とある日の柊二君
この作品は
ゆきの中のあかり①
の番外編です。
とある住宅の設計事務所。
手前の応接スペースに若い男性が1人、おばあさんと話し込んでいる。
奥の事務所にその彼より2、3歳上に見える男性と、中年の男性がいて、仕事をしていた。
「佐竹さん、あいつまたやってますよ。」
「ん?」
佐竹さんは声をかけられて机の上の書類から目を上げた。
「中田のおばあさん、今日も来てますよ。俺んときより頻度あがってません?」
「そうか?」
「適当に話聞いて、帰ってもらえばいいのに。金持ってるくせにケチなんだから、あのおばあさん。リフォームしたいって言い始めてからもうどのぐらい経ってます?」
「高野、お前さ、そんなことより飯塚さんのお宅の建て替え、プラン出してからどうなってるの?」
「ああ……。」
高野さんはつまらなさそうな顔になる。
「奥さんは気に入ってるんですけどね。なんかご主人が煮えきらないんですよ。」
「何に引っかかってるの?」
「さっぱり。奥さんはわかりやすい人なんですけどね。ご主人っておとなしくって。」
「でも、お金出すのはご主人だろ?」
「普通は、旦那さんって奥さんが満足すればそれでいいんじゃないですか?」
佐竹さんは、ため息をついた。
「家族構成は?」
「ええっと……」
高野さんは机の端っこにたててあるクリアファイル取り出してページをめくる。
「なに、お前、頭に入ってないの?」
「4人家族なんですよ。男の子か女の子か、忘れただけです。」
見つかった資料を見ながら続ける。
「娘さんですね。2人。」
「部屋はひとつにしたの?」
「いや、小さいけど二つですよ。あ、あともう1人いた。5人だった。そうそう、ご主人のお母さんが。」
「ああ……」
佐竹さんは、さもありなんという顔をした。
「なんですか?」
「嫁姑だよ。奥さんの前では言えないけど、ご主人が気にしてる何かがあるんだろ、今のプランのどこかに。」
「え〜。」
「うまいことやってご主人からなに気になってるのか引き出せよ。」
「ああ、はい。」
めんどくさいなという顔をしている。
「お前さ、俺らが設計してるのって家族の住む家だってちゃんと理解してる?」
「そんなんもちろん分かってますよ。」
「普通のサラリーマンならさ、一生に一回の買い物なんだよ。悔いのないようにしてあげたいって気持ちはないの?」
高野さんはめんどくさそうな顔を引っ込めた。
「すみません。」
その日の夜、佐竹さんと高野さんと、もう1人柊二と呼ばれた若い男性が事務所に残って残業してる。
「お前、要領悪いな、柊二。」
高野さんが柊二君に話しかける。
「そうですね。今に始まったことじゃないですけど。」
けなされてるのにニコニコしてる。
「中田のおばあさんはさ、確かに金持ってるんだよ。家はあんな古びてるけど、旦那の生命保険が入ったんだってさ。」
「ああ、そうなんですか。知らなかった。」
高野さんは少し得意になった。
「お前、そんなことも知らないのかよ。」
「はい。」
「だから、俺も最初は一生懸命相手したけどさ。あのばあさん、結局暇なんだよ。くっちゃべりに来てるだけ。肝心なリフォームの話になると、ああだこうだいって全然具体的な話にならないんだからさ。」
「そうですね。」
それから、柊二君は優しい顔で笑った。
「家がね、痛いんじゃないかっていうんですよ。今日真面目な顔して。」
「は?」
「ご主人と一緒に若い頃建てた家がね、建て替えの時に壊される時痛いんじゃないかって。それがね、もう死んではしまったけど、ご主人の体をたたいて壊してるような気分になるんだそうです。」
「……」
「本当に優しい人ですよね。中田さん。それに仲のいいご夫婦だったんだろうなぁ。」
あきれた様子の高野さんに代わり、佐竹さんが口を開いた。
「それでお前、どうしたの?」
「ああ、そうは言っても古い家ですからね、手を入れないと危ないですし、手術だって思いませんかって言いました。」
「手術?」
「手術は痛いけど、終わったら家が元気になりますよって。それと残せるとこは残しましょうって。」
「なんだそりゃ、子供騙しだな。」
高野さんが言うと、柊二君ははははと笑った。
「柊二、お前、もういいから今日は帰れ。」
佐竹さんが声をかける。
「え、でもまだ。」
「いいから、帰れ。お前、新婚だろ?毎日遅いと奥さんから愛想尽かされるぞ。」
「塔子さんはそんな簡単に愛想尽かすような人じゃありませんよ。」
「そうじゃなければ、他の男に横からかっさらわれるぞ。あんな美人。」
「そんな簡単に心変わりするような人でもないです。」
ちょっとむっとした顔をした。
「ああ、もうなんでもいいから、とにかく早く帰れ。」
柊二君はにっこり笑うと、机を片付けて立ち上がった。
「じゃあ、お言葉に甘えて。」
そして出ていきかけて、ふと振り返った。
「あ、そうそう忘れてました。飯塚さんのお宅の建て替えですけど」
「なに?」
高野さんが聞く。
「あそこのおばあさんは大人しい人でお嫁さんに頭が上がらないそうなんですよ。」
「うん」
「で、建て替えについてもなにも意見を言わないので、ご主人が気にしてるみたいです。」
「あ、そうだったんだ。でも、なにも言わなかったら、文句がないってことじゃないの?」
「自分の部屋が隅っこになるのがやだって。」
「え?」
「確かに日当たりもいいし、いい部屋なんだけど、子供たちの声が聞こえないから寂しいって。日当たり悪くても居間の横がいいそうです。」
高野さんがぽかんとしてる。呆けた彼に代わって、佐竹さんが聞く。
「お前なんでそんなこと知ってんの?」
「ああ、中田のおばあさんって飯塚のおばあさんとお友達なんですよ。心配してて。」
それから柊二君はもう一度挨拶すると帰っていった。
佐竹さんが高野さんに言う。
「お前、柊二に負けてるな。」
「ええ?どこがですか?」
「まあ、わからないなら、いいや。もう。」
「ただいま」
「あれ?なんで?早い。」
「だめだった?」
「ごめん。ごはんがまだだ。」
「いいよ。そんなんで謝らなくて。」
柊二君は家にあがって料理している塔子さんの隣に立つ。
「今晩はなあに?」
「ロールキャベツ」
「おいしそう。」
塔子さんは柊二君に向かってにっこり笑った。
「座ってなよ。1日働いて疲れたでしょ?」
「いや、君の顔見てたいから。」
やあねえと塔子さんが笑う。
「今日はなんか面白いことあった?」
柊二君は中田のおばあさんの話をした。
「感動した。ご主人亡くなってもあんなに大切に思ってるなんて。」
「すごいね。」
柊二君は鍋の前に立ってる塔子さんを後ろから抱きしめた。
「あんな夫婦になりたいな。僕も。」
「だめ。」
「だめ?」
「柊二君が死ぬなんてだめ。冗談でも言わないで。」
柊二君はしばらく黙って、塔子さんの顔を覗き込む。
「ごめん。」
「うん。」
「ごめんね。」
「もういいよ。」
柊二君は塔子さんの髪に顔を埋める。塔子さんの顔に笑顔が戻ってくる。