか?」
その会話だけで様子が浮かぶ。
ガレンさんはたぶん、ベッドの上でも姿勢がいい。
「誰に謝るんだ」
アルトさんが聞く。
「全員にだ!」
実にガレンさんらしい答えだった。
「俺は、気づくと決闘で解決しようとしてしまう。よくない」
「よくないな」
アルトさんが素直に言う。
「だから言葉で謝る練習をする!」
「今?」
「今だ!」
少し間が空いて、それからガレンさんの声が響く。
ちゃんと少し小さめだった。
本人なりに抑えているのだろう。
「まず、勇者へ! 俺は、あの時、頭に血がのぼっていた! すまん!」
廊下まで普通に聞こえている時点で小さくはない。
「……うん」
アルトさんは言う。
「次に聖女へ! 俺は気を遣ったつもりで、たぶん余計に怒らせた! すまん!」
「たぶんじゃなくて、たぶんそうだな」
「次にミリアへ! 資料の厚さを侮った! すまん!」
「それは謝るところそこなのか」
「次にリオへ! いつも止めさせてすまん!」
僕は思わずペンを止めた。
壁越しに名前を出されると、妙に困る。
「……ガレン」
アルトさんが少し間を置いて言う。
「何だ」
「お前、ちゃんとわかってるんだな」
「何をだ?」
「迷惑をかけてること」
「もちろんだ!」
そこは即答だった。
「だから、直したい」
その声だけは、さっきまでより少し低かった。
真面目な声だった。
アルトさんもしばらく黙る。
そして、ぽつりと言った。
「俺も、もっと言った方がいいんだな」
「何をだ?」
「いろいろ」
「うむ! お前は足りん!」
「そこまではっきり言われると少し傷つく」
「だが本当だ!」
「だろうな」
短いやり取りだった。
でも、たぶん悪くなかった。
一方その頃。
反対側の部屋では、セラフィナ様とミリアさんが起きていた。
こちらは声量ではなく、言葉の密度で眠気を阻害しそうな気配がある。
「つまり」
ミリアさんの声がした。
「セラフィナの怒りは、表層的には勇者の言動不足に向いているが、本質的には」
「ミリアさん」
セラフィナ様が、にこやかに遮る。
「今それを分析されると、あなたの枕元に聖水を撒きますよ」
「脅し?」
「警告です」
即答だった。
「私は純粋に構造を把握しようとしている」
ミリアさんはぶれない。
「人の感情を分解して再構成しないでください」
「だが、共有認識は必要」
「必要なのは配慮です」
少し沈黙。
それから、ミリアさんがまた言う。
「では、別の角度から言う。勇者は言葉が足りない」
「それには同意します」
セラフィナ様が即答した。
「討伐中から一貫して不足している」
「ええ」
「意図があって黙っているわけではなく、説明が抜ける」
「そうですね」
「結果として、周囲が補完を強いられる」
「本当にそうです」
そこだけは完璧に意見が一致していた。
「なら、あなたの怒りは妥当」
ミリアさんが言う。
「……そこまで理路整然と言われると、少し怒りづらいですね」
「怒っていない方がいい?」
「いいえ。必要な時は怒ります」
「安心した」
「どこに安心したんですか」
「観察対象が安定する」
「やっぱり少し怒っていいですか?」
その後しばらく、二人の声は小さくなった。
完全には聞こえない。
けれど、険悪ではなかった。
少なくとも、同じ部屋で一晩を越えられない空気ではないらしい。
それだけで十分な進歩だった。
僕は小部屋で、再び記録帳へ向かった。
『部屋割りは、アルト・ガレン、セラフィナ・ミリア、リオ小部屋にて確定。』
そこまで書いたところで、控えめなノックがした。
「どうぞ」
入ってきたのはミリアさんだった。
腕には紙束を抱えている。
嫌な予感がした。
「何ですか、その量」
「今日の鍋についての追加資料」
「今この時間に?」
「寝る前に整理しておきたい」
「気持ちはわかりますが、量がわかりません」
ミリアさんは小机の端に紙束を置いた。
小部屋がさらに狭くなる。
「あなたもまだ起きていた」
「僕は公式記録がありますから」
「休むべき」
「その言葉、そのまま返します」
ミリアさんは少しだけ黙った。
それから、机の上の記録帳を見る。
「あなたは記録する側だから、自分の消耗を後回しにする」
「ミリアさんに言われると説得力がありますね」
「私は把握している」
「自分のですか?」
「……一応」
怪しい間だった。
僕は苦笑して、ペンを置いた。
「記録する人間って、自分のことを記録し忘れるんですよ」
「わかる」
ミリアさんが即答した。
「他人の変化は見えるのに、自分の疲労は後回しになる」
「ええ」
「気づいた時には蓄積している」
「その通りです」
二人で妙なところで意気投合してしまった。
たぶん、あまりよくない傾向同士である。
「だから休むべき」
ミリアさんが言う。
「あなたもです」
「……資料を置いたら戻る」
「戻って寝てください」
「努力する」
「それ、今日二人目の危ない返答です」
ミリアさんは少しだけ口元を緩めた。
笑った、というほどではないが、ゼロではなかった。
「リオ」
「はい」
「今日の鍋、あなたがいなければ失敗していた」
「皆さんの素材は悪くなかったですよ」
「素材」
「言い方に問題はありますが」
「ないとは言わない」
それでも彼女は、珍しく素直に続けた。
「助かった」
短い一言だった。
だが、ミリアさんが報告書以外でそう言うのは、たぶんかなり貴重だ。
「……どうも」
僕は少しだけ反応に困りながら言った。
戦えない。
魔法も使えない。
でも、こういう時だけ、自分の仕事が少しまともに思える。
ミリアさんが出ていった後、僕は記録帳の端に小さく書き足した。
『記録する者は、自分のことを記録し忘れる。要注意。』
完全に自分宛ての注意書きだった。
深夜。
喉が渇いて目が覚めた。
小部屋を出て、廊下の水差しへ向かう。
すると、同じように水を取りに来たアルトさんと鉢合わせた。
「起きてたのか」
アルトさんが言う。
「さっきまで」
「寝ろ」
「それを勇者様に言われる日が来るとは思いませんでした」
「今日は部屋が狭いから、早く寝た方が得だ」
「理屈が妙に生活寄りですね」
アルトさんは水を一口飲み、壁にもたれた。
「リオ」
「はい」
「いつも助かってる」
短かった。
あまりにも短くて、一瞬、聞き間違いかと思った。
「……え」
「だから」
アルトさんは少しだけ視線を逸らす。
「旅のやつ。いろいろ」
たぶん、さっきガレンさんと話していた延長なのだろう。
言った方がいいと思ったことを、今ここで言っている。
それはわかる。
わかるのだが、急に来ると困る。
「いえ」
僕は何とか言葉を探した。
「僕は記録係ですし」
「今はそれだけじゃないだろ」
その言い方の方が、よほど困る。
僕が返事に詰まっていると、アルトさんはもう一度だけ頷いた。
「助かってる。以上」
それだけ言って、水差しを置き、自分の部屋へ戻っていった。
残された僕は、しばらく廊下で固まっていた。
「……反応に困るなあ」
小声で言っても、返事はない。
当然である。
ただ、胸の奥に少しだけ妙な熱が残った。
たぶん、褒められるのに慣れていないせいだ。
あるいは、勇者様がちゃんと言葉にしたせいかもしれない。
翌朝。
宿の廊下に出た瞬間、全員の顔を見て、僕は状況を察した。
寝不足だった。
見事なまでに全員寝不足だった。
アルトさんはいつも以上に目が半分閉じている。
セラフィナ様の笑顔は整っているが、整いすぎて逆に機嫌が怪しい。
ミリアさんの目の下にはうっすら影があり、ガレンさんだけが元気そうだった。
「皆さん、どうしました」
僕は聞く。
「夜中じゅう戦場だった」
セラフィナ様が言う。
「は?」
ミリアさんが冷静に補足した。
「原因はガレンの寝言」
「寝言?」
「左翼を上げろ! 前衛、押し込め! 弓兵、下がるな!」
セラフィナ様が、やけに正確に再現した。
声色まで少し似ていた。
ガレンさんが目を輝かせる。
「おお、そんなことを言っていたか!」
「言っていました」
アルトさんが疲れた声で言う。
「三回くらい突撃してた」
「最後には補給まで要求していました」
ミリアさんが続ける。
「寝ながら指揮系統が完成していましたよ」
セラフィナ様が微笑む。
「……すまん!」
ガレンさんが大声で謝った。
「今の声量で原因がよくわかりました」
僕は言った。
朝食前から全員の顔がひどい。
ひどいが、なぜか少しだけ、いつもより空気は悪くなかった。
共通の睡眠被害があると、人は妙な連帯感を持つのかもしれない。
僕は記録帳を開き、静かに書く。
『宿泊は成立。ただし、ガレンの寝言は戦場指示に準ずる。次回以降、防音性を考慮すべし。』
すると宿の入口の方から、街道警備の兵士が慌てた様子で入ってきた。
「勇者様御一行! 街道の先で、不審な影が目撃されました!」
嫌な予感が、今度は日常ではない方向でやって来る。
「不審な影?」
僕が聞き返すと、兵士は声を落として言った。
「魔王軍残党かもしれません」
食堂の空気が、一瞬だけ引き締まった。
親善旅行六日目。
今度は、少しだけ本当に事件らしかった。




