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第2話 親善旅行の準備だけで遭難しそうです

 翌朝。


 僕は王城の会議室で、旅程表を見ていた。


 見ていた、というより、睨んでいた。


 机の上に広げられた羊皮紙には、王国各地の地名がぎっしり並んでいる。

 王都を出発し、リュネ、ベルク、サウザ、ノルディア、ラフネ、エスト村、リグ港、フェルン、旧街道都市、そして最後の町。


 十都市。


 一ヶ月。


 休息日、なし。


「……これを組んだ方は、英雄を何だと思っているんですか」


 向かいに座る宰相ベルトラム卿は、いかにも当然という顔で言った。


「英雄だろう」


「そこです」


 僕は羊皮紙を指で叩いた。


「英雄は、移動すれば自動で次の町に届く生き物ではありません。荷造りが必要です。洗濯も必要です。食事も睡眠も必要です。あと、誰が誰の隣に座るかという重大問題もあります」


「だが彼らは魔王を倒したのだぞ」


「魔王は倒しました」


「ならば各地を巡るくらい」


「英雄は荷物管理をしません」


 宰相は少し黙った。

 その沈黙は、想定外の角度から殴られた人の沈黙だった。


「……リオ君」


「はい」


「それは重要か」


「ものすごく重要です」


 僕は旅程表の端を持ち上げた。


「アルトさんは放っておくと聖剣と外套と枕だけで出発します。セラフィナ様は治療道具一式に加えて勇者様用の説教案を大量に持ち込みます。ミリアさんは移動を研究室の外部延長だと思っています。ガレンさんは荷造りを武装強化だと誤解しています」


「……」


「この状態で十都市を一ヶ月です。遭難の定義を街道用に書き換える必要があります」


 宰相は咳払いをした。


「王国としても、国民の期待に応えねばならん」


「その期待に応えるために、僕の胃を生贄にしないでください」


「胃薬は追加で支給しよう」


「予算の使い道が間違っています」


 それでも旅程は変わらなかった。

 少しだけ出発時間が遅くなり、各町の歓迎行事の数が二つ減り、演説時間が全体で三十分短縮された。


 改善としては、焼け石に胃薬である。


 僕は旅程表の写しを抱え、会議室を出た。


「さて」


 勇者パーティー親善旅行。

 今日の仕事は、世界を救った英雄たちに、旅の支度という文明的行為を覚えさせることである。


 魔王討伐より地味で、たぶん同じくらい大変だった。



 最初に向かったのは、眠れる鹿亭だった。


 宿の二階。

 日当たりのいい部屋。

 扉には新しい札がかかっている。


『旅行準備中。起こさないでください』


 準備中と書いてあるのに、すでに嫌な予感しかしなかった。


「アルトさん、入りますよ」


「準備してる」


 中から返事があった。

 珍しい。


 僕は少しだけ期待して扉を開けた。


 期待は裏切られた。


 部屋の床には、聖剣、外套、枕が置かれていた。


 以上。


「……終わりですか」


 アルトさんは真剣な顔で頷いた。


「必要な物は揃えた」


「寝る旅ですか?」


「違う」


「ではなぜ枕が最優先なんです」


「移動中も眠れる」


「答えになっていますね」


 アルトさんはベッドに腰掛けたまま言った。


「剣がある。外套もある。枕もある。困る要素がない」


「着替えは」


「宿で借りる」


「洗面道具は」


「水がある」


「式典服は」


「昨日着た」


「書類は」


「お前が持ってる」


「最後だけ正しいですが、全面的に駄目です」


 僕は持ってきた鞄を机の上に置いた。

 中から、替えの服、下着、靴下、洗面道具、小さな裁縫箱、旅用の水筒、王国発行の通行証、日程表の写しを順に取り出していく。


 アルトさんはそのたびに、荷物が増えたことに対する静かな不満を顔に出した。


「多いな」


「文明です」


「枕より大事か?」


「同格です」


「そうか」


 納得したのかしていないのかわからない声だった。


 僕は鞄に荷物を詰めながら言った。


「アルトさん、今回は一ヶ月です。三日ではありません」


「長いな」


「今さらですか」


「式典の壇上で聞いた時、半分くらい寝ていた」


「勇者の情報取得精度としてどうなんですか」


「低い」


 素直に認めないでほしい。


 僕は最後に薄手の毛布を丸めて入れた。


「それもいるのか」


「馬車で寝るでしょう」


「いるな」


 そこだけ判断が早い。


「あと、旅の間は勝手に消えないでください」


「消えない」


「本当ですか」


「たぶん」


「たぶんを禁止したい」


 アルトさんはしばらく鞄を見ていたが、やがてぽつりと言った。


「リオ」


「はい」


「旅って、前もこんな感じだったか」


「前は魔王討伐旅だったので、もっと命の危険がありました」


「今は?」


「今は荷物の危険があります」


「平和になったな」


「どこがですか」



 次は王都中央教会だった。


 セラフィナ様の部屋に入った瞬間、僕は感心した。


 荷造りが完璧だったからである。


 白い旅行鞄が二つ。

 薬品箱が一つ。

 治療用の布袋が三つ。

 着替えも整然と畳まれ、薬草の分類札までついている。


 さすが聖女様である。


「素晴らしいですね」


「当然です」


 セラフィナ様は微笑んだ。


「旅先で誰が倒れても対応できるようにしてあります」


「頼もしいです」


「骨折、裂傷、発熱、呪い残滓、食あたり、過労、睡眠不足、勇者様の怠慢」


「最後は症例名ですか?」


「頻出です」


 その返答には反論しづらかった。


 僕は薬品箱の中を確認した。

 胃薬、解熱薬、止血薬、傷薬、浄化水、包帯、栄養剤、携帯用祈祷札。

 見事な布陣である。


 ただし、途中から様子がおかしくなった。


「……聖女様」


「はい」


「この棚、勇者様用の胃薬が多すぎませんか」


「必要ですから」


「この束は何ですか」


「説教メモです」


「束なんですか」


「旅先では状況に応じた説教が必要になります」


「一ヶ月でそんなに分岐しますか」


 セラフィナ様は、慈愛に満ちた笑みで頷いた。


「寝坊した場合、無断離脱した場合、祝辞中に欠伸をした場合、馬車でだらしなく寄りかかった場合、食事を肉だけで済ませようとした場合」


「勇者様に偏りすぎです」


「気のせいです」


「気のせいではありません」


 僕はさらに一冊の薄い手帳を見つけた。


『勇者様更生計画 親善旅行版』


 閉じた。

 見なかったことにしたかった。


「持っていかれるんですか」


「もちろんです」


「治療対象が勇者様に偏っています」


「旅先で最も体調と生活態度が乱れやすいのが勇者様です」


「否定しづらいですね……」


 するとセラフィナ様は、ふっと目を細めた。


「リオさんの分も入っていますよ」


「僕の?」


「胃薬と頭痛薬と、倒れた時のための栄養剤です」


「倒れる前提で準備しないでください」


「前提ではなく予測です」


「言い換えても刺さります」


 それでも、鞄の隅に小さな薬包がきちんと分けられているのを見て、少しだけ肩の力が抜けた。


 聖女様はそういう人だ。

 毒を吐く。

 けれど、必要なものは最初から揃えてくれている。


「ありがとうございます」


「どういたしまして」


「説教メモは半分に減らしてください」


「無理です」


「即答ですね」



 王立魔法塔では、荷造りという言葉の定義が崩壊していた。


 第五研究室の扉を開けた瞬間、紙が見えた。

 本が見えた。

 測定器が見えた。

 自動記録紙が見えた。

 予備の自動記録紙が見えた。

 予備の予備も見えた。


 中央で、ミリアさんが腕を組んでいた。


「来た」


「来ました」


「確認してほしい」


「嫌な予感しかしません」


 机の上には、旅用荷物一覧表が置かれていた。

 一覧の右端には、推定総重量の欄がある。


 数字を見た。


「馬一頭分では?」


「誤差の範囲」


「範囲が広すぎます」


 ミリアさんは真剣な顔で言った。


「旅先で必要になる」


「全部ですか」


「古代魔術基礎資料集成、結界観測器、携帯型魔力計、野外測定用水晶、筆記具一式、自動記録紙五百枚、予備、自動保存箱」


「今、自動記録紙五百枚と言いましたか」


「少ない?」


「多いです」


「旅は一ヶ月」


「毎日何を書くつもりなんですか」


「観測記録」


「親善旅行です」


「両立可能」


 僕は一覧表を持ち上げた。


「重量制限を設定します」


「反対」


「即答しないでください」


「知識に重量制限をかけるのは暴力」


「馬車の車輪にも限界があります」


 ミリアさんは少し考え込み、それから机の上の本を一冊持ち上げた。


「では、どれを削るべきだと思う」


「その問いを僕に投げないでください。爆発したら責任が取れません」


「爆発はしない」


「今の間は何ですか」


「条件が整わなければ」


「なおさら駄目です」


 結局、僕とミリアさんは三十分かけて荷物を分類した。


 絶対必要。

 必要。

 できれば必要。

 本人は必要だと思っているが、馬車はそう思わない。


 最後の山が一番大きかった。


「この予備の予備の予備の自動記録紙は」


「必要」


「削ります」


「リオ」


「駄目です」


「記録が途絶えた場合、文明は後退する」


「一ヶ月で文明は滅びません」


「可能性の問題」


「今は積載量の問題です」


 僕が容赦なく束を減らすと、ミリアさんは本気で寂しそうな顔をした。


「……では、四百枚」


「多いです」


「三百」


「二百」


「研究の軽視」


「親善旅行の維持」


 最終的に、二百五十枚で合意した。

 敗北なのか勝利なのかわからない。


 部屋を出る時、ミリアさんは小さく言った。


「旅の間、記録の役割分担が必要」


「そうですね」


「公式記録はあなた、観察記録は私」


「観察される側の胃が痛いですが、妥当です」


「あと、あなた自身の体調記録も必要」


「なぜですか」


「最も故障しやすい緩衝材だから」


「人を備品みたいに言わないでください」



 訓練場では、案の定、武器庫ごと旅立とうとしていた。


 ガレンさんの足元には、大剣、木剣、予備木剣、盾、予備盾、礼装用短剣、非常用大剣が並んでいる。


「多いです」


「厳選した!」


「する前は?」


「槍もあった!」


 元気に言わないでほしい。


「ガレンさん、これは親善旅行です」


「うむ!」


「戦争ではありません」


「わかっている!」


「ではなぜ非常用大剣があるんですか」


「非常時に要る」


「非常時を作らないでください」


 ガレンさんは真面目な顔で剣を見下ろした。


「だが、旅先で誰かを守るかもしれん」


「その時は勇者様も聖女様もミリアさんもいます」


「それもそうだな」


「あと、予備盾」


「盾は心だ」


「荷物でもあります」


 僕は一つずつ指差した。


「木剣、一本まで」


「うむ」


「盾、なし」


「なし」


「予備盾、もちろんなし」


「なし」


「礼装用短剣」


「だめか?」


「だめです」


「礼装なのに」


「礼装だからです」


「難しいな……」


 最終的に、ガレンさんの荷物は着替え、洗面道具、木剣一本、小さな手入れ道具、菓子折りになった。


「菓子折り?」


「謝罪に必要だと聞いた!」


「それは良い判断です」


「強い菓子を選んだ!」


「甘い方でお願いします」



 出発前夜。


 王城の馬車置き場には、四人分の荷物と、四人分の主張が集まっていた。


 アルトさんの鞄は最小限。

 セラフィナ様の荷物は美しく整頓されている。

 ミリアさんの箱はまだ重い。

 ガレンさんの木剣は一本だが存在感が強い。


「なぜ私の荷物だけ監視が厳しい」

 ミリアさんが言う。


「量です」


「知識への弾圧」


「車軸への配慮です」


 セラフィナ様は薬品箱を置きながら微笑んだ。


「勇者様の毛布が二枚あるのですが」


「一枚は昼寝用」

 アルトさんが言った。


「用途を分けないでください」


 ガレンさんは菓子折りを掲げた。


「これは共有物資に入るか?」


「入りません」


「そうか! では俺の責任で守る!」


「食べながら守らないでくださいね」


 僕は馬車の横に立ち、旅の規則を書いた紙を読み上げた。


「確認します。親善旅行中の基本規則です」


 四人がこちらを見る。

 この瞬間だけは、少しだけ会議らしい。


「決闘禁止」


「うむ」

 ガレンさんが頷く。


「無断離脱禁止」


「たぶん大丈夫」

 アルトさんが言う。


「たぶんをやめてください」


「努力する」


「報告書は一日三枚まで」


「少ない」

 ミリアさんが即答した。


「譲歩した結果です」


「四枚」


「三枚です」


「補論は」


「一枚に含みます」


「厳しい」


「祝辞の毒は軽傷まで」


 セラフィナ様が優雅に首を傾げた。


「軽傷の定義は?」


「笑ってごまかせる範囲です」


「曖昧ですね」


「聖女様相手に数値化しても意味がありません」


 最後に僕は深呼吸した。


「あと、全員、生きて帰ってきてください」


 少しだけ沈黙があった。


 戦場にいた頃なら、当たり前の確認だった。

 でも今は、違う意味で必要だった。


 アルトさんが短く言う。


「了解」


 セラフィナ様が微笑む。


「ええ」


 ミリアさんが小さく頷く。


「記録する」


 ガレンさんが胸を張る。


「任せろ!」


 その返事を聞いて、僕は少しだけ肩の力を抜いた。



 翌朝。


 王都の門前には、見送りの人々が集まっていた。

 昨日の式典ほどではないが、それでも十分に多い。

 子供たちが手を振り、商人が声をかけ、兵士たちが敬礼する。


 馬車の扉が閉まる。

 御者が合図を送る。


 車輪が、ゆっくりと回り始めた。


 ついに出発である。


「寝る」


 最初にそう言ったのはアルトさんだった。

 早い。


 彼は座るなり、窓際の席で目を閉じた。

 まだ王都の門も抜けていない。


 セラフィナ様はため息をつき、荷物の上から薄手の毛布を取り出してアルトさんの肩にかけた。


「勇者様」


「ん」


「せめて国境を越えるくらいまでは英雄らしく起きていてください」


「王国内だぞ」


「では王都の門を見送ってから寝てください」


「今見た」


「本当に言葉だけは足りますね」


 毒舌は添えられたが、毛布はきちんとかかっていた。


 ミリアさんはさっそく膝の上に記録板を載せている。

 ガレンさんは窓の外を見て、真面目な顔で周囲の警戒をしていた。


 そして僕は、自分の記録帳を開く。


 ページの一番上に、日付と場所を書く。


『勇者パーティー親善旅行、一日目。王都を出発』


 少しだけ考えてから、続けた。


『現時点での最大の懸念は、魔物ではなく荷物と座席と会話である』


 馬車が石畳を越え、街道へ出る。

 王都の喧騒が少しずつ遠ざかっていく。


 世界は救われた。

 そして今、世界を救った五人は、親善旅行へ向かっている。


 平和になったはずの道を。

 平和になったからこそ厄介な問題を積んで。


 僕は記録帳を閉じた。


「……さて」


 この旅、たぶん静かには終わらない。


 そして次の問題は、きっとすぐに来る。


 なぜなら今、馬車の中では、誰が誰の隣に座るかという、新たな戦場が静かに発生しつつあったからだ。

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