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つぼみのころ





   本編は、彼女は牡丹 君は椿①のお話の

   約15 年ほど前、澤田さんと火野先生が

   大学生だった頃のお話です。








   澤田(あきら)







大学生の頃、自分は政治経済学部だった。

でも、政治より文学に興味のあった自分は、自分の学部の講義もそこそこに、文学部の講義に忍び込んでいた。最近の大学がどういう管理をしているのかは分からないけれど、自分が学生の頃は大教室での講義には他学部生でも忍び込めた。


蒼生(そうせい)はそこにいた。

不思議な奴だった。蒼生は。


服装も普通で、顔立ちも普通。にぎやかに騒ぐやつでもなく、見かけると1人でいることの多いやつ。それなのに、妙に存在感があるように見えた。結局は、俺が人並み外れた読書家で、あいつがいつも読んでいる本のせいで、あいつを無視できなくなっていたせいなのかもしれないけれど。


蒼生はいつも文庫本を持っていて、講義が始まる前とかに読んでいた。それは明らかに一度や二度ではなく何度も読み込まれた(てい)の本で、作者も年代もわりとばらばら。そして、それらは俺から見て一冊もあますことなく名作だった。


俺にとってはこれはちょっとしたことだった。


俺はあの頃から、文芸に関しては是非がはっきりしていて、世間で認められて売れている作品でも嫌いな物が結構あった。

自分がいくつか所属しているサークルのうちの一つに文芸サークルがあって、平たくいえば作家の真似事をしている連中が所属している。そいつらと文学討論をするのだけれど、趣味の合うやつがいなかった。ひねくれたやつは流行(はやり)ものを悪く言う。だから、どこがどう悪いのだと言うと、なにやら滔々と述べるのだけど、いまいち論点に軸がない。反対に、世間で認められてたら全部よしというやつもいる。賞を取った作品とか。どこがどういいのだと聞くと、これもまた然りで、皆、自分のそれらしいことを述べるのだけれど、いまいち頷けない。


物足りないやつらばかりであきあきしてた。

だから、いつも俺の好きな名作ばかり持ち歩いているあいつが気になっていた。気になっていたけど声をかけられずにいたら、ある日、ひどいお粗末な小説を持っていた。メロメロの恋愛小説。ナルシストの主人公がやたら女々しい小説。イケメン俳優が主演で映画になって、女の子たちの間で人気があるやつの原作だ。

すじはまだいけるのかもしれないけど、とにかく文章がひどくて、一行で冷や汗が出た。吐き気を堪えて最後まで飛ばし読みした。


ショックを受けて、気づいたら話しかけていた。


「君がそれを読むの?」


涼しい顔で蒼生が顔をあげてこちらを見た。その時、初めて蒼生の視界に俺は入った。


「誰?」

「ええっと……、澤田暎(あきら)と申します」

「知り合いだったっけ?」

「講義で一緒になって覚えてるだけ」

「……」


無表情だけど、若干変な人だと思われている雰囲気が伝わってくる。


「君、いっつも本持ってるじゃん。俺の好きなのとかぶってることが多いから、覚えてたの」


眉間に皺がよった。かなりやばいやつだと思われてる。俺は咳払いをした。


「それ、読んでて辛くない?」


俺は文庫本を指さした。


「ああ……」


蒼生はつまらなさそうに手元の本を見た。


「これ、最後どうなるの?」

「え?」


じっと無感動かつ無表情に聞かれた。


「君、読んでないの?」

「いや、読んだけど……。最後どうなるのか知ってしまったら、もはや最後まで読む気力が失せると思うよ」

「ああ……」


ぼんやりとそうつぶやくと、


「じゃあ、やめとく」


またもくもくと読み始めた。


「なんでそんなん読んでんの?」


自分も読んだくせに棚上げして、聞いてみた。


「彼女に勧められて……」

「え?君、彼女いるの?」


しばらく黙った後に、つぶやかれた。


「失礼なやつだな。君」


それが蒼生とした初めての会話。それから講義の合間にちょこちょこ話しかけるようになった。最初は警戒していた蒼生も(こいつはめちゃくちゃ人見知りするやつだった)俺が純粋にただの本好きだと知ると、徐々に警戒を解いていった。


そうやって読んだ小説の感想を言い合ううちに、こいつはちょっと他のやつと、そして、俺ともちょっと違うと思った。

なんていうのかな?

蒼生は苦しんでいた。

真剣に苦しんでいて、その答えを求めるために本を読んでいた。


俺が名作だと思って手に取った作品を、蒼生は、何か、たぶん、本物のにおいとでも言うのだろうか、作者の無我夢中に道を探し求める心のエネルギーのようなもの、それをかぎ分け、それに共鳴して、そこに答えを求めていた。一度読むだけでは理解できなくて、何度も解答を求めて繰り返し本を読んでいた。


とある作品について酒を飲みながら話していたとき、蒼生は言った。


「夕方になると決まってなんとも言えない憂鬱な気分になる。毎日訪れるこの状態にいつか飲みこまれてしまいそうだ」


とある有名な作家の短編の書き出しだった。


「この部分を読んだときに、まるで自分のことみたいだと思って……。だから、何度も読んだ。でも、この作品の中で主人公が見つけた結論がいまいち腑に落ちない」

「じゃ、お前ならどう結論づける?」

「わからない」

「試しに書いてみたら?」


そう言ったときにこちらを見た蒼生の顔が印象的だった。後から思うと。


「書いてみようと思ったことはない?本は読むだけか?」

「暎は?」

「俺は書いてる」


嘘ではなかった。あの頃、自分は作家志望だった。親を欺き政経学部に通いながら、大学卒業とともに家を出て、好きな文学の道へ進むつもりだった。


あっさりと言った俺に蒼生は驚いていた。


「今はまだ文芸部のやつらに見せて回し読みしてるような程度だけど、そのうちまとまった物ができたら賞とかにも応募するつもりだ」

「賞って文学賞?」

「ああ」


俺はその頃から一連の文学賞や、賞ごとの作品の傾向とかにも詳しかった。一通り説明すると、意外と蒼生が真剣に聞いている。


蒼生としては珍しかった。こいついつも無表情で淡々としているから。


「興味あるの?」

「うん。少し」

「文芸サークル、出てみるか?」


あいつにとっては、いくら俺が一緒だとはいえ、それは勇気がいる行動だったのだと思う。

そのくらい蒼生は大人のくせにひどい人見知りだった。

今となってはその理由がわかる。蒼生は本当に繊細な人間だった。ただ、それだけ。


あの時、蒼生は追い詰められていた。

編集者になって、何人もの作家を見てきた今だからわかる。

人間の中には書くために生まれてきた人間というのがたまにいる。

蒼生もそういう人間のうちの1人だった。

あの頃の蒼生は、自分の中にわきあがる様々なものを形にして外に出すことができずに、もがいていた。人知れず綴られていた心中を語る日記のような日記とは単純には言えないような手記を抱えて、他人の書いたものの中に手がかりを探しつつ、もがいていた。

そして、俺と会ったことで本当に些細なとっかかりを見つけて、それに必死でつかまった。


そのくらい蒼生は真剣に悩んでいた。他のやつらとは格が違った。


「なんか地味だな」

「悪くはないと思う。文章は初めてにしてはわりとしっかりしているし、でも、淡々としていて、何を訴えたいのかわからない」

「華がない」


自称小説家気取りの文芸サークルのやつらには見えなかった。

そりゃそうだ。あいつらの目は節穴だから。

大学を卒業してから、あいつらがどこで何やってるのかなんて知らないし、知りたくもない。だけど、蒼生が卒業後作家になって作品が映画化されたことを知って、さぞほぞをかんだことだろう。


俺には見えた。蒼生には人の心が見えている。自分を含めありとあらゆる人間の心の動きが手に取るように見えている。

一番最初に書いて人に見せたのは、主人公とその周りの人間のなんということはない日常の様子だった。

凪の海の上をカモメが飛ぶようなそのくらいの穏やかさを書いてきた。

それは、そういう物を書いて周りがどう思うのかがひたすら怖かったからなんだと思う。わざと、静かな物を書いたのは。


でも、こいつの心の中にはきっともっと嵐のような激情がある。

すぐに見て取った。俺にはそれだけの目があった。


そして、この一見いつも涼しい顔してる男の、激情を覗いてみたいと思った。

人間の心の様を、もっとありありと見たいと。


「お前、手加減しただろ」


2人だけのときに蒼生にそう言った。


「なんの話?」

「この前書いてみんなに見せたやつ」

「……」


蒼生はいつものように何も言わなかった。言わなかったけど俺はやつが自分から口を開くのを待った。


「あれを……」

「うん」

「どう思った?」

「お前は、もっといろいろ書くべきだ」


その時、蒼生は縋りつくような目をした。あいつは本当に苦しんでいた。出口の見えないところで、もがいていた。

あいつの方向を示したのは俺だった。


「書くことで何か変わるんだろうか?」

「それはわからない。わからないけれど、いろいろ書くべきだ。わからないやつに読ませる必要はない。俺に見せろ」


そして、俺は自分で書くことをやめた。


蒼生はそのことを惜しんで結構しつこく言い続けた。

確かに、俺は子供の頃から山のように本を読んできたし、俺の文章はあの自称作家たちの間で評判がよかった。大学を卒業して、出版社に勤める傍ら、文章を書く仕事がある際には、その文章力はいつも高く評価された。だけど、書評はしても作品は書かない。


俺は知っている。いつも一流のものを読んできただけに。

俺には蒼生ほどの純粋な何かがない。

結局は俺ほどの読書家をうならせるほどの作品を生み出すのは技術力ではなくて、魂の純粋さなんだ。

そんな純粋さを、もともと持っていなかったのか、或いはどこかで失ってしまったのか、だけど、そんなのはどうでもいい。


俺は作家に生まれついてはいないのだと思う。

そのことに忸怩(じくじ)たる思いはない。なぜなら俺の願いは、これはと思う作品をこの世に送り出すことだった。これはと思う書き手がいないから自分で書こうと思っていただけで、蒼生に会って、こいつはきっと俺の魂を、俺の損なわれた魂をきっといつか蘇らせるそんな作品を書く気がした。

俺を感動させる作品を書ける男のような気がした。


だから、託した。蒼生に俺の夢を。

いつか見たこともないような世界を俺の目の前に広げて見せてほしい。







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― 新着の感想 ―
[一言] わあ・・・ 素敵?と言ったら軽薄かもしれません? 運命の出会いとか言ったら、澤田暎さんは軽薄なロマンス小説だと嫌がるかもしれません・・・ しっとりと、読まされてしまいました。 堪能しました…
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