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新しい朝

 翌朝。


 早起きをしたエレナは、フィーアや侍女が来るのを待ちきれずに遠乗りの支度を始めた。


(今日からまたアレス様と一緒に馬を駆れる)


 大好きな人と、大好きな事をするのは本当に幸せな事だ。


 衣装部屋へ行き乗馬用の動きやすい衣装を探していると、フィーアが侍女を引き連れてやって来た。


「エレナ様、衣装部屋を荒らすのは止めて下さい。それに王太子妃殿下が自ら衣装を取りに来るなんて有り得ません」


 フィーアは呆れた顔をしながら、エレナに部屋から出る様に促す。


「早く起きすぎたからフィーア達を呼ぶのも悪いと思って。でもいいでしょう? 自分の服なんだし、カーナ家に居た時だって自分で着替えていたじゃない」


「ご生家での生活は自由奔放過ぎたのですよ。神官長様は放任主義でしたから」


「それはそうね。お父様は私に関心は無かったし、お母様は幼い頃に亡くなってしまったから」


 年の離れた兄も、妹の暮らしぶりを気にする事は無かった。同い年の娘、セーラ姫が居たから関心は全てそちらに行ってたのだろう。

 こう考えると孤独な生活に思えるけど、実際はエレナの周りにはフィーアを始め優しくて気の良い使用人達がいたから寂しさなんて感じたことは無かった。


「そのおかげでエレナ様はのびのびと育ちおおらかな性格になったのでしょうけど、ここはご生家ではなくサリアの王宮です。そしてエレナ様は王太子妃。今までの様には行きませんよ」


 今朝のフィーアは妙に厳しい。怪訝な顔をするエレナをフィーアは再び急かす。


「早くお部屋にお戻りください。衣装係りの侍女も困っていますよ」


 フィーアに言われてハッとして、部屋の隅に控えた侍女の存在を思い出した。侍女はエレナとフィーアのやり取りを心配そうに見つめている。エレナが居る事で自分の仕事を果たせずに困り果てている様だ。


「ごめんなさい」


 急いで衣装部屋を出ると、フィーアも後に続いて来た。


「衣装は侍女が直ぐに用意しますからご心配なく。それより張り切っているのは分かりますが、昨夜話した事は忘れないで下さいよ」


「分かってるわ。大丈夫よ」


「本当ですか? エレナ様は直ぐに忘れてしまうから」


 疑いの目を向けられムッとしたけれど、今までの事を思い出すと反論出来ない。でもアレスの命令だけは絶対に忘れない自信が有った。




 着替えを済ませ、アレスの宮の近くの厩舎に向かった。朝の爽やかな空気の中、アレスと遠乗りに出る事を思うと心浮き立つのを止められない。

 厩舎の近くには、簡素な黒い衣装を身に付けたアレスが居た。


「アレス様、おはようございます。今日からまたご一緒させて下さい」


 小走りに近付き笑顔で声をかけると、アレスは青みがかった目をエレナに向ける。


(アレス様……今日も凄く素敵……)


 見とれていると、冷ややかな低い声がした。


「勝手にしろ」


「え……」


 目を見開くエレナから視線を逸らし、アレスは一人で厩舎の中に行ってしまう。あまりにも素っ気無くて冷たい態度。これは芝居だと分かっているしいつも通りの態度なのに、一度優しさに触れてしまったせいか堪えてしまう。


(この状態は思ったより辛いかもしれない)


 立ち尽くしているとアレスの馬が厩舎から出て来た。


「あっ、待ってください!」


 このままでは本当に置いていかれる。エレナは慌てて自分の馬を厩舎係から受け取り、既に小さくなってしまったアレスの背中を追って馬を走らせた。



 朝の澄んだ空気の中で馬を走らせるのは久しぶりだった。気持ちが良い。


 アレスはエレナを待つ事なく先に行ってしまったけれど、アレスの部下のライがエレナから離れずに着いていてくれた。


「ライ、ごめんなさい、私のせいで遅くなってしまって」


 アレスの側近を務めるだけあって、ライの乗馬の腕はエレナより数段上だ。


「お気遣い無用です。妃殿下をお守りする事が私の務めなのですから」


「そう……」


 それでもアレスの命令とは言え、エレナに合わせていては退屈してしまうだろうと思った。


「アレス様は本当に何でも出来るのね。私、馬術だけは自信が有ったのにアレス様はもう世界が違うわ」


 どうしてあんなに早く駆ける事が出来るのだろう。


 エレナの呟きにライは人の良い顔に笑みを浮かべて言った。


「アレス様は幼い頃より馬で駆けるのを好んでいましたから」


「そうなの? 私と一緒ね」


 思いがけない共通点が見つかり嬉しくなる。


「ライは頃からアレス様に仕えているの?」


「はい。私の母がアレス様の乳母を努めておりましたので、物心ついた時にはアレス様の近くにいました」


「そうなの? ではアレス様とライは仲良しなのね」


「仲良しと言うのは少し違うと思いますが」


 ライは困惑した様子で言う。


「私にも子供の頃から側に居てくれる侍女がいるの。フィーアって言って凄く頭が良くて頼りになるの」


「それではフィーア殿も朝駆けに誘ってみてはいかがですか?」


「残念だけどそれは無理。フィーアは勉強は出来るんだけど運動は苦手なの。馬には乗れないわ」


 カーナ家に居た頃、フィーアはエレナの遠乗りに付いて来ようと何度も馬術の訓練をしていた。けれど結局成果を上げられずに、有る日きっぱりと諦めた様だった。


「人は生まれ着いての向き不向きがどうしてもあるものですから」


 フィーアは憮然とした顔でそう言っていた。


(でも……アレス様に不向きなものなんて有るのかしら?)


 アレスは完璧で何でも出来る様に見える。そんな事を考えている内に、エレナとライの馬は湖に到着した。



 エレナは素早く馬から降りると、美しい銀の湖のほとりに立つアレスの側に駆け寄った。


「アレス様!」


 エレナが呼びかけるとアレスはちらりと視線を向け、それから無言で湖へ視線を戻した。


 以前と全く変わらない態度。昨日の事の方が夢の様な気さえして来る。


(私にはいつも通りの態度で過ごせって言ってたよね?)


 アレスとフィーアの言葉を思い出しながら、エレナはアレスの隣で足を止めた。


「やっぱり朝の遠乗りは気持ちが良いですね。空気が綺麗な気がします」


「……」


 アレスから返事は無い。それでも聞いてくれていると信じて、エレナは続けた。


「昨日はいろいろと有って聞けませんでしたけど、レイクランドから来たお客様は私のお母様の生家の方だそうですね。何時まで滞在されるのですか?」


 返事はあまり期待していなかったけれど、アレスの口から短い言葉が発せられた。


「当分サリアに滞在する」


(やっぱりアレス様はちゃんと私の話を聞いてくれてる)


 嬉しくなって弾む声でエレナは言った。


「お母様は私が幼い頃に亡くなってしまったから私はレイクランドがどんな所なのかよく知りません。でもいつか一度は行ってみたいって思ってたんです。お客様に会う機会が持てたらレイクランドの話をもっと聞きたいです」


 それまで真っ直ぐ湖を見つめていたアレスが、エレナへ視線を向けて来た。


「お前のその髪と瞳は母親譲りなのだな」


「はい。お母様と一緒です」


 サリアでは珍しい金髪、翠眼は明らかに他国からの血筋のものだ。


 アレスは何か考える様に目を細めていたけれど、ポツリと言った。


「神官長はなぜ他国の王族の娘を妻に迎えたのだろうな」


「……え?」


 思いがけない言葉にエレナは怪訝な顔をしながら首を傾げた。


(お父様とお母様が結婚した理由? 政略結婚じゃなかったの?)


 エレナが考え込んでいたその時、アレスの表情が突然険しくなった。


「アレス様? どうしたのですか?」


「黙っていろ」


 鋭い声で言われてエレナはビクリと肩を震わせ口を閉ざす。


 それからしばらくすると複数の馬が駆ける音が聞こえて来た。それは段々と大きくなりエレナの視界に数人の武装した兵士の姿が映りこんだ。




 兵士達は黒ずんだマントを羽織り、腰に剣を帯びている。その姿からサリア王国の騎士ではない事は明らかだった。


「だ、誰?」


 エレナが恐怖に震える声を出すのと同時に、アレスが兵士達からエレナを隠す様に前に立った。


 周りに目を向けるといつの間にかライをはじめとしたアレスの側近達が集まって来ていて、エレナとアレスを守る様に囲んでいた。

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